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原発不要・核廃絶


2025年10月6日月曜日

ジェーン・グドールが亡くなった!                 Jane Goodall has passed away!

イギリス人の女性で人類学者のリーキーからチンパンジー研究を委託され、タンザニアのゴンべNPに入ってチンパンジーを追ったジェーン・グドールが亡くなった。91歳との事だ。

ぼくがグドールの名前を知ったのは、モンキーセンターで行われていたプリマーテス研究会であった。まだ、故西田利貞さんがマハレでチンパンジーを餌付けして間もない頃だった。が、既にグドールはチンパンジーの人付けに成功して素晴らしい報告を始めていたのだ。その後、彼女が書いた本「森の隣人」(河合雅雄訳)1973 平凡社 を読んで、その中に出てくるフローやフィフィ、ゴライアスなどの個体名と顔まで覚えるくらい面白さに引き込まれた。

チンパンジー研究はサルを追うぼくの憧れであった。そんなぼくが40代の後半にJICAの専門家としてマハレ山塊NPの研究している群れ以外のチンパンジーの人付けで行くことになった。もちろん、これこそ天にも昇る気持ちになった。1994年3月にタンガニーカ湖北岸にあるキゴマに行き、湖畔のアクアロッジに泊まった。そのアクアロッジに孤児のゾロと名付けられていたチンパンジーが飼われていた。もちろん、それはジェーン・グドール研究所(1977)の職員やボランティアが世話をしていた。ぼくはアクアロッジに滞在している時はゾロに話しかけて退屈を紛らわしていた。そのゾロが違う施設に移されて1年くらい会えなかった。が、妻と友人KFが来た時にその施設を訪れた。すると、ゾロが遠くから走り寄ってきて、ぼくの金網越しに入れた手を舐めたのだ。ゾロとは僅かの間の交流であったが、この時は妻たちもびっくりだ。

図1.孤児のゾロZorro 1996年8月 キゴマから離れた施設で
片言のスワヒリ語と英語で話せるようになり、1996年12月にはダルエスサラームでチンパンジー保護と研究のセミナーをJICA主催で行うことになった。もちろん、このセミナーにはグドールも参加してもらった。このため、ダルエスの彼女の家に行ったり、ゴンべに行って彼女と会った。
図2.アクアロッジの湖岸からゴンペNPに向かうボート上のグドール
1995年7月

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ちょっと話の前置きが長くなったが、今年6月下旬にタンザニアで青年協力隊員であったM.Okudaさんがグドールの講演を聞きに行き、そこで撮ったグドールとM.Okudaさんとの二人の写真を送付してきた(図3)。
図3.M.Okudaさんとジェーン・グドール 2025年6月
ぼくも彼女の東京での講演を2度聞いた事があるが、M.Okudaさんのように会った事はなかった。このようにできる人たちが羨ましい。話は、ここからだ。グドールの持っているバナナを食べている子供チンパンジーの縫いぐるみに驚いた。それは、図2のボートに座っているグドールの横に同じようなバナナを食べている子供ンパンジーが居るからだ(図4)。
図4.図2の一部を拡大 同じような縫いぐるみの子供がチンパンジーが、、

30年もの間、同じ縫いぐるみを持っているとは思えないが、グドールはいつもこのバナナを食べている子供のチンパンジーを離さずに持ち歩いているのだ。棺に納められた彼女の遺体の胸にこの縫いぐるみの子供チンパンジーも一緒に納められているだろう。

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