「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年3月31日月曜日

ネズミやリスによるエビフライ

竹蔵丸の船長さんへ:エビフライのことが気になり、Colins Guide to ANIMAL TRACKS and Signsの115ページには、マツボックリのリス、ネズミと小鳥たちの食痕のイラストがあります。
上はドイツトウヒ、中はマツですね。下は、左から13のスイスマツ、14・15はカラマツ、右はカナダトウヒ、右端のナッツはイチイです。
ヨーロッパアカリスSciurus vulgarisは約600グラムで同属のニホンリスより倍くらい大きいですね。
Colins Guide to Animal Tracks and Signsを是非図書館で見るか、取り寄せて見るなりしてください。

2008年3月29日土曜日

奄美大島からマングースの宅急便

丹沢から帰って写真をパソコンに取り込んでいると、宅急便が届いた。連れ合いは、「資料(肉)」なんて書いてあるけど死体でしょう?と非難がましく云う。送ってくれたのは、環境省奄美野生生物保護センター、クール宅急便で冷凍だ。思わずヤッター!と顔がほころんでしまった。ダンボールを開ける前に、2年前に奄美大島に行った教え子に感謝のメールをする。

新学期が始まるので授業の用意をしなくてはいけないので、しばらくはぼくの部屋にある冷蔵庫(冷凍庫が欲しい!)に容れておいて、腐敗しないうちに処理しなければならない。幸い、胃内容物の検査で内臓類は除去してあるようだ。いずれにしても一週間以内に剥皮して除肉し、水を容れたバケツに浸さなければならない。

奄美大島は、国の天然記念物「アマミノクロウサギ」が生息している島である。猛毒をもつハブを殺してもらおうとマングースが移入された。マングースはアマミノクロウサギを含む奄美大島の固有の動物たちをも捕食していると考えられる。それで、マングース大捕獲作戦が環境省の指導の下に行われているのである。マングースはどの程度ウサギを捕食しているのかを調べるために、捕獲したマングースの内臓は除去され、胃の中身が調べられている。解剖の任に当たっている職員には、御苦労様ですと労いの声をかけたい。一方、捕殺されたマングースに合掌!

2008年3月27日木曜日

老母の歩き方

昨日の金沢林道の帰路、見つけたベニマシコ。15枚くらいシャッターを押したうち、これが割合ピントが合っていた。
釧路では、今年91歳になったお袋の散歩に付き合った。2キロくらいの道のりを50分くらい掛けて歩く。足を引きずって歩く、膝を上げて歩くことができない。まるでコンパスのごとく後ろの足をそのまま前に引き出そう?とする。前に歩みを進めるのは、身体の重心の前方への移動と同時にどちらかの足が前方へ出されなくてはいけない。この二つが首尾良く行われることで、前へ歩きつづけることができる。
が、大腿、膝、足がまるで一本の棒のようになって前に出される。膝が上がらない上につま先が上がらないので、少しの段差があるともう、足を前へ出せなくなる。スロープのようなところだとスムーズに前に歩ける。

釧路のような街だと、どうにか老母でも歩くことができる。しかし、ぼくがチンパンジー調査でいたマハレ近郊の村々や、キゴマの街、あるいは、キンシコウの調査で行く西安から150キロ南西の秦嶺山脈の麓の村、これらの地域では老母が散歩することは不可能だろう。

散歩していると家ではイヌにしか声かけないのに、出会う人たちと挨拶を交わすことになる。外出することは刺激を与えて、肉体ばかりでなく精神をも活性化させていることが判る。

老人たちに優しい道路は障害者にも優しい道路である。
だが、一方でそのような道路で育った若者は、膝を上げないで、つま先を上げないで歩き、老人たちと同じように足裏を引きずって歩く。そのため、登山道を若者と一緒に歩くと、彼等は度々木の根や倒木、石などにつまずく。膝やつま先を上げて歩く当たり前の歩きができなくなってしまっている。

2008年3月26日水曜日

春の丹沢

25日に4時半に起きて、丹沢を歩いた。我が家から厚木まではサクラの花はもう3、4分咲きというところ、コブシやモクレン、レンギョウが咲き、春満開である。
松茸山を1時間半かけて登る、アセビの白い花、クロモジやダンコウバイの奇妙な形の黄色の花やヤシャブシのリスの尻尾のような花穂、キブシの花が飛び込む。
足元には、ナガバノスミレサイシンが咲いていた。
26日、今朝はK.Y.さんと金沢林道をあるいた。下はキブシの花。この花つきの枝が生花の材料として釧路で使われていた。
ちょっと早いんじゃーないと思った。モミジイチゴの花。
週末はお花見だ。

2008年3月22日土曜日

ハナダイコン (ショカツサイ)の思い出

ハナダイコンOrychophragmus violaceusはアブラナ科エゾスズシロ属である。この花にはショカツサイやアラセイトウという名前もある。

中国が原産であることは知っていた。
2月、3月のキンシコウ調査が終わる頃になると、秦嶺山脈の麓の山はモモの花を含むバラ科の樹木の花々が咲き、足元には薄紫色のハナダイコンの花が咲いている。
野山の春は素晴らしい。
桃源郷とはこんなものかと石に座る。

