「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2019年11月30日土曜日

11月3日から大山付近で石川さんが行方不明 Mr.Ishikawa is missing around Mt.Ohyama from November 3.

今朝、6時に家を出て、広沢寺温泉の無料駐車場に車を置いて、出かけようとしたら車が入ってきて、中から飛び出してきた女性に声を掛けられた。彼女の旦那さん(石川 健次さん)が11月3日から行方不明になっていると云うのだ。ビラを1枚もらった(図1)。日向方面から大山に向かったようだ。日向方面からなら梅ノ木尾根を行ったのかな?あるいは、広沢寺温泉からなら不動尻から唐沢峠と行くか、大沢分岐を通っていくか、あるいは、唐沢峠から石尊沢方面に下りたか、これは僕のコースだが、他人はそれぞれだ。行方不明になった1ヶ月にもなる。ぼくの家族は、持っているGPSや携帯orスマホの電源が入っていれば、その位置が判れば発見できないのかな?っと思っている。が、もう、1ヶ月近く経つので、それはダメだろう。いずれにしても早く見つかって欲しい。
図1.石川さんを探すビラ(クリックすると拡大)
7:25 テン糞だ。ぼくがテン糞を写真に撮り、拾っていると石川さんの家族の息子さんどお母さんと思われる二人が登ってきた。ぼくは声を掛ける。ぼくのブログにこのビラを出しても構いませんか?「お願いします」との返事。
図2.二の足林道でテン糞
 二人が歩いて行く(図3)。きっと、大山まで歩いてビラを配るのだろう。ぼくの歩きなのにこの二人を追い越し、山神隧道の前で、再び一緒になる。ぼくは、隧道の前から見晴台方面に登る。途中で道に迷い、無理やり斜面を降りて大沢林道に出る。それは明日アップ!
図3.行方不明の石川さんを探す気の毒な家族

2019年11月29日金曜日

フローレス人  Flores Man, Homo floresiensis

一昨日、上野の科博の地球館で恐竜と哺乳類の頭骨を含む骨格の違いや類似について見て来た。学生たちと別れてから、インドネシアのフローレス島の洞窟で見つかったフローレス人Homo floresiensisの頭蓋骨のレプリカを見た。思っていた以上に小さな頭骨でチンパンジーくらいかな?っと思った。それもそのはず、背の高さは1メートルくらいだ。科博にあるぼくが見た(下の2枚の写真)の頭骨のレプリカは上下の前歯が欠けていたり、レプリカ自体が良い標本から作ったものではない。
このフローレス人は何と5万年前までは生存していたのだ。だから、我々ヒトHomo sapienseと同じ時代を共有していたのだ。このフローレス人の小型化はフローレス島から出なかった故におこる島嶼化なのか?洞窟で見つかったことから島でひっそりと暮らしていたのかもしれない。おそらくフローレス人はヒトとも視覚的な接触はしていたことだろう。そうだとすると、フローレス人はヒトに見つからないように隠れるように生活していたと思われる。フローレス人を絶滅させたのは我々ヒトなのだ。ヒトHomo sapienceはフローレス人ばかりでなくネアンデルタール人Homo neanderthalensisやデニソワ人Denisovan homininsとも同時代を生きており、我々ヒトの遺伝子の中にはネアンデルタール人の遺伝子がほんの少しであるが混じっている。交雑したのだ。デニソワ人はネアンデルタール人とも交雑した。デニソワ人の遺伝子は中国を通ってメラネシアのヒトにまで入っている。
図1.フローレス人Homo florensiensis頭骨を左斜め前から
図2.フローレス人頭骨正面から

2019年11月28日木曜日

65歳以上無料の国立科学博物館 National Museum of Nature and Sience is free/no charge for over 65 years old.

昨日、上野の科博に行った。朝10時に学生たちとJR上野駅の公園口の改札口で待ち合わせた。冷たい小雨が降る中、先週丹沢実習に参加した8名全員が来た。常設展の恐竜や哺乳類の骨格標本を見るために集まったのだ。受付で入館料をぼくを含めて9名分の領収証をもらおうとした女子が「先生はただです」、「65歳以上は無料です」っと云うのだ。えー、驚いた。受付の人に訊くと、入館する時に年齢が確認できる物を見せて下さいと云うのだ。チケットは別に無く、出入り自由なんだ!
図1.恐竜のアロサウルス
図2.哺乳類のスミロドン
あらためて、科博の常設展の入館料を調べた。65歳以上や18歳以下や障碍者は無料だ。四半世紀前に大英博物館やルーブル美術館に行った時に学生を含む若者(年齢を忘れた)が無料だったので、日本の博物館や美術館なども学割と云うものではなくて、全ての若者は無料にすべきと思ったが、それに少し近づいたと云う事か!

