「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年12月31日水曜日

釧路港

米町公園から港湾を望む
ぼくが子供の頃は釧路川河口の港だけだったが、今は、対岸の新釧路川河口に西港ができている。
原田康子の「挽歌」を御存知だろうか?
彼女が若い時の繁華街の南大通りがしたに見える。
この米町公園は釧路の旧市街ともいうべきところにあり、啄木の碑がある。
北大通り方面を眺める。
今日は午後から、お袋が子供の頃や歩いたと思われる場所を車で回る。
日陰は滑るのでとろとろ運転、日向は融けてアスファルトが見えている。
米町公園から港の写真を撮っていると、30歳前後の女性が近寄ってくる。
なんと、寒いのに缶ビールを飲み、タバコを吸っている。
「写真を撮ってくれませんか」という。
驚いて「え!」と声を出してしまった。
何のことはない、彼女は携帯を出してここを押して欲しいと上の柵に寄りかかってポーズをとる。
一枚、ジーットいう音とともに撮る。彼女に出来栄えを見てもらい。もう一枚。
この場所にくると何となくロマンチックになるから不思議だ。

2008年12月30日火曜日

雪が降る

釧路は雪が少なく、氷の街である。

が、今年の暮はしばしば4,5センチの雪が降る。

人々は道が凍らないことを祈る。

こんな雪降りの日でも、庭に残っているヒメリンゴの実をヒヨドリが食べに来た。

左の木がヒメリンゴである。

人の住む処ではない、、、。

高校を卒業し、上京して初めての夏に出合った。
釧路に居たとき、ただじっと座っているだけで汗が額から流れ落ちる、身体中がべとつくなんていうことは経験をしたことがなかった。

汗がでたり、身体が汗でべとつくのは、子供のように走り回ったり、木を切るために鋸を曳いたり、スコップで雪掻きをしたりなど身体を使うと汗がでたものだ。
汗がでたら、動いているのを止めて休めばすぐ汗がひき、涼しさが戻ってくる。

しかし、東京近辺の夏はただじっとしているだけで汗がでる。
寝ていても汗がでる。
この不快さに、「ここは人の住むところではない」と思った。
が、東京近辺のそんな夏も、サルを追うようになってなんの不快さも感じなくなった。
逆に夏の暑さ、蒸し暑さを焦がれるようにさえなった。
帰省して、数日前二日続けて釧路の街を歩いた。
舗装道路を含む、地面は凍っており、手入れの悪いスケート場を歩いているようなものである。
15分も歩いていると足の爪先が冷えてくる。
手袋をつけているのにも手が悴んでくる。
耳や頬が痛いような冷たさを感じる。
強い風が一吹きして襟元に風が入ってくると体中が凍るのではないかと恐怖を感じる。

「ここは人の住む処ではない」、春から秋なら住めるが真冬は人の生活には適さないという思いが強くなっていた。

釧路市動物園で、アムールトラやシロクマやキリンを見た帰り、車の中で老母は動物たちがあんな寒いところにいるなんて可哀想だという。
釧路の寒さで元気に動き回っているトラの子供やシロクマたちは幸せそうだった。
温かい部屋の中で過ごしているお袋にとっては「寒いところは快適だ」と感じる動物がいるということが理解できないかのようだ。

ぼくの身体は、生まれ故郷の寒いところに合った身体ではなく、じっとしていても汗が出るようなそんな南国に生活に適した身体になっているようだ。

となると、上野動物や横浜ズーラシアのシロクマたちも関東地方の気候に馴れた身体になっているのだろう。
南国生まれのキリンでさえも釧路の冬にでも外で暮らせるようになっている。
ぼくの身体は温かい関東地方の気候に馴染んだものになってしまっている。

「住めば都」というが、この言葉はその土地の風土に心身ともに馴染んでしまうことを云うのだろう。

2008年12月29日月曜日

凍てつく新釧路川

新釧路川は凍っている。
新釧路川は釧路川の氾濫を防ぐために1931年作られた運河のようなものである。
もし、この人工河川が作られていなかったら、釧路湿原は広大なものとなり、我が実家も卒業した中学校もなかったろう。
湿原は、原野・谷地とよばれて忌み嫌われていた。
が、子供にとっては外遊びの場であった。

