「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年10月9日木曜日

はじめて教会へ

葬儀場などでの、仏式のお葬式には何度か出席した。
煌びやかととも思える祭壇、
供花が所せましと並べられる。
しかも、それぞれの供花には、兄弟一同、〇〇会社会長、県会議員、市会議員、△△家、〇△家などまるで、この時とばかりの自己宣伝の場と化した祭壇となる。
弔辞も普段の付き合いの薄い人ほど、電報で自己宣伝をする。

葬儀場での供花や弔辞に戸惑いを覚えるのはぼくだけではないだろう。

知人のお母さんが89歳で逝き、
告別式が南林間駅近くの教会であるという。

10分前に教会に行き、はじめて細くて長い机を前にして座った。
正面の壁には大きな十字架がかかっている。
右手にはアップライト式のピアノくらいの大きさのオルガン。
オルガンをひいているは60代くらいの痩せた女性。
前奏曲はバッハの重厚なものだ。

時間がきて、牧師が前に立つ。
参列者一同賛美歌を歌う。
受付時に手にした式次第に、歌詞や楽譜が載っている。
祈祷があり、聖書の一部「賛歌。ダビデの詩」詩編23編1~6節が唱えられる。
賛美歌を再び歌う。
説教、祈祷、三度目の賛美歌を歌い、
牧師がの祝祷があり、友人が親族を代表して挨拶をする。
祭壇に並べられていた花を、棺の前に献花する。

出口付近で親族の方々が並んでおり、参列者にお礼を言っている。
ぼくは、友人と互いに目を見合って手を握り合い、「またね!」と教会とあとにした。

これほど、気持ちの良い葬儀に出たのは始めてだ。
良いと感じたのは、①簡素さ、②判り易い牧師の言葉、③一緒に歌うことによる開放感と一体感、③煙たくない事、④オルガン伴奏の重厚さがある。

2008年10月8日水曜日

世知辛い世の中(2)

実家は幼稚園をやっている。
この50年、幼稚園が休日のときでも
近所の子供たちが自由に園庭に入って
滑り台やブランコなどの遊具で遊ぶことができるようにしてきた。
が、各地の公園でブランコの事故があってから、
夏休みや冬休みなどの長期休暇が始まると、
ブランコを外すようにしているようだ。

事故があると悪いのは子供やその親ではなく、
遊具を設置していた側の管理責任を問われることになるからだ。
地域とともに幼稚園があるのだが、
休日の時は自由に園庭に入れないようにしようかと迷っているいるようだ。

あるいは、ぼくは学生を連れて野外実習をやっている。
山では予期せぬ事故があるので、いろいろ事故にあった時のことを考える。
学校側からも学生に怪我をさせないように注意を受ける。
学生たちに素晴らしい体験をさせたいと思っていることが裏目に出てしまうことだってある。

今の学生たちは子供の頃に外遊びをほとんどしていないので、
ぼくにとっては予測不可能なことをやらかす。
渋谷の街を歩くのと山を歩くのと同じだと思っているようだ。
事故があった場合のことを考えると
学生たちを山に連れていけない気持ちになる。

釣り、昆布、イナゴは過度なる自己防衛であり
自分たちが作った権利の主張である。

それは、子供や学生の事故を
その管理及び責任者の側へ押し付ける考え方と根は同じだ。

川や海岸や山や、園庭や校庭でさえも自由に出入りできなくなれば、
ますます子供を含む人々は外遊びができなくなる。
さまざまな自然に触れ合う機会が失われ、
人々は歩かなくなり、
車窓から眺める押し付けられた景色を自然と思ってしまう。

海岸や川岸や山に自分の足で歩いて、
自然の息吹を、美しさを、
楽しさを、恐ろしさを、苦しさを味わってもらいたい。

この世知辛くなった世の中を変えていかねば、
人々はますます自己の権利を主張し、
子供はますます外遊びをしなくなり、、、、、、、。

人々はもはや五感で危険を察知することさえできなくなってきている。

2008年10月7日火曜日

世知辛い世の中(1)

夏に釧路に帰省した時、兄貴に内地(神奈川県)での川釣りの話しをした。
いたるところで規制があり、好きな時に魚釣りができなく、モツゴやオイカワという小魚を釣っていたり、ヨシノボリをすくっていても漁業関係者がきて、
「許可証は持っているか?」
「今は禁漁期間だ!」
「ここで魚を釣ってはダメ」と云われてしまう。

兄は家族で昆布森海岸に行ったときのことを話してくれた。
小さな子供を連れて陽の当たる砂浜を歩き、お弁当を食べて遊んでいた。
4歳になった息子が砂浜に打ち上げられている昆布を引っ張ってきた。
すると、60歳くらいの頬被りをした腰の曲がった女性がやってきて、
「お宅たち、漁業権を持っているのか?」と怒鳴ってきたという。
その言葉と迫力に驚いて、兄貴たちは声も出せなかったようだ。
小さな男の子が1メートルくらいの昆布を引っ張ったことくらいで、、、、。

川や海岸がいつから漁業組合のものになったのだろうか?

