「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2015年9月29日火曜日

恐ろしい十五夜の月 The fearful harvest moon

昨日、ビールを飲みながら釧路の兄貴が送ってくれた秋刀魚を焼いて大根おろしとともに食べ、
秋の味覚を味わう。

一階の居間の窓も東南に向いているが、見えるのは御近所の壁や屋根だ。
二階に上がってベランダから東の空を見上げた。あった、お月さまが!
子供の頃、魚釣りの帰りに大きく橙色のお月さまを見て、気味悪く、恐ろしく感じたことがあった。
アフリカにいた時、夜、タンガニーカ湖の上に白く輝く丸いお月さまが浮かんでいた。
お月さまからの光が湖面をまっすぐ降りているように見えた。
やはり、恐ろしく感じてすぐ家の中に閉じこもった。
丸く大きなお月さまは綺麗というよりも、ぼくは恐ろしかった。
しかし、昨日はそんな恐ろしさはまったくなかった。

2015年9月28日月曜日

シカの休息場とぼくが休む場所   The resting place of the Sika deer and my resting site

先日のルートで2ヶ所で明らかにシカが休息した場所があった。
一つは、鳥屋待沢左岸から取り付いた尾根の途中にあった3ヶ所に小便があった場所(Fig.1)と三峰山から下って不動尻に下るところと唐沢峠に向かうところの尾根上(Fig.2)であった。
 Fig.1 3ヶ所に小便の痕があった休息場

Fig.2 不動尻方面と唐沢峠方面の分岐

Fig.1の休息場と同様にFig.2の休息場も2、3頭のシカが休んだと思われた。
両方とも見晴らしが良い場所である。

ぼくが、恐ろしい外敵がいるような山中で休むor寝るとしたら決して見晴らしの良い場所はとらないだろう。

夜の8時か9時頃の山中のハイキング道路や登山路を歩いたことがある。
月明りの中で懐中電灯を点けなくても月明りだけで十分歩くことができた。
もちろん懐中電灯を点ければ歩きやすいのは当たり前だ。
しかし、ぼくは電灯を点けずに歩いた。
また、道が月の明かりで遠方からでも見えるような場所では道から外れて林の中を歩いた。
同じように、夜、一人で避難小屋のような山小屋に泊まる時は、
月明りが差し込む場所は避けて、窓の壁際の暗がりで寝た。
このような隠れるような行動をしたのは、
明かり中では山や森の悪霊のようなものからすぐ見られてしまうという恐怖があったからだ。

サルやアナグマもそうだが、彼らは人から逃れる時に暗い穴に入ろうとする。
これは、何となくぼくでも理解できる。暗い穴は誰にも見つからないので安心することができる。
でも、ちょっと不思議だ。
サルを除く多くの哺乳類は視覚よりも嗅覚で獲物を感知している。どうして穴に潜るのだ?

しかし、シカは穴に入らず、外敵からすぐに見えてしまう場所で休息する。
タヌキやテン、あるいはネズミやウサギやクマなどが普段の生活で休む場所はどのような場所であろう。
休息場も巣穴のような場所なのだろうか?

2015年9月27日日曜日

アナグマ、タヌキ、クマもヤマボウシを食べている。  The badger, the racoon dog and the black bear eat the fruits of Kousa Dogwood.

今回の山歩きで、拾ってきた糞は、3個であったが、イノシシ糞やいくつかのクマ糞を見かけた。
クマ糞は一週間以上前のものであったが、どれもヤマボウシの種子がたくさん浮き出ていた。
また、拾ってきた、アナグマやタヌキ糞もヤマボウシの種子が多数出てきた。

登山道上には、赤く熟したヤマボウシの果実がさまざまな場所に落ちていた。ぼくも1個を拾って食べた。
口の中に入れると、舌で果肉をつぶせるほどに柔らかかった。
動物たちも難なく拾い食いできる訳だ。

Fig.1、アナグマ糞①(Fig.4のGPSルート上の番号)
10:27、サルナシActinidia arguta果皮種子、腐葉砕片、土砂

Fig.2、タヌキ糞②
11:38、ヤマボウシBenthamidia japonica 種子

Fig.3、アナグマ糞③
12:58、ヤマボウシ種子、サルナシ果皮種子、土砂

Fig.4、25日に歩いたGPS上のルートと糞位置
①:Fig.1のアナグマ糞、②:Fig.2のタヌキ糞、③:Fig.3のアナグマ糞
②と③までの登山道にはヤマボウシの種子のクマ糞が3か所にあったが、
クマ糞は見ただけでも食べた物ガヤマボウシであることが分かったせいもあり、拾うどころか写真を撮ることさえもできないくらいバテテいた。

