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2025年2月23日日曜日

初氷と氷点下の思い出                    Memories of first ice and freezing temperatures

朝起きて階下の自室に入ると部屋の温度計が15度を示している。床暖のスイッチを入れ、カーテンを開けて庭をみるとスイセンの葉や下草が寒さにやられたように萎れている。スイレン鉢の水を見たら氷が張っている。初氷だ!早速、カメラを持って外に出た。冷っとした心地よいほどの冷気だ。氷が融けてしまうといけないので、庭にすぐ回ってスイレン鉢の氷を写す。
子供の頃の初氷の記憶が甦ってきた。小学校低学年の頃の家は真冬になると台所の大きな水瓶の中に水道の水を入れていた。朝はその水を金属製の柄杓で汲み取って金盥に容れて顔を洗ったものだ。冬は毎夜水道の元栓を閉め、さらに水道管を毛布のようなもので巻いて凍らないようにしていた。その用心の為に夜は翌朝の為に水瓶に水を蓄えており、それの水をつかった。その水瓶の水を凍る時があり、柄杓で氷を割って水を飲んだ事があった。
図1.初氷
水瓶に氷が張ると嬉しくてその氷を口に入れたものだ。しかし、一番怖いのはそんな氷が張った寒い朝に、冷えた柄杓で水を汲んで直接飲もうとすると唇が柄杓に着くので、驚いて柄杓を口から離す。っと唇の皮が剥けてしう。皮膚が凍るのだ。こんな経験は当時の釧路の子供たちはだれもがしたことだろう。「しばれた」朝に匙(スプーンを当時はサジと云った)などのしばれた鉄製品を直接口にして暫く匙を動かせなくなるなる時がある。それはスプーンが少し温まるまでまたなければ唇が剥けてしまうのだ。

そんな事を今朝の冷気とスイレン鉢の初氷を見て思い出した。そう、当時の釧路の家は居間だけが達磨ストーブが炊かれていたが、他の部屋は寒かった。凍った金魚鉢をストーブの側に置いて1日がかりで融かしたこともあった。今のような断熱材は無かった。縁側の廊下は冷蔵庫と同じ役目を持っていた。つまり、内地と同じ構造の家で生活していたんだ。

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