「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2020年2月15日土曜日

伊勢沢林道も台風19号で崩壊 The destruction of the Isezawa forest road based on Typhoon 19.

伊勢沢林道も酷くヤラレテいた。昨日、車を奥野隧道付近の空きスペースに置き、伊勢沢林道を歩いてきた。
水沢橋前の道路の崩落があるため林道ゲート前の広場には駐車できないのだ。
伊勢沢林道に入ってすぐの崩壊は既に知らせてあるので、今回はその次からだ。図1の崩壊地付近、川沿いにあった樹木が殆んどないので、なんだかすっきりした感じ(図2)。夏にはここで遊ぶ家族連れも出てきそうだ。
図1. 崩壊地
図2.登ってきた方を見る
この崩壊地の林道山側に「年災 令和元年 台風19号暴風雨災害」と書かれた杭がある。「年災」って何だ?その年の大きなの災害と云う事か?小学館の日本国語大辞典で調べたが載ってない。行政用語なのかな?
図3. 台風19号による災害と記録
ここから100mくらい土砂崩れや倒木などで林道が覆われている。小さな沢も大雨が長時間降ったため林道山側の急斜面を崩した。水の流れは恐ろしい!
図4. 崩れ
図5. オー土砂崩れだ!
図6. 倒木だ!
とても神奈川県は昨年の台風19号の災害に対して、今はまだどこで土砂崩れや崩落などの災害が起こった場所なのかを明らかにして、その場所にテープを張ったり、看板を出す事だけでも大変だろう。
図7. スギの木も沢を跨いで倒れている
スギの木が倒れているところから5分くらい歩いて、おー、テン糞だ!これ以降、テン糞をたくさん見つける。この辺りは沢沿いは二次林に覆われているので、テンのエサが多いんだ!帰路、この場所でオスジカの滑落死骸を見つけることになる。この時はテン糞を見つけた嬉しさ?のため周りを見ていなかった。このテン糞にシカ毛や骨片が含まれているかな?
図8. テン糞1

2020年2月14日金曜日

オスジカの死骸  The corpse of male sika deer

今日、伊勢沢林道を歩いて焼小屋沢まで行って、ちょっと沢に入って沢の左岸尾根に登ってきた。帰路、林道でシカの滑落した死体があった。もう、大半が食べられている。
暖冬で、積雪が少なかったので、地上に生えている採食植物は大抵食べただろう。このオスジカは栄養不足か否か調べてくれば良かった。大腿骨を石で叩いて折って、白黄色の骨髄の量を調べると判る。栄養不足なら骨髄量が少なく、スカスカになっている場合もある。こうなると餓死だ!来週、また行くか!
しかし、以前なら、このような死骸があれば即、頭を首から離してザックに容れたものだが、今はもうシカやカモシカ、イノシシ、タヌキ、アナグマは死骸を写真に撮るだけだ。鼻にギンバエがたくさん集っている。
        


2020年2月13日木曜日

河津桜が満開に! The Kawazu cherry blossoms become to be full bloom!

我家から西に500メートルくらい離れたところに引地川が流れている。3月下旬になると川の両岸の土手はサクラの花で埋まる。その時は乳母車を押す家族連れや、老人夫婦、若いカップルがサクラの花の下を歩く。ベンチに休んで太巻きを食べたり、地面にシートを敷いて酒盛りをしているグループなどもいて賑やかになる。

1月下旬にこの川辺に植えられている河津桜が一輪さいたことをアップした。今日のこの温かさである。もしかしたら、満開になったのでないかと雨がが上がったお昼過ぎに散歩を兼ねて見てきた。
河津桜は多摩大学湘南校舎の裏側の土手に6、7本植えられている。植えられた時は指の太さくらい高さ1メートルくらいものであった。しかし、今ではこうである。
 カワズザクラが咲いても人々は余り関心を抱かない。今回もぼくが写真を撮っていた時間は10分くらいではあったが、散歩者も寄って来なかった。これほど艶やかに咲いているのに少し可哀想でもあるが、ぼくが少しの時間だけでも一人占めしたような気持ちで嬉しくもある。
今夜も貰ったフキノトウの味噌和えと天婦羅を食べて春の薫りを愉しもう。

2020年2月12日水曜日

テンはノウサギやジネズミを食べていた  The marten has eaten a hare and a dsinezumi shrew.

