「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2013年10月29日火曜日

今年はユズの実が少ない This year has less fruits of the citron in my small garden.

春先に込み入った枝を間引いたせいか今年はユズの実生りが非常にすくない。
枝を間引いたから大きな実になってもよそそうなのに、そうではない。
山は幸多い年のようなのに、、、。
今年は暑い夏だったからユズはたくさん実をつけてくれると思っていた。
ユズの小さな木が一本あるおかげで、我が家の食卓が少しうるおうばかりでなく、
近所や釧路の兄妹に実を配ることで話しが広がる。
 
今年に入ってから家庭菜園をやりたい気持ちが強くなっている。
友人や知人が菜園をやっていて、ナスやトマト、キュウリを頂いた。
さらには、ジャガイモ、ネギやダイコン、スイカまで、、、。
物をもらうと嬉しいとともに負い目を感じるのはどうしてなのか?
何かでお返ししなければと考えてしまう。
 
昨年から年金をもらうようになった。思わぬ臨時収入で嬉しい。
きっと、国はそれまであげていたお金に負い目を感じて
2ヶ月に一度づつ返してくれているのかな?
ありがたいものだ!

2013年10月28日月曜日

柿、カキの味  The flavor of Kaki

昨日、近くのYabeさんから柿の実をもらった。
3種類の実が混じっているようだ。
大きいのと中ぐらいのとを先ほど食べてみた。
二つとも甘い!
柿の実と云えば、樽柿といって大きな樽にまるで漬物のように重ねられていたものがあった。
当然、柿の実は柔らかく。ベトベト状態だった。
釧路では、そんな柿の実が12月になると果物屋の店頭に並んだ。
親父は柔らかい柿を縁側に置いてそのまま凍らして食べていた。
シャーベット状に凍った柿を包丁で切って食べる。
これが、また病みつきになりそうなほど美味い。
 
カキは釧路地方では生育しないが、小中学校で使う教科書に載る秋の日本の風景として
頭の中に刻み込まれている。
柿や稲刈りや茶摘みや梅雨や台風、さらには梅や桜も日本の風景として当たり前ものが、
北海道生まれにとっては他の地・内地の景色であった。
 
高2の秋に修学旅行で、奈良に行った。道沿いにあるカキの木に実がなっていた。
ぼくはもぎ取ってポケットに容れた。バスに戻った時、齧ったが、すぐ手に吐き出した。
歯茎が不思議なエグイ感覚に襲われた。初めて渋柿なるものを知った。
 
現在、ぼくは子供の頃憧れた日本の風景があったところに住んでいる。
しかし、心の中の秋の風景はほんの少ししか残っていない。

2013年10月27日日曜日

シカの寛骨 The Innominate bones of Sika deer

今日は、久しぶりの良い天気だ。
ここは台風らしき強風も豪雨もなかったが、台風が過ぎ去ったことによる快晴だ。
庭に橙色の実が日の光を浴びて光っている。
ドイツスズランの果実である。
昨日から、何故か寛骨Os cpxaeを眺めまわしている。
これは、丹沢で拾ったシカの寛骨だ。
寛骨は腸骨と恥骨、坐骨の三つの骨が大腿骨と股関節と云われる部分で接する。
恐竜や爬虫類はこの恥骨・坐骨・腸骨が一生バラバラであるが、
哺乳類では幼児期には三つの骨だが、
成長とともにしだいに大腿骨が接する部分で縫合合体し一つの骨の寛骨になる。 
哺乳類の頭骨以外の骨で、もっとも雌雄差が出てくるのがこの寛骨であり、
寛骨のさまざまな部位でオスとメスの違いを見ることができるようだ。
しかし、ぼくのコレクションでそれらの差異を見ているが、他の動物に齧られて欠けているものや
拾った時から性別不明なものが多く、今一つ性別を判断できない。
タヌキやアナグマの性別を寛骨で同定できるようになりたいし、
寛骨で動物種が判るようになりたい。
それには、頭骨ばかりでなく他の骨も一緒に拾わなければダメだ。

2013年10月25日金曜日

江戸川動物園

金曜日は丹沢実習の日、しかし、このところ丹沢に行けない日が続いている。
 
そんな日は動物園で観察の仕方だ。学生たちが観察したいあるいは知りたい動物を決めてもらう。個体識別をしてもらった。
 
ジェフロクモザル、ワラビ、フンボルトペンギン、レッサーパンダをやりはじめた。
しかし、このプレーリドッグをする学生がいない。

2013年10月23日水曜日

ビフトンさん帰国 Burton san goes back his home country,Belgium.

