「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2020年12月29日火曜日

白梅が咲く  The white Japanese apricot blooms

庭に出ると、大分冷えてきた。それでも水蓮鉢の氷は張っていない。狭い庭は10歩も歩けば行き止まりだ。だから、ぼくが庭で見る物は植物の冬芽の状態だ。モモはもう、かなり花の蕾が大きくなってきている。見ていると二つの蕾が大きく膨らんで花弁を開きそうだ。まだ、年内だ。
寒い冬が無ければ美味しい漬物は漬けられない。先ほど、干してあった聖護院大根を取り込んで塩漬けにした。2週間も干したので、半分以下の大きさになった。また、2週間ほど待ってから味噌・酒粕に浸けなおす。来年1月の下旬には食べられるだろう。親父が釧路の冬でやっていた事の真似事だ。旨くできたら、毎冬作ろう。聖護院大根はネットで見ると2個で2480円もするんだ。

図1. 膨らんできたウメPrunus mumeの蕾
図2. 花弁が開きそ

2020年12月28日月曜日

イヌガヤの種子の形状   The seed configuration of Japanese plum yew

 12月23日の鳥屋待沢右岸尾根歩きで、見つけ拾ってきたテン糞3(図3)はイヌガヤの種子であり、タヌキ糞(図4)からはケンポナシの種子が含まれていた。何れも今冬、初めての糞内容物なので、イヌガヤとケンポナシの種子をアップして皆さんに見てもらう。

図1. イヌガヤCephalotaxus harrigtonia(左3個)とケンポナシHovenia dulcis(右4個)の種子
図2. イヌガヤの種子(一回りする稜がある)
沢右岸沿いの山道の石の上にテン糞3を見つけた時は、カヤの実の種子かイヌガヤのものか判らなかった(図3)。しかし、イヌガヤの赤褐色になった実は松脂臭いが甘いので、熟すと発酵臭がするだろう。しかし、カヤの実は青いままで甘くはない。カヤはイチイ科でイチイの赤い柔らかい実は甘く子供の頃に口にいっぱい放り込んで種子だけをプップッと吹き出した。でも、カヤの実は食べる気も起らない。一方、イヌガヤの実はマツヤニ臭いが甘い。ヤマモモの赤い実の味と似ている。両者とも大量に食べたいとは思わないが、せいぜい5、6個までだ。
だから、動物たちはカヤの実を食べることはないだろう。しかし、種子をリスは食べるかもしれない。
さて、イヌガヤとカヤの種子の大きな違いは、イヌガヤの種子は長径を一回りする稜があることだ(図2)。カヤは縦にいくつものシワがある。
図3. 石の上のテン糞3
図4. タヌキ糞

2020年12月27日日曜日

テン糞とタヌキ糞の内容物    The contents in the scats of martens and racoon dog

 一昨日は雨が降るかと思っていたら朝から晴れている。昼過ぎ温かくなったので庭に出て糞洗いをする。

テン糞5だと思って拾ってきたものが洗って内容物を確かめている時にその臭いからタヌキ糞だと判った。全ての糞にマメガキの種子や果肉・果皮があり、サルナシを食べている糞も5個の糞から見つかった。また、テン糞3からはイヌガヤの実を食べた残りの種子が出て来た、また、タヌキ糞からはケンポナシの種子が4個出て来た。また、二つのタヌキ糞からは腐葉を食べたと思われる砕片やその時に一緒に食べたと思われる土砂がでてきた。それらをまとめて図9に示した。また、見つけた糞の位置は図9に、糞から出て来た内容物をまとめたの表1である。どうしても山での糞などのフィールドサインを見つけるのは登りの時に多く、下りは見落としてしまいがちだ。

図1. 8:29 テン糞1
マメガキ種子・果肉果皮、サルナシ種子・果肉果皮

図2. 8:33 テン糞2
マメガキ種子・果肉果皮、サルナシ種子・果肉果皮

図3. 8:52 テン糞3
イヌガヤ種子、マメガキ種子、サルナシ種子・果肉果皮

図4. 9:06 テン糞4
マメガキ種子・果肉果皮、サルナシ種子・果肉果皮

今冬、初めてのケンポナシを食べた糞だ。下の糞粒3個の内、左の一番大きいモノを拾ってきたが、ケンポナシの種子が4個あった(図)。他の二個も拾って洗ったら、ケンポナシの果柄なども出てきたかも知れない。
図5.9:45 タヌキ糞だ!
マメガキ種子・果肉果皮、サルナシ種子・果肉果皮、ケンポナシ種子、腐葉片、砂泥

洗うと糞が固く、砂泥がたくさん出、さらに机上で茶漉しの残渣を調べたら臭いからタヌキ糞だと確信した。
図6. 9:55 テン糞5ではなくてタヌキ糞だった
マメガキ種子・果肉果皮、腐葉片、砂泥