2019年11月24日日曜日

冷たい雨の丹沢実習④  The outdoor practice in cold rain.

22日の冷たい雨の中の丹沢実習は、汁垂隧道の中でお昼を食べた。食事中に金沢林道を工事をしていた車が数台戻って行った。先日の19号台風で土砂崩れになった部分を、雨の中で工事しているのにぼくは驚いた。それは、道路工事などの屋外の作業労働は、雨が降る中では行われないのが普通だからだ。ぼくは学生時代も含めて土方を何度もしたことがあるが、昼前に雨が降ると半ドン(日当の半分が出る)になるので喜んだものだ。
昨日の元請け会社の女性の監督は、下請けの労働者たちの前だから建前だけを強調して僕らの通行を許可させてくれなかったのだろう。ぼくらが工事場に行った時に仕事は止めて、ぼくらに気を付けて歩いて下さい!と云えば良かったのだ。
お昼を食べた雨宿りした汁垂隧道で

雨降る中でも元気な女子
13時20分にトンネルから出て、宮ヶ瀬に戻り、「みやがせミーヤ館」で展示物を観たり、休んだりし、14時50分宮ヶ瀬発のバスに乗って本厚木駅の戻った。
今回は殆んど歩かなかったので、しっかりと山歩きをしたくなった。

冷たい雨の中の丹沢実習③ サル糞の内容物 The contents in the dropping of Japanese macaque

22日の宮ヶ瀬から宮ヶ瀬湖沿いの早戸川林道を汁垂隧道、金沢橋、さらに金沢林道を工事場まで行って戻った。この間の林道上ではシカ糞を5、6か所で見つけた。また、金沢橋ではサル糞(図1)が3ヶ所にあった。他の動物糞は見つけることができなかった。
図1.サル糞とイイギリの大きな葉
 今日(24日)、お昼前に雨が上がってお日様が出てきたので、庭に出てサル糞を洗った。部屋の中よりも外の方が温かい。
庭に出る前に、サルは、今の時季に食べている物を拾ってきた糞の色と形から考えた。マメガキ、サルナシ、ケンポナシかな?
洗うと茶漉しの中は黒っぽい種子と黄土色の果皮だけだ(図2)!サルナシの果実だけを食べた糞だった。
ぼくらが雨の中サルナシの実を探したが、全く見つけられなかった。サルは恐らく簡単に見つけて大量に食べている。サルの能力に脱帽だ!
図2.サルナシの種子と果皮や果肉付き果皮
昨日、茶碗蒸しに容れたホコリタケの仲間のノウタケは、一番上に浮かび上がっていて、連れ合いたちはハンペンだと思ったようだ。ぼくにとってはハンペンの方が旨い。ノウタケは味ナシで、噛んでいると最後に何故かガムのような塊りとなったので、のみ込んだ。

2019年11月23日土曜日

冷たい雨の中の丹沢実習② Tanzawa outdoor practice in the cold rain

宮ヶ瀬金沢林道から汁垂隧道に戻り、トンネル内で食事の用意をする。1年生が食糧の買い出しからコッヘルや白ガスストーブの運搬などの全てを行い、2年生やぼくらは食べるのを待つだけ。
トンネル内で食事を作る1年生たち
ぼくは鍋が出来上がるまでトンネルの上に登ってみた。傘を差しながらなのでゆっくりだ。
 ツチグリがあり、雨粒が落ちて当たると花粉が飛び出していた。
ツチグリだ!
 エビネの葉がシカに食べられている。
Y.Nくんが林道沿いで見つけたノウタケやスッポンタケを鍋に容れるように言ったが、食事後に1年生から手渡された。ノウタケはまだまだ幼菌で半分に切ると真っ白のハンペン状で鍋に容れたかった。スッポンタケも匂う頭だけでも外して鍋に容れてもらいたかった。スッポンタケの匂いは黒緑色のグレバの大半が雨で洗い落とされていたせいか、嫌な臭いはせず、食べられる匂いに代わっていた。これは、グレバを洗い落として糸を通して部屋の中に吊り下げている。
スッポンタケ
ノウタケ
今夜は茶碗蒸しを大相撲を見ながら作った。ノウタケは皮を剥いて薄切りにして容れた。茶碗蒸しはマハレでも作っていた。その時はマレリアという直径20センチを超えるキノコの薄切りやサツマイモやタンガニーカのクングーラという魚などをドンブリに容れて作った。