ん?外は真っ暗だ。何時?18時だ。
飛び起きる。
14時頃、慶応から戻り、手を洗い、ウガイをしてバタンキューと寝た。
 
昨夜皆が帰ってから、ビフトンさんが明日の飛行機の出発時刻は11時だが、
登場時刻の8時には成田空港に行きたいと言い出した。
寝たのが真夜中を過ぎていた。
起きたのが、4時、コーヒーとトーストで朝食とし、5時6分発の始発の電車に乗っていった。
連れ合いが成田まで送り、昨夜泊まったK.W氏も一緒に帰っていった。 
慶応の2時限目の授業は10時45分からだ。
寝過ごすことを恐れて起きていることにした。
授業も何となくふわふわした感じであった。
帰宅したら、すでに連れ合いは寝ていた。
 
ビフトンさんはまだ飛行機の中だ。
ぼくらも彼と一緒に旅行している気分になっていた。

2013年10月22日火曜日

今日は、かっての若者たちがやってくる。 It's the day that tha past young people is coming.

今日は、Burtonさんの来日を記念して、奥湯河原でサルを追いかけていたものたちが我が家にやってくる。ぼく以外は皆35、6年ぶりに顔を合わすことになる。
さらに、お互いに顔を合わすのは30年ぶりだろう。
 
下は、1976年1月の広河原の大堰堤の回りに現れたT群のサルたち。
当時は、この堰堤の上をぼくたちは走りまわれた。
が、今は、この写真を撮った場所からサルたちがいる堰堤の上まで降りるのも足がすくむ。
木々が成長してこの写真を撮った場所を木の枝が覆いかぶさっている。
1メートルも段差があると飛び降りられなくなった。飛び降りると膝や腰の骨が砕けるのではないかと心配してしまう。普段山を歩いているぼくでさえそうなのだ。
 
皆、60歳以上だ。30年前のように吞むことはできないし、食べることもできない。
昨日は、釧路の和商市場から季節の魚を送ってもらったので、イカは刺身や塩辛にしたし、
ハタハタは煮魚にした。ホタテは解凍して刺身だ。秋鮭は切り身にしてバター焼きにしてだそう。
今日は、2、3、4時限目の葛西の専門学校の授業があるので、帰宅は6時過ぎになる。
歓迎パーティは4時からなので、戻ったら皆がわいわい盛り上がっているだろう。


2013年10月21日月曜日

奥湯河原の植物 The Plants of Okuyugawara.

ノササゲだ。ヤマボウシさんに教わった植物はいくつあるが、これもその一つ。
この鮮やかな青紫色が豆の鞘としては何とも不思議な色であう。
豆そのものは黒紫色だ。
この豆2個をもらってきた。我が家に植えてみたい。
ヒヨドリジョウゴ の赤い実だ。
クサボタンの花が終わった後
 ダイコンソウだ。
 この花は何だろう?
黒褐色の種子は粘っこく車のボディにまでついた。
 キノコがないか探したのだが、これしか目にできなかった。
Burtonさんが来て早くも5日目だ。明後日にはもう帰国することになる。
こちらも疲れたが彼はさらに疲れているだろう。明日は、昔のサル仲間がやってくる日だ。
皆、30数歳老けてしまったが、会えばすぐ分かるだろう。楽しみだ!
植物は何年たっても、あるいは異なった国や地域でも変わらない花を咲かせる。
馴染みの植物に見知らぬ土地で出会うと、その植物が愛おしくなり、声をかけてしまう。
お前、こんなところにもいるのか!

