「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2011年10月27日木曜日

カワセミが魚をゲット!

今日も秋晴れの良い天気!
今日は引地川沿いを歩くことにした。
カワセミがいないかな?と探したとたん対岸の川岸のコンクリートの上にいる!
あー、遠すぎる、こっちに来い!と念じる。
いなくなったと思ったら、目の下のコンクリートの上にいた。
なんと、気持ちが通じたようだ!
こちらの方が川の中の魚が見やすいはずだ。
じっと見ていたらヤマセミと同じ動きをすることが分かった。
ヤマセミは魚を狙う時に、頭頂部の羽毛を逆立てたり閉じたりするが、
こやつは、同じようなリズムで身体を持ち上げたり下したりする。
と!また、見えなくなった。
魚を口にくわえている。
この魚を頭を振ってコンクリートの角に叩き始めた。
この魚をアユではないか?と思ったのだが、、、、。
こちらはアユは一度、高梁市で食べただけなので、不確かだ!

この場所は車はもちろんのこと、結構人通りもあるのに、カワセミばかりでなく
他の水鳥たちも見られる。
ぼくは、もしかしてという思いで帰路はイタチ糞を探しながら歩いた。
この土手では、イタチは生息できないか!

明日は丹沢実習だ!仏果山に行く!

アキノノゲシ

アキノノゲシ!
この名前は学生の頃から知っていた。
植物図鑑を見て知ったのか、植物に詳しい同級生の女子から聞いたのか?
昨日、境川の川岸の土手で咲いていたキク科の花を撮り、
平凡社の野生植物図鑑で絵合わせをしていたら、どうもアキノノゲシだ!
で、「え!?これがアキノノゲシなの?」と驚いたしだいだ。
秋があるなら、春もあるだろうと調べたら、ハルノノゲシがある。
ノゲシって野芥子と書くようだ。芥子の葉に似ているという。
アキノノゲシはアキノノゲシ属で、ノゲシ属のハルノノゲシとは属が違う。
春になったら、ハルノノゲシを見つけてみたいものだ。

キバナコスモスだ!
稲刈りが始まっていた。腰が曲がった老夫婦が秋の陽を浴びて作業している。
おばあさんが稲刈り機の操作をして押していた。
おじいさんは刈った稲を束にしていた。
今週末は、千葉へ農業を始めた友人の稲刈りの手伝い、否、見に行く。

もう、秋、真っ盛り、柿の実も色づいてきた。

2011年10月26日水曜日

久しぶりに境川沿いを歩く

朝から日の光が眩しい。
カメラを持って境川沿いを散歩をすることにした。
正面の奥が江の島方面になる。
川の左側が横浜市であり、右側が藤沢市だ。
この辺りは両市にまたがって遊水池が作られている。
かっては田んぼがたくさんあり、大雨であっても田んぼが下流域の洪水から守っていた。
白とピンクのコスモスは片隅にやられ、キバナコスモスが咲き誇っている。
藤沢市側には遊歩道・サイクリング道が作られており、ジョギングする人、サイクリングする人、イヌを散歩させる人、ぼくのようにのんびり歩く人などさまざまだ。

アオサギが一羽でマントを羽織ったようにして休んでいた。

チュウサギと思われるのが首を伸ばして魚を狙っている。

これは、肌色の足が見えるからコサギだ。 

川の土手もコンクリートだったのが、ブロックを積み上げたようになり、イタチが巣穴を作れそうだ。
しかし、川の流れがあまりにも早すぎる。川岸には草木が生えていればよいのだが、
作られた土手の内側に木が生えたら砂防工事でブルトーザーで取り払われてしまう。
もう少し、瀬や淵のある自然の川のようにしてほしいものだ。


2011年10月24日月曜日

秋の花:ホトトギス

先日の強風を伴う台風で、我が家に秋の草花も互いにぶつかり合い
こすれて、花芽のついた枝も引きちぎれていたのですが、
ホトトギス、シュウメイギク、小菊たちが花をつけ始めております。

このホトトギス、以前あったタイワンホトトギスとは違う。
ヤマホトトギスを改良した園芸種かな?より可憐な感じがするし、花弁に先の青紫がポイントだ。
とにかく、秋だ、秋真っ盛りだ!
連れ合いのサラダには固いカキの実がはいり、クリご飯やイモご飯が出る。
デザートのフルーツは早くも早生の温州ミカンだ。

2011年10月23日日曜日

日本の秋への憧れ!

