「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2011年3月31日木曜日

塩水橋・円山木ノ頭・丹沢山・天王寺尾根の記録

一昨日の山歩き、GPSの記録では19.1キロ歩いている。
その結果、今日も太腿が痛い。久しぶりの筋肉痛である。
この筋肉痛、何故か嬉しいのだ。このところ筋肉痛など無くなっていたからだ。

塩水橋から林道沿いフサザクラが満開であった。
一度、この花をお浸しで食べてみたいと思うが、、、、、。 
白く光る物が付いている。ヤナギの仲間? 
馴染みのキブシの蕾も膨らんでいる。ダンコウバイの黄色い花が光っていた。
天王寺尾根ではアセビが白い花を山盛りに咲かせて、いい香りを放っていた。

テン糞やタヌキのタメ糞はキブシの種子が入っていた。
一つだけテン糞を持ち帰って、今、水に浸けている。

さて、今回のGPSの軌跡、九十九織りの林道の軌跡が歩いた通りに辿られていない。狂っているかのように飛んでいる。ここは、山側も沢側もコンクリートで固められている。その影響なのか、電波が反射しているようだ。もう一度、同じコースを歩いてみたい。 
上記の行程で唯一危険な箇所:
丹沢山から天王寺尾根への下り、堂平方向への分岐まで、早朝や日没後なら、しっかりした6本以上の爪のアイゼンをつけていなければ危険かもしれない。4本爪では不安だ。ぼくらは2時過ぎだったので、融けた雪を踏みながら急斜面を降りた。

2011年3月30日水曜日

バテバテの塩水橋・円山木ノ頭・丹沢山

8時半三叉路に本厚木7時40分発のバスがやってくる。
降りてきたのは中年男性の登山者と3人の学生たち。
すぐ車に乗ってもらい塩水橋へ。
ゲート前の道路の空き地に車を寄せているともう一台の車が止まる。若い登山者だ。
ぼくらはフサザクラの花を写真に撮ったりしているうちに若い登山者に追い抜かれる。
学生たちに林道をショートカットさせる。ぼくは林道を歩く。
一人は山形大の卒業生、他二人はまだ19歳で元気一杯だ。
下はここから林道から離れ、沢を渡り尾根にとりつく。
はじめは経路、それからヤブ漕ぎで尾根にでる。
スギ花粉で鼻水と目しょぼしょぼである。
途中で、「高いところ、高いところを目指せ、回り込むな!、道標に出たら待ってろ!」と学生たちを先に歩かせる。
寒い、記念写真を撮っていると、なんと三叉路でバスから降りた中年男性がやってくる。
宮ヶ瀬丹沢登山口から高畑山、金冷やしを通ってきたのだ。早い!丹沢から大倉尾根を下るようだ。 
ぼくらも丹沢山を目指す、下りは良いが、西峰(太礼ノ頭)あたりから、力を入れると左の太腿が引き攣りそうになる。両腕のストックに力が入るが、湿雪でズボズボである。
雪が眩しく、目が痛くなるような感じだ。
メスジカの白骨死体、動物たちに骨まで齧られ食べられている。
下顎と頭骨を切り離し、大腿骨も2本切り離す。
大腿骨は栄養状態を調べるためだ。 
再び、学生たちに先に行かせる。
歩けなくなるのではと思うほど両足の太腿や脹脛まで悲鳴を上げている。
若者と一緒のペースでは無理なのだ。
丹沢山頂はポカポカ陽気で、雪が融けグジョグジョ状態。
先ずは、昼飯、「先生、ビールが売ってますよ!」と言うが、我慢。
車の運転さえしなければビールを飲めば足の引き攣りは無くなるだろうと思う。
山頂で記念写真を撮り、下山へ。天王寺尾根を目指す。 
下る、下る、下る。はっきりした尾根の登山道に出たので、再び「道標のところで待ってろ!」
早い、早い、学生たちはすぐ消える。
一瞬、下りは迷うことがあるからマズカッタかな?と不安に思う。
彼らに追いつこう、姿が見える状態で歩こうと急ぐ。
彼らの姿が見えると、後ろの姿を見ながらついていると気持ちが楽だ。ショートカット、ショートカットで彼らに追いつく。
天王寺尾根から本谷林道へのいっきの下り。下りきったところの沢で、お湯を沸かし砂糖のたっぷり入ったコーヒーを飲む。
ぼくはなんども太腿が引き攣り、悲鳴を上げる。
あと林道まで数十メートルだ。
登山者が一人降りてくる。塩水橋のところでぼくの車の後ろに車を寄せた若い登山者だ。彼もそこで一休みだ。
コーヒーを飲み終え、林道沿いの芽吹きだした木々を見ながらあるく。ちょっと小雨が落ちる。

