「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年9月7日月曜日

女子学生の言葉・2題

1:女子の男言葉
もう10年以上前から、女性学生同士で使う言葉が男言葉になっていたが、このところ授業中の質問に対しても女子は男言葉というか乱暴な言葉で答える学生が増えてきている。先週は、日本産の哺乳動物の分類・検索の授業で、食肉目の特徴はとたずねたら「主に他の動物を食う動物」と女子が答えたので、注意をした。君は女性だから「食う」ではなくて「食べる」と言って欲しいと例を上げて注意した。
女子が男言葉を使うのは、木村君がオネェー言葉を使うことだよ。木村君がオネェー言葉を使ったら気味悪いだろう。同じように女子が男言葉を使うのはぼくにとって気味悪いのだ。

2:韓国からの女子留学生の言葉
今日は前期の最後の授業であり、試験の話しをした。授業後、韓国からの一人の女子留学生が寄ってきて、「先生がおっしゃった〇〇、、、、」という言葉を聞いて、ぼくは彼女をまじまじと見詰めてしまった。「おっしゃった」などという尊敬語で言われたのは初めてである。
日本人の学生たちからは一度も言われたことがない言葉を留学生から言われるなんて感動ものだ。

トルコの自然(9)地下都市

地下都市を歩く。
ブドウを潰してワインを造る場所、ワインを貯蔵しておく所、台所、寝室、礼拝堂、会議室など数多くの部屋が迷路の中に散在している。まるでモグラかアナグマにでもなったようだ。
ベトナム戦争時に作られたクチンの地下街は一時的なものであるが、この縦横に張り巡らされたトンネルは、腰を曲げて歩かなくてもよく幅も拾い。
外敵が侵入してきたなら、この重い石の扉で閉めるようだ。
外敵に対しても何ヶ月も篭城できるような設備にゾットするほどだ。
冷戦時代は核攻撃から身を守るためにの地下のシェルターが話題になったことがあったが、動物であるヒトが地下の狭いところで暮らすには、空調や食料や水の確保もさることながら、排泄物の処理をどのようにするかかだ。
動物たちは、自分の排泄物をいかに自分の周りから遠ざけるかに悩み、考え抜いて進化してきたともいえる。自らの汚物は病気を広めることになる。
篭城した場合は、食事を制限し、排泄回数や量を少なくし、汚物を器に入れて尖塔の外に通じる穴から捨てたようだ。
外は、眩しすぎるほどの強い日差し、カボチャ畑があった。
前日に見上げたウチヒサルの頂上に登り、下を見渡す。
地下街は涼しく、ワインの醸造にも適しているようだが、やはり地上は気持ちが良い。
核弾頭やミサイル攻撃に備えた地下シェルターの暮らしはゴメンだ!

2009年9月6日日曜日

トルコの自然(8)

ギョレメ野外博物館となっている洞窟内の教会跡を見る。
当時の人たちの争いと地形がこのような教会は地下住居(明日)を作らせたようだ。
ここでも小さな洞穴はハト小屋として使われ、糞は肥料にあるいは他の地下住居の人たちとの連絡用の伝書バトとして用いられたようだ。
紀元前から作られたというから驚き!
右上はニワトリ?と思われる。中央の二足歩行で手を持つ生き物は???
このような壁画に触れるというのが驚きである。
修道士たちがハトの糞を肥料として畑を作っていたというブドウ畑跡を歩いてみた。
回りにはキノコ状の岩峰が並ぶ。
ブドウがなっていたので、食べてみた。甘い!旨いと皆で採って食べる。
こんな乾燥したような中なので、濃縮された甘さのブドウができそうだ。
岩肌に動くものがいた。30センチ以上はあるかと思えるトカゲだ。
コヤツは昆虫などの小動物の他にブドウのような果実を食べて生活しているのだろう。
さらに、地面を這う小さなトカゲもみつけたし、スズメやハトもいた。

2009年9月5日土曜日

トルコの自然(7)メブラーナ教の舞と、、、

夕食を食べに行った洞窟レストラン。涼しいというよりも寒い!
電気の暖房機を出してつけてくれた。
トルコ料理を食べ終わらないうちに暗闇となり、メブラーナの踊り手が3人出てきて暗闇の中で不思議な音楽の音色とともに旋回しだす。暗闇の中に白いスカートのような衣装が翻るのだけが見える。
近ずいてきたときに、シャターを押すがシャターが降りない。明かりがちょっとついた瞬間にパチリ。
さらに、ベリーダンスだ。二つのダンスの組み合わせが妙だ!
エジプトでもベリーダンスを見たことがあるが、ベリーダンスが始まるとエジプト人と思われる家族連れや女性たちはその場からぞろぞろと出ていった。しかし、このレストランは観光客だけなのでそのようなことはなかった。
外へでると、昼間みた岩がライトアップされていた。
寒さに震えるようにして戻る。洞窟ホテルの室内も寒いので、成田で買ってきたウィスキーを飲んで寝る。これほど寒暖の差が激しいところは始めてだ。一日のうちに夏と冬があるかのようだ。生き物たちは大変だ。明日も一日カッパドキア観光だ。

