釧路に居たとき、ただじっと座っているだけで汗が額から流れ落ちる、身体中がべとつくなんていうことは経験をしたことがなかった。
汗がでたり、身体が汗でべとつくのは、子供のように走り回ったり、木を切るために鋸を曳いたり、スコップで雪掻きをしたりなど身体を使うと汗がでたものだ。
汗がでたら、動いているのを止めて休めばすぐ汗がひき、涼しさが戻ってくる。
しかし、東京近辺の夏はただじっとしているだけで汗がでる。
寝ていても汗がでる。
この不快さに、「ここは人の住むところではない」と思った。
が、東京近辺のそんな夏も、サルを追うようになってなんの不快さも感じなくなった。
逆に夏の暑さ、蒸し暑さを焦がれるようにさえなった。
帰省して、数日前二日続けて釧路の街を歩いた。
舗装道路を含む、地面は凍っており、手入れの悪いスケート場を歩いているようなものである。
15分も歩いていると足の爪先が冷えてくる。
手袋をつけているのにも手が悴んでくる。
耳や頬が痛いような冷たさを感じる。
強い風が一吹きして襟元に風が入ってくると体中が凍るのではないかと恐怖を感じる。
「ここは人の住む処ではない」、春から秋なら住めるが真冬は人の生活には適さないという思いが強くなっていた。
釧路市動物園で、アムールトラやシロクマやキリンを見た帰り、車の中で老母は動物たちがあんな寒いところにいるなんて可哀想だという。
釧路の寒さで元気に動き回っているトラの子供やシロクマたちは幸せそうだった。
温かい部屋の中で過ごしているお袋にとっては「寒いところは快適だ」と感じる動物がいるということが理解できないかのようだ。
ぼくの身体は、生まれ故郷の寒いところに合った身体ではなく、じっとしていても汗が出るようなそんな南国に生活に適した身体になっているようだ。
となると、上野動物や横浜ズーラシアのシロクマたちも関東地方の気候に馴れた身体になっているのだろう。
南国生まれのキリンでさえも釧路の冬にでも外で暮らせるようになっている。
ぼくの身体は温かい関東地方の気候に馴染んだものになってしまっている。
「住めば都」というが、この言葉はその土地の風土に心身ともに馴染んでしまうことを云うのだろう。
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