春は、スズランやアイヌネギやコゴミなどの山菜採り、谷地坊主の上を跳びまわり、谷地まなこに睨まれて怖い思いをした。
夏は、ドンコ、トンギョ、ヤチウグイ、ドジョウ、アメマスなどの釣り遊び、
    キリギリス取りや小鳥取りに暗くなるまで過ごした。
秋は、コクワやヤマブドウ狩りで終日、原野にいた。
冬は、スキーをはいて雪原をどこまでもどこまでも歩けた。
今の子供たちは装備は良くなっているはずなのに、外遊びをする風の子がいない。
ぼくらの頃は、外で同じ年ごろの子供たちと夏でも冬でも遊びまわるがの楽しくてしょうがなかった。
そんな、子供の頃の楽しかった遊びを大人になった今も続けていたい。
まだ、氷は3、4センチで薄く軟らかいので、上に乗ることができなかった。
おそらく、正月過ぎには歩いて川を渡れるだろう。

2008年12月28日日曜日

アムールトラと白熊を見に!

今日は、10時半から釧路市動物園で障害を持って生まれたアムールトラのタイガーとココアの公開が1時間半行われるというので、老母を連れて妹と行ってきた。
車椅子はぼくが押す老母だけ、NHKを含む道内のテレビ局のカメラも来ている。

http://www.city.kushiro.hokkaido.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1213189909596&SiteID=0
何よりも驚いたのは、子供の数はほんのちょっぴりだが、大人が多いことである。
寒い中、障害をもって生まれてきたトラたちの成長を見ようとやってきたのである。
並んでいる人たちは皆寒さに堪えなが待っている。
なんだか、これだけ人が集まってくれたのが凄く嬉しい。
10名くらいづつ5分くら檻の中でじゃれているトラの子たちをみて、皆可愛いぃーと叫ぶ。
クマやサルやシカもこうやって入園料を払ってでも5分でも見たいと思う人たちがなんだか増えてきそうな予感がする。
凍えながらのわずかの時間の対面であったが、顔はさすがに立派である。

次に、走るようにして見たのは、シロクマのツヨシである。立ち上がっているのがツヨシ(実はメスであることが判り、縁談は不成立)

幣舞橋と釧路の夜

午後5時、出世坂からみた幣舞橋と釧路北大通り。
釧路川が右から左に流れる。
クラス会が上の写真の右奥の店で行われるため、
午後4時過ぎに防寒を万全にして、家を出る。
久しぶりの寒さ、唇、ほっぺた、おでこ、耳が寒さに耐え切れない感じだ。
零下5,6度くらいなのだろうが、風が強いので、零下10度以下のような冷たさである。
足元はアイスバーン状態でつるつるである、車もスピードは出さない。
零下20度くらいだと鼻水が凍って、鼻の中ががさがさした感じになったのだが、そこまではならない。
早足で歩いたので、30分で幣舞橋につき、港の写真をとろうと思ったが海からの風が強くて顔を向けていられず。

出世坂の途中にある市立図書館に入って、身体を温める。
高校の帰えりにこの図書館で勉強したことを思い出した。英語のトムソーヤの冒険を辞書をひきひき読んだものだった。
本の数が極端に少ないのが気になった。

身体が温まったので、共栄中学時代のクラス会の場所に行く。
すでに、5名集まっていた。
皆、中学時代のままのような感じ。
言葉遣いが丁寧で、皆、おとなになっている。
三次会で、倒れてクラス会に出られなかった友人の店にいく。

2008年12月27日土曜日

まだ残っているヒメりんごとナナカマド

ナナカマドの赤い実
ヒメリンゴの赤い実
寒風の中にナナカマドやヒメリンゴの萎んだ赤い実が残っている。
これから、2、3月になって小鳥たちに食べられるのだろう。
が、突風に揺さぶられて地面に落ちているのもある。
ナナカマドは「カラスの実」などと云って、秋の始めの硬いときはパチンコの玉変わりにしたものだが、ヒメリンゴは固くて酸っぱくてもオヤツ変わりに採って口にいれた。
今の子供たちはヒメリンゴの実には見向きもしないのだろう。
色付き始めの頃は小さなリンゴそのもので酸味の中にわずかな甘みを楽しんだ。
ヒメリンゴにも手を伸ばして食べなくてはいけないくらい甘いモノの飢えていたということだ。
しかし、ガマズミやノブドウ、ヤマモモ、イヌビワやヤマボウシの実も含めて今の子供たちに味あわせてあげたい。山の動物たちは今も変わらずにこれらの実を食べている。

