「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年1月31日木曜日

雪面上の毛 Fur on the snow

昨日、連れ合いと林道を歩いた時、堤川林道の雪面上や湖岸沿いの林道の雪面上にも動物の毛があった。それぞれ一カ所だけであった。
ここで、この毛の持ち主は横たわったようだ。
シカの毛と考えられる。
シカは、この林道の雪上に横たわって休養したのだ。
雪に埋もれた風が吹きさらしの林道は、快適とは云えないだろう。でも、今は野良犬(ノイヌ)もいないし、猟師の格好さえ覚えていれば外敵となるものはいない。だから、見つけられやすい林道でも横たわって休息することができるんだ。
 
女子柔道選手の監督からのパワハラや体罰がテレビで取り上げられている。
さらに、大阪の高校の顧問教員による体育科の体罰が問題となっている。
その前にも大相撲のある部屋での体罰が問題となった。
どうも、体罰やパワハラは日本のスポーツ界ばかりでなくあらゆる社会にあるように思われる。
テレビ界の局と下請けの会社との関係、あるいは芸能界に当たり前のようにある苛めやパワーハラスメント、これらは狭い社会の中ならどこにでも見られることである。
受験生が鉢巻を締めて頑張る姿、運動とは関係なくグランドを走らせれたりする罰などにみられるような気合を入れるという指導。それを日本の社会全体が容認しているのだ。典型的なのが、アントニオ猪木によって喜んでビンタをもらう人たちがいることであり、「気合だ!気合だ!」と鼓舞する女子レスレスリングのお父さんがマスコミで持て囃されていることなのだ。
何故か、指導する立場の人たちは精神力で解決できることがあると思っているようだ。
適切な指導のもとにスポーツでも会社の仕事でも、勉強でも行われていたら、精神力など持ち出さなくとも良いはずである。
この気合や精神力の鼓舞が体罰やパワハラという形で表われてきている。

2013年1月30日水曜日

シカも滑る  A sika deer also sliped.

今日、連れ合いと堤川林道と湖岸林道を歩いてきた。
連れ合いと一緒なのは、一昨日歩いた時に紛失した携帯を探すためである。
結果、何故か、携帯が見つからず、帰宅後新たな形態を買った。
 
まず、堤川林道を歩いた。不思議なことに一昨日歩いた時よりも格段に動物たちの足跡が増えていた。堤川林道では、一昨日カモシカを見つけたところで一人の「おじさん」がカモシカを撮ろうと狙っていた。
先日、帰路、滑って転んだはずみで落としたと思われる辺りにも携帯はなかった。
タヌキ、アナグマ、シカ、カモシカ、リスの足跡が分かった。
 
この向こうからこちらに向かっている足跡は誰のだろう?
まるで、ハの字状の跡がついている。 
横からみるとこうだ。 
さぁー、もうお分かりでしょう。
蹄がわかりますね。 
今度は、進行方向に向かって足跡をみたものです。
ハの字状に雪を少し蹴ってorひきづるようにしてあるいた、シカの足跡なんです。 
このシカさんは、氷りの上に積もった雪の上ではこのように滑っております。 
こんなにも滑っていますよ。ここでは転ばなかったようですネ。
このシカは昨年の春生まれたシカのようです。
足跡が少し小さいですね。
 
スマートフォンなら1万円ちょっとらしいが、これまで通りの携帯だと3万ちょっとも掛かるのは、auの方針なのでしょう。でも、ぼくは迷うことなくこれまで通りの携帯にしました。
 


2013年1月29日火曜日

カモシカ急斜面を登る  A Japanese serow climbed up the steep slope.

昨日は、大失敗だった。
Lumixの一眼レフカメラをチビと2台持っていった。湖岸道路を歩き始めた時は、ここはテン糞が多いところなのでテンに逢えるかもしれないから、GH1に300ミリの望遠を装着しようと思っていた。が、そうはしないまま堤川林道に向かった。リスやシカの足跡を見ながら歩いていて、正面の斜面にカモシカを見つけたのだ。まず、GH1で撮った。
この時すぐに、レンズ交換をすべきだった。
が、バカなことにGH1の標準レンズで同じ姿を撮りつづけたのだ。
もちろん、気持ちはレンズを300ミリに! 
で、そうだこの標準レンズでもデジタル4倍になるんだと、f/5.6にして撮った。
f/5.6にしたのは逆光なので顔の表情が写るようにと思ったからだ。
そのカメラの設定をしている間に動いた。
この急斜面を登り始めた。
デジタル4倍を止めて撮った。 
裏へ回ってみたら、ブッシュの中でじっとしていた。
ここでもレンズ交換をしなかったのはバカだった。
いつも望遠にして、いつでもOKの状態にしてないとダメなのだ。


2013年1月28日月曜日

新雪に残されたリスの足跡 The squirrel footprints on the fresh snow.

