「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年10月12日月曜日

秋の色の一つ

コムラサキシキブの実が色づいている。
ここは朝日しか当たらない気の毒な場所、植え替えてやりたいが、場所が無い。
そんな一日2,3時間しか日があたらない場所でも花が咲き実をつける。

日があまり当たらないせいだろう。紫色が淡すぎる。

これから葛西の専門学校でのチャレンジキャンパス
高校生は運動部以外、屋外活動をしないようだ。
今日来る高校生も青白いだろう。

2009年10月11日日曜日

この良い匂い!

日が差しはじめてきたので、窓を開ける。
あ!この匂い!
キンモクセイの香りが部屋に入ってくる。
先週から街を歩く人たちの気持ちをやわらげてくれる匂いだ。


我が家の庭の選定され、切り詰められたキンモクセイにも橙色の小さな花。


庭木は可哀想だ。自由に伸ばしてやりたいが、近隣の家との兼ね合いからそうもいかない。
毎年、毎年切られることになる。
そういえば、先週の伊勢沢林道でも工事車の荷台に乗った人が林道を覆う枝を切り払っていた。
山でも木々は自由に手足を伸ばすことができないのだ。
ウサギに食べられ、シカやカモシカに食べられるならまだしも、ヒトの都合で切られる。
まるで経団連の御手洗キャノン社長のように都合が悪くなれば切り落としていく。
ヒトがヒトを切るのは殺人と同じだ!

2009年10月10日土曜日

東丹沢の秋:伊勢沢林道で

昨日、伊勢沢林道でお昼を食べたところでヤブキリをみつけた。大事な右の後足がない。ぼくがこの草むらを座る場所をさがして歩いたために慌てて隠れようとしたために彼女の足をもいでしまったのかもしれない。
このキリギリスによく似たヤブキリは、日本刀のような産卵管をもっているメスを多く見つける。
ヤブキリはキリギリスより羽などは大きいが、キリギリスの「ギー、チョン、ギー」という鳴き声よりもか細い音色で鳴いている。
キリギリスは素手で捕まえるとすぐ噛み付き、結構痛い。が、こやつは大きいのに噛む力はどことなく弱い。

コオロギやヤブキリたちのような鳴く虫たちも朝夕は寒くなってきているので、もう少しの命である。
このメスは卵を産むことができたのであろうか?

赤くなりかけたハダカホウズキの実が目にはいった。葉の上にクモが日向ぼっこをしている。
クモの目って結構愛嬌がある。
このクモは網を張らないで待ち伏せして獲物を捕まえるのだろうか?
クモの図鑑を持っていないので、名前を調べることができない。

赤いハダカホオズキ。ナス科の植物には、ジャガイモやピーマン、トウガラシなど有用野菜となる植物もあるが、ハシリドコロやチョウセンアサガオなど毒草も多い。このハダカホオズキも危ないようだ。でも、小鳥たちが食べているから分散していく。なお、タバコもナス科だ。

アカメガシワが黒い実をこぼれそうにつけていた。
コブシやモクレンにも似た奇妙な実のつけ方だ。

2009年10月9日金曜日

秋の丹沢

今日は、早起きして丹沢へ行く予定であった。5時に起きたが、二日酔いで頭も身体もすぐれず。水を飲んだり、コーヒーを飲んだりして、8時過ぎに家を出る。
伊勢沢林道をゆっくり歩く。工事車両が後ろから追い抜いていく。音見沢橋のところに12月4日まで森林保全の工事という看板がある。
音見沢橋をわたり、焼小屋沢橋を過ぎて、ようやく身体が汗ばんでくる。
時計を見ると12時だ。日陰で鳥屋の店で買ってきたカツ丼弁当を食べる。
が、何だかカツとは違う歯触りである。一口噛み切って、切り口を見る。
これは魚だ。だが、
カツ丼って印刷した紙を張ってある。
何の魚かちょっとわからなかった。

ヤクシソウが咲いていた。

ヤクシソウの近くに大好きなリュウノウギクが咲いていた。

サルナシを見つけたが登る手がかりがない高木に絡み付いている。

左足をかばいながら歩いたので、結構疲れ、帰りは運転をしながら眠気と戦った。

2009年10月8日木曜日

学生からもらったイヌの頭骨

昨日、専門学校で、授業を始めようとしたらS.Ando君から、不透明のプラスチック袋の物をプレゼントされた。
イヌの頭骨である。下顎骨はないが、全ての歯が揃っている中型犬のものだ。

今朝、じっくり見なおすと、左の頭頂骨に生前に傷つき治癒した痕がある。
これは、手製の空気銃のようなもので撃たれたものと思われる。

さらに、良く見ると、後頭骨の項稜部分が縦12ミリ、横最大5ミリの幅で切り取られている。
黄色の線で囲った部分である。
これは、生きている時に首根っこを大きなサバイバルナイフか鉈か斧状の物で切られ、
それが致命傷となったものと思われる。

S.Ando君の話では、この可哀想なイヌの頭骨は海岸の草むらで見つけたようだ。
おそらく、幼犬の時から付近の中学生くらいの少年に虐められ、
最後には、、、、、、。

この頭骨のイヌ君、今は優しい飼い主に出会って楽しい暮らしをしていると思いたい。

2009年10月6日火曜日

アカマツのエビフライを作ったのは誰?

