「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2015年9月23日水曜日

わー、この匂い!キンモクセイだ!  Oh-, this fragrance! It's Kinmokusei in Japanese!

もう、9月の下旬なので、庭木に吊り下げている。ファレノプシスやパフィオペディラムなどを部屋に取り込もうと庭に出た。すると、良い匂い!素晴らしい香りが庭に流れている。
もちろん、キンモクセイOsmanthus fragrans だ!
今夏に上部の方を剪定して切り詰めたので、花はダメかなと思っていた。
花がついている。まだ、完全に開いてはいないが風雅な香りが漂っている。
 昨日は、連れ合いと二人で道路ぎわのアカバナトキワマンサクの生垣を大幅に切り詰めた。
この生垣は成長が早く、すぐにヤマアラシのように枝が伸びる。
この生垣を剪定するときは、アカバナトキワマンサクの悪口を言うことになる。
それは、伸びが早く、刈った葉が衣服に着き、それがなかなか取れないことと、葉が皮膚につくと痒くなり赤く爛れるのだ。軍手、長袖、帽子、マスクと万全を期した筈なのに、左手の甲と腕が腫れてしまった。すぐに、シャワーを浴びて薬を塗ったため半日で腫れが引いた。
これから、ますます抵抗力がなくなる年齢になる。
アカバナトキワマンサクには悪いが、掘り起こしてしまいたい。
以前の生垣はサザンカだった。これには、あのチャドクガの幼虫が大発生する。
生垣のそばを通る人がカブレルことを恐れたため掘り起こして近くの知人に持って行ってもらった。
今、キンモクセイはどうかな?と思ったが、、、、、。
何が良いだろうか?

2015年9月22日火曜日

ザクロが色付いた!  The fruits of pomegranate has become to be scarlet.

我が家の前のMさん宅のザクロが今年も色付いた。
Mさん宅にはザクロの他にナツメやカキ、ナツミカンなどもあり、季節の実や花を楽しませてもらっている。

このところ、何だか身体全体がだるく重苦しい。駅の階段もエスカレーターに乗りたくなるくらいだ。
雨模様で丹沢に行けないせいかもしれない。
あるいは、今夏は暑かったし、専門学校の高校生向けのチャレンジキャンパスを多く引き受けたせいで疲れているのかもしれない。

ザクロの色付きとともに、身体が元に戻って欲しい。
ウィスキーを飲むのも少しひかえよう!
 トルコやクロアチアの果物屋の店頭にはソフトボールのように大きなものが山盛りになっていた。
生食すると甘く酸っぱ味があって美味しい。向こうでは果実を使った料理やケーキが多いが、ザクロの可食部は大きな種子の周りについており、種子が邪魔だ。取り除いて使うとするととジュースか?

2015年9月21日月曜日

コスズメの幼虫  The larva of hawkmoth(Sphingidae).

 庭に出た連れ合いが、窓をトントンたたく、窓を開けると、大きな茶色の幼虫が這っているようだ。
早速、カメラを持って、庭にでる。
あ!これは確かスズメガの幼虫だ。
が、スズメガ 幼虫でネットで検索してもコヤツが出てこない。
もっと、しっかり見ようとコヤツを捕まえてきて、机の上に置いて撮る。
スズメガの幼虫ではなかった。でも同じような種類だった!
コスズメという蛾の幼虫であることが分かった。
地面を歩いていたのは、自ら食草から落ちて地中で蛹になるための準備のようだ。
コヤツを庭の地面に戻してやる。
このスズメガの仲間は庭のホトトギスが咲く頃に、素早く飛び回り、ホバリングしながら花の蜜を吸っている。


2015年9月20日日曜日

マハレ50周年記念・公開シンポジューム  Public symposium of Mahale 50th anniversary

昨日、東京大学農学部にある弥生講堂で
マハレ50周年記念展・公開シンポジューム 「野生チンパンジー学の50年」が行われた。
西田利貞さんがタンガニーカ湖の中央にデベソのように突き出たマハレ山塊に入って、チンパンジーを追い始めたのが1965年であり、その後今日までマハレでのチンパンジー研究が続けられている。

