3月20日は春分の日の祝日であったため、渋沢駅から大倉行きのバスは満員で、当然の如く乗客全員が登山者で、全員が終点の大倉で下りた。既に大倉には多くの登山者がおり、靴の紐を縛っている者、足腰のストレッチをしている者、登山者カードに記入する者、お店で買い物をする者、仲間たちと談笑する者などがいた。ぼくらはトイレで用をすまし出発!
目的地は鍋割山なので、道標の指示に従って歩く。地図は2万5千と2種類の登山マップを含めて3種類持つ。このルートは3度目だし、一応、前夜に地図を見ているので頭に入っている。問題はマルガヤ尾根の入り口だ。まー、どこから登っても尾根に出れば尾根道(尾根は、カメを含む両性爬虫類、鳥類、哺乳類などありとあらゆる動物たちが歩くので、道ができる)というものが必ずあるが、楽に登るためには登り口を見つけることだ!
8時16分、表丹沢県民の森・二俣・鍋割山と大倉バス停という道標だ。
8時19分、すぐまた道標だ。大倉方面ではなく、二俣方面が鍋割山だ!
9時4分、鍋割山4.9km、二俣1.3kmと書かれた道標がある。
9時17分、通行止めと書かれたゲートがある向こうで何やらおかしな動きをする二人の山ガールがいて、ぼくが不審気に見ているとこちらにやってくる。鍋割山に行きたいので、一緒に行ってもらいたいというのだ。ぼくらも鍋割山に行くが登山道を行かないので、同行を断り、この道が鍋割山への道ですと、下の写真の右の道を教える。
何故、彼女等は迷ったのだろう。上の写真の右側には下の道標があるのだ。それを見落としたのかな?
上の道標の右側には、こちらにも通行止めのゲートがある。
彼女等が迷っていたのは、下の地図の〇で囲まれた地点だ。歩いて来ると、先ず、目に飛び込むのは彼女らがいた下っていくゲートだ。振り返ると上の登って行く道があるゲートだ。道標や登山道が目に入らなかったのだろう。
迷うと多くの人たちは登る道よりも楽な下る道を選ぶ。アレッ?と思ったらその辺りを落ち着いて見回してみれば道標が見つかった筈なのだ。どうも、地図も持ち合わせていないようだったので、コピーした2万5千の地図でも渡して上げれば良かったかもしれないが、コンパスを持っていないかもしれないし、地図読みもできないかもしれない。
山ガールと云われる登山者の登場で、登山者の恰好もすっかり変わってしまった。下半身の短パンにタイツ姿は山ガールから山男や山オヤジ、山婆さん、山爺さんまでだ。かってはニッカボッカのズボンに長い靴下が流行だったが、今は、タイツに短パンだ!
丹沢実習で山を歩くと、学生たちは「先生、山ガールがいるところを歩きたい!」と云うが、登山路は動物たちのフィールドサインが非常に少ないことを話して解ってもらっている。
ぼくが学生の頃は南アルプスでも丹沢でも今のように道標がしっかりあるわけではなく、岩や立ち木の赤ペンキの印やナタ目(ナタで枝や幹に傷を付けた痕)を探して、ブッシュを掻き分け、地図を見、磁石を見ながら進んだものだ。しかも、キスリングという横長のザックを背負い、中には、ジャガイモや玉ねぎ、米、味噌など(今のようなインスタント食品など無かった)だ、上には重い綿製生地のテント(今のように軽い合成繊維ではない)、その為にどうしても山を登る者は屈強な男が多かった。また、当時は山小屋は数が少なく、あっても宿泊できるだけで食事を提供してくれるところは殆んど無かった。そういう意味でも登山道も山に入る人も山小屋も様変わりだ。
しかし、どんな場合でも最低、コンパスや地図は必需品だ。地図とコンパスを使えない者はそれらに熟達している人と共に登るべきだ。
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