「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年1月7日月曜日

鯖神社 The Saba Shinto shrine

藤沢市と横浜市の市境を流れる境川のほとりに、
「鯖神社」がある。
ここも我が家から歩いてそう遠くない距離にある。
三が日は参拝客でにぎわい、甘酒などもふるまわれる。
鯖神社の由来はこうである。
源頼朝は知ってるが、義朝?知らないなぁー。
日本史は中学時代の知識しかない。
向こうの林は、横浜市泉区である。
気になってネットでみたら、何だか大和市、横浜市、藤沢市などに
全部で「さば」と読む祠を含めてが12社あるようだ。
まるで、リュウノウギクのような菊が咲いていた。
クチナシの実がいくつかついていた。
この実は黄色の染色につかわれるようだ。
鳥居の横の家の夏蜜柑がたわわになっていた。 
相変わらず、以前やっていた方法では画像ファイルをアップできない。
で、Picasaに画像を取り込んで、それをウエブファイルの共有(但し、自分だけ)とし、
それから取り込んだ。
とても、面倒だ。どうして、以前のようにできないのだ。
bloggerの方式が変わったのか?

パーキンソン病  Parkinson's disease

友人の弟のH君から電話があった。
友人がパーキンソン病になったと云うのだ。
 
友人に新年の挨拶の電話をした。
まったく以前と変わらない受け応えだ。
で、彼に会うことにした。

彼とは、学生時代からの友人で、よく彼の横浜の家に
泊まったものだ。両親は、我々には寛大で飲んで夜中に
行ったのにも関わらずイヤな顔一つせずに世話してくれた。
 
彼のお父さんが3年前に亡くなったため、耳が遠くなった
お母さんの世話に横浜に戻っていた。
彼に会うために、連れ合いと一緒に行った。
偶然に弟のH君に駅で出会った。
 
彼に会った。まったく以前と変わらない様子だ。
彼から病気のことについて話してくれた。
NHKラジオの病気相談の番組を聞いていて、パーキンソン病
の症状が自分の行動に思い当たることが多いので、市民病院で
診てもらったら、まさしくパーキンソン病で、初期症状から重症まで
を5段階に分けたなかの3度にあたるようだ。
 
電話と同じように話し方は以前のままで、変わらず
お喋りというか口達者だった。

だが、立居振舞が上品と思われるほどゆったりとしていた。
日本酒を飲んだのだが、ぼくのお猪口に徳利から注いでくれる
その動作が、まるで室町時代の貴族からお酒をいただいて
いるような感じであった。
 
しだいに進行していく病気のようだ。
なんだか暮れから正月にかけて、今年は生きていることについて
考えさせられる。
 
やはり、まだ画像をアップできない。

2013年1月5日土曜日

画像が挿入できない。 Can't insert the picture file.

何故か、画像を挿入できなくなった。
ノートパソコンでも同じだ。
投稿画面で、画像を挿入する小さなボタンをクリックすると
JPG,JIF,PNGなどの画像が挿入できます。その右に小窓がでて
その小窓をクリックしてマイコンピューター内から画像ファイルを選んで
挿入していたのだ。
しかし、何故かその小窓が出てこない。

という訳で、しばらくお休みかな?
今日は、これから夏に海外旅行に一緒に行っている連れ合いの
友人夫妻が3組やってきての新年会だ。
そのため、昨日はアルコールを少しだけにしておいた。

学校は8日からだから、余裕だ。
もう、帰省ラッシュも終わり、丹沢への道もいつものようになるだろう。 

2013年1月3日木曜日

亀井神社へ初詣   The first visit to the Kamei Shinto-shrine.

昨日は強風が吹いていたが、酔い醒ましを兼ねて近くの
「亀井神社」に初詣に行ってきた。
風が強いのと三が日のせいもあって、出逢う人は少ない。
しかし、神社には初詣客がいて、ここだけは少し賑やか。
参拝者がちらほらいる。
先ずは本殿へと向かう。
本殿への参道の右側に張子の不動明王があった。
昨年は張子の龍(辰)だった。 
本殿で、参拝した。その右にはもう一つ別殿があり、そこでも参拝。 
そこに奉納されているお供え餅の奉納者の屋号に今気がついた。
「清月」とはやはり、我が家と神社の中程にある和菓子屋さんだ。 
この別殿?から帰路の参道となる。 
参道を降りてきて、縁起物のお御籤をひいた。
なんと、二人とも大吉だった。
こいつは春から縁起が良い。 
帰路、本殿の方を見たら、初詣客が並んでいる。
いつもは人っ子一人いない神社もお正月だけは、
ぼくのような俄か信者がやってくる。 
この亀井神社がある地名は亀井野という。
今は住宅や道路で囲まれているが、50年前は鬱蒼とした森に囲まれていたようだ。
まさかと思って亀井神社とネットで検索した。
源義経の四天王の一人亀井六郎崇敬の社とのことだ。
北海道釧路生まれのぼくにとっては、この辺りの歴史をまったく知らない。
義経は知っていても、亀井六郎なるものは知らない。
少し、勉強しなければならない。


2013年1月2日水曜日

新年おめでとうございます。 Happy new year!

