D:肩甲骨 E:上腕骨 F:尺骨と橈骨 G:骨盤 H:大腿骨 I:脛骨と癒着した腓骨 J:肋骨 K:手指骨部分 L:胸骨柄
久しぶりの小動物の骨なので、ほぼ全ての骨をアップした。ヒメヒミズも骨にしてあるので、次回にでもアップしたい。
2011年12月にやまぼうしさんからヒミズとヒメヒミズをプレゼントとされ、2021年まで毎年専門学校の授業で両者の違いを学生たちに見てもらった。そのヒミズとヒメヒミズをやまぼうしさんが拾ってから13年振りに骨にしたのだ。様々な事を思い出し、感慨深いものがある。
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
久しぶりの小動物の骨なので、ほぼ全ての骨をアップした。ヒメヒミズも骨にしてあるので、次回にでもアップしたい。
2011年12月にやまぼうしさんからヒミズとヒメヒミズをプレゼントとされ、2021年まで毎年専門学校の授業で両者の違いを学生たちに見てもらった。そのヒミズとヒメヒミズをやまぼうしさんが拾ってから13年振りに骨にしたのだ。様々な事を思い出し、感慨深いものがある。
先日23日、散歩して戻ってきてシャワーを浴びてから、ズボンを履く時に勢いよく膝を上げて右足をズボンに突っ込んだ。その時に腰と云うか背というか激痛が走った。で、ゆっくり左足をズボンに入れて少し前屈みになりながら自室に戻った。それでも昨日も痛い痛いと感じながら4キロちょっとを歩いた。しかし、散歩すると周りの景色などに目が行き、あるいは歩く事に夢中になり痛さを感じない事がある。
ぼくは自分の日常的な痛みと補聴器との事で思いを巡らした。初めて補聴器を付けた時は、ありとあらゆる外界の音に悩まされた。外を歩けば、他人の話し声、車の音、靴を引きづる音、電車に乗れば、前や隣の人の新聞や本を広げたり閉じたりする音、家に戻ると水道の流れ出る音、食器のカチャカチャぶつかる音など生活している音が全て耳に入ってくる。補聴器を調整してくれた技師は生活音になれるために風呂や寝る時以外は補聴器を付けるように言われた。その煩かった生活音も4,5日で聞こえなくなった。慣れたのだ。自分が必要とする音だけが耳に入ってくるようになった。我が家は小田急線の線路から50メートルくらいしか離れていない。当初ここに引っ越してきた時は電車が通る音でTVの音さえ聞えなかった。しかし、今では、窓を開けたままでも電車がいつ通ったのかも判らない。つまり、電車が通る音は生活音としてぼくの頭が認識してくれたのだ。
もう、1年前くらいから足、腰、背が痛い。朝、ベットから起き上がる時も一苦労であり、階段を下り、顔を洗う。そんな日常生活の事で痛がっている。今朝からぼくは考えている。足腰背の痛さは日常なのだから慣れなくてはダメだ。足が痛い、腰が痛いとイチイチ反応してないで、痛さに慣れなくてはいけないと思っている。
痛さについては、拙書「ヒトの子どもが寝小便するわけ」の”サルは痛みを感じない?”の項目の中でヒトの痛み、苦痛について言及した。是非読んでみて下さい。
もちろんたっぷり採って思う存分食べてみたいと思うが、どうしてもサルのようにその場で口に入れて味わう。それにしてもHiさんはジャムにするくらい採ったのだ。鍋に一杯採ってもジャムにするとその3分の2くらいに減る。実を採る時間だって1時間以上は掛かっただろう。だから、我が家に全部くれた?のかと思うほどの量だ。
ヤマグワではなくカイコのエサとして育てているクワはヤマグワの倍くらいの大きさの実がなる。そう、このクワの実の大きさがブドウの巨砲くらいだと良いのにと思ったことがあった。その位クワの熟した黒紫色の実は旨い。それをHiさんはこんなにも採ってジャムしてくれたのだ。感謝!
