「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年7月18日土曜日

ツアー登山

2004年8月、阿寒富士山頂で: 暑~い!
北海道の夏山は、夏と初冬が同居すると思って間違いないだろう。
快晴時の昼間は盛夏の山を満喫できる。
しかし、一旦、ガスったら内地の初冬の気温だ。今回の、トムラウシでの遭難は悪天候ということもあったが、60代の登山グループである。
自分に鞭打って頑張れる気力をもっているだけにこのような結果になったと思っている。
その気力が、疲れと強烈な風雨と寒さで萎えてしまったのではないだろうか。

ただ一つ凄く気になる行動がある。
このような全く見知らぬ人たちの寄せ集めのツアー登山の恐ろしさである。
疲れて脱落した人が出たら、疲れてない人たちが彼らを置いて先に進んだ行動である。
これが、もし友人知人よりなる仲間同士の場合なら、そこで全員引き上げていただろう。
1度ばかりでなく、2度目の人たちも置いて先に進んでいったツアー登山という恐ろしさを感じる。
それは、自分だけでも目的を達成したいという欲望であったろう。
複数のガイドたちもそういう登山者の熱望を感じていたために退却できなかったのかもしれない。
仲間同士なら、「今日は、止めよう!また、今度にしよう!」ということになったろう。
ツアー登山であっても、登山中に落伍者一人でもでたらならば登山は中止すべきだ。

ぼくは、二十歳前後の学生を連れて歩くが、自分の体調よりも学生たち一人一人の体調を重んじて計画を決行したり、中止したり、途中で退却したりする。
危険な箇所で、無理そうな学生がいれば、「これから勇気を持って退却するぞ!」と叫ぶ。
集団行動では、全て同時、同じ行動をすることが基本だ。
同じ食事をし、同時に休み、同時に歩く。
自分のお菓子であっても皆で分かち合って食べる。
これが無ければツアー登山はこれからも事故が起きるだろう。

2009年7月17日金曜日

夫婦共同しなければ仔を残せない!

もう一鉢のフウランもこの強風に負けずに咲いた。
夕方、シジュウカラのヒナが3、4羽チィチィッと鳴いている。
二羽の親鳥が毛虫を運んできては食べさせている。
これはヒナの一羽、クチバシが黄色っぽい。
次々に親鳥たちが虫を運ぶ、とてもメス親一羽ではやっていけない。
オス親も一緒に餌を運んでようやく子供たちは成長することができる。
一夫一妻を生み出す基本がここに見られている。

2009年7月16日木曜日

ぼくの部族名はDosanko

タンザニアは126から130部族からなる。
下の写真は撮ってくれた人も含めて皆違う部族の出身者である。

上は、ぼくの助手件同僚としていつも一緒にマハレ山塊を歩き回ったトングエ族の人たち。

彼らとサファリをしてキャンプ生活だけでは疲れてしまうので、宿屋に泊まることがある。

すると、そこの宿帳に自分の名前、国籍、パスポート番号を記載し、さらに部族名まで書かなければいけない。そんな時はいつもDosankoと書いて、宿屋を安心させている。

日本では、民族とか部族とかまったく気にすることはないが、タンザニア以外の国では、出身部族名は結婚でも就職でもいろんあ形で左右されることになる。しかし、タンザニアでは120を超える部族間で争いはなく、みな写真のように仲良くやっている。互いに、相手との違いをはっきり認識することで仲良くできるのである。一番上の写真を撮ってくれたのはキリスト教徒であり、写真に写っている左の主任官吏官はイスラム教徒である、当然奥さんの数が違う。ぼくの助手たちは都合の良いところだけイスラムやキリスト教である。

2009年7月15日水曜日

試験問題

サルでは、初発情したような若いメスはもてない。しかし、ヒトでは若いメスがちやほやされるのは何故か?という問題を出した。

タンガニーカ湖の湖畔に1994年2月から97年2月までの3年間生活した。
日常的に親しく付き合ったのはトングエ族と云われる人の男たちであった。
彼らの好みの女性は太っていることである。
それは、一緒に寝ると温かいからとのたまう。
20歳前後の女性で太っているのは皆無に近い。
皆、細くてしなやかな身体をしている。
太っているのは、24、5歳を過ぎてきた頃の女性であり、
結婚して子供をもっている30から50歳の女性は十分に太っている。
乳房は大きく、お尻は大きく、それらを揺すりながら歩く。
体臭も強烈なものがあり、ぼくはこの年代の女性はセックスダイナマイトと名付けていたく。
ぼくがトラッカーやグラスカッターとして雇っていた男たちのだれもが20歳前後の細いしなやかな身体の女性よりも30~50歳の太っている女性と結婚したがる。