ぼくはJICAの専門家として1994年から1997年までの3年間、マハレに滞在した。
JICAから与えられた任務は「国立公園の自然保護に係る技術指導」ということであった。
しかし、実際の仕事は、研究対象のM群の北に生息するB群を人付けするというものであった。
当時のぼくのマハレでの活動はホームページの自然・植物・動物→マハレ国立公園http://members2.jcom.home.ne.jp/fumio.fukuda/natureOK.html
や「アフリカの森の動物たち」を見ていただきたい。

ぼくがいた1995年にダルエスサラームでマハレでのチンパンジー研究30周年を記念して
セレンゲティ野生動物研究所(SWRI)とJICA共同主催によって国際シンポジュームが開催された。
その時、ぼくは英語、スワヒリ語ともまったくおぼつかないものであった。
上述の西田さん、川中健二さん、上原重男さん、さらにはJICAの富田浩造さん等の力があったからこそ
30周年のシンポジュームを開くことができた。

今回の50周年記念では、西田さん、川中さん、上原さん、富田さんが故人となっている。マハレでは、何度か前の3人と共に過ごした。また、富田さんもマハレまでたくさんのお土産を持ってぼくの陣中見舞いにやってきた。彼らの事が何度も思い出される日でもあった。

下は司会の保坂和彦さんとマハレからやってきたキトペニーさん。

「チンパンジー学の黎明期」の話しをする伊沢紘生さん
帰路、千代田線の根津駅まで、黎明期に伊沢さんや西田さんとともにブドンゴでチンパンジーを追っていた鈴木晃さんとともに懇親会場から歩いた。鈴木さんは現在もなおオランウータンをカリマンタンで追っているが、5年前に調査地で足を悪くして杖をついている。歳をとるとちょっとしたことでバランスを崩してしまうので、山歩きは気をつけなければならない。
懇親会場での酔いが回っていたせいか、あるいは千代田線の大手町から東京駅まで歩いたことがなかったせいか、
大手町の地下で30分くらい東京駅北口を探して歩き回った。
地下街でパニックになった時の恐ろしさをあらためて知った。

2015年9月16日水曜日

ニホンザルの頭骨   The skull of Japanese macaque.

昨日、専門学校で野生動物保護専攻の学生のIida君からサルの頭骨をもらった。
長野県の大町で見つけたもののようだ。

Fig.1の正面からの写真を見ても犬歯が長くオスだとわかる。
Fig.1 正面から

Fig.2の上面からのものでは、前頭骨から頭頂骨にかけての頭頂部の矢状隆起がわかる。
まだ、左右の隆起が前頭骨の部分で合わさって一つの隆起になっていないので、
成熟した大人オスの一つ手前の若い個体のようだ。
まだ、若いオスなのは前頭骨と頭頂骨や上顎骨、鼻骨などが縫合線がわかり、それぞれの骨が癒合合体していないことでも明らかだ。
 Fig.2 上面から

Fig.3の底面からの写真を見ると、歯は全て(切歯・犬歯・前臼歯・臼歯=2・1・2・3)萌出しているが、
まったくと言って良いほど歯は摩耗していない。

歯の萌出と、摩耗状態、Fig.4やFig.5からの犬歯の長さ、さらには骨の縫合状態から判断して、
このオスは9歳前後であると推定したがどうだろうか?
Fig.3 底面から

 Fig.4 右側面から

 Fig.5 左側面から

Fig.6 後面から

このオス、オスとしての最盛期の一歩手前で死んだようだが、死んだ原因は何だったのだろうか?
青年期から壮年期に移り変わる頃なので、生まれた群れから離脱して、山野を駆け巡り、メスがいるいくつかの群れに辿り着いたが、どの群れにも入れずにソリタリー(ハナレザル)として
暮らしていた個体で、雪崩に巻き込まれたとかの何らかの事故に遭ったのだろう。
Fig.3やFig.4から分かるように右の頬骨弓が欠損している。この欠損が死後のものかどうか綺麗に洗ってみなければ分からないが、これが事故に遭った時に怪我したものだと、即死するわけはないが、
致命傷となったことは間違いない。
群れに加わったこの年齢のサルなら、死ぬ原因が考えられない。

さぁー、今日はこれから昨日の試験の採点だ。

2015年9月14日月曜日

ヒガンバナとおはぎ   Licoris radiata and rice cake dumpling, Ohagi in Japanese.