昨日は久しぶりに境川沿いを歩いた。歩いた距離は5.9キロで7800歩だった。午後2時に家を出たら、風が強く帽子が吹き飛ばされそうになったので、時々帽子を抑えた。早々に境川の遊水地公園の外周を廻るのは諦め、境川右岸の遊歩道を歩く。風が強いせいだろう自転車に乗っている人は少なかった。
境川右岸の遊歩道に入る手前で、ガのようなモノを見つけた(図1)。調べると半翅目のアミガサハゴロモのようだ。コヤツは先日庭のユズの木でアゲハの蛹を探している時も見つけた(図2)。初秋のチョウのイチモンジセセリもいた(図3)。
昨日、秋晴れなので散歩に行こうか迷っていた。それは何故か両太腿の上部付近が痛いのだ。そのため、立ち上がる時と椅子に座る時は意志を強くしないと立ち居振る舞いが出来ない。が、それはこの5,6日雨模様の天気だったので散歩に出られなかったためと解釈し、歩けば痛みが無くなるだろうと駅前まで一回りしてこようとカメラを持って出た。
駅前のポストに頼まれたハガキを投函したら、下土棚遊水地公園まで足を伸ばすことにした。荷物を両手に下げた小太りの女性に追い抜かされ、エ!と云う思いで彼女を追い掛けたが差は縮まらず、後からサンダル履きのブラブラ歩きのオジサンにも追い抜かれる。これじゃー、ダメだと両腕を前後に降り、気持ちは急ぐがどんどん差が開くので、追跡は止める。
今日は、大山・丹沢が割りとはっきり見えた。公園の管理事務所でトイレを借りる。管理事務所のガラス戸に写った自分の姿にがっかりする。背中は丸まり、腹が出てシャツのボタンがはち切れそうだ。体重は2キロ近く減っているが、腹筋が無くなったため腹が出てきたのだ。
アレチウリが繁茂しているところで可愛いイチモンジセセリが数頭飛び回っている(図1)。イチモンジセセリが出てくる季節だ。セセリチョウ科の仲間は、翅の裏表とも茶色っぽいモノのが多く、目が大きい。
釧路に帰った時は妹から少し動けとイヌの散歩を命じられるし、藤沢に戻ってからは連れ合いに足首を回せとか、肩を回せとかいろいろ云われる。そう云われるのは、恐らく腰部脊柱管狭窄症の為に動きがトロイせいだろう。床に落ちたティッシュを拾うにも一苦労である。腰を曲げて素早く拾えない。しかも拾う時にテーブルや椅子などにつかまらないとダメだ。この脊柱管狭窄症になっている人ならばぼくの動きの緩慢さが解かってくれると思う。しかし、家族の者たちでぼくだけがこの病気持ちだ。
歩幅を広げて大股で歩けない。歩幅を広げるようにして努力しても太腿が痛くて広げられない。しかし、そうじゃない人からは自分をかばっているだけと思うだろう。
今回は兄貴の傘寿祝で帰省したのだが、釧路には兄貴夫婦と妹が住んでいて、妹の所に一週間厄介になった。
兄夫婦、妹、我々を含めてしばしば飲食をしながら話をした。コロナが再び流行り始めているので、歳の事もあり話題は身体の事が多かった。兄の連れ合いはコロナワクチンを一度も打っていないようだ。彼女は過敏でアレルギー反応が強くでるタイプであるようだ。我が兄弟妹は、3人とも高血圧で、身体中が痒く、鼻水に悩まされ、飲食時に咽ることがある事が共通していた。我々の両親は高血圧症であり、子供の我々がそれを受け継いでいる。さらに、お袋も身体中の痒さに参っていた。親父は、食事の時に若い時から咽ていた。どうも、我々兄弟妹3人は、高血圧は両親から、身体の痒さや鼻水は母親から、咽るのは父親から受け継いだようだ。ぼくの連れ合いは乳癌になったが、第二ステージで発見したため、事無きを得ている。しかし、連れ合いの母親、二人の兄、姉は膵臓癌や肺癌で逝っている。
ぼくらの身体は両親の遺伝子に支配されているかのようだ。それが、60歳を過ぎる頃から免疫系統が弱まるにつれて出てくるようだ。幸い、我が家系からは癌で逝った者はいないが、お袋系統は結核に侵されやすい。
何年か前にアメリカの女優が将来の乳癌予防のために乳房の切除をした事で話題を集めたが、病気予防の為には両親・親類の病気を知って、予防する必要がある。
コロナ禍があり、数年振りに故郷の釧路に帰った。羽田から飛んだ飛行機は台風の影響の乱気流なのか、飛行機とは思われないようにガタガタと小刻みに揺れた。まるで、舗装されていな穴ぼこだらけの道を走るバスに乗っているようでもあった。
故郷釧路の目に入る風景が変わった。それはセイタカアワダチソウが至る所に繁茂しているからだ。この帰化植物は北アメリカ出だけあって釧路地域では元気が良い。しかし、ぼくが見た岡山県、愛知県や神奈川県でも四半世紀前はすごい勢いで繁茂していた。しかし、今はそれほどでもなくなった。釧根地域のセイタカアワダチソウも後30年も経てば自然に消えていくのかな?
さて、釧路で見て気になった花をアップする。