19歳になったばかりの学生たちは、足など引き攣らない。
年齢差を痛感した山歩きでもある。
帰宅してスパッツを外したら、登山靴は水に浸けたようだ。脱ぐと、靴下や靴底も濡れている。雪水が滲みこんだのだ。

2011年3月29日火曜日

久しぶりの丹沢だ。
今日は学生たちと丹沢山に登るつもり。
コースは考えている。
塩水橋から、西峰に向かって丹沢を目指す。

2011年3月26日土曜日

トガリネズミの頭骨

2008年8月5日の釧路湿原の遊歩道で転がっていたトガリネズミ:
この子を拾って、冷凍庫に容れていたのを忘れていた。
2月4日に「ヒミズとヒメヒミズ」をアップした。
その時、一緒に取り出していたのが下のトガリネズミだった。
ヒメヒミズはそのまま再び冷凍したが、トガリネズミはジャムの空きビンに
容れて水に浸して机の前に置いていた。
ビンを揺すってみると大分腐敗が進んでいるようなので、静かに取り出して、静かに水で洗った。
これまでトガリネズミの頭骨を綺麗に晒骨しようとしたが、失敗している。
それは、骨そのものが薄い紙状のものであるだけでなく、前頭骨・頭頂骨・後頭骨などがしっかり縫合・癒合していないのだ。
丁寧に丁寧に水で洗った。
上から見たものだ。頭頂骨がかろうじてのっている。 
全長が2センチに満たなく小さいが、小翼手亜目のコウモリよりは大きい。
日本の野山に生息する哺乳類ではこのトガリネズミ目Solicimorphaのトガリネズミ科Solicidaeの動物たちだけが、頬骨が無いのだ。
モグラ科Talpidaeのヒミズやモグラは細い糸状の頬骨を持つ。
下顎は頭蓋骨の半分ほどしかない。
歯が抜け落ちている。茶漉し残っているが、ぼくのような視力ではそれぞれの歯を歯槽の穴にぴったりと挿入するのは至難の業である。 
底面からの写真が無いのは、聴胞部分が左右ともはずれてしまい、上手に組み込めなかったからである。

大きさの比較のため、ヒミズの頭骨を並べた。
左端の上面からの頭骨がヒミズであり、
右端がヒミズの下顎である。 
一眼レフで、このように小さなものを写すにはどのようなレンズが必要なのだろう?
クローズアップしたものを撮りたい。

2011年3月25日金曜日

春の花々と先輩の訃報!

引地川沿いのカワズザクラを見に行ったのだが、もう散っていた。
ソメイヨシノはまだこのとおり、それでも温かければ来週末には開花する?
「菜の花」はナノハナではなくて漢字の花だ!
そう、このナノハナも中国の西安郊外では、この時季には、どこまでもどこまでもこの花の黄色で埋め尽くされていた。 
「木瓜」も漢字の花だ。これは隣の庭のもの。
上部にはたくさん溢れるように咲いているが、この方が良い! 
「仏の座」、一眼レフで始めて近づいて撮ったもの。
こんなに綺麗な花だとは驚いた。 
我が家の近くのモルモン教会の敷地内に植えられている海棠の仲間だ! 
雪柳が満開だ!
これは我が家に庭にも鳥がタネを運んできたのだろう2、3年前から出てきている。 
山科鳥類研究所を定年後、茨城に移って晴耕雨読の日々を送っていた鳥好きの先輩Kさんの訃報を知らされた。
Kさんたちがやっていた進化論勉強会、生態学勉強会は、大学の授業には出なくても
ぼくが欠かさず出たものだった。