2008年3月17日月曜日

釧路湿原道路

サルルン展望台からの帰路、新しくできた釧路湿原道路を通って帰宅した。見ての通り、ぼくが運転している車以外、一台の車も見当たらない。
車から降りて、阿寒方面を撮った。クリックすると右の高台の上に釧路市湿原展望台の建物が写っているのが確認できる。
この道路は、一体全体何のために建設されたのだろうか?この数年間、帰省する度に中学生の頃釣りした新釧路川を溯上しようとすると、この建設工事のために行く手を阻まれていたのである。工事中は一直線に埃が舞い上がっていた。
http://www.mars.dti.ne.jp/~koitiro/hokkaido-tikamiti/kushiro/00Map-kushiro.html

湿原を東西にブッタ切るように道路が作られている。上のアドレスをクリックして下さい。

今後、この影響が湿原の環境に悪影響を及ぼすことは目に見えている。


環境省はどのような理由の下に、道路建設を許可したのだろうか?日本の省庁の中でもっとも力が弱い部署のため、圧力に屈してしまったのだろう。

ナワバリと人の生活

美容室から戻ってきた妹は、「あの店は夏前には閉めてしまう」と残念がっていた。付近に他に4軒も美容室ができたので、食べていけなくなってきたからのようだ。

どんな脊椎動物でもナワバリ(あるいは行動域)を形成する。個体でもつものもいれば集団でもつものがいる。群れて生活しているメダカでも金魚鉢に5、6匹入れるとナワバリを形成する。

ナワバリとは同じ仲間に対する個体や集団の空間的占有地域であり、同種の社会を秩序づけている。

私たち人間は集団生活をしているが、さまざまな状況で個人が持っている動物的ナワバリ感覚が表れる。いろんな状況の場所取り、席取り、順番待ちである。
花見で良い場所を占めるには、早朝から敷物を敷いたり、杭を打って紐を廻らしたりして自分の場所を宣言し、確保する。以前の小学校の運動会の父兄席はそうやって家族の場所が占められた。占められた場所は、他人が犯すことはできない暗黙の合意がある。
この場所取りが、電車や映画館の自由席の席取りに変わるが、これも一度占められた席を力づくでどかそうとはしない。席が空くと待っていた人がそこを占めることができる。つまり、順番待ちである。順番待ちの列に割り込む者は非難を浴びる。

ナワバリの機能は、場所取りとか順番待ち以外に、私たちの経済社会でも存在していた。お風呂屋、床屋、酒屋、米屋、クリニング店、雑貨屋、魚屋、肉屋はその地域に応じた数のものが存在していた。あるいは、タクシー会社やバス会社の数までも、それぞれの組合や連合会が互いに自主規制していた。
この自主規制は資本主義経済が生まれる前からあった素晴らしい制度であり、経済生活の歴史とともに必然的に形成されたものであると考える。

しかし、今は、消費者に安くて質の良いものを提供しようということで、規制を緩和して自由競争させる政策が大事にされている。その結果、いたるところに理容室ができ、過当競争の中で、市場調査などできない昔からあった個人の経営規模の小さなお店がつぶれていっている。新たに参入した店もやっていけなくなり、目まぐるしく変わる。釧路の街にどうしてこんなにタクシーが走っているのと不思議に思うくらいだ。これでは皆食べていけなくなり、消費者に安くて質の良いものを提供できなくなる。

大手のスーパーマーケットやコンビニ、安売り店の出現によって多くの地域の商店が消えてしまっている。また、この大手のスーパーやコンビニ間でも過当競争が行われるため、ある日突然、目の前にあったスーパーが消えてしまう。建売住宅の宣伝文句には「付近には、コンビニやスーパー、安売り店があり、便利」とうたっていたのだ。 が、5年もたたないで様変わりしてしまう。寒々とした荒廃した地域社会を作り上げているものに、この競争による経済界の不安定さがある。

今の政府は市民生活のことを考えていないので、市民生活の面からみた経済社会を見直す必要がある。市民生活には、順番待ちのようなナワバリ機能が生かされているのに、経済生活では、それが行政の力で取り払われてしまった。以前のような銭湯組合、理容組合などの自主規制がある程度必要ではないのか、そうすることで、社会秩序が維持され、人々が安心して生活できるのではないのだろうか?

