「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2011年8月30日火曜日

早戸川沿いを遡上して、怪我!

昨日、isa隊員、k-ta隊員、やまぼうしさん、Sakaiさんを含めた5人で、
7時半に清川村で待ち合わせて、お花探しにいく。
先日行ったのだが、昨年2箇所にあった株は豪雨で流されたのか見つからない。
それでも、やまぼうしさんは僅かに咲く花を見つけてくれた。
昨年とは同じ花?と思うほど弱弱しいものだ。

帰路、なんでもないところで、足を滑らせ頭から沢の中に突っ込んでしまう。
流れるストックをつかんだが、ペットボトルは流れが速いので拾えません。
全身、ずぶ濡れで、立ち上がったらメガネに血が流れている。
皆は驚き、ぼくを制御しようとする。
沢で頭を洗い、砂を落とす。
k-ta隊員?やまぼうしさん、Sakaiさんのスカーフ状の物がぼくの頭に載せられ、
isa隊員がぼくのタオルをナイフで切って応急の包帯として、頭を縛り、その上から帽子だ。
Sakaiさんが救急の技術講習を受けたばかりのようで、まるでぼくは子供のような扱いとなる。
ぼくのザックはk-ta隊員が持ち、バックはisa隊員が持ってくれる。
ぼくは、自分で荷物を持つと主張したのだが、彼らの勢いに負ける。
始めてのことである。ただ、ストックを持って山を下ってきたのは、、、。
isa隊員が、怒ったような口調でぼくを病院まで送ると言う。
車までたどり着く。
ぼくに運転もさせてくれない、Sakaiさんに任す。
携帯が効かないので、釣り場で電話を借り、救急車を呼んでもらう。
救急隊員が来て、頭に網式の包帯を被せる。
手足に痺れが無いか、瞳孔反射、他に折れたところが無いかなどと質問される。
運ばれた病院は、JR橋本駅からタクシーで15分くらいの病院だった。
やまぼうしさんが救急車に同乗してくれて、いろいろ対応してくれる。
頭骨や頚骨の状況の写真を撮り終えと、他の3人も病院にやってくる。
こんな訳で、皆さんには大変な迷惑をかけてしまった。
頭皮を縫う前に、看護士が傷口に入り込んでいる髪の毛やゴミなどを取る。
傷口を縫う前に携帯で写真を撮ってもらう。
クリックすると拡大しますよ!
う~ん、これならやはり縫いますか!右上の皮膚は剥がれて、浮いているという。
しばらくして、医者が来て、サルや動物の話しをしながら縫われる。
乱暴なので、もう少しお手柔らかにと言うと、イヤこうしなければダメだ!
とぼくの意見は聞き入れられず。
糸が無くなったから持ってくるように看護士に言う。
え?まだ、縫うの?というとこれとは別のところも開いているようだ。
一針毎に、患部を押し付ける、頭皮が浮くので、それで押しているようだ。
痛いのはしょうがない。
頭骨や頚椎にも損傷は無いので、頭の怪我が治ればOKだ。
化膿止めの薬を5日分処方される。この間、お酒は飲まない方が良いだろう。
一緒に付き合ってくれた、isa隊員、k-ta隊員、やまぼうしさん、Sakaiさんの気持ちを
無駄にしないためにも我慢してみよう。

8時半ころ、連れ合いが着替えやクツなど持ってきたので、
運動靴を履いて、運転して帰る。
帰宅して、濡れた物を出し、カメラを拭き、夜食のような夕食を食べて、風呂にも入らず、寝る。
長い、一日だった。
朝起きて、まず、皆さんに感謝のメールを送る。


2011年8月26日金曜日

初期人類(オーストラロピテクス)たちも、チンパンジーやボノボと同じ!

オーストラロピテクスやパラントロプスなども、
オスは生まれたところに定住し、メスは遠方の他地域へ移動していることが明らかにされた。
ドイツ、ライプツィヒのマックスプランク研究所の人類進化研究室で、
多国籍の欧米の研究者たちが、初期人類の歯のエナメル質に含まれるストロンチューム アイソトープを分析した。
もちろん、歯の大きいものをオス、小さいものをメスとした訳だ。
現生のアジア・アフリカ産のサルの仲間(狭鼻類)では、現生人類を除いて、ニホンザルもチンパンジーもオスの犬歯は大きく、メスは小さい。
ニホンザルやキンシコウやハヌマンラングールなどのほぼ全てのオナガザル上科の仲間は
メスが生まれた群れに残り、オスが思春期に生まれた群れから出て行く。
このため、母系血縁集団を形成する。しかし、
ヒト上科(テナガザル、オランウータン、ゴリラを除く)のチンパンジー、ボノボは
オスが生まれた群れに残り、メスが思春期に生まれた群れから出て行く。
父系血縁集団が形成される。
現在、狩猟・採集生活をしている人々も父系血縁集団をつくることが知られている。
しかし、初期人類に関しては、不明のままだった。
もちろん、チンパンジーの例からメスが生まれた集団から出て行ってただろうとは考えられていた。
が、証拠がなかった。
今回の研究は、自然人類学に新たな火種となって議論されていくだろう。
ぼくにとっても、サザエさん現象を心配していただけに嬉しい発見である。