もう40年も前にヤコペティ監督の「世界残酷物語」という映画の中で、アフリカのある部族では、結婚前の女性は檻に閉じ込めて食べさせて太らせるというものがあった。檻の中の女性は食べて寝るだけ、次々に食物が差し入れられてそれをガツガツ食べる。小錦か山本山のようになると男の方から高い婚資(結納金)を得られるのだ。

サルでは、ワカメスはもてない。熟年メスにオスたちは言い寄る。
熟年メスは社会的順位が高いので、流産率は低いし、子供をしっかり育て上げることができる。
しかし、ワカメスは順位が低いし、育児経験がないので、オスたちの子を託す相手には向かなくなる。
そのため、ワカメスは交尾相手に恵まれないので、自慰をしたり、チビを相手に性器を擦ったりすることになる。

トングエ族の人々で太っている女性がもてるのは、子供をしっかり産み、育てられることができるからであり、痩せている女性は流産や死産の可能性や哺乳をしなければならない育児にも不安があるからもてないのだろう。

では、なぜ、ぼくらの社会では若い女性がちやほやされるのだろうか?

2009年7月14日火曜日

梅雨明けは近い!

咲いたコマツナギ:
4年前の秋に丹沢の林道沿いでタネを採取して鉢に植えたコマツナギがようやく咲いた。
Yさんは植えた翌年に咲いている。
コマツナギは陽が4、5時間は当たらないと花芽ができないようだ。
ハナミズキやナツツバキの枝を切って少しは陽が射すようになったら早速花芽をつけてくれた。
鉢を大鉢にして二階のベランダに持っていこう。 丹沢ではコマツナギは6月頃から咲いて10月くらいまで咲いている。 花期が長いので、小さな豆を採ってきて植えたのだ。

テン糞で不明なタネがあったので、プランターにばら蒔いていたら、キイチゴのような芽が出てきている。楽しみである。

空を見上げるともう、梅雨空ではない。ぼくはもう梅雨が明けたと思っている。
足を引きずりながらでも丹沢のヤマユリを見に行きたい。

2009年7月13日月曜日

電車で!

今朝の電車で、横浜から東京行きに乗った。赤ちゃんをだっこした女性が立っている。

僕の前の座席には若い女性の会社員が二人、何やらおしゃべりしている。

川崎で年寄りの女性も乗って来た。

僕の前の女性も席を譲ってやろうとはしない。

品川、寝ている赤ちゃんの重さは大変なものだ。何度も赤ちゃんを抱きなおしたりする。

僕前の席に座っている女性は全くこの赤ちゃんをだっこした女性には気がついていないかのようだ。

とうとう赤ちゃんを肩に載せた。

新橋で二人の女性会社員が降りた。年寄り女性が赤ちゃんを連れた女性に声をかけて二人で座った。

2009年7月12日日曜日

一人、一人がみな繋がる

ギボウシの花が咲いている。
春、筆状の芽が出始めた時は、10本くらい摘んで、茹でて胡麻和えでたべる。
夏になるとこのように1日に2、3時間しか陽が当たらないところだが、このように花を咲かせてくれる。
先週、高校の同級生たちと飲んだ。
ぼくの7月4日のブログを見たようで、それに反応してくれたようだ。
ぼくらの高校では厳冬期に全校生徒によるウサギ狩りをおこなっていた。
凍てついた釧路湿原の原野を、手には棒切れをもち、
大声をあげながら一つの目標地に向かって歩くのだ。
目的は、修学旅行費にするためということだが、
ぼくらの時には文化祭と同じような学校行事の一つだった。
雪原を歩いていくと、ノウサギがぴょんぴょん飛び出し始める。
個人プレーは厳禁された。一箇所でも行進が崩れるとそこからどっとウサギたちが逃げる。
ウサギが自分たちの横をすり抜けようと無視して目標に向って歩く。
一人、一人が大切な役目を担っているのである。