2009年9月4日金曜日

トルコの自然(6)洞窟ホテル

今夜の泊まりは洞窟ホテルである。
写真の大きな穴がロビーのようになっていて3~5個の各部屋へ通じる。
下の木戸のキーと部屋のキーが渡される。
石段を登っていった先がロビー状に広くなっていてそこから左右に一つずつと正面に二部屋あった。
部屋の中は八畳間くらいの広さのツインルームであり、トイレとシャワールームが入り口に面してあった。
回りをみると、穴が無数にあいている。閉じられている穴もある。小さな穴はハト小屋や換気口だったようだ。こりゃー、夕方にコウモリが飛び回るのが楽しみだ!
各部屋に落ち着いたので、ホテルの周囲を散策する。
ニワトリがいた。
トウダイグサ科の植物だ!
これはタデ科かな?密集して花をつけている。
ムラサキ科のヤマルリソウと同じ仲間?花が径1センチくらいある。
キク科の鮮やかな黄色の花である。
この羽状複葉の木はマメ科?違う!
岩の壁にはツタやスイカズラ、ノブドウが絡み付いていた。

トルコの自然(5)ウチヒサール

ウチヒサール(尖った砦)を仰ぎ見る。この岩にある穴はハトの巣のようだ。ほとんどの岩に穴はハトの巣が多いという。土地が痩せているため、ハトの糞を集めて肥料とするためにハトが飼われたというが、何故ハトなの?肥料はニワトリやロバやヤギの糞ではダメ?と疑問に思った。
「ハトの谷」で、この峡谷の岩壁にも穴が開いている。ハトの巣のようだ。
これで、トルコにハトが異様に多い理由がわかった。しかし、、、、、。
キノコ岩となづけられた岩や、ラクダ岩と名付けられた岩など不思議な造形美の岩が点在する。
欧米の若い画学生が強い日差しの中で何人か風景画を描いていた。
ハトの谷におりる道があったので、下ると大きな枯れたアザミとリンゴの木があった。
さらに、乾いて水分が濃縮されたような花色のフヨウが咲いていた。
植物の適応力はすごいが、それにも増して人間はどんなところでも生活の基盤を作ってしまう動物だ。

2009年9月3日木曜日

トルコの自然(3)洞窟レストラン

トンガリ帽子の岩だらけのカッパドキアに着き、洞窟レストランでお昼である。
岩を掘り抜いて部屋をつくっている。
ぼくは中に入る前に早速レストランの前の岩の斜面を登ってみた。
レストランの内部は天井が2.5メートルくらいの高さであり、外の暑さに比べるとヒンヤリしている。房総半島の高宕山付近の石切り場の跡の洞穴もこのようにしたらおもしろいのにと思う。でも、地震が怖いか!小学校の二教室くらいの広さである。
食後、早々に外に出てレストランと一体となった丘に登る。乾燥した岩肌の土の上にきれいな様々な色の花が咲いている。このアネモネのような花が目に飛び込んだ。
これはシシウドを小型にして乾燥に耐えるようにした植物だ。
植物の写真を撮っていると、ロバを連れたおばあさんがいた。おばあさんといってもぼくと同じくらいかちょっと上くらいの年齢だろう。暑い日差しの中で、唯一の話し相手でいるかのようにロバと寄り添っていた。なんとなく写真を撮るのもはばかれたので、景色を撮るようにしてとった。
お互いに寄り添うロバとおばあさんは、キャラバンサライを見てきたこともあって、世俗を超越したこの中部アナトリア地方の人たちの姿を映しているようであった。
トルコはEUに加盟 はしていないが、ユーロやドル、さらには日本円まで使用できる。ドイツへ出稼ぎにいく人たちも多いようだが、トルコの国そのものが急速に発展しつつあるという印象をもった。トルコ人のガイドによるとトルコはイスラム教の国だが、「な~んちゃってイスラム」だと云う。ほとんどのレストランでビールやワインは飲めるし、トルコ人も飲んでいる。政教分離をしっかりうたっているのもトルコの特徴だ。もちろん、モスクはたくさんあるし時間になれば大音量のコーランが流れてくる。