お昼過ぎに、ようやく懸案のテン糞を洗った。どうも、このところ自分を奮い立たせないと庭に出ることもできない感じだ。寒いせいもあるが、これではいけない。
今日は、午前中に金沢文庫に住む友人が彼の家の庭に出たフキノトウとたくさん持って来てくれた。フキノトウを含む苦みのある山菜は大好きだ。感謝しかない。
もらったフキノトウの半分を蕗味噌にするため洗った

さて、先日の山歩きの帰路の奥野林道で拾った、テン糞の内容物について報告する。
図1. テン糞1
多数の灰白色の毛2~5cm、骨片(頭骨の一部、肋骨)
毛と骨片の大きさから(図2)ノウサギかな?
図2.テン糞1から出てきた骨片
①:肋骨 ②下顎骨の筋突起 他は頭骨の一部と思われる
図2. テン糞2
灰白色毛・5mm毛付皮・骨片、トガリネズミ目下顎骨・臼歯、ムカデ尾部、キブシ種子2個、砂泥、
図3. テン糞2の内容物の一部
左の二つの大きな骨片はノウサギの骨の一部か?
中央と右二つはジネズミの下顎の臼歯と下顎骨の部分

テン糞1とテン糞2の距離は直線で200mも離れていないので同一個体だろう。テン糞1はノウサギの毛と骨片がでてきたが、テン糞2にもノウサギの骨片と思われるものが出てきた。さらにテン糞2からはジネズミの臼歯と下顎骨やムカデやキブシの実を食べた物が出てきた。
図3. 歩いたルートをテン糞①、②の位置

2020年2月11日火曜日

キツネの糞内容物を調べる Assay the content of fox'scats

今回は久しぶりにキツネ糞を拾ったので内容物に何が出てくるか楽しみだった。が、糞そのものがシカ毛(ノウサギではなく固く、黒、茶、白の長く固い毛)の塊りのような状態であり、毛玉をピンセットでほぐして調べた。
水洗いした物を鉢受けに空けて机の上に置き、ピンセットで毛を選り分けながらだった。ネズミのような小哺乳類なら毛も短いのですぐ毛が解れるが、5,6センチも長い毛は解れづらいので面倒だ。さらに、キツネ糞はキツネの独特の臭さがあり、長く机の上で顔を近づけて調べるのが苦痛だった。
キツネ糞を楽しみにしていたのは、齧歯類やモグラの仲間のような小哺乳類を食べていることを期待したからである。
図1. キツネ糞1
10円玉の右の糞塊:シカ毛、毛皮(5mmx2cm)、不明動物質(皮か?1cmx2cm)、4cmムカデ2匹、土砂
10円玉の上の糞塊:シカ毛、5cm線虫、節足動物外皮・肢、土砂
図2. キツネ糞2
10円玉の右上の大きな糞塊:シカ毛、土砂
10円玉の下の小さな糞塊:シカ毛5本、昆虫外骨格・肢・触覚・内翅、土砂