2019年11月22日金曜日

冷たい雨の中の丹沢実習①  Tanzawa outdoor practice in the cold rain①

今日は、1・2年生合同の丹沢実習があった。しかし、あいにくの雨である。初めの予定は、本厚木発宮ヶ瀬行きのバスに乗り、三叉路で下りて県道70号を札掛け方面に歩き、3グループに分かれて尾根を辿って登山道に出て高畑山でお昼を食べよう。お昼の時間は2時間で、鍋のような皆で楽しく身体が温まる物を食べようと云うことであった。
が、予報は雨だったので、20日(水)に学校に行った時に、22日が雨だったなら、予定ルートを変えて、皆一緒に林道を歩き、雨の当たらない汁垂隧道の中か金沢橋の下でお昼を食べるということにした。
今日は、7時40分本厚木発のバスに乗って間もなく雨が降り出したので、終点の宮ヶ瀬まで行き、早戸川林道を歩くことになる。
金沢橋の下の川原はダム湖の水量が多く、川原は水でおおわれているので橋の下には行けない。すぐ、汁垂隧道に戻らずに宮ヶ瀬金沢林道を行くことにする。土砂崩れの為通行止めの看板があるがそれを無視して行くと、工事の車が3、4台あるので、学生たちを待たせてぼくが歩いて行くと工事の為通行禁止だと云う。それを解っていて来ている。迷惑を掛けないので工事の脇を歩くので歩かせて欲しいと云うが、女性の責任者はダメと云うだけ!
4、50年前の南アルプスのダム工事や林道工事の時は、工事責任者は工事を中断して横を歩かせてくれたものだ。あるいは、ダム工事や林道工事の飯場に泊まることさえ許された。
しかし、この最近の林道工事の責任者は口煩いだけだ。以前は大らかだったが、今は七面倒臭いのは何故なんだろうか?
汁垂沢と紅葉

2019年11月18日月曜日

哺乳類は食べないツルウメモドキの実 The fruits of Oriental bittersweet which mammal does'nt eat.

昨日は、お昼を食べてから引地川沿いを川上に歩いた。途中に高校があり校庭で学生たちが声を張り上げながら何やら運動をしていた。若者たちの楽し気な声を後にしながら歩いていると、ツルウメモドキの黄色と赤い実があった(図1)。まだ割れていない黄色のヤツを2個採った。
図1.ツルウメモドキCelastrus orbiculatusの赤い実
ツルウメモドキは我家の庭にも2度も出てきたことがある。余りにも暴れるように伸びるので根こそぎ抜いてしまった。ヒヨドリが運んできたのだ。ツルウメモドキは丹沢山麓でも今頃目につく蔓だが、この実の種子が動物糞から見つかっているかな?っと思い調べたら1度だけ大山北尾根のネクタイ尾根で見つけたテン糞からサルナシ、ムカデ、羽毛、土砂と一緒に出てきている。テン糞はこれまでに1105個拾っているので、これはテンにとっては普段摂取しない果実を全く偶然に口にしてしまったのだろう。この時、ムカデや羽毛、土砂も入っているので、腐葉層のムカデを食べる時にツルウメモドキの果実も食べたのかも知れない。
図2.ツルウメモドキの種子と果実
 ツルウメモドキの赤い実の一つに1個の種子が入っている(図2)。種子を拡大したものが図3だ。長径4ミリくらい。
図3.種子
哺乳類はツルウメモドキの実を食べないが、鳥が食べて種子散布するのだ。しかし、鳥は種子を食べないで、果皮と僅かな果肉を食べるのだ。果皮・果肉を齧って味わってみたが殆んど味は無く甘くは無い。英名はbittersweetとあるので苦くて甘いのかな?っと思ったが、、、、味わう量が少ないのだろう。