2011年8月21日日曜日

キク科シオン属

17日の早戸川沿い歩きで:
シロヨメナ?ヤマシロギク?and/or ノコンギク?
川の流れから2メートルくらい離れた川原である。
まだ、8月中旬である。 
調べてみると、何だか、3種の雑種もあるという。
ちゃんと、葉や茎の状態を見てこなければとても同定できる代物ではない。
しかし、8月中旬の猛暑のときだ。

それが、涼し過ぎるほどの日になっている。
まさか、このまま秋に突入なんてならないで欲しい。
ぼくは夏の暑さが好きだ。夏はこうでなくてはならないという感じさえする。
しかし、始めて関東の夏を経験した時はそうではなかった。
机に向かうのは、パンツ一枚で、水を容れたバケツに両足を入れ、両肩に濡れタオルを巻いて過ごそうとした。でも、とうとう我慢できなく釧路へ帰省した。
関東の夏は人の住める場所ではないとさえ思った。
部屋で、座っているだけで汗が出るなんていうことを経験したことがなかった。

それが、真夏の箱根・湯河原山でサルを追うようになり身体が暑さに慣れ始めた。
汗が額から鼻先からポタポタ落ちることが快感にさえなった。
せめてあと一週間、暑い夏が戻って欲しい。

2011年8月20日土曜日

動物とヒトの類縁性のレベル

先日、京都大学の山中信弥教授たちによって発見され実用化され始めたiPS細胞について
米国の特許がおりたことが報じられた。

これは、マウスの細胞を使った実験から始まったことであり、ヒトにも応用されることを期待されている。

このような生理学的な問題については、マウスで解ったことがヒトにまで応用されることについては、多くの人たちが、マウスもヒトも哺乳類だからと当たり前のごとく受け取っている。

医学・薬学に関してはマウスやブタで異常が見られなかったからヒトでも大丈夫という結論に達して、さまざまな薬品が開発されて実用化され、ぼくらはその恩恵に与っている。

せめてヒトに近いサルでも実験してもらいたいと思うが、サルは実験動物としては高価であるばかりでなく、ヒトにもっとも近い哺乳類だけに、サルを用いての実験は、ほとんど不可能とも云える状態である。

しかし、こと行動に関してはサルで観察された行動をヒトにも当てはめようとすると、ヒトとサルをいっしょくたに議論して良いものなのかと、異論が出される。

細胞や組織などの生理学の面では、問題無く認めていることなのに、こと行動の面について議論しようとすると強硬な根拠の無い反論に直面する。

その背景にあるのは、「ヒトだけは他のサルや動物たちとは違っている」という獏としたぼくらの心の奥にある考えである。

「ヒトだけは他の動物たちとは違う」と考える人たちは、無意識の内に自分たちだけが優れたモノだと思っているのだ。

2011年8月19日金曜日

バライチゴの種子の形状

バライチゴを一つしかないのに、すぐ口に放り込んで口の中で味わっている時に、
「しまったぁー、タネをとるんだったぁー」と気がついて、摘み取った果柄にまだ少し残っていたものを採ってきた。種子は3個しかなかった。
1ミリ前後の非常に小さいものだ。
種子の表面模様は、キイチゴ属特有のものだ。
この種子が動物の糞に混じっていても、見逃してしまいそうだ。
このバライチゴの花を見たいものだ。
また、この変種のトキンイバラは八重咲きで芳香があるようだ。
是非ともおめにかかりたい。




早戸川沿いを遡上するが、、、

今朝、このブログにサインインしたら、入ることができしかも文章も画像もアップできそうだ。
何だったんだ?昨日までの不具合は?こちらではなく、GoogleBloggerの問題ではないかと勘ぐってしまう。それはともかく遅ればせながら17日の早戸川沿い歩きをアップする。