キツネ糞①と②は尾根上の距離では1.5キロあまり離れている(図3)。Animal Diversity Web(ADW)によると、アカギツネの行動域は質の良い生息地で5~12平方キロで、そうでない所では20~50平方キロとあるから、恐らく同じ個体だろう。この個体はシカの死骸を食べ、さらにタヌキやテン、アナグマのように腐葉層にいる土壌動物を漁っている。キツネは腐葉層にいる節足動物など見向きもしないで、もっぱらネズミやウサギや鳥などの脊椎動物を狩って食べていると思っていたが、そうでもないんだ!死んだシカを食べ、腐葉層にいる節足動物も漁っている。まー、厳冬期だもの仕方がないとも云える。シカの死骸は倉沢(焼山沢)の上流部にでも転がっているのかな?
ADWによると、アカギツネは脊椎動物やその死骸ばかりでなく、昆虫、昆虫以外の節足動物や果実などを食べる雑食だ。ぼくは勘違いしていた。なーんだ、これだとテンやタヌキと代わりない。
図3. 歩いたルートとキツネ糞の位置(①、②)
新型コロナウィルスによる死者が中国では1000人を超えた。この感染症は重症になると肺炎の症状になるようだ。肺炎の症状で死んだ人たちは息を吸う事がどんなに苦しかっただろうっと思ってしまう。ぼくは20代前半の時急性肺炎に2度なっているので、息を吸うときの胸の痛さ、苦しさを経験しているので、今、この新型コロナウィルスによる感染症に罹ると死と直結するかな!っと思っている。

2020年2月10日月曜日

桃ノ木林道から姫次・焼山登山道、奥野林道へ3) from the Momonoki forest road

14時33分に、大平分岐に着いたら、またもや通行止めの案内が付けられている。が、土砂崩れは奥野林道だ。ここまで来てもう戻ることはできない。兎も角、奥野林道の土砂崩れの現場に行き、その現場を見て対応策を考えれば良いのだ。
図1. 14:33大平分岐の奥野林道通行不能の案内
大平へ向かう。先行者の足跡がある。単独行の足跡だ。降雪後にこの道を下りたのだ。当然、奥野林道の土砂崩れの場所も通過している。土砂が崩れて林道を覆っているなら、人が通るのは問題外だ!問題なのは林道ごと崩壊していることだ。これだと、周り込むのに大変だ!
いろいろな思いつく林道の土砂崩れ現場を考える。
寒い。上に一つヤッケを羽織ろうと思うが少しでも暗くなる前に奥野林道に行かなければと思う。雪上の斜面を登山靴で滑るように下る。大平1.1キロの標識の所にくる(図2)。ここから尾根を巻いて黍殻避難小屋の直下まで行ける巻道が14,5年前にはあったが、幾つも沢を渡るので崩壊していてダメだろう。この標識では大平・分岐間が2キロだ。分岐の標識では2.3kmだった。
図2. 15:01大平1.1キロ 大平分岐0.9キロの標識
 山仕事の人たちが使うモノレールと道が交差する道標のところにくる(図3,4)。図2の道標のところよりも大平が100m遠くなっている。
図3. 15:11モノレールの下を潜る
 図4. モノレールを潜るとことにある道標
杉の植林地内の嫌な下りの道、嫌な階段の道、下草の殆んどはシカたちが食べない今は枯れているテンニンソウに覆われている。台風19号の時の崩壊か、沢を渡る道がところどころ崩壊している。やはりシカが食べないミツマタが出始めたので、大平が近い事をしる。左方の眼下に大平が見え始める。もう、着いたも同然だ!
図5.16:00大平に着いた!
結局、残雪があったところは900m以上のところだ。一度もアイゼンを使おうとは思わなかった。多分早朝ならアイゼンは必要だろう。
コンクリートのなだらかな坂を下って、奥野林道を進むと井戸沢が崩壊して岩が道に転がっている(図6)。あの水を噴出しているいる塩ビ管は健在だった(図7)。
図6. 井戸沢の崩落
図7. 16:11山側斜面の石垣の下の塩ビ管から水が噴き出ている
まもなく、目の前に林道を土砂が覆っている場に出た(図8)。何の事はない、あの上を歩けば良いのだ。登ると、ちゃんとトラロープが張られている(図9)。上を見上げると、派手に斜面が崩れたことがわかる(図10)。工事の人たちが来て、このような作業をしてくれているんだ!感謝!車の新しい轍の跡がある。ん?するとここが大平分岐の道標に下がっていた交通不能箇所なのか?作業予定の札も立っている(図12)。ここが林道の土砂崩れ現場だ!何だか力が抜けた。
おっと、テン糞だ(図11)!テンもこの土砂崩れを前にして立ち止まったかな?
図8. 16:20オー!土砂崩れだ!
 図9. 16:23トラロープが張られている
図10. 崩壊斜面
図11. 16:25テン糞
図12.16:27工事は3月31日までの看板
図13. 16:35またもテン糞だ!
16時25分にテン糞を拾ってからは、遠くの山並みの稜線付近が沈む夕日に照らされて金色に輝いている。歩く正面には白い月が浮かぶ。あー、膝が痛い。疲れた早く車に着きたい。馬ノ背を過ぎ、松茸山登山口まではまだ林道がはっきり見えた。が、林道ゲートを越える頃には、月は橙色となり、月の明かりが車まで導いてくれた。車には18時10分着だった。車のキーをスマホのライトでザックのポケット内を探す。朝7時18分からの約11時間の18.5キロの山歩きだった。早速、携帯で連れ合いに連絡。20時になる前に帰宅できた。ふー、疲れたが、山歩きをすると充実した気分になる。
今回の山歩き1)、2)、3)の主な写真の位置を図14に示す。
図14. 桃ノ木林道から奥野林道のルート
②から⑬は3)でアップした図の位置

