アメリカセンダングサやススキが秋の気配、向こう側は横浜市。


あんなに嫌に思った蒸し暑さがなくなったのだから、喜びに満ち溢れた気持ちになってくると思うのだが、そうではない。
夏の暑さが恋しくさえ思うのは何故なのだろう。
冬から春になった喜び、春が近づいてくるウキウキした気持ちになるのは解る。
が、秋の寂しさ、人恋しさは何故?
と、アフリカのタンザニアに3年居た時のことを考えた。
雨季に入った時の喜びがある。
半年くらい乾期が続き、木や草ばかりでなく土や岩も乾ききってしまい、川床を掘ると腐ったような水が染み出してくる。それでも飲む。
ジーパンは洗って絞らなくても2時間くらいで乾いてしまう。
ありとあらゆるものが水を欲しがる。
そんな時にしだいに空気が湿ってきて、ダッダァーと雨がくる。
これは、水が欲しいので現実的な喜びである。
しかし、雨季が2、3週間くらい続くともう嫌になり、乾期が待ち遠しくなる。
乾期が来ると、ようやく雨季が終わってくれたかという喜びとまた水を求めて歩かなければならない思いが交差する。
タンザニアに居た時には、気候によって感傷的にはならない。
日本の四季はそれだけ穏やかであるということで、心に余裕を持たせてくれるのかな?