新釧路川は釧路川の氾濫を防ぐために1931年作られた運河のようなものである。
もし、この人工河川が作られていなかったら、釧路湿原は広大なものとなり、我が実家も卒業した中学校もなかったろう。
湿原は、原野・谷地とよばれて忌み嫌われていた。
が、子供にとっては外遊びの場であった。
春は、スズランやアイヌネギやコゴミなどの山菜採り、谷地坊主の上を跳びまわり、谷地まなこに睨まれて怖い思いをした。
夏は、ドンコ、トンギョ、ヤチウグイ、ドジョウ、アメマスなどの釣り遊び、
キリギリス取りや小鳥取りに暗くなるまで過ごした。
秋は、コクワやヤマブドウ狩りで終日、原野にいた。
冬は、スキーをはいて雪原をどこまでもどこまでも歩けた。
今の子供たちは装備は良くなっているはずなのに、外遊びをする風の子がいない。
ぼくらの頃は、外で同じ年ごろの子供たちと夏でも冬でも遊びまわるがの楽しくてしょうがなかった。
まだ、氷は3、4センチで薄く軟らかいので、上に乗ることができなかった。
おそらく、正月過ぎには歩いて川を渡れるだろう。
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