前の家の柿が今年も大きな実をつけている。
北海道生まれのぼくにとっては、柿の実は日本の秋の象徴として
半分憧れにちかいようなものがある。
高校の修学旅行で奈良、京都を回った時、庭先に出た枝にカキがなっていたのを
2、3個もぎ取って、バスの中の友人たちと分けて食べた時のことを思い出す。
ガブっと齧った途端、あきれる程の渋さだったのだ。
口の中に広がった渋がしばらくとれなかった。
柔らかいのに渋いカキがあるなんて知らなかったのだ。
当時の教科書には、日本の秋の風景として柿の実がなっているものがあった。
桜の花や梅の花、梅雨から始まって、教科書に載る風景や話しの多くは
北海道釧路の現状とは程遠いものであった。
柿の実、竹がある風景は、遠い内地への憧れに近いものだった。
そんな憧れの地にぼくは今住んでいることになる。

2011年10月21日金曜日

江戸川動物園

江戸川動物園に向かう。正面にはスカイツリーが見える。
この道をまっすぐ行くと江戸川動物園だ。
この辺りは自分の庭のように知っているというY君が案内だ。
動物園は10時から開園だった。
20分くらい待つ。

開園とほぼ同時に入ったはずなのにもう、小学生や幼稚園の団体さんで
賑わっている。
ぼくらは、ジェフロクモザルの檻に直行だ。
学生、一人一人に対象とする個体を決めてもらう。
妊娠しているメスが目立った。
5~10分間隔で行動を記録してもらう。
あるいは、行動や状況の変わり目毎に時間を記録し、行動を記載する。
30分もしない内に全ての個体が中へ入ってしまった。
全く、観察することができなくなってしまい、しぶしぶ学校へ戻る。

この個体は尾で自分の身体を支えている。
クモザルは手の指が4本である。親指が消失している。
腕渡り(ブラキエーション)をすると親指が邪魔になるのだ。
この個体の性別はわかるかな? 
イヤ、この個体はメスである。
中南米のサルたちは、メスのクリトリスはオスのペニス同様に大きい。
自分の尾で自分の体重を支えられるのはこのクモザル科の仲間だけである。
アジア・アフリカのサルでも尾の長いサルはたくさんいるが、尾で自分の体重を支えることはできない。尾で物を掴むことができるのもクモザルの仲間だけだ。


秋のキク科の花々!

経ヶ岳の続き
今日は、これから専門学校、ワイルド・ライフ・ガイドという授業で、
近くの江戸川動物園に行って、動物たちの個体間関係のデーターや日周活動などの
データーの取り方をやる予定。

経ヶ岳への登りの途中で、コウヤボウキが今が盛りと咲いていました。
かわいく小さな花だ。
このアザミの仲間も、なんだかカンザシを頭にたくさんつけているようだ。 
リュウノウギクが一つ咲いていた。
この花は岩棚で咲いているのが似合うから面白い。
あと半月もすると仏果山の稜線のリュウノウギクも咲き競うのだ。 
それにしても先日の台風の爪痕がたくさん残っていた。
野生動物たちの痕跡は、シカの足跡と多数のイノシシの掘り起しがあった。
探し求めた、ウンチは見つけられなかった。

2011年10月20日木曜日

半原越・経ヶ岳

今朝、8時頃、思い立って経ヶ岳へ行ってきた。
来週の丹沢実習のコースに仏果山・半原越・経ヶ岳・坂尻の
下見である。
法華林道は先日の台風のすさまじさを物語るように
到る所で大きな木が倒れたようで、車が通れるように切られている。
それは、半原越に車を停める。赤いノボリ旗が閃いている。
近寄って見ると、「管理捕獲実施中」と書かれている。
シカの個体数調節のために、捕獲?ではないだろう。射殺を行っているようだ。
経ヶ岳まで登る。
林道脇の緑が目に飛び込む。
シカたちはこの辺りは危険だから、別の処に移動してしまったのか?

風が晩秋のように冷たく感じる。
大山方面を見ても雲が覆っている。 

カンアオイの花が咲き始めた。
この花は日照時間が短くなると咲くの?それとも寒くなると咲くのかな? 
登山道沿いの花々を写真に撮りながら、動物の糞を探すが見当たらず。

半原越に戻り、田代へ行く林道を歩く。
見慣れない足跡だ!
ずいぶん大きい。
これなんの足跡か判るかな?
肌寒い天気模様であった。
上の、半原越のノボリ旗がはためいている林道沿いは、
写真でも気が付くように、割りに緑が見られた。
シカが、この辺りから逃げてしまったのかな?
そう簡単には逃げていないようだ。
上の〇〇の足跡の近くにシカの足跡もあった。
しかし、個体数が減っているのだろう。
緑が何よりの証拠だ。

2011年10月19日水曜日

飲み会の帰り!どうぞ

二時間の飲み放題であった。
胃腸が不快だったのだが、胃腸をアルコール消毒した。
結果、胃のムカつきは消え失せた。
が、まだ分からないのだ。
電車の中は会社帰りの人たちばかり。
ぼくの前に立っている若いサラリーマンがいる。
ゴメン!

飲み会

家を4時半に出る。
これから相模大野の駅前の飲み屋で、友人との飲み会だ。
こんな時間に何も持たないで出かけることはない事だ。
帰宅途中のサラリーマンや学生がいるのでなんとなく恥ずかしい感じがする。
ホームの前に並んでいたので、電車のドアが空いた時も、座ろという気持ちはまったくない。
お勤めご苦労様!どうぞ座って!
という気持ちだ。