2009年7月9日木曜日

ごめん!ハタネズミではなかった。

蒸し暑い。明日、専門学校の授業でネズミの頭骨を見せなければならない。
竹内さんがもらったハタネズミの頭骨をじっくりながめた。
ん????何????
ハタネズミではない。
またまた、ぼくの早とちりだったようだ。
死体をみて、ハタだとばっかり思っていたのだ。
下のが4月10日にアップした湯河原のハタネズミ亜科のネズミ。
下は、4年前小田切敬子さんより同定を依頼された、霞ヶ浦産のハタネズミである。
湯河原産の2個体と違う箇所がわかりますか?
湯河原産と霞ヶ浦産の拡大したものを載せます。
湯河原産の左個体は、骨口蓋の後端が棚上になっている。
霞ヶ関産のハタネズミと同定したものには、骨口蓋の後端が下がって中隔ができている。
ハタネズミ亜科のネズミはヤチネズミ属、カゲネズミ(ビロードネズミ)属、ハタネズミ属の3属が日本に生息する。
ヤチネズミ属3種は北海道だけ生息する。カゲネズミ属2種(スミスネズミとヤチネズミ)とハタネズミ属1種(ハタネズミ)が本州に生息する。
竹内さんが白金林道で見つけた2個体はカゲネズミ属のヤチネズミ(左)とハタネズミ(右)と同定した。
ヤチネズミはヤチネズミ属ではないなんて混乱しちゃうね!

この風雅な香り -フウラン咲く-

昨夕、7時半に帰宅する。
自室に入ると、この香り!
落ち込んでいた気持ちがすっかり霧散してしまうほどの香り。
自然は素晴らしい香りを次々と提供してくれる。 このフウラン、1983年夏の小豆島のサル調査で、寒霞渓の山頂の店で一株買い求めたものだ。
今では、大小合わせて8株となっている。
昨冬は温暖だったので、始めて屋外に出したままにしておいた。

植物は何も云わないが、さまざまな表情で訴えてくる。
水が欲しい、日差しがきつすぎる、油粕がちょっと欲しい、風が強すぎる、この虫をどけて、、。

あ!また、香りが漂ってきた。大きく胸を広げて深呼吸するように風雅な香りを胸に吸い込む。
良い匂い!

今、慌てて5月30日の「丹沢サル観察し隊」の皆さんと自然観察をした時に枝をもらってきたバイカウツギの枯れて萎んだ花の匂いを嗅いだ。なんとまだ、匂う。

2009年7月8日水曜日

電車に乗りたくない ―孤独な人々―

電車に乗りたくない
働かなければ生活できないし、山へも行けないのは分かっている。
でも、働きたくなくなってきている。
電車に乗って学校へ行くのが嫌なのだ。
電車の中での人々のさまざまな行動を目にすると、もうこんな世の中嫌だぁ!と叫びたくなる。
学生たちが極端に変わってきた。
一人一人話すと皆良い子である。
しかし、皆他の仲間を思いやることができない。
他人の苦しみ、楽しみを分かち合えなくなっている。
他の人の苦しみは自分の苦しみであり、
自分の楽しみは他の人にも分かち合えるのに、
多くは、一人一人の殻の中で苦しみ、楽しんでいる。

そのもっとも明らかな現場が、通勤電車の中だ。
両耳にイヤホンを差込み、両目は携帯の画面を追う。
妊婦がいようと、老人がいようと、松葉杖をついている人がいようと、皆自分の世界に没頭している。

サルは社会集団を形成して生活している動物である。
強いサルも弱いサルも、絶えず回りの目を気にしている。
ヒトはもちろん社会集団を形成している。
が、現在のヒトは社会的存在を無視しようとしている。
社会集団の一つである学校、クラスでも単に個が集まった集合であり、社会組織としての集団とはならない。
どうも、それは家庭生活が起因していると考えている。
仕事=経済=より「良い」生活を追求するあまり、家庭生活がおろそかになっていると感じられることが、学生をみていて感じる。

では、行ってきまーす。