2013年10月20日日曜日

思い出の奥湯河原 Okuyugawara of Memories

昨日の続き、奥湯河原で:
T.Kishidaさんの車は外車のようだ。広河原から藤木川に沿った山道に入ったが、
車底が擦るし、左右の木の枝や伸びた草がフロントガラスにぶつかりそうになるので、
車から降りて歩く。Burtonさんにとっての思い出の道を歩く。
彼は、その変わりように立ち止っては感嘆の声をあげる。
ホトトギスがちょうど見ごろであった。 
このヤクシソウは大きいので、別物かと思うほどだ。 
 神社に辿り着き、変わってない様子にBurtonさんは安堵したようだ。
ぼくの釧路の故郷の風景はずいぶん変わってしまった。
ぼくが出た小学校はなくなるし、中学は以前のとことにあるものの様子が違う。高校は以前の場所から移転してしまった。
いつまでも変わらないで欲しい物。それは、思い出の故郷の景色であり、何よりも小・中・高の建物や場所は変わらないで欲しい。残っていると恐らく一つ一つ昨日のように思い起こせることが失われてしまう。
懐かしい、神社を見て嬉しそうなBurtonさんだ。
彼は73歳になるので、もうこれが最後の来日だ。
欧州各地には、古い建物がしっかり残されている。
日本は地震・津波・台風による災害が多い国であるが、
もう少し、時を経ても同じ所に同じ建物が欲しいものだ。
神社前の休み台でカップラーメンを食べ、オニギリを食べ、お菓子やブドウを食べ、
男3人はビールを飲む。大満足だ。
神社のいつもの場所で記念撮影だ。
白雲の滝にも脚を向けてみたかったが、3月下旬に心臓に2本のバイバス手術をしたBurtonさんを考えて、取りやめた。もちろん、彼は大丈夫と強がった。 
奥湯河原は山菜が多い。これはモミジガサの花が終わったものだ。
葉を摘んで食べてみたがゴワゴワしていた。 
ゲンノショウコが咲いていた。
これはヨーロッパでも煎じて飲むようだ。
ぼくの子供の頃は、オオバコやゲンノショウコを根から抜いて採ったものを買ってくれたので、
お金が落ちているように思ったものだ。
M.Kishidaさんの運転なので、男たち3人は後の座席に移動して、そこでチビチビ飲む。
温泉に入り、出たあとは車の中でうとうと状態であった。
今朝は、上智大の教会で行われあるミサに出席するために出かけた。
雨が降っているし、行っても知人の神父さんたちが亡くなっているので止めようという気分になっていたが、元気を出して行くことを決める。
っと間もなく電話だ。誰から?ぼくが電話をとる。一昨日、我が家にBurtonさんを訪ねてきた統計学のS.Takakuraさんだった。10時から始まるミサに出るので、Burtonさんと教会で会いましょうと云うのだ。もちろん、今度はウキウキして出かけていった。
尚、Burtonさんは日本の文部省の国費留学生と来日した時から、カソリックの神父であり、動物行動の研究者であった。
ぼくらがイメージする神父像とは異なる。

2013年10月19日土曜日

天昭山野猿公園餌場跡

今日は、Kishidaさんの車で奥湯河原へ、
Burtonさんにとって、懐かしの餌場跡は木が生い茂り、寂しい感じのようだ。
天昭山神社まで登り、そこでお昼にする。
以前は、ミカン狩りの人たちが椿ラインから、白雲の滝を経由して降りてきたハイキングコースもすっかり荒れ果てている。
ぼくは年に2度くらいは来ているのでその移り変わりを知っているが、
30年振りにきたBurtonさんにとっては、寂しく感じたようだ。
帰りは、「いずみの湯」で温泉に浸かって1時間くらいのんびりする。
帰宅したのが4時半、すぐ電車に乗って、江の島へ向かう。
江の島の花火大会だ。
目の前で見る花火は素晴らしい。
 
 

長い一日だった。

昨日は、朝、6時半に家を出て、葛西にある専門学校に行った。
この日は、授業として近くの江戸川動物園で、動物の観察データーのとり方の実習をおこなった。先ずは個体識別だ。ペンギン、ケナガクモザル、ジェフレクモザル、レッサーパンダ、ワラビ、プレーリードックなど、自分たちがこれから観察したい動物の識別をしてもらった。
下のオオアリクイは誰も見ようとはしなかった。
 ケナガクモザルはたくさんいるが、個体が識別されたボードがあった。
帰路、横浜駅近くのヨドバシカメラにより、Burtonさんが持ってきたiPhone、デジカメ、髭剃りなどの電気器具が使えるように変換アダプター160円を買う。ポイントカードを今夏のクロアチア旅行で紛失していたので、再発行してもらう。なんと、残っていたポイントがそのまま使えるのだ。
そのまま、西口駅前の交番の前で、Akabori氏を待つ、が現れない。
携帯にAkabori氏から連絡が入る。相鉄駅近くの交番の前だった。
無事、出会う。彼は脳梗塞で4年前に倒れ、麻痺が残っているとメールで知らせれてくれていたが、話し方も表情も、歩き方も全く以前と変わらず。リハビリで元に戻ったのであろう。
あれなら丹沢の山くらいなら歩けるだろう。
彼から、リンゴ、菓子、株主優待券などさまざまな物をもらう。
帰宅すると、BurtonさんがサルのD論をまとめるのに協力してくれた統計学者のS.Takakuraさんが来ていた。彼女はフランスに6年くらいいたようで、Burtonさんと二人でフランス語で話し合う。もう、Burtonさんは英語が出なくなる。何となく、フランス語が分かったような気になってくるから会話って不思議た。6時になり、Kishidaペアーがやってくる。楽しくなり、ウィスキーを少し飲み過ぎる。
 
今日は、これからKishidaさんの車で湯河原の餌場跡にコーヒーとカップラーメンをもって行って、
1970代後半を思い出そう。空模様があやしい。雨かな?