2月に湯河原野生動物探検隊の集まりで拾った数々のエビフライ
手を広げて見せてくれるのはk-ta隊員

このエビフライの作成者はリスか?ネズミか?take隊員が判断できないものもあった。

エビフライのことが気になっていて、Collins Guide to Animal Tracks and Signs を読んでみた。
リスとネズミによって作られるエビフライの違いについて次のように書かれてあった。

見つかる場所:リスのエビフライは開けた場所。 ネズミのエビフライは隠れることができるような場所
エビフライの頭側(マツカサが木についていた方):リスのは根元がボサボサした毛房状になる。ネズミのはきれいに噛み取られて丸くなる。
エビフライの胴体の表面部分:リスは軸から離れるほどボサボサ状態。ネズミのエビフライはなめらかとなる。
噛み取った鱗片の状態:リスは鱗片がしっかり残る。ネズミに関しては記載ナシ。

ということで、湯河原で拾ってきたエビフライを確かめた。1個だけネズミのものと思われるエビフライがあった。

左がネズミかな?右がリスであろう。    

2009年10月1日木曜日

地震

アメリカ領サモアで大きな地震があり、日本沿岸への津波が心配されたが小さなものだった。
昨日はスマトラでも大きな地震があった。
9月にはジャワでも大きな地震があった。

子供の頃に十勝沖地震があり、津波がくるというので釧路市内の多くの人たちが高台に荷物を持って登ってくるのを歯をガタガタさせて、ただ立ち尽くして見ていたことがあった。

安定している筈の大地が揺れるというのはなんとも恐ろしいものである。

東海沖地震がいつきてもおかしくないと云われ始めてもう30年は経っている。
東京は週3日、電車に乗って出かけている。東京で地震に遭った時のために、瓦礫の上でも歩けるように登山靴をいつも履いている。コンパスも常に持っている。明日からはザックに水も持ち歩こう。

パダンには霊長類研究所に留学していたアムジルさんがいた。地震は大丈夫だったろうか?

2009年9月30日水曜日

貧富の差(続々)

タンザニアのマハレ山塊国立公園のビレンゲ基地:
基地で働くレインジャーや管理官の子供たち
山から降りて来たら、右の川で食器洗いや洗濯をしていた。

トングエ族の子供を含む複数の部族の子供たち、
左の木の葉に隠れて座っている子は主任管理官の子供である。
ここでは、食べる物着る物に差がない。

2009年9月29日火曜日

貧富の差(続)

タンガニーカ中央にタンザニア側から突き出したマハレ山塊を北から南に縦断する。
トングエ族の人たちが井戸から水を汲み上げていた。

タンザニアには有名なマサイ族を含む86以上の部族がこの国で生活している。経済を握るのはインド人、アラビア人、ヨーロッパ人である。
国民の大半が貧しい。が、こここの人たちは明るく、よそ者をもてなすのが好きである。

ぼくは、3年間この国で暮らした。86以上の部族があるのに、ぼくが付き合ったのはトングエの人たちである。
トングエの人たちの中には金持ちはいない。というよりも金持ち=富める者ができないようになっている。食事時に歩くとと「カリブー」(いらしゃい!)と声が掛かる。

お金がなくても収穫がなくてもカリブーと声を掛けられるので生きていける。また、持たない者が持つ者に対して、物を要求すると、その物を与えなくてはならない。ぼくが使用人たちに渡す給与はその日の内に無くなる。両親兄弟親類がお金を借りにくるからだ。もちろん、借りるだけで返しはしない。

それは、村でも同じだ。富める村はできない

2009年9月28日月曜日

貧富の差

中国では海岸部と内陸部、都市部と農村部、漢族と他の民族、一部の金持ちと大多数の肉体労働者との間の貧困格差が拡大しているようだ。
それは、ぼくが2000年2月に西安に行った頃から見られていた。
下は、キンシコウの調査で基地にした百皇廟村の風景、西安の方を眺める。

耳に入ったところによると、この村の多くの人たちは西安の街へ家族もろとも出ていったようだ。
中国は共産党の一党独裁国家である。
富を分配し、平等を目指すのが共産党であった筈だ。
それが、幹部の汚職・腐敗がひどい状態まで進んでいるという。

最初に兵馬俑に行った時のことを思い出した。受付嬢がお客である僕が目の前で切符を差し出しているのに、編み物をする手を休めようとしなかった。
あるいは、キンシコウの保護区に入るのに、僕らにとっては不思議なお金を払わなければいけなかった。払うと幹部たちとその土地のレストランで宴会である。
そうそう、こんなことがあった。屋台で一個のキュウーイフルーツを買おうとしたら、保護区の役人が屋台の女性に何か一言二言云うと、女性は仕方なさそうにぼくに一袋あまりのキューイフルーツを手渡してくれた。お金を払おうとしたら、役人が手を振って遮った。すごく後ろめたい気持ちでその場を後にした。

富める国は貧しい国の安い労働力の上に成り立っている。富める人は貧しい人たちの上になりたっている。派遣会社は、以前の手配師たちと同じではないか!手配師(派遣会社)を必要とするような会社をなくしていかなくては、、。少なくても貧富の格差の拡大は人々が荒ぶ。
誰もが富める社会を望むよりも、誰もが貧しい社会を望みたい。