今日は、雪が降るという予報だったので、電車とバスを乗り継いで土山峠に行くつもりであった。
しかし、やまぼうしさんから紹介された清川村役場の宮ヶ瀬湖ライブカメラを見ると
車が走っているのが判った。
車で行くことにした。土山峠にはすでに車が置いてあった。
その前に割り込むようにして停める。
スパッツを着けて先ずは、湖岸道路を行く。4、5センチの新雪だ。
何年かぶりにファフファな新雪の上を歩く。
ぼくの足跡が残される。何故か嬉しいねぇー。
何と、この湖岸林道では、野生動物の足跡はこのネズミのものと思われるものだけであった。
山側の路肩から道路を横切っているが、また戻ったようだ。
ぼくの足と比べる。 
これは山側斜面へ 
真ん中に尻尾がついた跡がある。 
これは、跳んだ時の後ろ足の跡だろう。こ

どうも、この叢の中に入り込んだようだ。
しかし、寒いのに何故出てきたのだろう。
清川トンネルへの山道を少しだけ登ったが、以前のタヌキのタメ糞場所は
もう、まったく使用していない。
で、戻って、今度は堤川林道を歩く。
リスがピョンと跳んだ足跡だ。
これって、どういう訳だろう?
右足の小指が外向きにでているよ。
リスの後足の小指はこうなのかな? 
この堤川林道で、他にシカorカモシカ足跡、再度のリスの足跡
さらには、カモシカそのものに逢った。

雪の土山峠

予報通り雪が降っている。
野生動物の足跡を観察する絶好の機会!
さて、見つけられるかな?

2013年1月27日日曜日

紅梅一輪 Only one blooms in some plum trees.

近くの公園に紅梅を見に行ってきた。
この公園には白梅と紅梅の10数本の梅の木があり、
紅梅がそろそろ蕾が膨らんでいるのではないかと見にいったのだ。 
 まだ、まだ紅梅の蕾は開いてなく、来週あたりに咲くかなという感じだ。
しかし、あった。一輪だけあった。
まだ、1月下旬である。だが、週末はもう2月だ。
刻々と春は近づいている。
丹沢に行きたいが、明日は雪らしい。
土・日は混むからと二の足を踏んでいては、行けなくなってしまっている。

2013年1月26日土曜日

タンザニアでの危機管理 Crisis Management for me in Tanzania

アルジェリアの人質事件で思い出した。
1994年から1997年の3年間、ぼくはタンザニアのマハレ山塊国立公園にJICAの専門家として滞在していた。
ここマハレは、タンガニーカ湖の中央に東岸からデベソのように突き出たところである。
ぼくの家はタンガニーカ湖畔にあり、そこは、国立公園基地のビレンゲ(写真右の↓)の外れにあり、公園外カリラーニの村(写真左の↓)との間くらいにあった。
夕日が沈んで行くときには、対岸のザイールの山並みが湖面に浮かんで見えた。
当時、ルワンダの内乱で難民となったくさんのフツ系の人々がザイール側に流れ込んでいた。そ
のことによって、さらにザイールも内乱が勃発していた。
ぼくは、火曜から土曜までの4泊5日を山で過ごし、土曜から火曜の朝までを湖畔の家(真ん中の↓)で過ごしていた。
ぼくと一緒に山で過ごしていた人たちはトングエ族であった。
彼らはマハレが国立公園になる前はここに住んでいた人たちである。
ザイールの内乱の様子は対岸にいても判るようになった。
国立公園のボートには、海賊(湖族)に襲われたら反撃できるようにライフル銃をもつレインジヤーが乗るようになった。
ぼくと一緒に山で過ごしている、カティンキラ(写真右)やシャバニ(写真右から二人目)たちからは、ぼくが湖畔の家に居る時に、彼らや他の者が夜にやってきて、ドアを叩いて呼びかけても決してドアを開けてはいけないと言われていた。
当時は、大使館からも危険だからダルエスサラームに戻ってくるように無線が入っていた。
ぼくは、万一の時に備えて、夜、裏口から逃げる時の装備を整えたザックを用意していた。
裏口からはすぐ山になっていた。
山の中ならぼくが知っている。
 