2011年3月24日木曜日

好きな春の花

ダイコンソウの花が咲き始めた。
毎年、真夏に枯れたダイコンソウを引き抜き、束ねて乾燥させて、タネを採り、秋に蒔く。
しかし、昨年は暮れになって採種したタネを蒔き忘れていたことに気がついた。
しかし、こぼれたタネが11個あったのだろう。
と言うよりも余りにも背丈が低いので採り損ねたのだろう。
11本の子苗から花が咲き始めた。
10本は硬い土の上から出ている。
他1本は鉢にこぼれたタネがあったのだ。
この鉢(下の写真)は日向に置いたので、たくさん花をつけている。
キンシコウの冬の調査が終わり、ちょうど今頃の季節、
秦嶺山脈の山麓は「桃源郷とはこんな景色」とも思えるような山々の景色になる。
桃、桜、白やピンクのヒメリンゴのような花々が山の斜面を多い。
うっとりした気持ちにさせられる。 
林床には、特に山道や畑の中の道沿いには、タチツボスミレを含むスミレの仲間が絨毯のように咲き乱れる。特に、このダイコンソウは三国時代の蜀の国の軍師、諸葛孔明の名、ショカツサイという名があるように、この秦嶺山脈に似合っている。
ちょうど10センチくらいの草丈で可愛く散らばっている。
我が家にあるダイコンソウは連れ合いのお袋さんの福島の実家から貰ったものだ。
幸い、福島の方は山の方なので、今災害には被害が無かったようだ。

このダイコンソウもそうだが、海外の野山で日本にあるものと同じ植物に出逢った時は、初恋の人に出逢ったかのような気持ちなり、いとおしく思う。
花や植物には郷愁をそそるものがあるようだ!

2011年3月23日水曜日

君は誰?

1月16日に道路で啼いているところを知人に拾われ、2日後に亡くなった
可哀想なハクビシンのチビ。
剥皮し、除肉した骨はまだ処理中。
水の中で腐らせているので5月頃にならないと綺麗な骨になりません。
先日、知人がハクビシンの様子を聞きにきました。
毛皮は乾いたので、生きているように丸めて、抱いて見せてあげました。
知人夫婦はこわごわ毛皮をなでましたが、お嬢さんは身をすくめて見ているだけ。
暗いところにしまっておくのは可哀想だというので、ぼくの部屋で一緒にすることにしました。
なんだか生きているような感じもします。
尾の半分は別にあります。
もう少し、丁寧に剥皮してあげれば良かったかな?

2011年3月21日月曜日

煩悩ノ頭近くのタヌキのタメ糞

17日に煩悩ノ頭から東南に走る尾根で見つけたタヌキのタメ糞:
このタヌキのタメ糞の位置は、GPSの記録によれば1243mである。
大山のピークが1252mなので丹沢ではこれでも結構高い。
で、下記の写真の新鮮なのを丸々一個分をゲットしてきた。
水洗いした。8、9割の内容物が残った。
なんと、ほぼ全てが甲虫の腹部、胸部、頭部、脚部、羽であった。
虫に関しての素人目には同じ甲虫を大量に食べたものと思われる。
恐らく枯れた樹皮の裏や隙間で越冬している甲虫を食い漁ったものと思われる。
(クリックすると拡大)
この中にわずか8個のキブシの種子(左上端)を見つけた。
この場所にあった、タメ糞のほとんどが黒光りするような糞だった。
高いところに生息するタヌキの冬の食性は、昆虫食が主になるのか?
例え、彼らが昆虫を食べてもキチン質部分は消化されないので、
たくさん食べてもほんの少しのカロリーしか得られないだろう。
否、昆虫は栄養豊富なのかもしれない。

トガリネズミやモグラたちのように以前食虫類と称された動物たちでも、
甲虫の外骨格部分は消化できないだろう。
アフリカにいた時、アリ食専門のセンザンコウの糞を観察したことがある。
糞はアリの頭や胸、触覚、脚などの塊であった。
アリ食に特化したようなセンザンコウでもキチン質は消化できないのだ。

それにしても、キブシのタネが出てきたことに驚いた。
キブシは低山のテンやタヌキばかりでなく、標高の高いところの動物にとっても、
冬季の重要な果実なのかもしれない。