少し、気になってツルウメモドキの種子が見つかったテン糞の記録をみた(2019年1月15日に「テンはツルウメモドキも食べていた!」とこのブログにアップ)。何と、1個の種子ではなく、内容物の大半が種子や赤い果皮と書いている。テンは偶然に口にしたのではないことが判る。

2019年11月16日土曜日

境川遊水地公園沿いの散歩 Walking along the Sakaigawa overflowing reservoir Park

今日お昼前に境川遊水地沿いを歩いてきた。6.7キロを1時間半かかった。セーターを着ていたので途中で脱いだ。それでも暑かった。半ズボン半袖のジョッガーが羨ましいほどだった。
横浜側の土手では、アカトンボやモンキチョウ、トノサマバッタが飛び、最後の温かさを満喫しているようだった。
図1.コウゾリナの花にとまろうとするモンキチョウ
図2.コウゾリナの花にとまって蜜を吸うモンキチョウColias erate
ぼくは、モンキチョウの表側の翅の色も黄色だと勘違いしていた。そのため、このチョウをウラナミシロチョウの仲間だと思って図鑑を探した。しかし、裏側(図2)の模様がウラナミシロチョウとは違う。モンキチョウの表側(図1)からこれはモンキチョウの夏型のメスだとわかった。
図3.トノサマバッタLocusta migratoria
境川の土手沿いの砂利道を歩くとトノサマバッタが次々に飛び立っては舞い降りる。何匹目かでようやく道路に下りて落ち着いたところを2メートルくらい前から撮った。撮りながらトノサマバッタの翅を毟り取ってフライパンでバター炒めにしたらイナゴのように美味しいだろうと思った。どうも、ぼくは子どもの頃は餓鬼のように餓えていたのですぐ食べることを考えてしまう。

2019年11月15日金曜日

引地川沿いの散歩   Walking along the Hikichi River.

右腰の状態もかなり良くなってきたので、GPSとカメラを持って引地川へ行ってきた。カモがいたので撮った。が、3枚撮ったところで、メモリーカードが入ってないと画面に出た。え?SDカードを入れ忘れたんだ。ガッカリだ!まー、散歩だ。少しでも歩いてダイエットしなければ。セーターを着ているので暑い。でもそのまま着て歩いた。
帰宅して、持っていったGPSをPCにUSBで接続し、GPSPhoto Taggerを立ち上げてログを読んでもらい、歩いたルートや時間をみた。4キロを約1時間かかって歩いていた。自分としては3キロくらいかな?っという距離だった。
下は、引地川の川面を浮かんでいるカモ。カモなら簡単に判るだろうと思ったが、鳥音痴のぼくにははっきりしない。コガモオスのエクリプスという状態なのかな?
コガモオス?のエクリプス

2019年11月13日水曜日

ムベとアケビの種子の比較  The comparison of seeds of Mube called in Japanese.and akbebi.

昨日、学校から家に帰る途中路で、ある筈のムベの実が無い!あー、1個残らず採ってしまったんだと思った。が1個、2個と残っているのを見つけた。このムベの花や実をたのしませてくれるHさん宅の奥さんは自治会の町内会長をしているし、以前は娘が通っていた市立保育園の保母さんをしていたので、顔見知りだ。で、帰宅してから食べたタネでも残っていないかと思ってすぐ戻ってピンポンを鳴らしてみた。ムベの実は今朝採って、「どうぞお持ち下さい」と書いて玄関前に置いていたようだ。それが全て持って行かれた。でも、御主人曰く、「そんな人も出て来ると思い少し残して置いた」と僕は1個の4分の1だけでも貰えればと思っていたが、3個も頂いたのだ(図1)。
図1.Hさんから頂いたムベの実
図2.図1の左の1個を包丁で半分に切る
 縦に半分に切って(図2)、種子の周りについている甘い果肉を食べて、食べると云うよりも舌で種子から果肉を剥がす感じである。種子はアケビのものと比べ物にならない程大きく、少し縦長だ。長径10ミリを超えるものもある(図3)。アケビの種子の倍の大きさである。テンがムベの実を食べたとすると2、3個の種子で一個の糞粒となるだろう。
アケビの種子と一緒に並べてその違いを見てもらおうと思って、種子標本を探したが、アケビの種子は余りにも馴染み深い良く知った種子なので標本として残していない、、、、、、。