昨年暮れにお隣の奥さんがシロバナヒガンバナの球根を我が家との境近くに植えた。
2、3日前からそれらが咲きだした。
釧路生まれのぼくは、ヒガンバナ(マンジュシャゲ)は小学校の国語だったか社会の教科書に田園の稲穂をバックにした畦道や土手などに咲いている絵で知っていた。
お彼岸の頃に咲く、真紅の花ということで頭に入っていた。
上京して横浜に住むようになって、初めて金沢八景駅から学校まで行く間の狭い道に沿った丘に
茅葺きの家があり、そこの土手に真紅のマンジュシャゲが数本の咲いているのをみて感激した。
その日は、おはぎを買って食べたことを覚えている。確か4個食べた筈だ。
ぼくにとっては赤い色のヒガンバナとお彼岸、おはぎは一緒のものであった。

今日は、連れ合いが葬儀に出かける予定であり、ヒガンバナと何だか結びついている。
そうだ、おはぎを買ってきて夕食時に食べよう。
タンザニアのタンガニーカ湖のマハレ山塊国立公園で、乾季が終わって雨季が始まる頃、
ミオンボ林(半乾燥疎開林)では植物たちは空気中の湿気を感じて、
乾いた林床からたくさんの花々を咲かす、その中に巨大なヒガンバナがあった。
その時季が、ちょうど今頃だ!

2015年9月13日日曜日

「神奈川県の山麓の哺乳類の生活」  ”The mammals life in the submontane in Kanagawa pref.

昨日、伊勢原市七沢にある神奈川県自然環境保全センターで、第3回自然公園指導員研修会があり、そこで講師として「神奈川県の山麓の哺乳類の生活」―フィールドサインや頭骨から動物たちを知る―ということで話しをさせてもらった。
13時半から15時半までの予定であったが、13時には会場には80名の自然公園指導員のボランティアの人たちやパークレンジャーの人たちが集まった。
そのため、先ず、哺乳類の頭骨を分かってもらおうと13時から持って行った頭骨を見せながら話しをした。が、すぐ13時半になったので、PowerPointを使ったスライドを見てもらいながら話しをした。
言いたい事や見てもらいたいスライドなどがたくさんあり、用意していったスライドの3分の2くらいで終わらざるを得なかった。
ヌタバは斜面の少し平らになった場所になるのはどうしてか?穴を掘ってウンチをする動物はだれか?など山野を巡視していていつも疑問に持っていることがらの質問があった。

最後に、哺乳類は中生代の三畳紀に誕生したが、その時代は恐竜たちが闊歩しており、哺乳類は恐竜たちに食べられないように日中は隠れて、恐竜たちが寝静まる夜に活動するようになった。そのため、もともとは魚や鳥や恐竜などの他の脊椎動物のように哺乳類は視覚が優れていたのだが、2億年もの間、暗闇で活動するうちに視覚が衰えてしまった。視覚に優れた他の脊椎動物は赤、黄、青、緑などの華やかな体表や羽毛を持っているものがいるが、サル以外の哺乳類の毛色は白、茶、褐色、黒だ。サルは恐竜絶滅とともに誕生して、樹上に進出したため、6千万年かけて次第に色覚を取り戻していった。しかし、他の哺乳類は新生代にはいっても夜行性の生活をおくり、色覚を取り戻せないでいるし、さらにサルのように眼窩が正面についてなくて左右にあるので、両眼視による立体視が困難なままである。

食肉目の動物たちが主に果実を食べるのは、目が悪いので、動き回る物を捕まえることができない。だから動かない果実を食べるようになっただのだ。と話しをした。

終了後、センターの保護室にノウサギの子供が保護されているから見ませんかということで、子ウサギを見せてもらった。可愛そうにこの子はミルクを受け付けないようだ。ミルクを飲むようになって欲しい。
16時にセンターを出て、17時55分に自宅に着き、そのままの恰好で、18時11分の快速に乗り、相模大野に行く。神奈川県のパークレンジャーのMatsushima君とその代の卒業生3人と居酒屋で飲む。
3時間あまり話した後なので、疲れているせいかすぐ酔いが回った。
なんと、彼らがぼくの飲み代を払ってくれたのだ。何だか、不思議な気持ちで帰宅した。

2015年9月8日火曜日

小動物の同定   The identification of small mammal like mouse.

