「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2012年8月19日日曜日

玉皇廟村で  In Yuihuanmiyao village.

前夜の乾杯攻撃によって酔っぱらって寝たため、
部屋のドアをきつく閉めてしまったのか、ドアを開けることができない。
早起きしてトイレに行きたかったが諦め、皆が起き出すのをまっていた。
内装も外装も綺麗だが、ドアが開けられなくなって部屋に閉じ込められたのはアフリカのホテル以来だ。だから、一人で、ぶつぶつとここはアフリカではないんだよ!と唸っていた。
ドアは結局蹴破られた。ここのドアは前から問題があったようだ。
ドアの鍵を作った人たちがいてもそれを実際にドアに組み込んで作動させる技術者となる大工がまだ、近代的なドアの鍵技術に精通していないからこのような問題が出てくるのだ。
ともかく、朝飯を食べ、ぼくとE氏で往復2時間のかってのエサ場へ行く。
農家の前を通り、純粋で可愛い子供たちにニーハオと声を掛けて農道を進む。
親子のウシがいる。道を譲ってくれる。
 今年、生まれたばかりの子どもであろう。母親にシンクロナイズして動く。
丸木橋を渡り、農家の前を通る。ニワトリが3,40羽遊んでいる。
キンシコウの保護区の役所がこの餌場を観光用にしようと考え、
双廟子からの道も4輪車が通れるように拡幅し、トイレも設置し、滑ったり、
ぬかるんだりしていた道は整備されて階段がつくられた。
しかし、観光客はほとんど来なかったようだ。
それで、もとの状態のようになっている。
このキンポウゲ科の蔓性のトリカブトのような花は、ハナカズラの近縁種か?
そして、この蔓性の花がすぐわかるかと思ったが、
花の正面から
きれいではないが、なんだこれっと目についたのが、この巨大なガンクビソウのような花。
オトギリソウ科の?
もう一つオトギリソウ科のトモエソウ
2時半に戻ると女子学生の李さんが饂飩を作ってくれる。
美味い。食べ終えて、今度は一人で、さらに奥に川に沿った道を歩く。
先ほどの帰路に出合った子ども二人が手にしたペットボトルに魚(ヤチウグイ?)を4,5匹取ってきた。それの写真を撮らしてもらう。
リスが追いかけっこをしている。どこに2匹いるか判るかな?クリック拡大!
カモシカの仲間の頭骨だ。ここではヤギを飼ってない。
またもや今度はほぼ全身骨格ある。おそらく冬季に滑落死したのだろう。
カモシカ頭骨
はじめて見るカエデの仲間
ウルシを取るために、幹にV字状に傷をつけている。
かって、この辺りは漆の産地だったようで、日本にも卸していたらしい。 
右の木が上のカエデの仲間の木だ。
さらに川沿いの道を遡上するが、道がはっきりしない。が、進む。
そうこうして、うろうろしていると一人の農民が軽やかな足取りで下ってくる。
「あ、向こうに道があるんだ!」と思ったら、その人は「シャン?シャン?」と話しかけてくる。
シャンは山だ。だから、ぼくはうなずくと、彼はニコニコしてすたすた下っていく。
どうも道がはっきりしないし、地図も持ってないので、戻ることにする。
この川で水浴。 
6時半に施設に戻る。中国は日本との時差は1時間遅く。
日本が7時に時、中国では6時だ。
夕食は楊家に招待されているので、買ってきた白酒と日本からのお菓子を持っていく。
そのお菓子に日本語で、
「楊さんへ、これは日本のお菓子です。皆さんで食べてください」
と書いた紙をつける。シャオフンに渡す。
シャオフンはすらすらと読んだので、驚いた。
なんと、男の子のシャオガンも戻ってきていた。
皆で記念撮影したのはもちろんのことである。

2012年8月18日土曜日

調査基地の玉皇廟村 Yuhuangmiao village of the research station of Golden Monkey.