2008年12月26日金曜日

雨の翌日は雪

朝7時の幼稚園前のとおりの交差点の雪景色:
静かな朝、案の定、雪が降っている。
雪が降る日は静かで温かい。
降る雪にすべての騒音が吸収されてしまうのだろう。
雪が降る日は、温かい部屋で好きなショパンやチャイコフスキーの叙情的なものが合う。

2008年12月25日木曜日

氷のない釧路川まで散歩

14時、雨が上がり、積もっていた雪はほとんど消えてしまった。
歳末に雨が降り、雪を消してしまうなんて、、、、、、。
老母は雨が凍ってアイスバーン状態になることを心配している。

陽が出始めたので手袋をつけ、マフラーをつけ、オーバーを着て外にでる。
実家がある双葉町から釧路川まで15分くらいの散歩コースである。
ここから海まで2キロくらいはあるだろう。
釧路川はゆっくり南(右方向)に向かって流れていると思って川面を眺めたら、満ち潮のようだ、枯れ葉がゆっくりと左の方向に流れている。

上流の方を見る。
上の写真の左に川縁の林の中の木に、今年の春つくられた小鳥の巣があった。
地上から1.5メートルくらいの位置にある。誰が作った巣だろうか、枯れ草や枯れ枝のほかに、ビニールの紐や破れたビニール袋まで巣材として使っている。
何羽ものカモメ(大きな鳥だ!)が川に浮かんでいたが、近くまできた。川に指を浸けてみたが、凍えるような冷たさは感じられない。
近くの公園の白樺の木にカラスの巣も見つけた。

子供の歓声!

昨日は雪景色、実家の幼稚園の子供たちが雪の中を転げまわっていた。
子供の歓声は、たのしい社会を、あかるい未来を、予感させる。
子供は社会の宝だ。

幼稚園は今日が終業式、来年1月20日までの長い冬休みに突入する。
が、今日は気温が高く、まるで春のように雪が溶け、屋根から雨だれが落ちる音がする。
園庭の雪も溶け始め、黒い土が出てきた。
暮れに、雪が溶けるなんて、温暖化の影響だろう。
が、午後からは冷え込んで雪の予報。

2008年12月24日水曜日

寒々とした街

飛行場をでて、まもなく牧場の横を通る。
牛が朝日を浴びて、雪下の草をあさっていた。
今朝、7時40分に羽田を発ち、9時半には釧路。10分の1も客が乗っていない。半分以上は何故か中国からの観光客。

帰省する度に、さびれていく街。住む人のいない家やマンションの部屋、借主募集中の空のビルや貸し事務所。人通りがまったく見られない通り。

ここで、ぼくは生まれ高卒までいた。今は老母と兄家族と妹がいる。

今日はクリスマスイブだ。クリスチャンではないが、美味しい夕食で皆で楽しみたい。

2008年12月23日火曜日

避雲地の関東地方

今日は朝から快晴:近隣の庭木
前の家の温州ミカン
モチノキ
我家のスイセン
カキ
我家の取り残したユズ
公園の紅梅はお正月には咲きそう

冬季の関東地方は晴れの日が多い。庭木も陽をいっぱいに浴びて気持ちよさそう。日向ではベコニアやゼラニューム、ランタナも花をつける。避暑地や避寒地があるなら、関東地方の冬は避雲地である。

定年後の、、、。

定年がある人、あるいは仕事を辞めることができる人はある意味で不幸かもしれない。

定年後、何故かこれまで仕事で貯えてきたモノそのものを捨て去ろうという人たちがいる。
あれほど情熱をかけて貯えてきたものを手放し、ともかく身軽になりたいようだ。
手放すことで新たな自分の人生、生き方を求めている。

しかし、ぼくから見ると、すすんで枯れ木になろうとしているかのようだ。
再び春が巡ってきて新芽が膨らんで、花を咲かせることはないのだ。
常緑樹のように葉を残していて、あらたな芽生えを促したら良いのにと思ってしまう。

