今朝、早起きをしたが、家を出たのが6時を過ぎていた。
今日は、ハタチ沢林道と土山峠からの堤川林道へ抜ける道を確認することであった。
林道の途中のガードレール下の路肩に生々しいテン糞見つける。
糞の内容物はサルナシを食べたものだ。まだ、未熟で硬いサルナシを食べたようで、サルナシの甘い発酵臭はない。サルばかりでなくテンも早生が好きなのか、あるいは食べ物がなくて硬いサルナシにとびついたのか?
ハタチ沢林道にのカーブミラーの多くがサルの足跡がついていた。
どうも一頭のサルがやったのではなく、複数のサルがカーブミラーに足跡を残したようだ。が肝腎のサル糞は見つからず。
今日は、すごくどうかしている。目印にする赤布を持っていくのを忘れてしまうし、
車から離れて歩き出したら、通過する車が止まって手を振る、近寄るとランプが点いたままだと注意してくれる。
ハタチ沢林道終点から南東に走る尾根を上がっていって清川トンネルからの稜線に辿りつき、朝飯にしようと思ったらコンビニで買ったオニギリなどの袋をそのまま車に置き忘れてきた。
稜線との出合いの場所は、何度か来たことがある。
南に行くと細尾根となり、1キロほどいくと物見峠と鍋嵐へのT字路になる。堤川林道への道を少し辿って戻り、サーモの熱いコーヒーを飲む。腹が減った。戻るよりない。
帰路、3箇所もイノシシ臭い(ブタ小屋の敷き藁の匂い)ところがあり、一つはすごく臭うのでブッシュの中にイノシシが潜んでいるのではと思ったくらいだ。いきなり飛び込まれたら、怪我をするので、離れて石を投げてみたが反応は無かった。
今日の場所はヒルが多い場所なので、どのくらい出てくるかと思ったらゼロだった。
もう、ヒルたちは夜が寒いので活動を止めたようだ。
6 件のコメント:
サルたちはいったい何のためにこのような跡を残しているのでしょう?うちのサルたちは鏡を見るのが大好きですが…
雲山さんのぺペ子、サスケ、コバンは鏡を見て自分であると思ってますか?
野生のサルたちは歩いていてカーブミラーに自分の姿が映ると、自分だと思いません。威嚇すると鏡の中のサルも威嚇するので、カーブミラーに跳びついて鏡の中のサルを攻撃するたのです。このために、このようにカーブミラーが足跡や手跡で汚れてしまいます。
その地域にサルの生息の有無を知る一つの手がかりになりますね。
このようにカーブミラーに映った自分を攻撃するのは、鳥たちにも見られます。自分のナワバリ内にいる他の個体を攻撃して追い出そうと激しくミラーを突付いたり足蹴りしたりします。
雲山さんのぺぺ子たちが鏡が好きなのは仲間が欲しいからだと思いますよ。
ああ、なるほど!!そのとおりです。
鏡を見て攻撃はしたことがありませんが、
チュッチュチュッチュと親愛の情を示しています。
仲間がほしいのですね。
野生の群れのサルたちは攻撃するんですね。面白いです。
サルは遠くも見渡せてとても目がいいと思いますが、
カニクイはなぜか鏡を見るときは、棟方志功氏のようにかなり近づいて見ます。
野生動物にとっては、同じ群れの個体であっても敵であるので、絶えず緊張感をもって行動しています。
特に自分の群れ(集団)以外の同種の同性個体は全て敵になります。
そのため、なるべく肉体的な争いを避けるように工夫しております。
ちょっと不思議に思うかも知れませんが、ぼくらヒトだけが、他の集団の同性個体とも仲良くできるんですよ。
同種の他の集団を渡り歩いて旅ができるのはヒトだけなんです(from T.Enomoto)。しかも、ヒトでは知らない集団に出会っても泊まり場や食物を提供されたり、ある場合は女性まで提供されたりします。
つまり、ヒトでは知らないヒトと仲良くすることが、争いを避けるための工夫となっているんです。
こんなことは、ヒト以外のサルではありえません。チンプでは殺し合いになるでしょう。もちろん、他の哺乳類でもありえません。動物たちは、その種個体(集団)の行動域やナワバリをもっているからです。
だから、ヒトは見知らぬ他人に対してはやさしい筈なんです。
米国の共和党支持者たちがオバマの医療制度改革を反対することが理解できない。
棟方志功は、画材に対して舐めるように手を動かしていましたね。
カニクイたちが鏡を志功のように接近して見つめるのは、鏡のサルに興味をしめしているんだと思います。
ニホンザルもヒヒもチンプも目を見つめると攻撃されたと思って威嚇姿勢ととりますが、ゴリラは相手の目を2分でも3分でもじっと見つめあいます。ぼくはこれを目によるグルーミングと思っております。
ぼくが子供の頃は親からも教師からも話しをする時は相手の目を見なさいと言われたものですが、ゴリラはそれなんです。
恋人同士でなくても、目は口と同じくらい、あるいは口よりも物を語ってくれると思います。
現在の人たちが目を見合って会話をしなくなったのは、自分の気持ちを相手に見られるのがイヤなのでしょう。
そうそうアフリカのタンガニーカ湖畔の人たちや中国の田舎の人たちは、こちらの目をジット見つめて話しをするので、ドギマギしてしまうことがありました。
非常に興味深いです。
人に飼われたサルを二度と山に返せないわけもわかりました。
人間は、一般的には海側の人はざっくばらんでよそ者を受け入れやすく、山側の人のほうが保守的でよそ者を受け入れるのに時間がかかるように思います。山側の環境のほうがより野生サルに近く名残があるのでしょうか。
あと、不良などが目が合ったと言って知らない人に喧嘩を売ることがありますね。サルっぽいとも言えますね(笑)
確かに日本などのような島国では、山奥の人たちと海岸沿いの人たちでは、見知らぬ人たちへの接し方が違いますね。
これは、見知らぬ人たちとの接する頻度の問題だと思います。
文化大革命が終わって間もなくの頃、上海に行った先輩は、街中の人たちが立ち止って、また、家の中からも見つめられて気味が悪かったと云ってました。当時の上海の人たちは外国人が珍しかったので対応できないのです。
しかし、シルクロード沿いでは、寒村でも外国人を気軽に受け入れてくれたそうです。
不良と目が合うと「眼(ガン)をつけたな!」と言いがかりをつけてきます。それで目を合わさないようにしますが、これなどはまったくサル的なものですね。
今、大相撲が行われておりますが、1対1の格闘技では必ず互いに向き合って相手の目を見て「威嚇光線」を発しますね。
この光線に負けないように睨み合うことになります。
動物たちの闘争の始めは先ず睨み合いですね。
目は闘争の道具でもあり、親愛の情を表す道具でもあり、もっともっと研究されて良い分野の一つと云えますね。
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