秋を探しに丹沢へ(動物)

この日は、カマドウマが林道をピョンピョン跳ねているのを7、8匹も出合ったが、このタイワンキチョウ(と思うのですが、、、)が飛びまわっていた。 林道の真ん中にアシナガバチの巣が車に潰されている。
蠢くものがいるので、幼虫でも残っているのかと思ったらクロオオアリがハチの卵を取り出して運んでいた。
林道の山側の斜面の上部にこのハチの巣があったが、何かに襲われて転げ落ちたのだ。
誰がこのようなことをやったのだろうか?猛禽のハチクマにちがいない。幼虫が詰まっている巣は幼鳥のために持ち帰ったのかもしれない。
コアカソが軒並み上部を食べられている。
カモシカかシカが食べたのだ。
ん?テン?ハクビシン?逃げないので、双眼鏡でみるとノネコだった。
このネコ君は鳥屋地区で飼われているネコなのか?人家までは2キロ以上ある。
近づいて写真を撮ったが、すぐ斜面のブッシュに消えた。
今日は、大きなアオダイショウを見つけて引っ張り出したし、全体がやや淡い茶系の大きなトカゲ(丹沢にオカダトカゲいるのかな?)を2匹見たし、カナヘビもいたので、ノネコは十分生きていける。
トルコで見たノネコの表情と違う。日本のノラは人を信用していない疑わしそうな表情だ。

2009年9月2日水曜日

秋を探しに丹沢へ

7月に実習で丹沢へ行ったのを除くと、5月以来の丹沢林道歩きであった。
昨日は、午前中机に向っていたが、天気に誘われてお昼を食べずに12時ジャストに家をでる。
林道に入る鳥屋の最後のお店でパンなどを買い、奥野林道ゲート前の駐車場に車をとめる。
久しぶりの丹沢なのでまるで初恋の女性と会うような不安とウキウキとした感じがする。
アブラチャンの実がこんなにたくさんついている。
アカメガシワの実だ。
ウワミズザクラに実を探す。高いところにまだついていた。
コナラがしっかりとたくさん実をつけている。
懸案の秋を象徴する尾花のススキが穂を広げていた。
まだ、「枯れ尾花」とはいかず。
この日は、林道を跳ね回るカマドウマをたくさんみつける。また、林道の大きなスズメバチの巣が転がり落ちていた。
続きは動物たちをアップしたい。

2009年9月1日火曜日

トルコの自然(3)キャラバンサライ(隊商宿)

22日はコンヤからカッパドキアに向う。
途中で、キャラバンサライに立ち寄る。
シルクロードやスパイスロードを通ってやってきた商人たちを安全に泊まってもらうホテルのようなもの。サライとは城・宮殿という意味で、広大な荒地に宮殿のように大きいことからこのような名になった。この宿は旅人が1日に移動できる40-50キロ毎にあり、10世紀のセルジックトルコのスルタン(王)が各地に作らせ、宿賃は無料で、しかも様々なサービスがあった。その結果、交易が盛んになり繁栄をもたらした。
上の話しをガイドから聞いて、”損をして徳(得)をとれ”という諺がよぎった。
上の門を潜ると、中庭となり、左右に部屋があり、奥には人々が家畜と寝泊りした仕切りのない空間が広がっていた。これは、右側の奥から入り口の方を撮ったものだ。
壁の厚さは2メートルは超えるようなもので、旅人が安全に泊まれる。
最近まで、牛や山羊の寝倉として使っていたようで、家畜の臭いがたちこめていた。
それにしても天井が高い。
外は日差しがジリジリと強く暑いのに、この中は涼しい。壁の厚さが外気を遮断している。
各仕切りごとに小さな明かりをとる窓が5メートルくらい上にある。そこはハトの巣となっている。もしかしたら、コウモリもいるかもしれないと思って天井を見上げたが見つけられなかった。
キャラバンサライの前のレストランで昼食にする。
外を見ると、大きな荷物を乗せたバイクが2台。
ヨーロッパからボスボラス海峡を渡ってきた観光客だ。
レストランの門柱や壁に、大好きなスイカズラが咲いている。
分厚い葉である、こんな乾燥状態でもスイカズラは生きていけるのだ。
カッパドキアではスイカズラをたくさん見ることになる。
スイカズラはキンシコウの調査地の秦嶺山脈の山麓にも咲いていた。
スイカズラは東アジアが原産だからキャラバンによって運ばれてきたのだ。