昨日の続き、奥湯河原で:
T.Kishidaさんの車は外車のようだ。広河原から藤木川に沿った山道に入ったが、
車底が擦るし、左右の木の枝や伸びた草がフロントガラスにぶつかりそうになるので、
車から降りて歩く。Burtonさんにとっての思い出の道を歩く。
彼は、その変わりように立ち止っては感嘆の声をあげる。
ホトトギスがちょうど見ごろであった。
このヤクシソウは大きいので、別物かと思うほどだ。
神社に辿り着き、変わってない様子にBurtonさんは安堵したようだ。
ぼくの釧路の故郷の風景はずいぶん変わってしまった。
ぼくが出た小学校はなくなるし、中学は以前のとことにあるものの様子が違う。高校は以前の場所から移転してしまった。
いつまでも変わらないで欲しい物。それは、思い出の故郷の景色であり、何よりも小・中・高の建物や場所は変わらないで欲しい。残っていると恐らく一つ一つ昨日のように思い起こせることが失われてしまう。
懐かしい、神社を見て嬉しそうなBurtonさんだ。
彼は73歳になるので、もうこれが最後の来日だ。
欧州各地には、古い建物がしっかり残されている。
日本は地震・津波・台風による災害が多い国であるが、
もう少し、時を経ても同じ所に同じ建物が欲しいものだ。
神社前の休み台でカップラーメンを食べ、オニギリを食べ、お菓子やブドウを食べ、
男3人はビールを飲む。大満足だ。
神社のいつもの場所で記念撮影だ。
白雲の滝にも脚を向けてみたかったが、3月下旬に心臓に2本のバイバス手術をしたBurtonさんを考えて、取りやめた。もちろん、彼は大丈夫と強がった。
奥湯河原は山菜が多い。これはモミジガサの花が終わったものだ。
葉を摘んで食べてみたがゴワゴワしていた。
ゲンノショウコが咲いていた。
これはヨーロッパでも煎じて飲むようだ。
ぼくの子供の頃は、オオバコやゲンノショウコを根から抜いて採ったものを買ってくれたので、
お金が落ちているように思ったものだ。
M.Kishidaさんの運転なので、男たち3人は後の座席に移動して、そこでチビチビ飲む。
温泉に入り、出たあとは車の中でうとうと状態であった。
今朝は、上智大の教会で行われあるミサに出席するために出かけた。
雨が降っているし、行っても知人の神父さんたちが亡くなっているので止めようという気分になっていたが、元気を出して行くことを決める。
っと間もなく電話だ。誰から?ぼくが電話をとる。一昨日、我が家にBurtonさんを訪ねてきた統計学のS.Takakuraさんだった。10時から始まるミサに出るので、Burtonさんと教会で会いましょうと云うのだ。もちろん、今度はウキウキして出かけていった。
尚、Burtonさんは日本の文部省の国費留学生と来日した時から、カソリックの神父であり、動物行動の研究者であった。
ぼくらがイメージする神父像とは異なる。
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