図7.10:06 テン糞6
マメガキ種子・果肉果皮

図8.13:45 テン糞7
マメガキ種子・果肉果皮
図9に今回のテンとタヌキの食べているものをまとめた。両者の食べている物はほとんど同じだ。ただ違うのはタヌキは腐葉砕片や砂泥が糞に多く入っていることから木に登って果実を食べることもあるが、林床に落ちた果実を漁っていることが多いのではないかと思われる。一方、テンは地上に落ちた果実を食べることは少ないように思える。
図9. テンとタヌキが食べている物

図10.ルートの中のテン糞①~⑦とタヌキ糞の位置

今日は27日、今年も後4日だ。友人のTGが、七沢温泉に小林多喜二が匿われていた旅館「福元館」があることを知らせてくれた。今年はコロナ禍で命拾いをした。それは、昨年の2月14日から8日間横浜港を発着するあのクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスに乗っていたのだ。コロナ禍のため、今までとは違った1年になった。今までやらなかった動画編集をほんの少し覚えたこと、手洗いをこまめにするようになったこと、食事・呑み会をしなくなったことがあげられる。そして、一昨日義兄が肺癌で亡くなったのに葬儀は行えない。このウィルスとの生活が日常になっていくような恐ろしさを感じている。

2020年12月26日土曜日

ツチイナゴがビカクシダを食べる  A kind of grasshoppers ate the staghorn fern

今朝、ビカクシダをみたら齧られた痕がある。あのツチイナゴだ。カトレアの花を食べたのもツチイナゴだったのだ。しかし、この硬いシダをよく食べたものだ。感心する。が、もうこのツチイナゴを部屋で飼っておくわけにはいかない。見つけ次第温かい日中にでも庭に放り出そう。
しかし、探すとどこにいるのかわからない。昨夜はアジャンタム(ハコネシダの仲間)の鉢にいたのだが、、、。
食べられた痕を線で囲む

鳥屋待沢沿い道を詰めて右岸尾根に登る3)  Walked and stuffed on the path along the Toyamachi stream , and climbed the right bank ridge3).

 約30分掛かってお昼を食べ終えて片付け、再度Geographicaで位置を確認し、地図を広げ、磁石の矢印を行く方向に合わせ、磁石の円盤内の磁北を地図の磁力線に平行に合わせる。あとは矢印の方向に向かって下るだけだ。再びザックを背負ってスマホで自撮りだ。大分疲れている。笑えなかったのだ(図1)。

この場所は以前この尾根を登って777ピークを過ぎたら、ナイフの刃のように細い尾根が連なり、張ってあるザイルを握って歩いて三峰山まで行ったことがあった。あの細い尾根は今はどうなっているのだろうか?もう、ぼくは足が竦んで歩けないだろう。2012年1月だ、その時は、鳥屋待沢右岸尾根を谷太郎林道の橋のところから登って777ピーク、登山道に出て三峰山を経過し、そのまま登山道を歩き今度は鳥屋待沢左岸尾根を下っているのだ。僅か8年前のことだ。しかも、この鳥屋待沢右岸を登って三峰についてそれから左岸尾根を下って車に辿り着くのに、5時間しかかかってない。車は橋のたもとに置いたが、若いって凄い!

図1. 13:39 昼食後出発前に自撮り
13時45分、磁石を首にぶら下げて、下る方向を見ながら歩き出して間もなくテン糞だ。マメガキの種子が顔を出している。
図2. テン糞8
尾根が二股に分かれる辺りで地点でGeographicaを見て位置を確認し、再び地図を出して磁石の方向を512ピークに合わせて下る。尾根が二股に分かれところから512ピークまで左側にシカ柵が走る。512ピークからは踏み跡がしっかりついていて、そのまますすむとしっかりした経路となった。
14時46分、山の仕事道(経路)を行くことになる。どこに出るのかそれだけが不安と楽しみでもあり、楽な経路を進むことになる。15時半までに谷太郎林道に下りたい。晩秋の陽が赤くなって山を照らす。
15時18分、林道から見える堰堤横に出る。ここから林道まで暗くなったらちょっと迷うかもしれない。
15時24分に谷太郎林道に下り立つ。ここから立派な経路があるなんて判らない。
今回は、山道の距離が短いのに鳥屋待沢左岸の山道から始まって右岸尾根を下って再び林道に出るまで7時間48分も掛かっている。あーーーー!
谷太郎林道を煤ケ谷に向かって歩く。軽トラが一台ぼくを追い抜いて行く。連れ合いから「今どこにいるの?」っとメールが入る。トイレで用をたす。清川役場前の駐車場に辿り着き。車に乗り、ほっとする。「帰る」とメールする。
図3. ここからあの歩きやすい経路があるなんて、、、。

図4. 歩いたルート

2020年12月25日金曜日

鳥屋待沢沿い道を詰めて右岸尾根に登る2)  Walked and stuffed on the path along the Toyamachi stream , and climbed the right bank ridge2).