久しぶりに山歩きをしたので、何となくすぐれなかった気持が、吹っ切れたようにどこかに飛んでいった。
今日も、チャレンジキャンパスで専門学校だが、天気は良くないがすっきりした気分で授業にのぞめる。

2015年9月26日土曜日

久しぶりの山歩き(三峰山)2  Walking and climbing in the Mt. Mitsumine "2"

11:03、登山道沿いのガマズミの実が赤くなってきている。一つ採ったがまだ固い。
11:08、これは、ハツタケだ!もちろん、ゲットしてくる。
昨夜、これを汁に容れようとしたら、なんと、連れ合いは食べないと言う。
採ってきてから青く変色した部分があるから、間違いなくハツタケだ!と図鑑を見せても食べず。
ぼくだけが別鍋で汁の実にした。ハツタケの仲間は歯触りがパサパサした感じである。
11:38、タヌキの溜め糞だ。新鮮?な糞は糞中たちに運ばれている。
たくさん見える種子はヤマボウシのもの。
11:53、シラヤマギク?
もう、この辺りでは登り下りの連続で登りの時の腿が上がらず。さらに、少し古いヤマボウシの種子がたくさん入ったクマ糞が3か所に登山道上にあったのだが、写真を撮ることもできず。ただ、「ヤマボウシだらけのクマ糞だ。クマが登山道を歩いたんだ!という思いだけだった。
その時、体力が無くなると写真さえ撮る気持がなくなってしまうことに危機感を覚える。
カメラをバックから出して、キャップを外してスイッチを入れて撮ることが面倒と感じたのだ。
このシラヤマギク?を撮る時は倒れ込んだ姿勢であった。
11:54、リンドウだが、時々雨が落ちるような曇り空のため花が閉じている。
三峰の山頂がすぐ前なのに、10分もあれば行けそうなのに中々着かない。
12:18、イワシャジンだ!これは這いつくばってようやく撮ることができた。
12:30、三峰山の山頂に到着し、コンビニで買ってきたソーセージ1本とパン1個を食べ、最後にアミノバイタルを一袋水とともに飲む。曇り空で雨粒が時折落ちるが、山頂の休憩台でザックを枕に大の字になって目を閉じる。5分も寝ただろうか?寒くなってきて目が覚める。
2002年発行のエアリアマップの地図を見ると、1時間で不動尻まで下れるので、ゆっくり鎖場を下る。
ぼくは登りでも下りでも鎖場やザイルがあってもそれにはほとんど頼らず、木の根や岩に頼る。
が、今回は、この三峰コースの鎖場の鎖が新しく鉄杭もしっかり岩に食い込んでいるので、鎖や鉄杭に頼った箇所が数か所あった。

14:25不動尻に着く。ここで、煤ケ谷まで道を誤った。
簡易トイレから少し戻るようにして、腐れかかった橋を渡り、トラバースの道を進む。が、道がはっきりしない。
観察小屋などの上を通る。どうも、これでは、ダメだと思い右下に見える広沢寺温泉への舗装道路におリる。

14:47、すると、何のことはない煤ケ谷までの道標がある。ここまで不動尻から舗装道路を歩いてくると良かったんだ。まー、結果オーライだ。
ここからは、何度か往復したことがあるので、ちょっと高低差があるだけの平坦な薄暗い道をひたすら歩く。
新しい登山靴の跡が付いている。
最後は、橋が落ちていたが、4、5分躊躇したが片足だけ沢に入っただけで難なく渡渉できた。
小雨が酷くなってきたので、折り畳み傘をザックから取り出す。
15:40、置いていた車の場所に着く。帰路は渋滞に巻き込まれ、17時半頃帰宅た。
すぐ温かい風呂に缶ビールを持って飛び込む。
GPSでは11.8キロを歩いたことになる。
下が今回歩いたルートである。

2015年9月25日金曜日

久しぶりの山歩き(三峰山)  Walking and climbing in the Mt.Mitsumine.