2011年3月20日日曜日

丹沢の禿山の原因を求めて、、、

東丹沢を歩いて気がつくのは、下草がない光景である。
下は先日3月8日の野生生物探検隊での尾根歩きで:
何度もここでアップしているように、これはシカによる食害であると説明される。
下は昨年9月21日のハタチガ沢からゴジラ尾根へ登ったあたり:
木々の緑がまだ眩しいくらいだが、下草は無い。
この時季なら畑ならまだまだ雑草が取っても取っても生えてくる。
シカが食べてしまったようだ。 
下は昨年10月24日、ハタチガ沢から鍋嵐へ向かう尾根:
下草がまったく生えていない。 
倒木の下からも出てきた芽を舐め取ったようだ。
これは7月8日、唐沢キャンプ場付近からJピーク付近の尾根:
下草はことごとく食べつくされている。 
確かにシカやカモシカなどの草食動物は草木を食い尽くす。
アフリカのサハラ砂漠の拡大の一つは、サバンナの草食獣の増加による、食害と蹄害(蹄によって草木の芽生えを踏み潰す)も一因かなと思う。
しかし、上に乗せた写真でもわかるように、木の根元の隙間にさえ草が生えていない。
シカが舌を使って絡め取ったからだろうとも考えられる。
シカが採食しないシロダモ、オンシバリ、ミヤマシキミなどの幼木が目につく。
しかし、ぼくはどうもシカによる食害だと素直に認められない。
大気汚染かも知れないと考えている。
汚染物質が何なのかまったく解らない。
シカが採食しない木ではなくて、大気汚染に強い木なのかもしれない。
そんな訳で、先日の野生生物探検隊の華厳山までの尾根歩きで、
丹沢の土を採取してきた(下)。

左の大きい鉢の土が丹沢の土、右の鉢が園芸店で購入した土である。
両方にテン糞の内容物をそのまま蒔いた。 
ぼくは丹沢の土は汚染されていると思っている。
園芸用の土からは当然、芽生えがあるだろう。
丹沢の土からは発芽しても成長が阻害されると考えている。

両方とも同じように芽生えて成長したら、
ぼくの思い違いで丹沢の禿山はシカによると言えそうだ。
水遣りがちょっと面倒だが、同じように扱うようにするために隣り合わせに置いた。
馬鹿な頑固者の考えかもしれないネ!

2011年3月19日土曜日

家を失った学生!

今日は専門学校の体験入学というのがあった。
野生動物保護専攻を希望する高校生は一人もいなかった。
しかし、思わぬ学生がやってきた。
先生という声がするので、振り向いて見たが覚えのある顔ではないと思った。
今年2年生になるMさんだったのだ。
もう一人の女性は妹だという。
ネコとモルモットのペットも一緒だ。
彼女は春休みで実家に帰っていて地震と津波で家や、牛、馬、豚を失ったそうだ。
実家は福島第一原発と第二原発の間にあるという。

下は計画停電中のランタンとロウソクの灯りの比較
彼女を始め見知らぬ人と思ったのは、それだけ彼女の顔が変わっていたことによる。
地震の時、すぐ父親は「高台に避難しろ!」と皆ですぐ逃げたようだ。
津波の第一波がきて、津波が引いて行ったので、彼女は物を取りに家に行こうとしたが、家や家畜たちは流された後だったようだ。

今日は、お金を2千円くらいしか持っていなかったのであげられなかった。
明日も専門学校なので、お見舞金を少し渡そう!
彼女いわく「お嫁にいけないスタイルでしょう!」
彼女と妹は学校の寮で一緒に住み、祖母たちは栃木、お母さんは柏市の親類へ、お父さんは地元に残っているようだ。
何はともあれ、身近に今回の被災者がいて、その話しを聞いて言葉もない。

久しぶりの電車

今日は専門学校の高校生向けの体験入学の授業だ。
電車から富士山が見える。
電車内は節電で暖房無し、蛍光灯も一本おきに消えている。
寒く、裏寂れたような雰囲気。
ぼくは花粉症がひどく、マスクをしているが、鼻水で口元はベトベトだ。
効果だ。五枚持ってきたが、足りないかな?
横浜だ。乗り換えしなくては。
人が結構多い。