新年開けましておめでとうございます。
 
今年も、正月を迎えてからようやく賀状にとりかかった。
芋版をやらなくなって何年たったろう。
子供の頃は、正月になると家族の者たちは、賀状用の版画作りに
熱中したものだ。
このところはこれ、パソコンで製作だ。
下のキンシコウの写真を賀状に貼り付け、言葉を並べて
あとはプリンターで打ち出した。
なんと、もうできた。
今年も、出不精にはならないように腰を軽くして動きたい。
広島に嫁いだ娘からもらった酔心があったので、飲んだら旨かった。
で、暮れに正月用に「剣菱」を買った。旨い。
日本酒がようやく旨いと思えるようになったことが嬉しい。

2012年12月31日月曜日

テン糞  The scats of martens.

もう、今年もあと数時間。
懸案の拾ってきたテン糞を洗った。

 30日のテン糞のGPSの位置である。
片道、1.2キロくらいの間に2ヶ所で見つけた。
②は帰路に見つけた。往きには無かったものだ。
①と②の間は500mくらい離れている。
①の場所は、橋の北端の湖岸側にある。
十円玉が置いてあるのが判るかな?クリック拡大。
ここに4個の糞が雨に濡れてあった。
土山峠のこの湖岸林道では、テン糞が場所が大体決まったところにある。
この場所は、12月13日に歩いた時もこの場で拾ってきている。
その日からさらに4個の糞をしたことになる。
毎日、数カ所にするだろう。
②の場所はこういう縁石の上だ。十円玉が判るかな?
先ほど、①、②を水洗いした。
①は、昆虫以外の節足動物の脚や外骨格だった。
②はサルナシの果肉付き果皮を種子だった。
①と②のテンは違った個体かな?
 
尚、12月13日にもこの湖岸林道を歩いていて、①②の場所以外でも糞を採集している。
はたしてこの林道沿いには何頭が行動域を重複させているのか?
take隊員が無人自動カメラ?の開発に成功したならば、同じ物を
何か所にも設置して出てくるテンを見たいものだ。
 
今のカメラは雨に濡れると使えなくなるので、濡れたらすぐ布で拭き取るようにしている。
今回は、ペンダントとように首からぶら下げて雨具で覆った。
あ~糞を洗ったらほっとした。部屋の中を掃除してきれいにしょう!

真冬なのに雨 It rains though in winter.

いったいどうしたんだ。年末に雨だなんて!
釧路も雨で、根雪が溶けて道路は滑るようだ。
昨日、土山峠で撮った写真。
棘がいっぱいある。それでもサルは樹皮を食べる。
これは、小さな木だが、ヤブコギでこれがあるともう泣きたくなる。
小さいが細く鋭い棘がいっぱいだ。
この果穂を食べる哺乳類はいない。
初夏に咲く白い花の香りが良い。 
この果穂の中の種子も哺乳類は食べないと思っていたら、
「森の海・海の森」でリスが食べていた。 
この鞘の中は固い豆が入ってる。
花はピンクのヒゲのようだ。
この豆もリスやハタネズミが食べるかな? 
 
早くも大晦日。
毎年の暮れに思うことだが、いつも充実した1年だったとは思えない。
では、何をやり残したのかと問われればそれば何なのかも答えられない。
それが、人生の不安となって蓄積していく。


2012年12月30日日曜日

霧雨の土山峠  The Tsuchiyama pass in the drizzle

起きて、外を見たらショボショボと雨が降っていた。
しめた。丹沢はきっと雪だ。
7時を過ぎてから家を出たが、道路は閑散として走っている車もわずか。
なんと、1時間ちょっとで土山峠に着いたが、雨の降り方は藤沢と変わらない。
しかも、寒くはない。なんとなく2月頃の春の雨のような感じだ。
雨の中来たのは、一つは土山峠では雪を期待していたのだが、
雨であっても、テン糞くらいは拾えるだろうと思って来たのだ。
清川トンネルへの山道に入るところまで湖岸道路を歩いてから戻る。
ダム湖で休息していたカモたちが一斉に飛び立つ。
テン糞は2ヶ所の橋の端で見つけた。
家に戻ってきて時計を見たら10時半だった。
土山峠には1時間ばかりいたことになる。