今日も学校で、先ほど学校から戻りウィスキーを飲みながらアケビの種子を探したらあった。こんなにも大きさが違う(図4)。
図3.その種子だ!
図4.ムベとアケビの種子の大きさ比較
左4個:ムベ 右4個:アケビ

2019年11月10日日曜日

ムベの実  The fruits called Mube in Japanese(Stauntonia hexaphylla)

我家から駅まで行く途中の家の門を覆うようにムベが仕立てられていて、春は花(これがアケビと全く違う)と秋には果実のムベを楽しませてくれる。
右腰を痛めてしまったので、外出も思うようにいかないが、歩かないで飲んで食べてばかりいるとまたまた山を歩くのが厳しくなるので、連れ合いの買い物について出掛けた。スマホのカメラを上手く使えないのでその練習を兼ねてカメラではなくスマホを持った。カメラは胸ポケットなどには入らないがスマホは胸のボケットに入るので気軽だ!
ムベはアケビ科のムベ属で、葉が秋には落ちるアケビはアケビ属で属が違う。道理で、花も葉(常緑か落葉か)も実(アケビは薄紫色で割れるのが多い)が違うのだ。
図1.ムベStauntonia hexaphylla
ムベの実もアケビの実もサルばかりでなく、テンやタヌキなどの食肉目の動物たちも大好きだ。きっと、今頃の丹沢を歩くと動物たちの糞はアケビの種子からなるものだろう。ほとんど、アケビの種子だけというサル糞やテン糞があるのも今頃の季節だ。丹沢山麓ではアケビは良く見るがムベをまだ見たことがないことに気が付いた。

2019年11月8日金曜日

この骨の病気は何? What are these bone diseases?

先日、丹沢に行く途中で拾った轢死体のタヌキを腐らせて、骨を洗ったが、頭骨はバラバラであったことをアップし、さらに大腿骨の病気も述べた。
丹沢に行きそびれたのでバラバラになった頭骨を組み立てようと半日以上かけたがダメで、晒骨した他の骨を整理し始めた。骨の病気は右の大腿骨ばかりでなく、右の上腕骨も同じような病気にやられていた(図1)。
大腿骨も上腕骨も同じ病気だろう。これらの骨以外はこのように朽ちた?腐った骨は無い。また、車との衝突で頭骨以外に折れた骨はこれの右の上腕骨と大腿骨、及び左右の肩甲骨が折れていたが、他の骨は正常であった。まだ、若い個体なのに気の毒だ。野生のタヌキが罹るこのような骨の病気はなんであろう?どなたか御存知の方いらしゃいませんか?教えて下さい。
図1.左:右の上腕骨 右:右の大腿骨 いずれも後ろから見た状態
昨日、一昨日と庭で屈みこんでギンナンを洗ったので、腰が痛い!今朝、5時に起きたが腰が痛くて断念した。
大学の同級生のMが6月に亡くなったようだ。独特の雰囲気を持っている男だった。彼を偲んで今夜は献杯しよう。

2019年11月7日木曜日

ギンナン洗いで腰が痛い! I have a pain in my loin becouse of washing the ginkgo uuts!

