三叉路でバスを降りて、吹風トンネル・宮ヶ瀬霊園を過ぎたところの橋の上から宮ヶ瀬湖をのぞくと、魚の群れが不思議なかたまりとなって移動している。
こういう魚の塊は、カワウやヤマセミたちも気づくだろうに、この魚たちは不思議な生き物のように形を変えて、水面近くを泳いでいる。 ぼくらは、橋の上から小石を投げたが、魚たちはその動きを止めず一塊となって右に左に移動する。岸辺の方に移動していくようなので、ぼくらも橋の上に荷物をおいて岸辺までおりる。
しかし、上からはよく見えたのに岸辺からは光の屈折のためか見えない。
ただ、魚の群れがいる辺りの水面にさざ波が立っているだけ。
岸辺の浅瀬にはヨシノボリのチビが底に張り付いている。
水面から岸に目をやると、たくさんのテグスや仕掛けや竿までが捨てられている。この岸辺を歩く鳥や動物たちには迷惑なシロモノだ。
おそらく、何羽のもの鳥がテグスに足を絡めたり、針に刺さったりしているのだろう。
しかし、何故テグスや針、浮きや竿までが捨てられるのか?
ぼくの子供の頃は、針が川や沼のゴミか何かに引っかかると、12月の凍るような川の中までもパンツ一枚になって、引っかかった針を外しに水の中に入ったものだ。
そのくらい、針などの仕掛けは大事なものだった。
人が裕福になると、開発と言う名の自然破壊で野生鳥獣にとっては棲みづらくなるばかりでなく、釣り人のような自然愛好者までが、野生鳥獣を苦しめていることになる。
上の写真のテグスはほんの一部である。
学生たちは、テグスなどを拾い集めて持ち帰る。
4 件のコメント:
海ではよくみる光景ですが、湖でもけっこう大きなのがあるんだ。
海みたいに多くの天敵、大型回遊魚いるわけではないのに、ちょっと不思議。
こんな深いところではヤマセミやカワセミはダイビングしても効率悪いでしょうね。
よく問題になる釣り糸ですが、これは釣り人だけの問題じゃないと思います。
想像力の足りない人間の行為で、林道に最近ゴミを捨てる人の増えたこと同根でしょう。
他人が見てないと何をするか分からんですね。
誰が言っていたのか忘れましたが、確か子供でも知っている有名人だったと思います。
その人の言葉をトイレに入ると思い出します。
誰にも見られない「トイレに入っている時こそ、自分を律しなければならない」ということでした。
当時は、トイレにはトイレの神様がいるからと納得していました。
日本にはかって八百万(やおよろず)の神様がいたから、皆、見えないところでも神様に見られているので自分を律することができたのです。
そういう意味で、もう少し、二十四節季に自然の神々に感謝したような行事を家庭なりで復活させた方が良いのかもしれませんネ。
追記:
恐らく、魚の塊りはワカサギだと思うのですが、ダム湖である宮ヶ瀬湖には、肉食魚のブラックバスやニジマスなどもおります。
そのために、あのような塊りを形成しているのではないでしょうか?
ヤマセミやカワセミは一匹に狙いをつけるが、カワウが多くいるので、それだと狙えると思うのだが、カワウでも難しいのかな?
人だと投網で一網打尽!
カワウとウミウはほぼ同じ能力があると思います。
ウミウの潜りの長さや俊敏なアジなどを捕えることからも、ウが一番の天敵になっている可能性がありますね。
ニジマスもブラックバスも中型ならカワウにやられるから、逃げ場のない広い水面にはなかなか出てこれないと思いますし。
それと、釣り師は決して自然愛好者じゃないと思いますよ。
コメントを投稿