知人のYさんは先日、天気が良いので、5歳になる甥っ子と近くの川に遊びにいった。
川沿いの田圃の稲は、稲穂が金色に輝いていた。
田圃の周りの草叢を歩くと、イナゴがピョンピョン飛び回る。
甥っ子とイナゴ捕りをし始めていると、田圃の持ち主と思われる人から、
「お前たち、誰に断ってイナゴを捕っているんだ?ここはうちの田圃だぞ!」と怒鳴られたそうだ。
あまりの剣幕に、ビニール袋に居れたイナゴを放して、帰ってきたようだ。
畦道でイナゴを捕った訳でもないし、ましてや田圃に入った訳でもない。
イナゴは稲を食べて大きくなったことであろうが、川の土手のイナゴの所有権なんてあるのだろうか?

2008年10月5日日曜日

秋はどうして物悲しい?

昨日の境川沿いの秋:
アメリカセンダングサやススキが秋の気配、向こう側は横浜市。
近隣の花好きの人が植えたと思われるコスモス(秋桜)がサイクリン道路沿いで秋の陽を受ける。
何故、秋は物悲しくなるのだろうか?
あんなに嫌に思った蒸し暑さがなくなったのだから、喜びに満ち溢れた気持ちになってくると思うのだが、そうではない。
夏の暑さが恋しくさえ思うのは何故なのだろう。
冬から春になった喜び、春が近づいてくるウキウキした気持ちになるのは解る。
が、秋の寂しさ、人恋しさは何故?
と、アフリカのタンザニアに3年居た時のことを考えた。
雨季に入った時の喜びがある。
半年くらい乾期が続き、木や草ばかりでなく土や岩も乾ききってしまい、川床を掘ると腐ったような水が染み出してくる。それでも飲む。
ジーパンは洗って絞らなくても2時間くらいで乾いてしまう。
ありとあらゆるものが水を欲しがる。
そんな時にしだいに空気が湿ってきて、ダッダァーと雨がくる。
これは、水が欲しいので現実的な喜びである。
しかし、雨季が2、3週間くらい続くともう嫌になり、乾期が待ち遠しくなる。
乾期が来ると、ようやく雨季が終わってくれたかという喜びとまた水を求めて歩かなければならない思いが交差する。
タンザニアに居た時には、気候によって感傷的にはならない。
日本の四季はそれだけ穏やかであるということで、心に余裕を持たせてくれるのかな?

2008年10月4日土曜日

ハリネズミの死骸が売られていた

お土産のヘラジカの上顎文鎮で、思い出した。
下のモノは、12、3年前に東アフリカのタンザニアの市場で売っていたものを購入した。
ハリネズミ{食虫(モグラ)目}の頭骨の乾燥したものだ。

これは、どのような目的にために売られていたとおもいますか?

この頭部、当初は水に浸けて腐らせて頭骨標本を作るつもりでしたが、これだけでも十分に歯式は見えるし、何と云っても皮膚から針が出ているのが、皮膚の裏からも見られるのでこのままにしている。
古いスルメのような匂いがする。
ハリネズミはアフリカ・ヨーロッパ・アジアに広く分布しているが、日本には生息していない。
が、近年、伊豆や小田原で見つかっている。
ペットが逃げたものだ。
あるいは、こころない者が逃がしたと思われる。
ブラックバスと同じように日本の自然を壊しているのだということを知ってもらいたい。

秋の気配

今朝は紺碧の空の下、カメラを持って横浜と藤沢の間を流れ片瀬海岸に注ぐ境川沿いのサイクリング道路へ:
子供の頃夢中で追ったトノサマバッタが日向で身体を温めている。
セイタカアワダチソウの花の上に、ウマオイのオスが花を食べている。 右と左では稲の成長が異なる。右はスズメ避けのためのネットが張られており、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな!」になっている。
イナゴを捜したが、飛び出さなかった。