昨日、久しぶりに、8月6日ぶりに東丹沢山麓を歩いてきた。
6時過ぎに家を出て、清川村役場の原下駐車場に車を置こうと思ったが、鎖がかかっていて入れない。
午後10時には閉まるが開く時間は書かれていない。
仕方がない。谷太郎林道に入って谷太郎橋付近のスギ林の路肩に乗り上げて駐車した。
鳥屋待沢の左岸のゲートのところでスパッツをつけ、沢沿いの仕事道を行く。
サンショウの実が赤くなっている。黒い種子が剥き出ているのもある。
久しぶりの山歩きなのでゆっくり歩く。
突然、シカが3頭走り去る。びっくりだ。きっとスギ林の中で休息していたのだろう。
右の細尾根の道をやり過ごし、この道を最後までたどることにする。
しかし、案の定、道が分からなくなる。北から降りてきている尾根に取り付く。これが8:52だ。
沢沿いの道に入ってから45分も経っている。
マンネンタケだ!
9:11、イノシシの糞だ!
一つ一つの粒が潰したような円盤状になっている。
9:19、シカがここで休んだ後、立ち上がって小便をした痕だ。3頭のがいたのだろう。
 上の写真の左側の痕だ。
9:57、不動沢と鳥屋待沢の間に位置する尾根に辿り着く。尾根に取り付いて1時間だ。
もちろん、汗だくだ。このところ体重が自己最高の74キロにもなっているので、身体全体が重い感じがする。今日の山歩きは身体を絞ることもあるのだ。持ってきた水分は、水500cc、スポーツ飲料500cc、コンビニで買った牛乳300ccだ。
10:27、アナグマ糞だ。独特の臭いだ!ゲットする。
11:00、登山道に出る。これからの道は崩壊が進んでいる。三峰山に向かう。
これが、体重増加のぼくにとっては大変だった。
後半は次回に!

2015年9月23日水曜日

わー、この匂い!キンモクセイだ!  Oh-, this fragrance! It's Kinmokusei in Japanese!

もう、9月の下旬なので、庭木に吊り下げている。ファレノプシスやパフィオペディラムなどを部屋に取り込もうと庭に出た。すると、良い匂い!素晴らしい香りが庭に流れている。
もちろん、キンモクセイOsmanthus fragrans だ!
今夏に上部の方を剪定して切り詰めたので、花はダメかなと思っていた。
花がついている。まだ、完全に開いてはいないが風雅な香りが漂っている。
 昨日は、連れ合いと二人で道路ぎわのアカバナトキワマンサクの生垣を大幅に切り詰めた。
この生垣は成長が早く、すぐにヤマアラシのように枝が伸びる。
この生垣を剪定するときは、アカバナトキワマンサクの悪口を言うことになる。
それは、伸びが早く、刈った葉が衣服に着き、それがなかなか取れないことと、葉が皮膚につくと痒くなり赤く爛れるのだ。軍手、長袖、帽子、マスクと万全を期した筈なのに、左手の甲と腕が腫れてしまった。すぐに、シャワーを浴びて薬を塗ったため半日で腫れが引いた。
これから、ますます抵抗力がなくなる年齢になる。
アカバナトキワマンサクには悪いが、掘り起こしてしまいたい。
以前の生垣はサザンカだった。これには、あのチャドクガの幼虫が大発生する。
生垣のそばを通る人がカブレルことを恐れたため掘り起こして近くの知人に持って行ってもらった。
今、キンモクセイはどうかな?と思ったが、、、、、。
何が良いだろうか?

2015年9月22日火曜日

ザクロが色付いた!  The fruits of pomegranate has become to be scarlet.

我が家の前のMさん宅のザクロが今年も色付いた。
Mさん宅にはザクロの他にナツメやカキ、ナツミカンなどもあり、季節の実や花を楽しませてもらっている。

このところ、何だか身体全体がだるく重苦しい。駅の階段もエスカレーターに乗りたくなるくらいだ。
雨模様で丹沢に行けないせいかもしれない。
あるいは、今夏は暑かったし、専門学校の高校生向けのチャレンジキャンパスを多く引き受けたせいで疲れているのかもしれない。

ザクロの色付きとともに、身体が元に戻って欲しい。
ウィスキーを飲むのも少しひかえよう!
 トルコやクロアチアの果物屋の店頭にはソフトボールのように大きなものが山盛りになっていた。
生食すると甘く酸っぱ味があって美味しい。向こうでは果実を使った料理やケーキが多いが、ザクロの可食部は大きな種子の周りについており、種子が邪魔だ。取り除いて使うとするととジュースか?

2015年9月21日月曜日

コスズメの幼虫  The larva of hawkmoth(Sphingidae).

 庭に出た連れ合いが、窓をトントンたたく、窓を開けると、大きな茶色の幼虫が這っているようだ。
早速、カメラを持って、庭にでる。
あ!これは確かスズメガの幼虫だ。
が、スズメガ 幼虫でネットで検索してもコヤツが出てこない。
もっと、しっかり見ようとコヤツを捕まえてきて、机の上に置いて撮る。
スズメガの幼虫ではなかった。でも同じような種類だった!
コスズメという蛾の幼虫であることが分かった。
地面を歩いていたのは、自ら食草から落ちて地中で蛹になるための準備のようだ。
コヤツを庭の地面に戻してやる。
このスズメガの仲間は庭のホトトギスが咲く頃に、素早く飛び回り、ホバリングしながら花の蜜を吸っている。