2008年3月16日日曜日

サルルン展望台

最初に見つけたサルルン展望台近くのフクジュソウ一輪
近くにまとまって咲いていた。まだ、蕾の頭だけ出したばかりのものが多かった。
エゾジカの足跡。さすがにデカイ。
エゾジカ道がいたるところに走っていた。帰路、3頭のメスジカが国道を横断するのに出会った。 コゲラであってますか?ミズナラの木をつついていた。
サルボ展望台から:遠くの山並みは知床連山。手前はシラルトル湖。
今朝、9時過ぎにお袋と妹を乗せて釧路湿原が見渡せるサルボ展望台とサルルン展望台へ行ってきた。車の窓から入る日差しが強く、ハンドルを握る手の甲が日焼けしてひりひりしてくる。
展望台の登り口に駐車する。そこから、階段を登らなくてはならないので、お袋とイヌたちを車に残す。階段をゆっくり駆け上り尾根に着く。久し振りに走った。そこから左手がサルルン展望台で右手がサルボ展望台である。下をクリックすると釧路湿原サルルン展望台がみられる。
エゾジカ道が縦横についている。また、足跡や糞もある。

サルルン展望台への尾根道で、木柵があらわれたところで、フクジュソウを一輪見つける。いろいろ眺めていると、後ろにも横にも蕾の頭をもたげていた。今日は暑いと思えるほど日差しが強いので、午後には咲くのかもしれない。
湿原越しに阿寒の山々をみていたら、タンチョウが編隊を組んで飛んでいく。今度はサルボ展望台にいく。そこは、湿原を見張らせるように塔が建っていた。
釧路地方もようやく春が走ってやってきたようだ。が、サルルン湖の谷内坊主の水溜りをみたが、まだ氷が多く、カエルの卵は見つからず。

2008年3月15日土曜日

釧路川の水鳥

一昨日、釧路川で撮った水鳥を矢部康一さんに教えてもらった。上がコガモで、下はカモメの冬毛の抜け替わりの時のもののようだ。

カモというと旨い肉の代表みたいなものだが、一度も食べたことがない。カモシカはカモのように美味しいシカということで名付けられている。が、もちろんカモシカは天然記念物ということもあて、食べたことがない。一度でも味わってみたいものだ。
否、味わった。
キンシコウの調査地ではニホンカモシカの仲間が2、3種類いる。彼らが滑落して死んでいる(HPの「秦嶺山脈の動物たち」を見て!)。その肉を失敬して食べた。が、旨い! 美味!とはまったく感じなかった。ニホンカモシカは旨いが、他のカモシカの仲間はそうでないのか?
カモメまで名前が分らないなんて、まったく鳥痴である。ヒバリやカヤクグリやアオジなどの巣を見つける天才だったが、、、、、。

大学は生物科だったので、昆虫の名前、しかも甲虫だとか、甲虫でもカミキリムシだとか、チョウチョウの名前に詳しい者、鳥の名前に詳しい者、草木の名前に詳しい者がいた。

釧路では、セミは草むらで鳴いていて、ゆっくり手づかみできた。エゾクマゼミというようだ。上京して、近づいただけで銀バエのように飛ぶ、小さなセミたちが何種類もいるのでびっくりだ。チョウチョウもモンシロチョウ、キチョウ、アゲハ、キアゲハと、あとはタテハチョウの仲間が少しいるくらいで、セセリは大学で友人から教わるまでガの仲間だと思っていた(本当はもっともっとチョウが生息している)。

いずれにしても、種類が少ないのでコレクションするような興味がわかなかった。もっぱら、飼うことだった。が、多くは飼いきれなくて殺してしまった。鳥の巣を見つけ、孵化するまで毎日のように見続け、孵化したばかりのアカムクレの雛を持ち帰り殺したことになる。小学3、4年生くらいまでの話しである。

カジカとメメセン

今朝、知人が生昆布とカジカとメメセンを持ってきてくれた。カジカはあまりにもデカイのでさっそく腹を裂いて内臓を取り出し、美味しい肝臓などを取り分け、頭から出刃で縦に切り、ぶつ切りにしてボールにいれて、メメセンなどと共に兄貴の家に持っていく。

胃はドッチボールくらいに大きくなっており、裂くと、殻付きのツブやエビや溶けかかった得体の知れない魚などが一杯入っている。ツブの殻だけを取り出して、胃だけ煮てもおもしろうそう。
カジカはグロテスクなので小さな画像にしました。もちろんクリックするとデカクなります。

カジカの味噌汁はあらゆる味噌汁の中でもこれほど旨いものはないだろう。と思うくらい素晴らしいダシが出て旨い。サカナの肉、そのものは煮ると硬くなってたいしたものではない。だから、でかい頭も出刃で叩き切ってダシをだすためにいれる。山吹色の肝臓が旨いので子供の頃は随分欲しがったものだ。

カジカは味噌汁でしか食べたことがない。生の時はアンコウのようにフニャフニャな肉だ。下半身の肉の部分を唐揚げにしてみよう。

メメセンは釧路の方言でキンキのことである。いただいたメメセンは20センチ以下の小型のもの。どうするか?メメセンは鱗を落として、開いて塩をふって一夜干しにするか、あるいはワタをだして、塩一摘みを入れてひと煮して、熱々のところを大根おろしで食べるか、、、これが、好きだった。このメメセンは小さいので、薄醤油で煮る? 

今日は、お袋の二人での夕食なので、昔のように、カジカの味噌汁とメメセンは煮て大根おろしで食べることにしよう。もちろん、ビールは欠かせない。