高畑山付近の鉄塔の下で。
このスギの幹に4、5個の穴が開けられていた。ムササビだ。
高校を卒業した学生を教え始めて四半世紀経つ。この4、5年の学生たちは以前の学生たちと比べると変わった。それは、家庭生活での基本的なことができないということだ。以前は、当たり前で、誰もが知っていると思ったことが今は教えなくてはいけない。そのギャップに戸惑うこともしばしばである。
キャンプ場での夕食が中華のコイコーローであった。正直なところ、え?本当?と思っていた。豚肉を炒め、キャベツを炒めたりしている。カレーライスかな~と思っていたので、びっくりだ。出来上がりはこれまた、ビックリするほど旨かった。スープもついた。
聞くと、炒めた食材に市販のレトルトのようなものを混ぜただけという。スープは一人一人小さな袋を切って熱湯を加えた。夕食後にはデザートもちゃんと用意してある。現在のインスタント食品やレトルト食品を上手に使っている。学生たちに脱帽だ!しかし、このような食事の仕方で良いのだろうか?
夕食後、明日の朝炊くお米をといで飯盒に準備しておくように指示した。
翌朝、5時起床。仕掛けたシャーマントラップを回収させたが、誰一人としてネズミ一匹捕獲できなかった。次回は一人一人のトラップの仕掛ける場所と仕掛け方を見る必要がある。捕獲数0は始めての記録だ。
ぼくは、昨夜準備した飯盒をカマドの上に掛けさせ、スギの枯れ木を燃やし始めた。が、15分経っても20分経っても飯盒から水滴一つ落ちない。棒切れでフタを押し付けてみてもグツグツ沸騰しているはずなのにそのような響きが手に伝わってこない。学生たちには、「始め、ちょろちょろ、中、パッパ、赤子泣いてもフタ取るな」と飯盒でのご飯の炊き方を指導していた。
焦げた臭いまでしてきた。飯盒をカマドから外してフタを取ると、中ブタが着いている。ん?何故?中ブタを取るとお米が焦げている。聞くと、ぼくは「米を研いでおけ!」と云ったので、米を研いだが、水は飯盒から抜いたとのことだ。研いだお米を一晩水に浸けておいて炊いたご飯は、うまいのだということを話す。それにしても、研いだ後水を抜いてしまうとは、、、。ぼくの世代では考えられないことだ。
今の子供たちは、家庭生活の基本的なことが手抜きされて育ってきている。両親とも忙しさにかまけてそのようなことを教えようとはしない。
レトルトやインスタント食品は確かに、便利で美味しい。しかし、自分たちで手作りした料理ほど美味しいものはないのだ。さらに云えば、自分で育てた鶏を潰し、植えた野菜を食べることの幸せを多くの人が忘れてもいる。
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