那須塩原の知人から、物置に出入りする小動物の写真が送られてきた。
粘着式ネズミ捕りにかかったようだ。
知人は、スチール製の物置の床にネズミの糞が落ちているし、独特の臭いがするというのだ。
子供がネズミが逃げるを見たので、ハツカネズミかもしれないということでシャーマントラップをかけた。
が、シャーマントラップには入らないで、粘着式ネズミ捕りにかかったのは、下写真のネズミ?だ!

コヤツは鼻面が尖っているので、もう、これは齧歯目ではなくトガリネズミ目だ!
尾長が頭胴長の3分の2くらいの長さであり、灰色の毛があり耳介は大きく、目がある。
毛色が真っ黒で耳介や目も無いならモグラ科のヒメヒミズかヒミズになるが、
これは、トガリネズミ科のトガリネズミ属かジネズミ属の動物になる。
毛色が赤褐色ならトガリネズミだが、灰褐色なのでジネズミだろう。しかし、まだ断定できない。
口を開けて歯を見ることできるなら、歯の先端が赤褐色に染まっているならトガリネズミだが、白いならジネズミだ。那須塩原にはアズミトガリネズミとジネズミが生息しているようなので、
この気の毒な個体をただ捨ててしまうなら欲しい。
 顔を撮ったのも送ってくれた。
昨日、お昼前に上の写真の個体が宅急便で送られてきた。
段ボールの箱には3重にもジプロックのビニール袋で包まれている。
最後の袋を開けるとホルマリンが鼻や目を刺激する。しっかり、ホルマリンに浸けてあるようだ。
腐敗防止と臭い消しにホルマリンをスポイトで落とす程度でも良かったのだ。
ホルマリンに浸かっているのに粘着トラップのネバネバが強烈だ。

先ず、歯を見る。歯先は赤褐色に染まっていない。
やはりジネズミで間違いない。

この個体を取り出すのに、ビニール袋から剥がし取ることになった。
そのため、まだらに毛が剥げ、皮膚が剥き出しになり、尾もちぎれそうになった。
送ってくれた知人も粘着トラップから剥がすのに相当苦労したことだろう。

しっかり、頭胴長や全長、足長を測定したいが、連れ合いが隣の居間にいるので、
ホルマリンの臭いが漏れるので、机の上で広げられない。雨のため窓も開けられない。
仕方がないので、この子をプラスチックの箱に入れて雨のかからないベランダに置いた。
雨が上がったら、せめて、剥皮だけでもして水に浸けて腐らせたい。

2015年9月7日月曜日

今、丹沢の動物たちが食べている物!  The foods that carnivora in the Tanzawa area eat, now.

9月4日の丹沢実習の下記のルートで、見つけ採集した糞は、アナグマ糞①、テン糞②、タヌキ糞③
であった。
アナグマ糞①は祠の峠の登山道から鍋嵐方面の尾根に下った鞍部で、他にタヌキの溜め糞もあったが、タヌキ糞はほとんどすべてが糞虫によって地中に運び込まれていた。
テン糞②はルートの稜線上にあり、4日の朝のものと思われた。
タヌキ糞③は鍋嵐山頂にあり、新しい糞粒がいくつも重なってあったので、学生たちにも採集させて、内容物を調べてレポートにするように命じた。そのため、今回はこのタヌキ糞の内容物だけに関してはこの場では明らかにしないで、後日、書き加えることにする。
Fig.1 歩いたルートと糞の位置(GPSの軌跡より)

10:52、アナグマ糞
土壌動物(ミミズ、節足動物)外骨格、脚、腐葉砕片、砂泥が大半
11:11、テン糞
サルナシ種子7個、ヤマボウシ種子2個
 12:23、タヌキ糞
内容物は後日明らかにする。