1995年のクリスマスの夜であった。
ぼくは公園管理官のワキバラやウィリアムとマリサに招かれて彼らとイブの夜を過ごし、湖畔の家に戻ってベッドに入って寝ていた。
しばらくうとうと寝ていたら、ボートのエンジン音が近づいてきた。
ぼくの家の前の湖岸で停まったことが判った。
男たちの声が聞こえる。
懐中電灯の明かりが寝ている部屋の窓の板戸の間や、壁と天井の隙間から入り込んできた。
 
ぼくは、急いで着替えて登山靴を履き、ザックを担ぎ、裏口のドアの鍵穴に鍵を差し込みすぐ開けられるようにした。
 
2、3人の男がぼくの家のベランダに上がり、何か話しをしている。
突然、「フクダー!フクダー!」「ミミ、トム! ミミ、ファーク」とこちらに向かって呼びかけている声。え?ファーク? ファークはロンドン大学の学生で、入学前にぼくの仕事を手伝ってくれたドイツ人だ。赤ん坊の時からタンザニアに住んでいるので、スワヒリ語はペラペラだ。
 
ぼくは音を潜めていると、何人かの男たちは、湖岸に戻っていった。
一人がべランダに残ったようだ。
エンジンを始動させる音がして、エンジンがかかりボートが遠ざかっていったのがわかった。
ベランダを歩く音やガサゴソと音がしていたのが止んだ。
どうも、寝袋に潜り込んで寝たようだ。
静かにドアを開け、様子を伺った。
月明かりがベランダの奥までは届かないが、大きなザックの陰に一人が寝袋に入っているの分かった。
ファークのザックだ!

その夜は、二人で、ぼくにとっては2度目のクリスマスイブのお酒を楽しんだ。
彼は、今、アメリカのWildlife Conservation Societyのエコロジストしてスーダンで活動している。
つい10日前に何年か振りにメールをもらった。3月には女の子が産まれるようだ。今年1年はPh Dを取るためにフィールドには出られないようだ。

2013年1月24日木曜日

足のこむら返り・二つの大山までのコース  The charley horse of legs:Two route to Mt.Ooyama from Hinatayakushi

昨年12月15日には「日向薬師から梅の木尾根」を歩いて、大山からヤビツ峠と下った。
この時は冷たい雨の日であった。
こんかい、1月20日は「日向薬師から雷ノ峰尾根」を登って大山から下社と下ってきた。
この日は積雪はあったものの天気がよく気持ちの良い日であった。
いずれの場合も下りで太腿が攣った。
15日は、両足の太腿が何度も攣った。
シカが見ている辺りでもう一歩も歩けなくなったのだ。
この時は、ほとんど水分を補給しなかったことがその原因と考えられた。
20日は15日の反省の上から、登山口からスポーツドリンクを飲んだ。
シカに遭遇してから左足の太腿が攣った。
2度攣ったのだが、攣った時点でスポーツドリンクを飲み、歩きだしたらすぐ攣った。
が、2度目の時は軽い攣りであった。
2度目の攣りの時も、スポーツドリンクを飲み、もうそのまま下社まで下ってきた。
ここからロープウエーに乗ったのだが、乗らいでそのまま下ってももう攣らなかったかもしれない。
 
ぼくは、あまり水を飲まない方である。山歩きでも500ccのペットボトルが一本あれば、1日十分間に合う。20日の時は、登り口から飲んだにも関わらず攣った。
もっと飲むべきだったのか?
 
太腿の攣りは、中学の時、グランドでの長距離走の時、3週目でスピードを加速しようとしたときに攣って、痛くて走れなくなった苦い思い出がある。
これからの山歩きはどうすると良いのだろうか?思案に暮れている。

2013年1月23日水曜日

ヤモリの歯 The teeth of a gecko

take隊員の絞りを8以上にしてというコメントに沿ってやってみた。
これらはf/16、露出時間0.77秒で撮った。
上顎の歯と思われる。
下は下顎の歯であると思う。 
ぼくの手持ちの哺乳類の中では、スナメリの同歯性の歯に似ていないこともない。
しかし、スナメリの歯根は1本だが、ヤモリの歯の歯根は2本以上のように見える。
この歯はピンセットで抜こうとしても抜けない。歯骨と一体化しているようだ。
構造的にスナメリの抜ける歯とは異なる。
 