7月22日に行ったときは増水のため橋が流されていたので、膝上まで浸かって渡渉したが、
今回は水量が凄く少なく、丸木橋を使わないで岩伝いに渡ることができた。
(伝道の登山道口から登って、造林小屋を過ぎてまもなくの最初の川を渡る場所)
クリックすると拡大するので丸木橋がわかります。
川を渡って10分くらい歩くと、再び丸木橋がある。
7月時はここで渡渉するのを諦めた。
ここも橋が戻されている。
いずれの橋も二人の男がいれば橋を岩の上に引っ張り上げられる。
ここも岩伝いにぴょんぴょんと行く。 
それにしても恐ろしいほど水量が少ない。
上流部で流木や土砂などで堰き止められているのでは?
鉄砲水のことを考え、異常を感じたらすぐ斜面を登れるようにと注意しながら歩く。
雷平の早戸大滝へ向かう日陰で、男が一人気持ち良さそうに昼寝中。
家を9時40分に出てきて、伝道を通過が12時36分、造林小屋12時48分、
最初の丸木橋12時58分、次の橋13時13分、雷平13時21分と少し急ぎ気味に歩いてきたので昼寝の男を見て、こちらもお昼にして休もうと思う。
休み場所を求めて遡上すると登山者が前方で休んでいたので、手前でお昼とした。
お湯を沸かしていると背後から「こんにちは!」と女性の声。
振り返ると、4人家族連れのパーティだ。男の子は小学4、5年生、女の子は1、2年生だ。
子供たちはお母さんが手作りしたと思われるスッパッツを付けている。
早戸大滝まで行ってきたようだ。良くここまで連れてきたと若い両親を褒めたかった。
子供たちにチョコをやれば良かったと後悔する。 
ラーメンを食べていると、寝ていた男が来た。
早戸大滝まで行くようだ。彼も綺麗なピンクの花を楽しみにきたようだ。
川原の様子が変わっているので、諦めたようだ。
早戸大滝が見える。ぼくは本流をもう少し遡上する。 
イワギボウシはまだ開花前だ! 
15時半を過ぎたので、下ることにする。
下りで、早戸大滝から降りてきた男が前を歩いている。
声を掛ける。しばらく一緒に歩いたが、彼の歩きについていけない。早い!
ぼくは凄く衰えたようだ。
下は、バライチゴ(やまぼうしさんに確認してもらった)
写真を撮って、すぐ実を摘み食べた。ムシャムシャしている時に、
種子を残さなければ思うが、、。 
伝道に着いたのが16時半、堰堤上で休み。川に下りて、素っ裸になり、流れに身を浸す。
5分も浸っていると芯から冷え、爽快な気分になる。
堰堤脇のボタンヅルは満開の花盛り、花の香りが無いのが残念だ! 
10分も歩くと車を置いた処にきた。
車を走らせると、川原ではキャンプをしている人たちがたくさんいる。
危ない!もし上流で雨が降ればいっきに増水して流されてしまう。
いつも、逃げ場所を考えながらテントを張るべきだ。
目的の花の株はどこかに流されてしまったのかも知れないが、再度挑戦したい!
久しぶりの丹沢は気持ちが良かった。
川で身体を芯から冷やしたせいか、帰路Uターンによる渋滞に巻き込まれたが、窓を開けたままで帰宅できた。

2011年8月15日月曜日

緑の島ースリランカー(7)

これは、スリランカのキャンディという街にペラヘラ祭を見るために立ち寄った。街全体が見渡せるところに行く途中、下を見たら屋根の上にトクモンキーがグルーミングしている。
スリランカの人たちももちろん眺めているがサルには全く関心を示さない。
サルたちも人には全く無関心だ。
これは、標準レンズで撮ったものだ。
3台パソコンを持っている。一つはキンシコウの調査に行くときの2000年に買ったノートパソコン(Windows2000)と2001年12月に買ったデスクトップ(WindowsXP)、これらはいずれもVAIOだ。
昨年、もう一台のDELLのノート(Vista)を買った。
一昨日、デスクトップのVAIOとDELLは重過ぎるので、Vaioのノート(これはネット環境にない)で仕事をしたらハングし、とうとう壊れてしまった。
連れ合いのXPも重いので、娘たちが連れ合い用のノートパソコンをなんと5万くらいで買ってきた。それは、メモリーが4ギガもあり、HDDが640ギガもある。しかも、無線ランが内臓されている。
こちらは、デスクトップにHDDを外付けしているが、250ギガである。確か、4万円くらいした。
デスクトップはメモリーを増設しているが、それでも800メガである。
もう、決めた。新しいPCを買うよりないだろう。
これも新品の連れ合いのパソコンを借りてアップした。
気持ちが清々するほどスピーディだ!