2012年12月28日金曜日

散歩   Walking

天気が冴えない。
家にいると家事を言いつけられるので散歩にでた。
車が多く、皆心なしかスピードを上げて走っている。
寒いと思って厚手手袋をしてきたが、これは失敗だった。
シャッターさえ押すことができない。
今日は、チビで植物を、デカには始めっから望遠をつけてバックにしのばせていた。
道路沿いのコンクリートの壁面にアオツヅラフジの実が下がっている。
チビで近づいて撮る。
ここは歩道と車道の区別がほとんどないようなところである。
そんなにクラクションを鳴らさなくとも車が来るのは判りますよ。
そんなぼくの横を中年だがスタイルの良い女性ジョッカーが走り過ぎていく。
引地川の川沿いにでる。
ここには、ここには河津桜が数本あるので、その花芽の状態を見る。
どの芽もまだまだ堅い蕾だ。
トウネズミモチの実がたくさんついている。
これからヒヨドリたちが喜んで食べるのだろう。
引地川にはカモたちがいる。オナガガモ、マガモ、カルガモがいた。
すぐ見分けることができるようになったのが嬉しい。
と、目の前を小さな青い鳥が川面を飛び、対岸の護岸のコンクリートの上にとまる。
カワセミだ。エ?ここは年中カワセミがいるんだ!
大きなコイがいるが、小魚を狙っているようだ。
時計を見ると12時を回っている。時間は早くも1時間を経ってしまった。
お昼には帰ると云ったので、走るようにして戻る。
明日か明後日、晴れたら雨戸を洗い、窓を綺麗にしよう。
我が家には、障子や襖がないので、面倒な張替え作業がない。
神棚も無いし、仏壇も無いので、それらを新年に向けて綺麗にしなくともよい。
味気ないと云えば味気がない。

2012年12月27日木曜日

「北限に生きる -A2-84群-」  The record of Japanese macaques in the Shimokita Peninsula

昨日、今年最後の授業があった。
26日に授業があるなんてはじめてだ。
クリスマスが過ぎているのに学生が来るんだろうか?心配であった。
ぼくが学生の頃は、クリスマス前に冬休みに突入していた筈だ。
正月を故郷で迎えようと帰省する者、スキー旅行に出かける者、バイトに精を出す者で、12月に入ったらもう学校は閑散としたものであった。
いつもの電車で日吉の駅に下りたら、学校へ向かう学生たちがいる。
教室に10分前に行く、10人前後の学生がいた。
今年度のこの授業は250名の履修者がいるのだが、出てきていたのは
30名若の学生たちであった。
先週の授業はニホンザルやチンパンジーの乱婚的性関係の話しだったので、
昨日は、ビデオ「北限に生きる」を観てもらった。
このビデオはもう20年前にフジテレビの番組として猿年に向けて製作したものである。
毎月、1、2回下北半島の脇野沢村に通い、
A2-84群というニホンザルの群れを追った1年間の記録である。
プロデューサーのAokiさんは、「フクダさん、山がない、山や谷の場面が欲しい」
と呑むたび、通うたびにぼくに注文をつけた。
「自然の動物たちを相手にするときは、出来る限り多く見て、カメラを回すことです」
とぼくは毎回オウム返しのように応えた。
大晦日からお正月の朝にかけて、全てが完成した。
その時の喜びは今でも忘れられない。
論文書きは一人の作業であり、完成しても自分一人だけの喜びだ。
だが、テレビ番組の完成は、番組に関った全ての人たちの喜びであり、
その嬉しさは論文書きの比ではない。
番組が好評を得たので、ビデオとなった。
さらにロンドンで行われた科学番組に参加するために、
英語版まで作られた。
 
ぼくが、監修し、毎回のように重い三脚をもったりして群れを追いかけた。
40代の頃であったので、当時はまだ山を走れた。
バブルが弾ける直前だったので、お金がふんだんに使われた。
 
昨日、学生たちとこのビデオを見ながら一瞬、当時のぼくの姿が出てきて、
あー、20年前はあんなに柔らかな動きをしていたんだと感慨に耽った。
また、番組の最後に語られている、サルによる野荒らし、他のマカク属との雑種化の問題などは、
20年経った今でも日本各地のニホンザルで解決されていない。