歯の骨からの出かた(植立様式と云うようだ)は、4つのタイプがあり、
どうも、ヤモリの歯は側生性(歯の片側が歯槽壁に付着)であり、多くの爬虫類は多生歯性で、歯は次々に代わるようだが、
この側生性の歯は抜けて変わることがないようだ。
これも歯なのだろうか?
どこにどのようにあるものだろうか?
これはどうも喉の奥にある口蓋骨か鋤骨にあたる部分からでている歯のようである。
 
いずれにしても、ヤモリがテンやタヌキに食べらるとほとんど一噛みか二噛みくらいで呑みこまれるだろう。
例え、もっと噛まれたとしても1センチ以下には砕かれないだろう。
そうすると、糞の内容物にこれらの一部でも見つかれば分かる筈だ。
しかし、ヤモリとトカゲやカナヘビ、あるいはカエルではどのように違うのかこれからだ。
 

2013年1月22日火曜日

大山登山(2)  The Ooyama climbing(2)

大山の山頂は、平日の駅前の人混みのようだ。
トイレの裏や鉄塔の方にも、雪がないところはご覧のように
登山者がお昼を広げている。
ここで、登山者が偶然見えなくなった頃合いを見計らっての登頂記念写真。
じっとしていると寒いので、ヤビツ峠方面から下社へ向かうコースをとる。
調子良く下っていたら、左足の太腿が攣る。
エ!どうして?という思いだ。登り口からスポーツドリンクを飲んでいたのだ。
幸い、2度攣っただけで治まった。これからは、もう少し飲むことにしよう。
シカのメスグループに逢う。
静かに寄る。シカたちは警戒音を出さないばかりか落ち着いたものだ。
ここは、参観を兼ねた登山者たちが多いので、大山は禁猟区となっているのだろう。
15メートルくらいのところの登山道から撮る。
4、5メートル下って撮る。
さらに、アップして撮る。木の根の樹皮を齧っている個体がいる。
 シカはアカンボウがメスなら母親のもとに残って一緒に生活する。
しかし、オスは性成熟前に母親のもとから追い出される。
だから、シカは母系血縁集団(メスグループ)を形成する。
晩秋の発情季がやってくると、オス間の戦いで勝ち抜いた個体が
メスグループに入って、メスたちと交尾し、発情季が終わると出て行く。
メスグループではもっとも老齢のメスがリーダーシップをとっていると考えられる。
 
こうやって、シカを観察できるのは歩いてきた喜びを噛みしめる時である。
しかし、今、丹沢では増えたシカによって草木が食べられて、地肌が剝き出しになっている。
 
シカを5分くらい見て、また、下る。雪の下りは、滑る。
転んでも笑っている。
下る。下る。ようやく下社が見えるところまできた。
何故か、雪ダルマだ。きっと、阿夫利神社下社から上がってきた人が作ったんだ。
ここで、アイゼンを取り外し、急で、腐った鉄の手摺りの階段を下る。
さー、下社だ。
正面に回って、丸い締め縄を通って、拝観する。
ここから450円のケーブルに乗る人と、歩いて下る人に分かれる。
ぼくは、太腿の攣りを恐れて、ケーブルにした。
Iwataさんと、Maedaさん、女子二人は歩いた。
ケーブルの方が、わずかに早く着いた。
この後、海老名駅ちかくに予約していたお店に全員、席におさまってほっとする。
お店の温度があたたかく皆の顔が赤くほてっている。
乾杯して、ようやく一息ついた。

2013年1月21日月曜日

大山登山  Mt.Ooyama climbing

昨日は、日向薬師の梅の木尾根に雪がないため、
雪上の足跡観察会が、大山登山となった。
伊勢原駅北口のバス停前に8時に集まり、日向薬師終点で下車。
バス中では、遠足にいくような感じであった。
快晴であり、気持ちが良い。
舗装道路を歩き、ここから登山路を歩く。元気な皆さん。
9時16分発
お地蔵さんのところからアイゼンをつけるIwataさんはエコアイゼンである。
ここから雷ノ峰尾根を行く。
10時25分発
見晴台に着く。ここで少しエネルギー補給をしてもらう。
10時58分発
ここから大山山頂まで2時間の予定であるく。
タヌキの足跡があり、シカの足跡もあった。
雪の中を登る、深いところは50センチくらいありそう。
ようやく稜線に着く。あれー、Kandaさんがいない。
12時32分発
12時55分大山山頂着
大山山頂からは、富士山と丹沢山系が一望できる。
山頂はどこも登山者でいっぱい。
記念写真を撮って、下る。
ヤビツ峠にはバスが来ていないようなので、阿夫利神社下社に向けて下る。
シカのメスグループに出逢う。
その模様は次回へ!