 昨日の続き:兎に角、この斜面を登って鳥屋待沢の右岸尾根に辿り着くためには、一歩一歩ジグザクに登るだけだ。ずり落ちないように右足、左足を足元を固めるようにして登る。

9時39分、ヤハリと云うべきか?早くも仕事道が出て来た。6、7年前にでも作られたのだろう。とてもしっかりしている。これが尾根まで続いていることを祈る。この道の作り方は合理的だ。間伐したスギの丸太をそのまま伐った残りの台木と立ち木のスギの間に倒しているのだ。これだと、丸太を止める杭など必要がない。清川村煤ケ谷地区の林業家は石垣と云い、この仕事道と云い、素晴らしい技術を持っている。

図1. 仕事道だ!立ち木のスギで丸太を支える
ここでは二本の丸太が支えられている

図1'. 倒した根本で一方を支える

9時44分、このシダは?いつも見るオオバイノモトソウと少し違う感じがするので撮る。
図2. 小葉が付くのが面白いが、やはりオオバイノモトソウなのか!

9時45分、ん?タヌキ糞だ!シダの葉先を千切って目印にする。
図3. タヌキ糞だ!
9時55分、テン糞だ。
図4.  テン糞6

10時1分、スギの植林地帯だが、仕事道があるのにスイスイ登れないので歯痒い。学生に駆け登れ!っと云うと走って直登するだろう。先ほどからシカのような警戒音が途切れなく続く。何度も見上げたり周りを見渡すがシカは見つからず。シカなら警戒音を上げて逃げるから、これはシカではなく誰だろう?鳥かもしれないとも思うが、、、、。
図5. スギ林のなかの登り

10時9分、カモシカの新旧の糞がたくさんある。ここはカモシカの狭い行動域内なんだ。だが、しかしカモシカがぼくの姿を見て警戒音を上げるとは思えない。彼らは単独生活者なので意味の無い警戒音は出さない筈だ!
図6. カモシカ糞だろう

10時46分、おー、また、石垣だ。二段になっている。石垣にして土砂が崩れるのを防ぎ、植林をしているのだ。こんなことをするのも明治の頃の人の為せる業だろう。数人でも1日や2日では作れないから仮小屋でも作ってやったのだ。そんな仕事は冬なら寒いから初夏が気持ち良くて良いかな?夜は、小屋で談笑しながら呑む。そんな山仕事に憧れる。
図7. 石垣がここにも

この石垣を過ぎてから、岩が多くなり、ストックを畳んでザックに付け、立木や杉の根を掴んだり、足先を持ち上げられないので膝を着き、四つん這い状態で、何度も立木を背に一息ついてスポーツドリンクを飲み、息を切らしながら登る。
上を見上げては立ち木があって楽そうなルートを判断し、ある時には1メートルの岩場をトラバースするのに腹ばいになって10分以上もかけ、太い根回りの木の上に出るのに、ショルダーバックやザックを外して木の上に置き、手で樹皮の割れ目を掴み、足場を固めてグイッーっと身体を持ち上げる。まるで、甲羅を付けたカメのように身体が硬く、すいっと身体が持ち上がらない。
12時48分、直径30センチもありそうな太いサルナシの枝をザイル代わりに掴んでよじ登ってようやくこの難所と乗り切る。難所とは云っても70越えの僕にとっての難所であり、学生ならスイスイだろう。
石垣(図7)から高度140メートル登るのに実に2時間掛かっていることが判明した(図11の⑦から⑧まで)。上半身、下半身を使って登ったので、初めて手指が攣りそうになったし、翌朝は二の腕や脇腹、さらに太腿ではなく脹脛が痛かった。何と二日目の今も二の腕や脹脛の筋肉痛だ!
図8. 胸高直径30センチもありそうな太いサルナシ