10年前までは、西北大学のホテルを朝、出て、玉皇廟村に着くのは夕方であった。
もちろん、当時は高速道路は無かったし、周至から双廟子というキンシコウの保護区
の支所に立ち寄り、そこで四輪車からオートバイに後ろにリアカーをつけた乗り物に
荷物を含む一切を移し替え、運転手以外の人はその荷物の上に乗って
断崖に作られた細い道を行った。
土砂崩れを取り除き、壊れた橋をなおしながら進んだのだ。

それが、今回はどうだ一度の乗り換えも無しに、荷物の上に乗ることもなく。
なんと、昼過ぎの一時には玉皇廟に着いたのだ。
しかも、車は小さな車ではなくゆとりある大きな車であった。大学の車であり、
10年前とは隔世の感さえする。
(今回乗った車:周至で朝食をとった店の前で)
待機していた学生たちがぼくの重いトランクを含む、荷物の全てを運び入れる。
若い学生たちのきびきびした動きが羨ましい。
村は、周至の方から送電されていた。
これまでのような村の川に設置された水力発電ではないのだ。
しかし、村人の大半は西安などの大都市に出稼ぎに出ている。
研究施設の隣は、ぼくらがお世話になった楊さん宅であり、そこにママや娘の小風(シャオフン)
が帰ってきていると聞き、楊さんのところに挨拶に行く。
(下の写真はHPの自然・生物→キンシコウの秦嶺山脈→楊さん宅1の写真から)
シャオフンはこの時確か小学校1年生だ。
かって、ぼくらが宿泊に利用させてもらっていた楊さんのところに行くと、シャオフンの御爺さんがいて、シャオフンを呼ぶ。何という感激だろう。彼女も今日ぼくが来ると聞いて驚いたようだ。
互いに、手をとり目を見つめ合う。
なんだか恋人に再開したようで涙がでそうになった。
彼女は現在、西安の大学で英語を学び、第二外国語として日本語を学んでいるという。
今までは、ニーハオくらいの片言の中国語しか話しをしたことが無く、目を見て互いの思いを伝え合ってきたのだが、彼女は英語をぼくの数倍流暢に話し、日本語まで話す。
シャオフンは飛び級で村の小学校を出ていって寄宿舎生活をするようになったので、後からは
ときどき帰ってきた時にあったくらいだ。
この写真は彼女が目をつぶってしまっているので、別に皆で撮った。
なお、シャオフンは小風ではなく暁鳳と書くようだ。
小風も良い名だと思ったが、暁鳳という名は、今の中国の勢いを表していて
素敵な名である。
父親の楊さんは北京に出稼ぎに行ってるので、今夏は戻らないようだ。
翌日の夜、楊家に招待される。
写真は暁鳳にメールに添付して送ることを約束する。

楊家への挨拶を終えて、E氏と二人でカメラを持って村内を歩く。
道沿いはまるでお花畑である。
ツリフネソウの仲間が3種類あった。
一番、元気よく咲きほこっていたのは、シュウメイギク
と橙色が目立つエゾセンノウ(やまぼうしさんに聞きました)。
トウシャジン?
ウスユキソウ?
ヤマハハコ?
アスチルベの仲間
アカバナ科の仲間
まだ、たくさん花を撮ってきました。
この日の夜は、ぼくとE氏とスタッフの斉君と運転手の歓迎会で、45度近くもある白酒の
乾杯攻めにあった。

2012年8月17日金曜日

西安からキンシコウの調査地へ From Xi'an to the golden monkey research area.

西安市の城壁外の南西に位置する西北大学のホテル前から
キンシコウ調査チームのもつワゴン車に乗って西南西にある秦嶺山脈の麓にある
玉皇廟村に向かった。
8時をちょっと過ぎた時間なので、スゴイ車と人だ。
中国では他のアジアの途上国とは違って、自転車から一気に車時代に入った。
来ている服装も10年前とはすごく変わっている。
歩いていても日本人か中国人の区別がつきづらいほどだ。
 歩道橋があり、横断歩道があり、交通ルールも皆ある程度守っている。
しかし、横断歩道ではないところを渡る人たちがいる。
10年前の西安の町からどうやってこのようなビル群を予想できただろうか?
 車、人、車、人、、、、、
丹沢のシカやサルの個体数増加が森林を破壊するように
人の増加は、シカやサルに比較できない程の大きさで自然を壊すということが素直に理解できる。
この車の中は、運転手と研究スタッフのC君のタバコの煙で喉が痛くなりそう。

