昨日の弁天杉の続きです。
弁天杉の正面(山側)の地上から1メートル半くらいのところに爪跡があった。
どうも登ろうとしたようだ。
山側の幹は一畳分くらいの樹皮が剥がれており、内部がぼろぼろになりかけている。
しかし、杉の木に登ってもクマの食べ物は無い筈だ。
かって、クマ剥ぎにあって、このようになってしまったのか?
それとも、山側から落石などがあって樹皮が痛められたせいなのか?
山側の弁天杉はかわいそうだ。何らかのかたちで覆ってあげたいものだ。
前歯の跡が縦についている。
ここで「ん?」と閃いた。
クマ剥ぎの跡は、山側の幹に付けられる。沢側の幹に付いたクマ剥ぎの跡は少ないだろう。
すると、弁天杉の正面の樹皮が無い部分もクマ剥ぎの被害に遭ったと云えるかも知れない。
弁天杉を正面(山側)から見た姿だ。
の正面にクマの爪痕があり、さらに下方のスギの木にクマ剥ぎの歯型が
残っている。
この辺りは気の弱いクマたちが人に気兼ねすることなくのびのびと生きられる場所なのだろう。
一人でこの辺りを歩くとクマに会えるかも知れない。
今度から円山木ノ頭に登る時は、弁天杉に挨拶していこう。
6 件のコメント:
この辺りは何故巨木が多いのでしょうか?
自然林なのか、人が植えたものなのか・・・。
札掛け周辺は江戸時代からの林業地ですが、永らえたのは欠点があったからと言う気もします。
非常に興味深く拝見しています。
野良こねこさんへ
人が植えたものとは考えませんでした。
「永らえたのは欠点があったから、、、」ということはどういうことでしょうか?
kokode,nazeka wabunngawo taipu dekinakunatta.
野良こねこさんへ
植林した場合は、天然のものよりも何か成長障害のようなものが生まれるということでしょうか?
いずれにしても、「永らえたのは欠点が、、、」の意味が分かりません。
教えてください。
また、是非、丹沢を皆さんと一緒に歩きましょう。
「永らえたのは欠点があったから」というのは林業関係者なら誰でも思いつく事なんです。
皮剥ぎなどで表皮がはがれ、腐食も入っている木は価値が低いため、伐採の対象にならなかったのでは?という事です。
以下お答えするに当たり、少し調べました。
弁天杉のあるあたりは幕府の御林(おはやし 明治以降御料林)として出材もされていますが、ある程度は保護された地域です。
しかし戦中戦後にだいぶ伐採され、塩水水系には木馬道がたくさん作られていたそうです。
木馬道とはソリの軌道の事で、弁天杉の谷沿いにも、もしその形跡があれば出材のされた地域と言えるかと思います。
周辺はモミなどの原生林だったようですが、北条時代にはすでに人が入っていたようです。
弁天杉が天然かどうかは分かりませんが、一般的には、植林されたものよりも実生苗の方が、根の出方や年輪の細かさから、長命だと思います。
植林の場合は育ちが早く、若い時にバク目になり、芯の方が腐ってしまうことがあります。
昨夜遅くコメントを書きましたが、少し長かったせいか、アップされていません。
メールの方に行っているかもしれませんのでご確認頂けたらと思います。
もし消えてしまっているようでしたら、また書きますのでお知らせください。
帰宅されてからで結構ですので、釧路での時間を楽しんでくださいね。
野良こねこさんへ
何故か、メールで届いておりました。
なるほど、スギの木が長生きできたのは、熊剥ぎなどのキズがあったために、材木として利用できないために伐採されずに永らえることができたということですね。
しかし、100年、500年、千年と長生きするには、屋久杉のように水が豊富だとかの何らかの状況が必要ですね。
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