新学期に入ってから専門学校でウマが飼われるようになった。
北海道生まれのぼくから見るとこのウマが可哀想に思える。
運送業をしている家の友人がいた。
当時の運送業は荷馬車で荷物を運んでいた。
彼の家には厩舎があって、3、4頭の馬が飼われていた。
厩舎の二階は馬の餌となる枯草が山のように積んであった。
厩舎の裏には馬糞がまた山のように積んであった。
ぼくは友人と馬の下に入ったり、乗ったり、二階の枯草の山や馬糞の山で遊んだ。
仕事が無い馬は厩舎の中で休んでいたが、いざ鞍をつけられて外に引き出されると
これが厩舎の中にいた馬かと思うほど目が輝き、たくましく感じた。
馬ながらにこれから荷物を乗せて引っ張るという意識に変わっていくのが分かった。
馬はもちろん道産子で荷車を引く仕事用の家畜であった。
原野に草刈に行く時も何回か馬車に乗ってついて行った。
そんな時の馬は大きな車の荷車であるが、軽やかな足取りであった。
厩舎で寝転がっているよりも、外に出て原野の中を歩くことが楽しがっているように思えた。
しかし、専門学校で飼われ始めた馬は、草むらの中を歩き回ることはおろか、外を歩くこともできない。これから狭い空間で暮らしていくのだ。
ぼくが写真を撮ってると、この馬は柵を何度か蹴った。
外へ出たいという気持ちを表していると感じた。
人に飼われる動物は、ぼくらの食糧になる家畜や、使役される馬や牛、愛玩動物としてのペットや伴侶としてのコンパニオン・アニマルがあるが、それぞれ人の都合で動物たちを扱っているにすぎない。飼うならできるだけその動物が生活していたような環境で飼いたいものだ。
動物たちもぼくらと同じ哺乳類であり、喜び悲しみを知っている。
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