周至という街で、朝飯と食糧の買い出しのために立ち寄る。
この食事は、野菜と羊肉と堅いパンを千切ったものが入った脂っぽいイスラム料理である。
それにニンニクの酢漬けがつく。これが好きだ!
右のコップにビールだ。そう、朝からビール!
買い出しは、ぼくが5、6年前から買っていたお店だった。
店の前の道路。この道路をまっすぐ向こうへ行くと秦嶺山脈がある。
黄砂で曇っている。
ここから3時間も走ると玉皇廟村である。
キュウリでないの?
もちろん長ネギもたくさん買った。
調査地には学生たちが5人も食糧を待っている。
これは、日本では東北の方で食べるユウスゲの蕾である。
ここでは、これをスープや油炒めにする。
コイも買った。泥臭さはない。
香菜である。
はじめて台湾に行った時はこれを取り除いて食べた。
硬い豆腐である。測り売りだ。
肉屋だ。
ぼくは、個人的にブドウを買う。
車に乗りながらタネを吐き出す。








2012年8月16日木曜日

中国サル紀行 Monkey travel in China.

8月5日に成田を発ち、上海で乗り換えて西安へ
西安でキンシコウの調査地へいく。
停年・退官したEn氏とWa氏との3人での旅行であった。
Wa氏は西安に着いた翌日に父親が逝った知らせがはいり、とんぼ返りするが、
10日には戻ってくる。
キンシコウの調査地はEn氏とぼくで行ってきた。
案内は西北大学の助手の斉君がついてきてくれた。
その後は西安から広州へ、広州でアカゲやロリスなどを見ようとしたが、結局見たのは繁殖コロニーのラングールの仲間のフランコイシと回復してきた森を歩いた。
下の写真はキンシコウのオトナオス
 コドモ3歳?がこちらを気にしている。
中国の森は回復し、葉や枝が邪魔で写真を撮るのが面倒だった。
この群れはぼくらが2000年に追っていた群れであり、
今は西北大学の学生たちが個体識別をして追っていた。

森の回復もさることながら、中国の発展振りや物価の高騰には驚いた。
これから連れ合いの仲間が来て我が家で飲み会。
飲むと疲れがとれるので、付き合うことにする。


2012年8月5日日曜日

雷滝 The Kaminary fall!

おはようございます。
今日も蒸し暑くなりそうですね。
7月30日の雷滝の涼しげな音と飛沫をご覧ください。
また、是非夏の雷滝をお薦めします。

伝道から登山路をゆっくりゆっくり歩いて2時間あれば着きますよ。
途中の木の橋がくずれそうであったり、危険な岩場の道があります。
怖いと感じたら、少し山側の斜面に迂回すると良いです。
雷平まで2度早戸川を裸足になって2メートルくらい渡ります。
足底を川底を滑らすように上げないようにしてゆっくり横切ってください。
登山靴のヒモを結んで、首から左右に振り分けるか、
靴は対岸まで放り投げてしまうと良いかもしれません。
ズボンを脱いでしまった方が楽です。
このズボンも靴下と一緒に石を中に包みこんで対岸に放り投げても良いですね。
雷平からもう一度雷滝の直前で川を渡らなければなりません。
岩伝いに渡るのが怖い人は、もう一度、素足になって渡って下さい。
今日、これから成田発の中国東方航空に乗り、西安まで飛び、
16日に戻ってきます。
今回はサルをやっていて定年・退官した友人二人と、中国のサル観察旅行です。
向こうでネットができる場合は、アップしたいと思います。

2012年8月4日土曜日

イタチがトガリネズミとカミキリムシを! A weasel ate a shrew and a long-horned beetle.

2012年8月1日 土山峠・猿ヶ島・岩のピーク
湖岸林道終点からピーク617.2の猿ヶ島では、林道で下記のイタチ糞を見つけただけで、終点から猿ヶ島までの尾根ではタヌキのトイレには新しい糞はなかった。
猿ヶ島から岩のピークまで宮ヶ瀬尾根を歩いたが糞は見つからず、で、岩のピークから
林道までの北東に走る尾根を下った。それは、尾根だからタヌキのタメ糞があるだろうと思ったからである。しかし、空振りにおわった。
赤数字の1,2のポイントはタヌキのトイレであったところ。
黒数字の1~4(約500メートル)が順にイタチ糞が見つかった地点である。

7時52分、イタチ糞 黒1ポイント
大きな昆虫(カミキリムシ)の頭部、胸部外骨格、脚細切れ多数、下羽根、腹部外骨格、他体骨格
7時59分、イタチ糞 黒2ポイント
大きな昆虫(カミキリムシ)の脚1個、外骨格、小哺乳類の毛少し、肋骨一個、不明骨片1個
8時5分、イタチ糞 黒3ポイント
カミキリムシの触覚、下羽、外骨格、脚、小哺乳類の毛少し、不明骨片4個、毛少し