せっかく身につけた、知識や技術を社会に還元しないのは、あるいは、できないのは社会にとっても不幸だ。
定年がない人、リタイヤできない人は、身体が動かなくなった時が定年であり、それまで仕事を究めようともがく。

2008年12月21日日曜日

今日は冬至

今日は二十四節季の一つの冬至である。
子供の頃は、冬至にはカボチャの入ったお汁粉を食べた。
西安に住む中国の人たちは餃子を家族で食べるようだ。
その謂われを聞いたが忘れてしまった。
我家の庭のユズの実が今年もたくさん稔った。
20個づつ近所4軒の家に配った。
ユズの木を切ってレモンを植えようと思っていたが、それが分かったのかユズは自分をアピールしてたくさん実をつけたのかもしれない。近隣のお付き合いのために残そう。
たくさんユズを浮かべたお風呂は何故か楽しく、子供に返ったような気持ちになるから不思議だ。
それは、5月の節句の菖蒲湯の時もそうだ。
お風呂に入りながらユズや菖蒲を沈めたりして遊ぶことが、童心にもどったような気持ちとなるからだろう。

イイギリの赤い実

19日の早戸大滝行きで、帰路、ツルウメモドキの赤と黄色の果実がいたるところで目についた。
葉が落ちたこの時季にツルウメモドキは鳥たちにアピールしているようだ。

ツルウメモドキに劣らずこのイイギリの赤い実は、ご覧のように鈴なりであり、紺碧のそらに浮いてみえる。
道の下の斜面なのに見上げるような高さに生っている。
下まで降りていくと落ちていた。

実を齧って、味わったが、甘いような苦いようなちょっと表現にこまる。
大きなタネが一個入っているのかと思ったら、サルナシのタネよりも一回り大きいタネが果実の中に26個入っていた。
鳥たちは、食べるだろうが、テンやサルは食べるだろうか?
まだ、実は利用されてないようで、これから食べられるのかもしれない。
このタネの長径は2ミリ、短径は1ミリである。

食事会

「丹沢サル観察し隊」の内山宅に招かれて、食事を頂いた。
選良さんのヒラメとスズキの刺し身やカルパチョ、アラの塩焼きが絶品であり、鏡子さんのイタリア料理はまるでお店で食べるようなできばえで、美味しくいただいた。
居酒屋やレストランでやる食事会もそれなりに楽しいものがあるが、このような集まりも凄く良いものだ。ただ、一方的に内山御夫婦に迷惑をかけてしまった感がある。 鏡子さんお疲れさま、また、有難うございました。

2008年12月20日土曜日

春?ミソサザイが囀る

早戸大滝の直下近くで、ミソサザイが囀っている。
よくとおる甲高い良い声で囀っている。
「お前、まだ、春ではないよ」と、、、、。
が、メスらしきもう一羽がやってきてなにやら、絡み合う。

二羽で、この岩の下の窪みに入ったり、出たり。
どうなってんだろうか?
このところ本格的に寒くなってきているのに、性行動とは?
ぼくは名立たる鳥の専門家たちと交流があったのに、まったくの鳥痴である。
しかし、ミソサザイだけは、スズメよりも一回りも二回りも小さな鳥なのに、囀りの声の高さと良い声に感動して、サルを追い始めて間もなく知った鳥でもある。
尾を上に跳ね上げて、小刻みに揺らしながら囀るすがたは誰が見ても可愛いと思うだろう。

テン糞のパレード

昨日の早戸大滝への山行は、もちろんサルのフィールドサイン探しも兼ねていた。
見つかったのはテン糞のみ。
ぼくらが歩くコースにテン糞が、まるで道標のケルンのように目についた。
朝、したばかりのようで、しっかり凍っていない。
内容物はサルナシの果皮とタネからなる。
これは、古い糞で、2週間くらい経つだろう。霜にあたり、熔け、再び霜にあたり、溶けを繰り返したものだ。内容物にやはりサルナシがあった。
これは、霜で凍っている状態。上はサルナシの果皮だ。中の濃い紫色の果皮(これは手にとって溶けたもの)が何の果実か不明。下の塊はがっちりと凍っている。上が古く、下は2、3日前のものか?
これは、一週間くらい前のもの、やはりサルナシの皮とタネが見える。
これもサルナシを食べたものだ。2,3日前のものか?
糞の大きさから推定して、メスの二個体による糞と考えた。
早戸川の沢沿いに500メートルくらいの間にあった。
彼らにとっては道標ではなく、行動域の境界線あたりにつける自分の主張のマーキングなのだ。
新旧の糞が二つあったところは二個体の行動域が重複しているところと考えた。
このように糞を見て想像するのも楽しい。