2020年2月9日日曜日

桃ノ木林道から姫次・焼山登山道、大平分岐、奥野林道2) from the Momonoki forest road

旧登山道に着いたところに在った朽ちた休み台(図1)には座りもしなかった。それは、ここは丁度鞍部となっていて風の通り場になっていて、寒風が耳に痛い。
図1.10:41朽ちた休み台
歩き始めて間もなくカモシカ糞が大量にある(図2)。おそらく2、3回この場で糞をしているんだ。カモシカはシカと違って行動域が狭いので、馬やシカあるいはサルのように歩きながら排泄はしないので、このようなタメ糞になることが多い。また、キツネ糞がある(図3)。もちろんゲットだ!柔らかいかな?っと思ったが寒く乾燥しているので、カラカラに乾いている。でも、昨夜のものと睨んだ!
 図2.10:52 おー、大量のカモシカ糞だ!
図3. 11:00おー、またキツネ糞だ!
最初の大きな沢だ!崩壊していて、道が不明だが、そのまま平行に岩場を伝って道にでる。このような崩壊地なら許せる。
図4. 11:24崩壊地
下ると852ピークがある尾根に着く。上を見ても杉の植林だ(図6)。地図を見ると焼山の前で岩場がある。ぼくのような歩みでは登りも下りも水平な箇所もスピードは変わらない。この尾根を登りたくなるが、、、それなら戻ってキツネ糞(図3)があった尾根を登ろうかなとも思う。そうすれば苦労することが無かった。
図5. 11:33 この尾根を下るとピーク852がある
図5. ピーク852がある尾根の旧道の上方の景観
ピーク852を過ぎてから崩壊している急峻な広い沢の脆い岩場を通過しなければならなかった。ピーク852の尾根を登って巻けば良いのだが、このガレ場を選らんだ。登山靴でガレ場を蹴ってステップを作りなが、慎重に慎重に進む。この300メートルの距離を約1時間掛る。それだけ慎重に歩いたのだ。あるところでは四つ足で、あるところでは膝をついて、あるところでは僅かにでている細い木の根を持って。
日陰だけにあった残雪が日当たりの斜面でも融けずに残っている。おー、登山靴の跡だ!積雪後、単独行の人がこのルートを歩いている。この足跡はガレ場でもあったので、この足跡に勇気付けられたのだ。この足跡は旧道をしっかりトレースしている。階段があるとこは階段を行く(図7)。この朽ちた階段を登ると休み台がある安全な場所だ(図8)。
図6.12:27先行者の足跡
図7.階段を登る足跡
図8.12:30焼山0.9Km 平戸5.8Kmの道標
図8の場に来て、ここでカレーパン1個とお湯を沸かしてネギ入りのインスタント味噌汁を食べる。ここで30分もゆっくりする。熱い味噌汁は旨かった。これからはインスタントラーメンではなく、味噌汁かスープも持つことにしよう。インスタントの甘いコーヒーはいつも持っている。ただ、ガス量が少ないせい小さな炎しか出ず、お湯が沸騰するのに時間が掛かった。
日当たりは雪が消えているが、姫次・焼山の登山道に近づくにつれて雪が残っており、しかも10センチくらいズボっと埋まるところもある。沢のピークとなる鞍部に上がるのではなく、少し焼山側を目差して歩いた。