8時14分、イタチ糞 黒4ポイント
一匹の昆虫の腹部の外骨格、触覚、下羽、脚の一部、トガリネズミの環椎(第一頸椎)、尺骨1、不明骨片少々、毛少し、
どうもこれらのことから、黒1ポイントから4は、同じイタチの糞を拾ったことになりそうだ。距離も500メートルくらいしか離れていない。ポイント1を除いて3個の糞に小哺乳類(トガリネズミ)の毛と骨片が混じり、さらに大きなカミキリムシの頭部、脚、触覚や下羽が混じっていることから同一個体のものとして間違いないだろう。
今回、第一頸椎(環椎)と尺骨からネズミ科のアカやハタではなくトガリネズミと判断できたことは、嬉しい。それは、なんのことはない。ネズミ科のトガリネズミ科では、骨の大きさや頑丈さがまるで違うのだ。第一頸椎が見つかったのに、頭骨や歯が見つけることができなかったのは残念である。
この頃、解ってきたことは、ネズミ科の動物の毛は1センチ以上の長さがあるが、トガリネズミ科の場合は1センチ以下だ。
誰もが、その違いが判るように検索表のようなものを作ってHPでアップしたい。
さらには、ヒミズやモグラもいるので、一部の骨でも検索できて同定できるようにしたい。



2012年8月3日金曜日

「森を作る動物たち」 小田原山盛りの会 "The animals who make the forest"

来月早々の9月1日(土)に小田原山盛りの会の
「森をつくる動物たち」のインストラクターを
することになった。

いつの間にか、サルから哺乳類全般に興味対象が移っている。
原因はただ一つある。農耕地や市街地周辺を行動域(遊動行)にしているサルの群れから
山の中で生活するサルたちを追うために、丹沢のサルを追い求めたのだ。
当初は、奥野林道の馬ノ背付近で生活していた群れを観察していた。
この群れは10頭に満たない小さな群れであり、オトナメスが2頭しかいなかった。
この群れ(馬ノ背群)については、
ぼくの「HPの自然・生物→山にサルが少ない丹沢→サル観察し隊」を見て下さい。
「馬ノ背群」が見られなくなり。
そのまま、奥野林道一帯にかけてサルのフィールドサインを探して歩き回った。
見つかるのはサル以外の他の哺乳類のフィールドサインばかり、
とくに糞がぼくの興味をひいた。

足跡については誰もが興味を持ち、誰の足跡か判りやすい。
足跡の情報から、その個体の移動方向や他の事が推定できる事柄も多いが、
情報量としては、糞としてのフィールドサインに比べると非常に少ない。
サル糞では、季節に応じた糞の色や形状や、食べたものによる色や形状、
さらには時間経過にともなう色の変化がすでに判っていた。

しかし、ぼくはクマ、タヌキ、アナグマ、テン、イタチ、ハクビシン、アライグマなどの食肉目の動物たちの糞に魅せられたというか、どうして?何故?何故?と疑問にもつばかりであった。
それは、食肉目の動物たちの糞の中に哺乳類や鳥、さらには両性・爬虫類などの肉(脊椎動物)を食べたことを示す物、つまり羽毛、毛、骨、歯などの痕跡が混じることが少なかったからである。

ヒグマが、春にはイチゴを、夏にはハマナスやフレップやガンコウランの実を、秋にはヤマブドウやコクワを食べているのは知っていた。また、ツキノワグマがブナの実を食べたりトウモロコシ畑を荒らしたりすることは知っていた。パンダはササを主食していることからもこのクマの仲間は動きが鈍いので動き回る他の生きている脊椎動物を捕食するのは困難であることも分かっていた。
(しかし、ホッキョクグマは肉食だけ?)