2008年12月19日金曜日

初冬の早戸大滝

今朝、まだまだ暗い4時半に矢部さんの車に同乗し、丹沢へ。
家を出て、すぐコンビニに寄ってお昼を買う。
7時14分:早戸川林道いき、魚止め橋を過ぎて車を置き、歩く。
7時26分:今は使われていない伝道の伐採小屋に着く。
このあたりにサルがいるならとうに利用させてもらっていただろう。
ここに泊まってみようと何度も思うが、一度もまだ泊まったことがない。
年々、小屋が荒れていくのが偲びない。
鳥屋森林組合の持ち物だと思うので、一度、使用許可を願い出てみたい。
掃除道具一式と大工道具、ベニヤ板などが必要だ。
7時57分:伐採小屋を過ぎて二度丸木橋を渡り、雷平から左側の道(右の道は雷滝へ)に入って過ぐ再び丸木橋を通過。
沢を何度か行ったり来たりしながら沢を詰めていく。
岩の表面が凍っているので、滑る。
昨年あたりからぼくの運動感覚が悪くなっているのが気になる。
ちょっと軽く跳べばすむものを、何度も躊躇って、足元を確かめるしまつだ。
8時38分、沢を詰めてきて左を見ると大滝が見える。
今年は水量が多いようだ。
何故か、例年寒い冬に早戸大滝にやってきている。
羊羹を半分にして食べる。美味かった。
10時23分:帰路、伝導の大堰堤の上で二人で買ってきたお昼を食べる。
約3時間で早戸大滝まで往復したことになる。

2008年12月18日木曜日

横浜、上星川からの富士山

友人が実家のお母さんのところに来ているので訪問した。
学生の時は、真夜中に押しかけてお櫃を開けて、生ニンニクの欠片と味噌でご飯を食べたことを思い出した。
お昼頃行ったが、新番地に変わっているし、周りの景色も変わっており、ようやくたどり着いた。
夕方、友人は駅近くまで送ってくれた。
南西には富士山が。
横浜は山あり、谷ありの地形である。
思わぬところに40年前の佇まいがあり、柿の実が実のっている下を車が高速でとおる。
日本経済は不況にまっしぐらに落ちているようだが、走る車は相変わらず多い。

この金融不安を契機に、車社会を含む、経済論理を考えなおしたいものだ。

2008年12月17日水曜日

ハタネズミを解剖しようとした!

野生生物探検隊のtake隊員から譲り受けたハタネズミを解剖・解体しようと冷蔵庫から取り出した。ビニール袋から取り出してみて、ちょっとびっくり、大きいのだ。
で、スケールと置いて写真を撮った。
が、見てもわかるようにたかだか10センチだ。
これなら、通常のハタネズミのサイズだ。

ここ最近、ヤチネズミの仲間を2種類見ていたので、彼らから比べると明らかに大きい。
首あたりに小型の猛禽に摑まれたような痕が残っている。
歯を見ようと口の中を見た。うわー、ハエの卵が縦にたくさん並んでいる。
で、首の傷の辺りを見ると、ここにもハエが卵を産みつけている。

このようなハエたちの嗅覚には驚くべきものがある。
ネズミの死体を目で見つけたのではなく、臭いで感知したのだろう。
しかも、産むべき箇所に産み付けている。

臭いはその源を辿るのは簡単なことではない。臭いはちょっとした風で流れるし、拡散する。どうやって臭い源まで辿り着くことができるのだろうか?
当然、風がある中の臭いで、ハエたちはその方向と距離を見極める能力を持っている。

アフリカでチンパンジーを捜しているとき、便意をもよおしてブッシュの中ですると、すぐミツバチやチョウ、ハエがやってきて、遅れて糞虫である甲虫類が羽音も高くやってくる。
昆虫たちの嗅覚の良さには驚くばかりであった。