登山道に出たのが13時20分で、もう焼山に行く気持ちがなくなった。平戸から登ってきたときに見る道標がある(図9)。味噌汁を食べたところから30分くらい掛かっている。ここで、紙地図とスマホのGeographicaを見る。大平分岐まで2キロ以上はある。もう、大平分岐まで歩かないと奥野林道には4時前には下りられない。気持ちは焦るが、林道だと星明りでも歩けるので、暗くなる前大平キャンプ場跡まで着ければ良いだろうっと思うと少し余裕が出たが、陽の当たるとこは雪上に乗ると体重で埋まる。歩きづらいが、子供の頃を思い出す。このような腐れ雪の上を歩くのを楽しんだものだ!でも、今はとても楽しめない。雪が固そうな処を選んで歩く。それでも埋まる。
図9. 13:24姫次4.3Km 焼山0.5Kmの標識
道志側の平丸まで下りる道標がでてきた。が、通れないようにロープが張っており、何かプラスチックに覆われた紙がぶら下がっているので、ロープを潜り案内を見る。この先通行止め/台風19号等により大規模な土砂崩れ等が発生し通行不能です。当分の間通行止めとします。/
図10.13:58平丸焼山方面通行禁止
平丸への標識の通行止めを見てからノロノロと歩いていると、話し声が聞こえて、中年女子3名のパーティがやってくる。平丸からですか?っと問われたから、「違います宮ヶ瀬方面からです。尾根を歩いてきました」。どちらへ?問われたから「奥野林道に下ります。車を向こうにおいているので、、。」
50歳前後の女性たちだろう。全員、山歩きは強そうだ!とても一緒に歩ける人たちではないと思う。
きっと、蛭ヶ岳山荘かどこかで焼山方面には下れないということを聞いてきたのだろう。だから、平丸からですか?っと訊いてきたのだ!などと彼女らの事を考えながら歩く。風が冷たいので、再び厚手の手袋に取り換え、帽子を被る。もう、歩くのが嫌になる。寝袋があれば黍殻山避難小屋に泊まって行きたいと思う。しかし、スマホもau携帯もアンテナが立っていない。スマホは昨年暮れの中欧旅行以来すっかり日本でも2880円で6ヶ月使えるフリーsimを使っている。Line電話は掛けられるが、、、。
大平分岐から大平までの急こう配の下りが嫌なので、焼小屋沢左岸の尾根を下るかな?尾根を下っている内に暗くなったら困るなと考えながら歩いていたら、通り過ぎてしまい水場への道標の処だ。平丸への道標から30分掛かっている。昨年5月に、この休み台でお湯を沸かして食事していたら、アナグマがぼくの足元を頭を下げながらぼくを無視して素通りしていったんだ。もう、大平分岐に着いたも同然だ!足腰に力が蘇る。
図11. 14:31水場への道標
何と、大平分岐の道標にも何かぶら下っている(図12)。見ると、この先通行止め/台風19号等により大規模な土砂崩れ等が発生下山した先の林道が通行不能です。当分の間通行止めとします。/
昨年の千葉や長野に災害をもたらした台風19号は丹沢にも爪痕を残したのだ。もう、2時半を過ぎているので、大平に向かうよりない。暗くなる前に土砂崩れの場所に辿り着けば、後は星明りでも林道は歩ける。
図12. 14:33大平分岐
今回歩いたルートを図13に示した。GPS上の距離は18.5キロであった。
図13. 桃ノ木林道から奥野林道と歩いたルート
黒色①から⑪は1)でアップした図の番号、赤色①~⑫は2)でアップした図の番号