横浜の金沢文庫に住む、後輩のMさんが先日猛烈な強風の台風15号の後、落ちたギンナンを拾って持って来てくれた。彼からは春の山菜のフキノトウ、フキから始まり、ビワやスモモ、カキまでまるで時候の挨拶のように持ってきてくれる。その量も半端ではない。
彼はギンナンを素手で拾うようだ。ぼくは、雑誌「にほんざる」の編集会議で、東大農学部に行った時に初めて落ちているギンナンを拾った。素手で拾ったのだ。その手でトイレに行って小便したものだからペニスが腫れあがり、しかも痒く大変な目に遭った。以来、ギンナンを食べるのは大好きだが、落ちているギンナンを拾ったことはない。
図1はMさんが持ってきてくれたギンナンをプランターに容れて、腐らすたために土を被せたものを、昨日、今日と果肉・果皮を取ってギンナンの種子だけにして、何度も水洗いしたものだ。これは全体の半分くらいなもので、残り半分は水に浸けたままだ。
図1.洗ったギンナン
このギンナンの果肉・果皮落としは少し厚手のゴム手袋をして一粒づつ果肉を剥がしていく。来年、また貰ったら今度はただ水に浸けるだけにしようと思う。土の色が種皮に付くからだ。
椅子に座って前屈して果皮・果肉を剥がし、水で何度も洗う。腰が悲鳴を上げるので、何度も止めよう、止めようと思うが、最後までやってしまった。ひゃー腰が痛い!
タヌキのタメ糞に大量のギンナンがあった(図2)。これは湯河原の椿ラインから天昭山野猿公苑餌場跡に出る尾根を下っている時に見つけたものだ(2004年11月26日)。これらのギンナンを全て拾って沢で洗った。この時は専門学校の学生実習だったので学生たちはぼくが食べるためにギンナンを洗っているのを知って驚いていた。
図2.タヌキのタメ糞の中のギンナン
丹沢でテン糞やタヌキ糞を拾っているが、タヌキ糞の中にギンナンが入っていたのは鐘ヶ嶽への浅間神社口からの階段を登って行ってから見つけた2015年12月5日の1例(図3)だけである。この時も埋まっているギンナンをを含めて8個拾ってきた。
図3.タヌキのタメ糞の中のギンナン
ギンナンを取り出すのはタヌキに食べてもらう方が洗うのは簡単だし、手もかぶれない。味も変わらなく美味しい。
カンボジアに行った時にジャコウネコ科のシベットの仲間がコーヒーの実を食べて排泄した種子(コーヒー豆)から挽いたコーヒーを買ってきたが、云われている程美味しくはなく、まだ、飲み切っていない。

2019年11月4日月曜日

頭骨がバラバラのタヌキ The racoon dog whose skull broke apart.

昨年11月8日に東丹沢に行こうと清川村を走っているとタヌキの轢死体を拾った。それを11日アップした(図1)。その時は下顎だけが壊れているとした。が、頭蓋骨は修復が嫌になるほどの壊れていた(図2)。さらに、このタヌキの右大腿骨が異様に太く脆くなっていて、途中で折れていた。このタヌキは右後ろ足を引きづりながら、痛さを我慢して歩いていたものと思われる。
図1.2018年11月10日の解体前

図2.頭蓋骨の状態
これほど、バラバラになっていたが、頭蓋骨骨折、陥没でもしばらくは生きていたのだろう。
図3.骨の病気になっていた右大腿骨
これはどういった骨の病気なのだろうか?我々ヒトだと痛くてとても歩けないだろう。

イヌ、ネコ、アナグマ、タヌキ、ハクビシンなどの中型哺乳類が自動車道路で轢かれると、身体の部分は大丈夫な場合が多いが、大半が頭部が砕けている。おそらく走ってきた車のバンパーに頭を打ってはね飛ばされてしまうのだろう。はね飛ばされた場所が車道だと、2度、3度と轢かれてしまう。この個体は頭部を2度轢かれたのか?

2019年11月1日金曜日

首里城焼失と恐ろしい記憶   Shuri Castle burnt down and horrible memories.

首里城が燃え、柱が残り、それらが焼け落ちる動画をTVニュースで見た。子供の頃の火事を思い出して身体が震えた。

小学校入学前年(1951年12月2日)に釧路市立病院の火事があった。夜空は赤く染まり、焼けた大きな木が屋根に落ち、親父が屋根に上ってバケツで水を掛けていた。起こされた時は裏の障子が橙色であり、黒い厚手のオーバーを着せられ入学前のランドセルを背負ったぼくはただ歯をカチカチ鳴らして震えながら立ち尽くしているだけだった。そのすぐ後の1953年2月22日に、今度はぼくが入学する事になる高校が火事となり、真っ暗な夜の世界にそこだけが明るく輝き、最後に柱が残って崩れ落ちていく光景が目に焼き付いている。身体の震えが止まらず歯をカチカチ鳴らして焼け落ちる校舎を大人たちと立ち竦んで見ていた。
この子供の頃のこれら記憶を何度も思い出すことがある。火事の記憶と同じように、1952年3月に十勝沖地震があって大勢の人たちが我家があった高台に登ってきたのも思い出す。

首里城の焼失の映像が子供の頃を恐ろしかったことを思い出した。首里城は那覇に数回寄ったことがあるのに一度も見たことがなかった。今年2月の船旅で那覇に寄港するので首里城を見学する予定だったが、エンジントラブルで那覇には寄られなかった。残念でならない。