昨日の続き:兎に角、この斜面を登って鳥屋待沢の右岸尾根に辿り着くためには、一歩一歩ジグザクに登るだけだ。ずり落ちないように右足、左足を足元を固めるようにして登る。
9時39分、ヤハリと云うべきか?早くも仕事道が出て来た。6、7年前にでも作られたのだろう。とてもしっかりしている。これが尾根まで続いていることを祈る。この道の作り方は合理的だ。間伐したスギの丸太をそのまま伐った残りの台木と立ち木のスギの間に倒しているのだ。これだと、丸太を止める杭など必要がない。清川村煤ケ谷地区の林業家は石垣と云い、この仕事道と云い、素晴らしい技術を持っている。
図1. 仕事道だ!立ち木のスギで丸太を支える
ここでは二本の丸太が支えられている
図1'. 倒した根本で一方を支える
図2. 小葉が付くのが面白いが、やはりオオバイノモトソウなのか!
9時45分、ん?タヌキ糞だ!シダの葉先を千切って目印にする。
図3. タヌキ糞だ!
9時55分、テン糞だ。
図4. テン糞6
10時1分、スギの植林地帯だが、仕事道があるのにスイスイ登れないので歯痒い。学生に駆け登れ!っと云うと走って直登するだろう。先ほどからシカのような警戒音が途切れなく続く。何度も見上げたり周りを見渡すがシカは見つからず。シカなら警戒音を上げて逃げるから、これはシカではなく誰だろう?鳥かもしれないとも思うが、、、、。
図5. スギ林のなかの登り
10時9分、カモシカの新旧の糞がたくさんある。ここはカモシカの狭い行動域内なんだ。だが、しかしカモシカがぼくの姿を見て警戒音を上げるとは思えない。彼らは単独生活者なので意味の無い警戒音は出さない筈だ!
図6. カモシカ糞だろう
10時46分、おー、また、石垣だ。二段になっている。石垣にして土砂が崩れるのを防ぎ、植林をしているのだ。こんなことをするのも明治の頃の人の為せる業だろう。数人でも1日や2日では作れないから仮小屋でも作ってやったのだ。そんな仕事は冬なら寒いから初夏が気持ち良くて良いかな?夜は、小屋で談笑しながら呑む。そんな山仕事に憧れる。
この石垣を過ぎてから、岩が多くなり、ストックを畳んでザックに付け、立木や杉の根を掴んだり、足先を持ち上げられないので膝を着き、四つん這い状態で、何度も立木を背に一息ついてスポーツドリンクを飲み、息を切らしながら登る。
図7. 石垣がここにも
上を見上げては立ち木があって楽そうなルートを判断し、ある時には1メートルの岩場をトラバースするのに腹ばいになって10分以上もかけ、太い根回りの木の上に出るのに、ショルダーバックやザックを外して木の上に置き、手で樹皮の割れ目を掴み、足場を固めてグイッーっと身体を持ち上げる。まるで、甲羅を付けたカメのように身体が硬く、すいっと身体が持ち上がらない。
12時48分、直径30センチもありそうな太いサルナシの枝をザイル代わりに掴んでよじ登ってようやくこの難所と乗り切る。難所とは云っても70越えの僕にとっての難所であり、学生ならスイスイだろう。
石垣(図7)から高度140メートル登るのに実に2時間掛かっていることが判明した(図11の⑦から⑧まで)。上半身、下半身を使って登ったので、初めて手指が攣りそうになったし、翌朝は二の腕や脇腹、さらに太腿ではなく脹脛が痛かった。何と二日目の今も二の腕や脹脛の筋肉痛だ!
図8. 胸高直径30センチもありそうな太いサルナシ
太いサルナシの脇に倒れるスギの丸太を乗り越えると、もう、スギの植林地帯のなだらかな傾斜地帯だ。東京・横浜方面を写真に撮る余裕も出てくる。
図9. 東京・横浜方面が、、
図9'. これは新宿方面?
13時7分、兎に角、尾根まで出てから休もうと思い、ストックを出して歩く。15分くらい歩いて平な尾根に出る。風が冷たい。倒木に座って湯を沸かしインスタントラーメンだ。しかし、半分くらいしか食べられず。登山靴で地面を蹴って少し穴を掘り、ラーメンを捨て上に枯葉を乗せ踏む。アンパンのような甘いモノが食べたい。
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