何故、間違えたのか?それは頑固さから、、、、

「煩悩の頭」と手書きでルビまでつけている。
ここから背中の南東の尾根を下るのだが、何故、ここを円山木ノ頭(中峰)と間違えたのか?
昨夜も夢うつつに考えていた。
思い込みだ。本間の頭から下って登ったら「円山木ノ頭」だと思っていたのだ。
だから、誰かイタズラシテ手書きしたな!という思いが強く。
地図をまったく見ようとさえしなかった。
「円山木の頭」からは南東の尾根を数度下ったことがあるので、何も考えずこの道標の後ろから突っ込んでいった。
下って、5分もしないでオカシイと思う。
左右に大きな尾根がある。オカシイと思うが、自分は円山木ノ頭から下っていると思っている。
ここでも地図を見ると良いのに、そうしようとしていない。
赤や黄色のテープや林班境界の杭もまったく無い。
違う尾根を下っているという思いが強くなってくる。
しかし、GPSで軌跡がわかるからどのように間違えたか楽しみだという思いも強かった。

とうとう尾根が絶壁になり、回りこみ沢を下ることになる。
が、立ち往生してしまう。
すぐ下に大きな沢が見える。が手がかりが無い。 
上を見上げる。
写真を撮り終えて、サーモスの熱いお茶を飲み、カメラやショルダーバックをザックに入れ、ストックをザックのサイドに付け一休みだ。
まだ、この時もどうにかして沢へ降りようと考えていた。
沢歩きすると滑落した動物死体も拾えるだろうという気持ちが強かった。

戻ることにする。12時55分なので、ピークから一時間下ってきている。
これからが、足がつったり二の腕の筋肉が引き攣ったりで、酷かった。

勘違いの原因:年齢によると思われる頑固さだ!
こうだと思っていたことを訂正できない頑固さだ。
いつでも地図をみれば東峰と中峰の間にピークがあり、そこから短い尾根が南東に走っていることが分かるのに。何故、地図を見なかったのか?
自分でも今更ながら思い込みの恐ろしさ、間違いを認めたくない頑固さに驚いている。

これが、数名のパーティを組んで一緒に歩いていたらどうなったか?
ぼくのようなリーダーの言うままだと遭難したかもしれな。
間違いだと思ったら、すぐ訂正する頭の柔らかさが欲しい。
また、間違いを指摘され、それを受け入れるような人でなくてはいけない。

2011年3月18日金曜日

久しぶりの本間の頭

昨日は午前中に計画停電だったので、早朝丹沢へ向かう。
が、車が混んでいる。電車が間引き運転や運休があるので、マイカー通勤を始めたのだ。
ガソリン不足は買い溜めとともにマイカー通勤も一つの要因?
7時50分に塩水橋付近に駐車をし、一瞬迷う。
本間ノ頭を目指すことにする。帰路のコースは円山木ノの頭
から下ることにしたのだが、、、。
登り口のところにあるお社だ!
花粉症で鼻水が出っぱなしであったが、登山道に出たあたりから鼻水が止まる。
風が冷たい。まだ、冬だ。
雪が凍っているので、滑らないように歩く。
4本爪でも持ってくればよかった。
本間の頭(東峰)で、清川村のコンビニに買ってきた氷のようなお弁当を半分食べる。
すぐ、円山木ノ頭(中峰)を目指す。 
下って、登ったピークが円山木ノ頭だ!
この思い込みで大変な思いをする。

下は本間ノ頭で、寒い!
????円山木ノ頭ではなく、誰かが手書きした煩悩ノ頭とある???
バカだった。地図を見れば良いものを、一度も地図を見なかったのだ。
頭の中に地図が入っていると思い、最初のくだりは少し南方に!
しかし、下りが急だ。もちろん、左右の尾根から間違いに気がついた。
沢を下っても面白いかな?
滑落死体を見つけられるかも知れないなどという気持ちが良くなかった。
沢に出て、ニッチもサッチも身動きとれない状態となる。
ザックに、カメラの入ったショルダーバックを押し込み、ストックをザックのサイドに付ける。
戻ることにしたのだ。両手で支えとなる木の根か岩の角を探し、足を上げて、、、。
先ず、左足の太腿がつる。落ち着けと呼吸を整え、両手と右足だけで登る。
今度は右手の二の腕がつる。力を入れると痛い。
左足の痛みが薄らぐ、とにかく登らなければ、、、、。
途中で、タヌキのタメ糞だ。新しい一個をゲット。
最後には右足の太腿までつる。てな訳で、ようやく煩悩ノ頭につき、休む間もなく本間の頭行く。
登山道は融けた雪が凍っているので、避ける。
塩水橋までの尾根の途中で、堂平までの林道がはっきり見えるようになったので、
休憩し、残りの氷のような弁当を食べ、水を飲む。
後は、ストックをついて、老人のように下る。
両方の足の腿がすぐ引き攣るのでそろそろだ。
5時半に塩水橋に着く。