2008年10月3日金曜日

秋の気配の動物たち

10月2日の東丹沢:
7時43分、もう、肌寒いくらいである。林道上に寒さで動けなくなったウマオイがいた。
ウマオイは弱弱しいが、夜になるとスィーチョンと鳴いてメスを誘う。
首尾良くメスと出会って交尾できたのだろうか?
コオロギもキリギリスも春に孵化して、晩秋には死んでしまう。
随分、内容の凝縮した生き方をする動物だ。
失敗は許されない。
ぼくらは来年こそは!と未来へ希望を託す。
ウマオイたちはその希望を子供に託す。
大きなケヤキの木の幹に直径10センチくらいの穴が開いている。きっと、森の鳥たちや動物たちが利用しているのだろう。
穴の下にムササビの糞を捜したが見つけられなかった。モモンガでもここでは暮らせそうだ。 シラカシ、コナラ、ミズナラなどのドングリが早くも、林道に落ちている。それらを踏んでしまうと「ギャー」と叫んで死んでいくようだ。アケビの実はまだ割れてはいないが今年はたくさんアケビの実がなっている。早くも、アケビのタネだけのテンによる落し物が見つかった。 帰路、矢部さんがヤマカガシと指差す。まだ、首の周りに黄色の輪が残るコドモだ。生まれるのが遅かったようだ。この子が冬をどうやって地中に潜って過ごすのか、それまでお腹を満たすことができるのだろうか?このコドモは生まれてすぐに厳しい冬に対応しなければいけない。
ぼくの人生は失敗ばかりだが、大成功は老若男女を問わず多くの友人に恵まれたことだ。

2008年10月2日木曜日

サルナシの森の崩壊

今朝、5時半前に家を出て、矢部さんと共に東丹沢へ:
今日の目的は、サルナシ狩りである。
ぼくら2人だけの秘密の「サルナシの森」に足を向ける。
そこは、標高1150メートル前後あり、ほとんど木に登らずに、背伸びくらいで大量のサルナシが取れる場所だ。
が、驚いた。
「サルナシの森」は崩壊しており、古い炭焼き窯の跡さえも見えない。
(写真は崩壊した跡で木を見上げる矢部さん)
もう、愕然というより苦笑いである。サルナシの生食、サルナシ酒、サルナシジャムを語りながら登ってきたのだ。
サルナシのツルが絡まっている木の梢には、堅そうなサルナシの実が見つかった。
が、余りにも高く、足がかり、手がかりがないような木なので諦めるよりない。
サルがやってきて食べてくれることを祈りたい。 帰路は沢の水でインスタントラーメンの昼食。そばに生えてた三つ葉が旨かった。

この2、3年、サルナシの結実が良くなかったので、今年は期待していた。今年は例年に無く山が崩壊している箇所が多い。

2008年10月1日水曜日

学生の出席率と自分の考え

教えている専門学校で試験をやった。
今回は事前に範囲も、内容も教えなかった。
試験は、20点が穴埋め式で、他の80点は記述式にした。

穴埋め式だと、一応何かの言葉を書き入れてくるが、記述式にすると問題に対する答えをほとんど書かない学生がでてくる。
何も書かなければその問には点数は上げられない。

ぼくの記述式の問には、自分のアイデアで書きなさいとやるのだが、9割以上はぼくが授業で話ししたような内容で書いてくる。
そのような解答は読みたくもない。
が、ときどき自分のアイデアで書いてくる者がいる。
こういう学生は得てして、授業中に目立たなかったり、出席率が悪かったり、あるいは逆に授業中にぼくに注意されることが多い元気の良すぎる学生だったりする。

出席率が良くて、しっかりぼくの授業を聞いているような真面目な学生ほど、面白いくない答えを書いてくる。
この傾向は4年生の大学でも云える。

出席率が良くて、しっかり授業に集中して、しかも自分の頭で独自の考えを出せる学生が出てくるようにするには、どのような授業をすると良いのかまだ暗中模索が続いている。

何故、逃げる?

今日も雨で肌寒い。
6時、新聞を取りにドアを開けようとして、思いとどまり、自室に戻りデジカメをもってくる。
スイッチをオンにし、サンダルをつっかけてドアを開け身体を外にだし、ドアをゆっくり閉める。
ドアがカチと閉まる音がする。
猫吉がいたら、その音に気がつくだろうと思い、ステップを降り、駐車場の角を見る。
奥は少々暗い。が、ヤツがいるのがわかる。
レンズをヤツに向ける。カメラが焦点を合わせようと行ったり来たりしている。
自転車があるのと、暗いので合わせづらいのだ。
撮る。
上手く、ヤツがこちらを見ている。
この不信に満ちた目付き。
すぐぼくが新聞を取ってその場を離れたので、ヤツは逃げはしなかった。
しかし、ナゼ、猫吉は逃げるのだろう。
他所の誰かに虐められたことでもあるのだろうか?
それとも、ノネコ(野良猫)はヒトの側に居ながら、逃げることで生きながらえているのだろうか?
これから、寒い冬をどのように屋外で過ごしていくのだろうか?