竹蔵丸に乗っての釣りを終え、釣れた獲物を料理屋「大松」に預け、
ぼくらは山を目差した。
Yabe車には、ぼくとやまぼうしさんとSakaiさん、take隊員車にはk-ta隊員とisa隊員である。
take隊員車は先に行ってしまう。ぼくは白銀林道に行ったものと思ったが、Sakaiさんは星ヶ山見晴台に行ったと思うと云う。take隊員が「上だ、隊長が知っている所」と云いながら車を出したのだ。
星ヶ山見晴台にはtake隊員たちはいない。で、白銀林道に行く。いない。
携帯が通じた。なんと、奥湯河原にいるのだ。
そのまま、白銀林道を行く。未舗装のでこぼこ道で、
左右の木々の枝や生い茂った草を分けるようにYabe車は進む。
白銀橋を過ぎ、ようやく頼朝が隠れたとされる「しとどの窟」の入口に辿り着く。
が、林道の鉄の門が閉まっている。
が、Sakaiさんとやまぼうしさんは二人下りて、慣れた手つきで門を開ける。
椿ラインと名付けられた県道を下り、奥湯河原に出たところで、take隊員から電話がある。
大堰堤付近で、ヌマダイコンを見ているようだ。
ようやく、再会だ。
お日様があたる大堰堤の上でお昼にする。
サルの尻を追っていたときは、堰堤の上から足を投げ出して座ったものだが、、、、、。
道路と堰堤の際のコンクリートの上にアケビのタネだらけのテン糞が、この日もあった。
この辺りを行動域にするテンにとって、どうしても匂い付け(scent marking)したくなる場所なのだ。
昼食後、少し歩き回ってみることにする。
ん?何の跡かな?
穴が掘られ、水が溜まっている。
辺りの木々の葉に泥が飛び散っている。
他に2、3ヶ所このような場がある。
サルがいた時は、この辺りの粘土は土食と云ってサルたちが食べたものだ。
どうも、ここはイノシシのヌタ場のようだ。
この付近にサルの気配がなくなったのは残念だ。
天昭山神社の裏山深くに生息していたサルたちを、堂守がサツマイモで餌付けして、2、3年かけてしだいに神社の境内まで引っ張ってきた。その時は50数頭であったようだが、それが120頭を越え、ミカンに被害を出すようになった。
そんな訳で餌付けが放棄され、天昭山群はちりじりになってしまった。
時代が餌付けを必要とし、時代がサルを害獣へと追いやった。
全て、ぼくら人間がサルや自然を思い通りにしようとした結果である。
自然に対して真摯な気持ちにならなければ、とんでもないしっぺ返しを受けるかもしれない。
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