連れ合いからメールが入っている。
今日2度目の5時から8時半までの計画停電になるとのこと。
厚木の辺りから信号が点いていないので、大渋滞だ。
恐る恐る走る。
暗闇だと交差点は人や自転車がさらに怖い。
家は真っ暗、ローソクだ。
風呂に入りたいがダメ。
奥湯河原のサル調査の時使っていた、コールマンのランタンを燈す。
懐かしい音、強烈な明かるさ。
連れ合いは食事作りを始める。
8時半に電気がくる。万歳!
東京電力は、全ての電化を奨励していた。その反動がこれだ。
電気、ガスの他に他のエネルギーも求めてないといけないことが知らされた。
何故か、夜中強烈な鼻水・鼻づまり・くしゃみ・目が痒い・耳の穴まで痒いの花粉症状態となり、寝ていることができず。起きて、パソコンに向かいこのブログをアップする。
今日は、6時20分から計画停電だ。

2011年3月16日水曜日

ノジスミレと渋滞

やまぼうしさんのブログに教えられて、ノジスミレを探しに歩く。
何のことはない、我が家から100メートルも離れていないアスファルトとコンクリートの隙間に見つけた。タネができたら少しもらってきて我が家と道路の境目に蒔いてみよう。
こんな乾燥しているようなところに根を張り咲くなんて、このスミレが可愛く思う。
ノジスミレが咲いていたのは、犬を連れた人が歩いているアスファルト道路と自動車道路を隔てるコンクリートの壁との隙間である。7、8株あった。
探すつもりでなかったら目に留まらなかっただろう。
何故、車が渋滞して連なっているの?
先の方には石油スタンドがあり、そこでガソリンを入れている。
ここは地震で揺れただけだ!
計画停電が2度あっただけだ。
パンや乾麺、米もスーパーで無くなっている。
そのため、連れ合いが広島の娘に米を送って欲しいと頼んでいた。
困っているのは東北、三陸の人たちだ。
何でもない所の人たちが買い溜めに走ったら、困っている人たちへの物資が行かなくなる。

2011年3月15日火曜日

アマミノクロウサギの骨格標本

昨年秋に豪雨被害にあった奄美大島の野生生物保護センターにいる
教え子の女性から今回の地震のお見舞いメールをいただいた。
ベルギー、中国、イタリアの知人からもお見舞いメールがきた。
皆、生きていればすぐレスを頼むというものだった。
あのTVでの津波の惨状を見ればそういう気持ちになる。

だが、あまりにもお粗末な東電の原発や停電の対応に嘆き、悲しんでいる。
津波や地震の被害に遭われた人々への対応よりも原発が今では最大の問題だ!
東電の発表では、どうして下請けの企業と言わないで、協力企業という曖昧な言い方をするんだ。
東電の社員は、現場では何もできない無能社員であることが分かる。
今の、日本は公私を問わず、実際の現場作業は下請けだ。
恐らく、東電では、実際に現場で問題が生じた時に身を挺して作業に当たれる社員は皆無だろう。そのような技術も知識もないだろう。金で下請けを操っているだけだ。
この下請け、派遣制度の欠陥が露呈している、利潤追求ばかり追い求めている姿勢を問われている。

さて、奄美大島の教え子のYさんから下記のアマミノクロウサギの写真を20枚くらい送ってもらった。もちろん、頭骨を側面から上面からと撮ったものを送ってもらった。
アマミノクロウサギはアカンボウを穴の中で育て、巣穴から出る時には穴を塞いで出て行くようだ。
で、このアマミノクロウサギの頭骨は、ノウサギの下顎、鼻骨を持ち、アナウサギ(飼いウサギ)の上顎を持っているとさえ言えるくらい。両者を混ぜたような頭骨をしている。
もちろん、これは送られてきた写真により判断したものだ。
今回の地震津波の記事が載った新聞がある。

今回の原発事故については、政府は原発の専門家や設計者、さらには関西電力など他の電力会社の専門家を集めて対応すべきではないのか?そのくらい重大なものだろう。

2011年3月13日日曜日

肉食→果実食→雑食へ!