太いサルナシの脇に倒れるスギの丸太を乗り越えると、もう、スギの植林地帯のなだらかな傾斜地帯だ。東京・横浜方面を写真に撮る余裕も出てくる。
図9. 東京・横浜方面が、、
図9'. これは新宿方面?
13時7分、兎に角、尾根まで出てから休もうと思い、ストックを出して歩く。15分くらい歩いて平な尾根に出る。風が冷たい。倒木に座って湯を沸かしインスタントラーメンだ。しかし、半分くらいしか食べられず。登山靴で地面を蹴って少し穴を掘り、ラーメンを捨て上に枯葉を乗せ踏む。アンパンのような甘いモノが食べたい。
図10.尾根に到着だ!
図10'. どこか風が当たらなくて温かいところが無いか探す
図11. 歩いたルート
図中の①~⑩は上記文中の図1から図10の位置
ブログにGPSのルートをアップして気が付いた。鳥屋待沢から⑧の太いサルナシまでの赤線が太い、往きと帰りに2重に歩いた線よりも太い。それだけ右行ったり、左に行ったりルートを選んだのだ。
帰宅後、ウィスキーはいつものように呑んだものの、この日は疲れたのか釧路の妹が送ってくれたサンマの生干しは美味しく食べれたが、ご飯を全く食べられず。いつもはご飯制限を強いる連れ合いが不思議がる。

2020年12月24日木曜日

鳥屋待沢沿い道を詰めて右岸尾根に登る  Walked and stuffed on the path along the Toyamachi stream , and climbed the right bank ridge.

 昨日は朝出たのが5時半、6時になれば渋滞になる。清川村役場の駐車場に車を置く。5、6台の車が停まっているが、何台かはここで夜を過ごしたようだ。車から外に出ると寒い!ザックに入っている薄手の羽毛服を着たいを思うほどの寒さだ。指先まである軍手を持ってきたのは正解だ。ヤッケを羽織り、GPSをセットして出発だ。

今日は、鳥屋待沢左岸に沿ってある山道を行けるところまで行き、右岸尾根に登ろうと昨日から決めている。

7時25、鳥屋待沢左岸に沿ってある山道だ、途中までは何度か行ったことがある。

図1. ここから入る予定だ!
下りてくる右岸尾根の様子を見て回る。寒い!早く山道に入りたい。
図2.こに下りてきたら若者でないから飛び降りれない
図3. ここならスムーズに林道に出られる
7時37分、山道に入って登る尾根を見上げると朝日が当たっていて温かそうだ!
図4. 朝日が当たる尾根
図4’. 朝日が当たる鳥屋待沢右岸尾根
7時54分、さて、これからだ。ここは右の尾根道を登りトラバースして鳥屋待沢左岸尾根の615ピークと415ピークの間のコルにでる。2010年11月の丹沢実習でクマの親子に出会ったところだ。今までは、ここから右の尾根道を登ったことしかなく、沢沿いの道を先を歩いたことがない。
ここで、座って靴の紐を締め直し、スパッツを着ける。スパッツを着けると何だかヤル気が倍増するから面白い。
図5. 右には尾根を登る道がある
8時29分、テン糞だ!殆んど期待していなかったので嬉しい!サルナシの果皮が糞の右に付いている。他に何か食べているかな?
図6. テン糞1
8時34分、また、テン糞だ!マメガキとサルナシの種子が見える。
図7.テン糞2
8時39分、へー、石垣だ。明治の頃に作ったのかな?清川村の人々は頻繁にこの道を利用していたのかな?昔の人々の石の組み方めったに崩れない。石の組み方の技術を持った職人さんがいたのかな?石垣があるためその上の道は歩きやすい。
図8. 石垣
8時52分、ん?この糞は量が多ければハクビシンかもしれないが、石の上にしているし、右横の残骸からしてテン糞だろう。しかし、この種子はカヤかイヌガヤかな?違うかな?しかし、この果実の果皮と果肉は分解・消化したって云う事?
図8. テン糞3
8時56分、だいぶ道が怪しくなってきた。道が無くなる。対岸に白い看板が見える。双眼鏡で覗くと神奈川県「水源の森林づくり」契約地と書いてある。向こう側に道があるのかな?対岸に渡る。
図9. 水源の森の白い看板
9時6分、対岸に渡ろうとしたら、沢の石の上に糞だ。久しぶりにイタチ糞かな?少し太いからテン糞かな?サルナシの果皮と種子が浮き出ている。何だ、テン糞か!少し、ガッカリだ!
図10.テン糞4
9時11分、赤い帽子の杭・K5と書いてある。水源の森づくりのものだ。道は沢右岸に回ったようだ。
図11. K5の杭
9時23分、沢の奥の方にも赤い帽子が、そして、今まで歩いてきた方の沢の左岸には古い古い保安林?の鉄板の看板がある。恐らく、この看板を立てた頃には、歩いてきた道は続いていたのだろう。70前なら対岸に戻って辺りに古い道があるかどうか確かめられたが、今は沢を渡るにもバランスを崩してはいけないとおっかなびっくりだ!
Geographicaで見ると、ここは目指す右岸尾根の777ピークに近い尾根ところに登れる。兎に角、ジグザクゆっくりだ!しかし、ここから尾根に到達するのは大変だった。3時間半以上もかかったのだ。
図12.奥にも赤い帽子の杭が、、
図12'. 対岸に古い看板