2011年8月13日土曜日

緑の島ースリランカー(6)

8月2日のお昼頃、ポロンナルワの10-12世紀の遺跡がたくさんあるグワドラングル行く。
寺院は全て、素足になり帽子を脱がなくてはならない。
強烈な直射日光で遺跡の石の床は70度くらいはありそう。熱くてまるで焼けたフライパンの上を歩いている感じだ。少しでも日陰になった部分に足を置く。
ここでは、ガル・ヴィハーラの三つの石像の載せる。
まず、入場してすぐ座像がある。
坐像の右に立像だ。
この像の顔が一番気に入った。
胸に交差させた腕、どこかで似たものを見た。
エジプトのアーメン神の像だ!HPのエジプトの自然と遺跡-たゆとうナイル川(2)を参照。 
立像の右に涅槃像があるが、全体が見れない、、。 
岩の上に上がって写真を撮る。
もう、足の裏は火傷状態。 
トクモンキーがいて、これはオスだ! 
ハヌマンラングールの群れがいた。 
近くの売店で、ヤシ実を割ってもらい、ストローで汁を吸い、果肉を食べる。
ぼくは二つ飲み、食べる。 冷えていればさらに美味しいとおもう。
木陰などで一同ほっとする。
ゾウを見るために国立公園に向かう途中の水路で、人々が水浴している。
さぞかし気持ち良いだろう。車窓から撮る。 
スリランカは動物も植物も遺跡もたくさんあるので、
整理してHPの自然・動植物の項目で「緑の島-スリランカ」として載せたい。
このブログのスリランカはとりあえず終えたい。
夏休み中にしなければいけない仕事ができてしまったからだ。
緑の島とタイトルにしておきながら一度も花や木をアップしなかった。
何かの機会にこのブログでも載せたい。
ぼくの今の気持ちは丹沢だ!早戸川上流域だ!
ただ、ゲリラ豪雨の心配があるので、躊躇しているだけだ。

2011年8月12日金曜日

緑の島ースリランカー(5)

8月2日午後、ミネリア国立公園に行く。国立公園のガイドが運転手も兼ねて、お馴染みのサファリーカーに乗って、下の写真のような森とは云えないような中を走る。
まず、ハヌマンラングールの群れが木の葉を採食している。
こいつはオトナオスだ。そうするのこの群れの唯一のボス(アルファーオス)だ! 
林の中を過ぎると広々としたまるで、アフリカのンゴロンゴロのようなところにでる。
湖の周りにはツル?サギ?の仲間がたくさん群れているが、ぼくは哺乳類だけを探す。
いた!ゾウの母子だ。もちろん、周りには他のゾウもいる。
ここで、D.ハミルトンが明らかにしたアフリカゾウの社会をアジアゾウにも反映させて考える。
ゾウは家族群というメスと娘と子供のメスグループが基本的社会単位である。
オスは5-8歳で家族群から出て、放浪し、発情メスがいると交尾する。 
家族群が集まって血縁群を形成する。
さらに、血縁群が集まってクランを形成する。
いずれの集団でもリーダーは最高齢のメスである。
他の家族群である。
中央の二頭が頭を付き合って争っている。どうした? 
とうとう、群れからちょっと離れて押し合い始めた。
他の個体は無関心だ。遊びとは思われなかった。
とすると、発情したメスをめぐるオス同士の争いとなる。
最後まで見ることができず。自分だけの旅行でないので仕方がない。 
片キバだけの単独オスがいた。
アジアゾウはアフリカゾウに比べて、キバがずいぶん短い。メスはキバがないものもいる。オスであっても申し訳程度にあるだけだ。でも、こいつのキバは立派だ! 
トクモンキーも採食していた。 
このワカモノオス、こちらを威嚇している。なかなかやる! 
もっともっと、ゆっくり一人で、動きたかった。
移動する車の中での観察である。
これから、ヌワラ・エリアの紅茶畑まで移動だ!