2015年9月6日日曜日

土山峠・辺室山・鍋嵐・煤ケ谷の丹沢実習

 本厚木駅北口7時40分発の宮ケ瀬行きのバスに乗り、8時半ちょっと前に土山峠で降りる。
辺室山への登山道を登ってすぐたくさんコナラのドングリ付き小枝が落ちている。ドングリにはみな針で刺したような小さな穴が残っている。チョッキリの仲間が落としたんだ!Matsushima君に「このチョッキリは何ていうヤツ?」と尋ねる。「ハイイロチョッキリ!」と言う答えがすぐ戻ってくる。
もう、この2、30メートルの最初の登りで汗が噴き出る。学生たちに「水分補給をこまめに、少しづつするように!」と叫ぶ。 
 下草がマツカゼソウの群落になっている。シカが採食しないので生育しているのだ。
ここでは、ミヤマシキミがシカかカモシカに食べられて盆栽のようになっている。
夏なのに、下草が生えていない。シカが食べてしまうこらだ。こんな光景は気味が悪い。
9時56分、タマゴタケを写真に撮ったり、採ったりしながら、辺室山に着く。ここで最初の休憩をとる。
10時28分、右の登山靴の中に木の枝が入ったようなので、取り除くために学生たちに先に行ってもらう。
が、学生たちが待っていてくれた。それは下のキノコがあったからだ。今、名前を思い出した。マツオウジだ!
この時は、イヌガヤの枯れ木から生えているし、大きなキノコなので名前の知っているキノコだったが、名前が出てこない。皆の前で食べる。マツヤニの味がして少し苦い。このマツヤニの味が好きになれないので、ゲットはしてこなかった。
10時44分、祠の峠で10分休憩をとる。いよいよここから登山道を外れて鍋嵐に向かう。
11時17分、熊の爪を過ぎたあたりで、I君がナナフシを見つける。ナナフシの左下のキノコはサルノコシカケ科のものだ。
11時35分、鍋嵐の手前の鞍部のところで学生たちに先に行かす。ナベアラシと書かれた札がある所でお昼にしていろ!と言う。ぼくは、一歩一歩登る。学生たちはみるみる姿が見えなくなる。
11時50分、休み休み一歩一歩登っても15分だ。学生たちはすでにお昼を食べている。
12時33分、ナベアラシと書かれた木の札が地面に落ちてしまっているので、それをしばり付けて集合写真だ!写真を撮って出発!ここから一気に物見峠まで行く。
13時35分、物見峠着。ここで、休憩をとりながら、①唐沢林道を下って上煤ケ谷のバス停に行くか、②登山道を下って煤ケ谷に出るか、③三峰方面に登山道を歩いて不動沢と鳥屋待沢の間の尾根を下って谷太郎林道に出て煤ケ谷に出るかの3通り内で②を選ぶ。学生たちはそれぞれのスタイルでパチリだ。
14時5分、「あ!カモシカ!」という声で、皆、立ち止まる。誰が最初に見つけたのか?カモシカは沢側の斜面にこちらを見てたたずんでいる。可愛い、可愛いとモデルを前にして写真撮影となる。
どうも、ぼくの場所が一番良くなかったようだ。立ち木が邪魔してオートではピンが合わせられない。
ここで、腰を下ろしてカメラを安定させて拡大して撮る。ピンがあったようだ。この腰を下ろそうとした時に、右腿があわや攣りそうになる。今回はバスの中でアミノバイタルを一袋飲み、お昼の時にももう一袋飲んだのだ。え!何故?という思いだった。物見峠から煤ケ谷までの登山道では、今まで一度も動物にはあったことがなかった。
この後は、登山道は崩壊箇所が多く、慎重にトラバースしなければならなかったが、休憩するとヒルの襲来を受けるので、小走り状態で下る。Shi君は膝が痛いようなのでストックを貸す。彼はストックが気に入ったようだ。しかも、今ぼくが使っているストックはネット通販で買った3000円ちょっとで軽く短い優れものだ。
15時20分に煤ケ谷のバス停に着いたので、バスは16時4分なので、清川村役場前まで歩く。村の売店で新生姜とモロヘイヤいずれも100円を買い、アイスも買ったが甘すぎた。