「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、性別、年齢、故郷、風習、宗教を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2016年2月4日木曜日

難民の背景  The Background of Refugee

昨日、ベルギーのブラッセルに住む友人のBurtonさんからメールがきた。シリアからの難民に非常に関心を寄せているようだ。彼は今年75歳になるが、1940-45の間、家族に連れられてフランスからの避難民となったようだ。

シェンゲン協定ができる前からヨーロッパでは、各地をパスポート無しに自由に行き来できた。だから、オランダ生まれのゴッホが南仏に行って絵を描いたり、ディケンズのロンドンとパリを行き来する「二都物語」が生まれたり、、モーツアルトがイタリアからフランスまでのヨーロッパ各地を旅行していたのだ。
当時は国の概念が薄かった?ので、ヨーロッパ各地は自由に行き来できたのであろう。その典型がジプシーと呼ばれている人たちの存在かもしれない。
2010年夏にち、Burtonさんとブラッセルで

タンザニアのマハレ山塊国立公園とキゴマの町を行き来するには、陸路よりもタンガニーカ湖を船で行く方が容易であった。マハレ山塊の北にあるムガンボという村でボートに乗って沖合いに停まっている定期船に乗る。リエンバorモンゴウゾウ号と名付けられた大きな貨客船には、ダガーやムゲブカの干し魚の麻袋の間に大勢の人々が乗っている。キゴマという港町に着いて下りるときは、日本人であるぼくは税関を通ってパスポートを見せなければいけない。一緒に乗ったアフリカ人たちは税関を通る必要がない。ザンビア、タンザニアのどの港から乗り降りしようと彼らには身分証明書の提示は必要ない。
1995年乾季、人や貨物で一杯のモンゴウゾウ号、リエンバ号より一回り小さい。

ルワンダで起こったツチ・フツの市民戦争の時は多くの避難民が隣国のザイールからタンザニアのマハレ近郊の地にもやってきた。そのため彼らの定住集落がマハレ周辺にも作られた。
1998年乾季、コンゴ民主共和国のカフジ・ビエガ国立公園近くの国連難民事務所やテント村の跡

アフリカの国境はイギリスやフランス、ベルギーなどの宗主国が自分たちに意に適うように勝手に作ったものであるので、アフリカ人は国内を移動するように移動できる。
そうそう、ぼくがタンザニアの地方を移動してゲストハウスに泊まる時には、パスポートの提示の他に部族名を書かなければいけない。ぼくはいつも”Dosanko”と宿帳に書いた。

ぼくの父親の祖父一家は三重県の員弁郡から屯田兵としてサロマ湖南岸の紋別郡上湧別村の地にやってきたようだ。もちろん、貧困・飢餓のために故郷を捨てて新天地の北海道を夢見てやってきた訳だ。
アメリカはアイルランドや英国を含む多くのヨーロッパの国々を追い出されるようにやってきた貧民たちによって作られた国だ。
1997年3月、NYの自然史博物館

戦争や圧制、貧困や飢餓から住んでいた土地を捨ててまだ見ぬ新天地を目指すのは、人に限らず動物にとってはごく当たり前の行動だ。このような人や動物たちは住んでいた社会では劣位な者たちだ。ぼくらの祖先はアフリカを捨ててヨーロッパに渡り、さらにアジア、アメリカにまで渡っていったのだ。このような新天地を目指す者たちから新しい何かが生まれてくる。

しかし、今ヨーロッパで起こっているシリアやアフリカからの避難民の受け入れを困難にしているのは、その数の多さばかりでなく、中に紛れ込んでいるISの戦闘員の存在が問題を複雑にしている。

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