先日の林道歩きで、数箇所でウンチを見つけた。
ここでは写真を撮り、持ち帰り水洗いしたものを乗せる。
①、②は1週間以上も古い糞で、水洗いするまではキブシの種子だとばっかり思っていた。
が、違った。
③はこの植物質の塊は何だか判らなかった。
果肉付果皮と種子が2個出てきた。
拡大して見るとわかります。
④の右側の新鮮な黒っぽい方を持ってきて洗った。
大半がヒミズ(多分)の毛であり、左上に上の果肉付果皮とその果柄がある。
他に、2種類の種子が混じっていた(下の写真)。
この2種類の種子が入っていた。右のはこの2個だけ。
回りはヒミズ?の毛だ。
①、②の古い糞から出た種子はサルナシだった。
③はおそらくオオウラジロノキの果皮と種子
④は大半がヒミズの毛で、出てきた植物は、オオウラジロノキの果皮とキブシとサルナシの種子だ!

オオウラジロノキの実は、樹下にたくさん落ちている場所がある。今頃の時期になって食べているんだ。
サルナシも落ちて干からびているのを食べているのだろう。
食肉目の動物たちと言えども、日本では主食は果実だと言える。
彼らは、仕方なく落下し干からびた果実を食べているのだ。
上野にきたパンダも仕方なく竹を主食にするようになったのだろう。
本来なら、テンやタヌキもネズミや鳥たちを食べたいはずだ。
クマは自分では他の野生動物(哺乳類)を捕まえて食べることなどできない。
次第に、雑食へと移行していったのだろう。
日本に生息する他の食肉目の動物たちも果実ばかりでなく、ドングリや根菜も利用しているかもしれない。

2011年3月12日土曜日

最大の揺れ!

昨日の地震は自分の人生で最大のものだと感じた。
津波の映像が息を呑むほど凄い。
5歳頃の十勝沖地震で、釧路川の河口付近の人たちが高台に登ってくるのを
歯をカチカチならせながら見ていた記憶が浮かんだ。
釧路川が津波で溢れた映像を見て、実家へ電話をかけたが通じず。
数回かけてようやく通じた。
こちらは、パソコンに向かって5月締め切りの本の原稿に目を通していた。
穏かな揺れ、長い穏かな横揺れ、グッピーの水槽の水が溢れ出る。
揺れの中で娘と雑巾で水を拭き取る作業をする。
すぐ、水槽の水を汲み出すと良かったのに、、、、
揺れはすぐ治まるだろう、、、、、と思っていた。三分の一の水がこぼれ落ちた。
連れ合いは、車に乗せられて夕方戻ってきた。

さて、御門橋・華厳山歩きで:
シカ柵の手前にあった糞である。
帰ってから、この糞の匂いを何度も嗅ぐ。
あの時はキツネのものだ!
と言ったが、あの時も匂いが弱いし、ちょっとキツネ独特の匂いとは違うと感じた。
水洗いした。内容物は同じ植物の繊維だけだ。
ハクビシンの可能性が高いかもしれない。
というのは、キツネが果実を食べたとしてもこれほどしっかり消化できない筈だ。
ハクビシンなら果物大好きなので、繊維だけが残るような消化をすることができるだろう。
これは、シカ柵を開けて登り始めて、最初に見つけたタヌキのタメ糞。
あのビーズ玉のようなものあったもの。
水洗いすると、大半が小哺乳類の毛(ネズミ?)と植物繊維と一個だけ大きな種子が出てきた。
これは、何のタネ?
このタネみたことがあるような、、、、。

ところでこのブログを御覧の皆様方は今回の巨大地震は大丈夫でしたか?