2015年9月20日日曜日

マハレ50周年記念・公開シンポジューム  Public symposium of Mahale 50th anniversary

昨日、東京大学農学部にある弥生講堂で
マハレ50周年記念展・公開シンポジューム 「野生チンパンジー学の50年」が行われた。
西田利貞さんがタンガニーカ湖の中央にデベソのように突き出たマハレ山塊に入って、チンパンジーを追い始めたのが1965年であり、その後今日までマハレでのチンパンジー研究が続けられている。

ぼくはJICAの専門家として1994年から1997年までの3年間、マハレに滞在した。
JICAから与えられた任務は「国立公園の自然保護に係る技術指導」ということであった。
しかし、実際の仕事は、研究対象のM群の北に生息するB群を人付けするというものであった。
当時のぼくのマハレでの活動はホームページの自然・植物・動物→マハレ国立公園http://members2.jcom.home.ne.jp/fumio.fukuda/natureOK.html
や「アフリカの森の動物たち」を見ていただきたい。

ぼくがいた1995年にダルエスサラームでマハレでのチンパンジー研究30周年を記念して
セレンゲティ野生動物研究所(SWRI)とJICA共同主催によって国際シンポジュームが開催された。
その時、ぼくは英語、スワヒリ語ともまったくおぼつかないものであった。
上述の西田さん、川中健二さん、上原重男さん、さらにはJICAの富田浩造さん等の力があったからこそ
30周年のシンポジュームを開くことができた。

今回の50周年記念では、西田さん、川中さん、上原さん、富田さんが故人となっている。マハレでは、何度か前の3人と共に過ごした。また、富田さんもマハレまでたくさんのお土産を持ってぼくの陣中見舞いにやってきた。彼らの事が何度も思い出される日でもあった。

下は司会の保坂和彦さんとマハレからやってきたキトペニーさん。

「チンパンジー学の黎明期」の話しをする伊沢紘生さん
帰路、千代田線の根津駅まで、黎明期に伊沢さんや西田さんとともにブドンゴでチンパンジーを追っていた鈴木晃さんとともに懇親会場から歩いた。鈴木さんは現在もなおオランウータンをカリマンタンで追っているが、5年前に調査地で足を悪くして杖をついている。歳をとるとちょっとしたことでバランスを崩してしまうので、山歩きは気をつけなければならない。
懇親会場での酔いが回っていたせいか、あるいは千代田線の大手町から東京駅まで歩いたことがなかったせいか、
大手町の地下で30分くらい東京駅北口を探して歩き回った。
地下街でパニックになった時の恐ろしさをあらためて知った。

2015年9月16日水曜日

ニホンザルの頭骨   The skull of Japanese macaque.

昨日、専門学校で野生動物保護専攻の学生のIida君からサルの頭骨をもらった。
長野県の大町で見つけたもののようだ。

Fig.1の正面からの写真を見ても犬歯が長くオスだとわかる。
Fig.1 正面から

Fig.2の上面からのものでは、前頭骨から頭頂骨にかけての頭頂部の矢状隆起がわかる。
まだ、左右の隆起が前頭骨の部分で合わさって一つの隆起になっていないので、
成熟した大人オスの一つ手前の若い個体のようだ。
まだ、若いオスなのは前頭骨と頭頂骨や上顎骨、鼻骨などが縫合線がわかり、それぞれの骨が癒合合体していないことでも明らかだ。
 Fig.2 上面から

Fig.3の底面からの写真を見ると、歯は全て(切歯・犬歯・前臼歯・臼歯=2・1・2・3)萌出しているが、
まったくと言って良いほど歯は摩耗していない。

歯の萌出と、摩耗状態、Fig.4やFig.5からの犬歯の長さ、さらには骨の縫合状態から判断して、
このオスは9歳前後であると推定したがどうだろうか?
Fig.3 底面から

 Fig.4 右側面から

 Fig.5 左側面から

Fig.6 後面から

このオス、オスとしての最盛期の一歩手前で死んだようだが、死んだ原因は何だったのだろうか?
青年期から壮年期に移り変わる頃なので、生まれた群れから離脱して、山野を駆け巡り、メスがいるいくつかの群れに辿り着いたが、どの群れにも入れずにソリタリー(ハナレザル)として
暮らしていた個体で、雪崩に巻き込まれたとかの何らかの事故に遭ったのだろう。
Fig.3やFig.4から分かるように右の頬骨弓が欠損している。この欠損が死後のものかどうか綺麗に洗ってみなければ分からないが、これが事故に遭った時に怪我したものだと、即死するわけはないが、
致命傷となったことは間違いない。
群れに加わったこの年齢のサルなら、死ぬ原因が考えられない。

さぁー、今日はこれから昨日の試験の採点だ。