2011年8月11日木曜日

緑の島ースリランカー(4)

8月2日は朝も夕もゾウだった。
朝、ホテルのテーブルの上の上に子供のヤモリが、へばりついている。
8時にホテルを出て、昨日予約したゾウ乗りツアーへ。
左の階段を登って、ゾウに乗る。 
ゾウの頭である。
撫でると4、5センチの剛毛が痛いくらいだ。
で、荷台から降りて、ゾウの肩?首?に座った。
あるく度に右・左と肩が揺れるので、首の方に落ち加減になる。
すると、ゾウは両耳でぼくの足を押さえてくれる。 
後ろからドイツ娘が一人で軽やかについてきている。
ぼくらは6人も乗っている。 
ゾウ一頭に、ゾウ使いと渡したカメラでぼくらの様子を撮ったり、
スイレン、ハイビスカス、プルメリアの花を女子たちに渡し、耳の上に付けるように指示。
ゾウがウンチをするときは、立ち止まって踏ん張る。耳をぎゅーっと閉じる。
川に入る。大きなカワセミだ。クリックせよ! 
クイナの仲間(右に走る)が何かをついばんでいた。 
川から土手に上がる時は、大変なようで力が入った。
最後はお礼に、ゾウにパンやバナナなどの果物を直接一人一人口の中に入れる。
唇?が柔らかく、バナナごと食べられそうに口の中に入るが、、、、、。 
めったにない経験で、皆、朝から盛り上がる。
ゾウは、ここでは昔の馬のように荷役に使われている。
ゾウが、自動車道路を歩いていて、渋滞になっても運転手もバスの乗客も文句を言わない。そう、ここスリランカでは、イヌが道路で寝そべっていても車がゆっくり避けて走る。
その一方、二輪車や三輪車は僅かの隙間があればすり抜けて走っていく。

2011年8月10日水曜日

緑の島ースリランカー(3)

8月1日ミヒンタレの後、シーギリア・ロックの美女たちに会いに行く。
シーギリア・ロックへ向かう。
5世紀の後半に、この岩の上に城をつくり岩壁に美女たちのフレスコ画を残した王様がいたようだ。正面の凹んだところに画があり、そこは回廊となっている。
登るには、正面の錆びて破れた金網に覆われた鉄製の細いラセン階段を登る。
ハッと驚くような見事なものだ。僕の目は乳房や腰のくびれにひきつけられる。
先ずは、見てもらおう。 
クリックすると拡大 
胴は細くくびれてはいるが、すこし肉がだぶついている。 
この肉が少しだぶついているのが美しさの基本かも知れない。 
画は雨水に当たらないように、上部の岩がひさし状に削られている。
ここから、さらに鉄製の階段を登って上部へと続く。
近い将来にこの階段が崩れて多くの人たちが事故に遭うだろう。
ここでも大半がスリランカの人たちだ。 
階段を登っていくと、トクモンキーの群れが階段を支える支柱から下りてきた。
このような頼りない錆びた支柱に支えられている。
一行、思わず城跡でバンザーイ。 
僕もバンザーイ! 
下りは登りの人たちとすれ違うので怖い!
皆、引き攣った表情の笑顔だ。 
このシーギリア・ロックの上には王様がつくった貯水池(あるいは沐浴場?)があり、
サル糞があった。この場所を行動域にしているトクモンキーの群れがいるのが分かるが、複数いるのかな?
日本やヨーロッパにも敵から守るために岩山の上に作られた天守閣をもつお城がある。

2011年8月9日火曜日

緑の島ースリランカー(2)

8月1日午前中にスリランカで仏教が最初に伝来した聖地とされる
ミヒンタレの寺院遺跡を巡った。
ここでもサルやリスが見られた。
参道の岩に付けられた道を登っていくと、オオリスだ。
こんなに近くに出会えるなんて!
take隊員にこのリスを見せたかった。
参拝客が捨てたマンゴーの種子を齧っている。 
何と、人を威嚇までしている。
動物たちの天国?かも知れない。 
トカゲがいた。 
トクモンキーの群れだ!
ニホンザルと同じマカク属だが、ニホンザルよりもずーと小さく痩せている。 
オスのトクモンキーだ。 
メスのトクモンキーだ。ニホンザルと同じ群れ構造を作る。
頭の上の毛が放射状に広がり、カッパの皿になっている。 
何と、ほとんど混在するようにハヌマンラングールの群れがいた。
ここで丸一年でもサルの観察・調査をしたいものだ。
同時に2種類のサルが観察できる。 
こちらの遺跡のお寺に向かう場合は、素足で帽子を取らなければならない。
岩肌が焼けているので、日陰になっている箇所を探して飛び跳ねるようにして歩く。
海外からの観光客の数はほんの少し、大半がスリランカの人たちだ。
スリランカの小・中学生のバス遠足による参拝も多い。

32ギガのSDHCメモリーカードで何でもかんでも撮ってきたので、
写真の整理に頭を抱えている。
GPSを現地時間に合わせてなかったので、写真との対応が混乱している。