しかし、テンやイタチのような俊敏な哺乳類までが、果実に依存していて驚いたのだ。
もっとも、ちょっと考えればすぐわかることだ。動き回る脊椎動物を捕食するよりも
動かないでほぼ同じ場所に実って、毎年甘い香りを発する樹木の果実の方が、かんたんに見つけられてお腹を満たすことができる。

丹沢で生活する食肉目の動物たちがほとんど100%に近いくらい樹木の果実にたよっており、
また、それらの動物たちが糞として果実の種子をさまざまな場所にまき散らしていることも判った。
さらには、草地よりも剝き出しの地面の上に糞をしやすいことも分かってきた。

これらの事から、タヌキも含めて食肉の動物たちは森の裸地にタネを蒔き、ついでに肥料も梳きこんでおり、森を育てているのだ。
こんな事をブログ「故有事」でアップしていたら、
「小田原山盛りの会」の川島さんから以下のパンフレットの話しをいただいた。
是非皆さんと小田原駅西口でお会いしましょう。


下記をクリックすると「森をつくる動物たち」の案内が拡大されてみられます。
この小田原山盛りの会の川島範子さんは、ものすごく活動的な女性で、美大出であり山岳部でもあったようだ。一人で、様々な企画を立て、動き回っている。



2012年8月2日木曜日

我が家にハクビシン! A masked palm civet's foot-print!

朝食後、2階のベランダに洗濯物を干しに上がった連れ合いが、
「お父さん、動物の足跡があるから来てみて!」との声。
どうせ、ハトやカラスの足跡だろうと思いながらいった。
連れ合いがベランダの手すりの上を拭こうとして気が付いたようなのだ。
少なくても昨日はなかった。昨日は丹沢から帰ってきた後、すぐ汚れ物を洗濯機につっこみ
シャワーを浴びた後、干した時手すりの上を見ている。
見て、すぐハクビシンと思った。どうだろう?
どうも昨夜から今朝にかけて、雨樋を伝って登ってきたようである。
下りは庭のアメリカハナミズキの木に跳び移ったようだ。
すぐカメラを取りに戻り、また、すぐ10円玉を取りに階下へ、次いでにスケールも持ってくる。
これが、問題の足跡だ。
 これほどはっきりとプリントされるなんて、嬉しい限りだ。

朝日が強く、反射するので、撮る角度が難しかった。 
この足跡がある、ベランダへの出口、ぼくの部屋の寝室だ。
もちろん、網戸だけでカーテンも開けて寝ている。
このハクビシンはぼくが寝ている時にうろうろしていたのだろう。
今年、我が家に窓にはヤモリが見当たらない。
さては、このハクビシンにやられたのか?ヤマアカガエルのチビガエルもすでにいなくなったが、まさかこのハクビシンにやられたわけではないだろう。
睡蓮鉢のグーッピーは大丈夫だ。

しかし、こんなにも身近すぎる程身近なところにハクビシンは徘徊しているんだ。
まさか、アメリカハナミズキに掛けたシジュウカラ用の巣箱に入っているわけではないだろう。
もっと、家の周りの動物調査をしなさいということなのかもしれない。
しかし、我が家は小田急線の線路から50メートルも離れていないし、駅まで5分くらいの場所だ。
こんな所にも生息できるハクビシンの適応能力に脱帽するしかない。
この辺りの家では、大抵何がしかの果樹を育てている。
それらを狙って生活できているのだろうか?それにしてもスゴイ!

ちょっと不思議だ! Wonder about the toilet of raccoon dog!

タヌキのトイレ(タメ糞の場所)を利用しなくなったのは、
糞中に含まれていた種子が発芽して苗となり、
その苗がタヌキたちのお尻に触るようになったので、
その場でウンチするのをイヤになったせいだと考えたことをアップした。

下は土山峠から湖岸の林道を歩いて、林道終点からの尾根上である。
もう、苗はこんなに伸びた。
 上の場所よりもさらに100メートルくらい登った場所。
同じく、苗が育っている。まったくウンチが見られない。
苗がお尻に触れるのが嫌なら、何故、その隣の場所をトイレにしないのか?
この辺りは、シカの食害の影響で、
下草などの芽生えがほとんど見当たらない剝き出しの林床である。

30センチでも1メートルでも離れた場所をトイレにすると良い筈だ。

まさか、このトイレを利用していたタヌキたちは全員死亡したのだろうか?
タヌキのタメ糞場は一家族だけでなく近隣の他のタヌキたちも利用するようなので、
全員死亡したとは考えられない。

あるいは、タメ糞場は、臭いによるタヌキたちのコミュニケーションの場であると
云われている。この場を利用するタヌキたちにこの場の利用はもう止めようという
情報が流されたのだろうか?

いずれにしても利用しなくなった理由をどう考えますか?
いつも簡単にタヌキの新しい糞が拾えていた場所なのに少し残念でもある。