タチギボウシ、オオバギボウシに似るが花は青紫色である。
ドクゼリ、セリ科の花はシシウドにしてもみなこのように総状につける。ここには、ヌマゼリもある。
自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。
原発不要・核廃絶
今日は、午後から妹と釧路川に行った。
川下の方を眺めると製紙工場がみえる。
ハシドイはモクセイ科であり、ライラック(リラ)よりも匂いでは落ちるが、日本原産のものだ。
キンロバイだ。メアカンキンバイが木本となったようなものである。 これは、家庭の庭や校庭にも植えられていた。もちろん我が家にも2本あった。このキンロバイは公園で。
こども頃大半を屋外を跳びまわっていたので、懐かしい花や木が目にとまる。
ユスラウメの実である。
これは、実というよりもタネである。
老母の認知症が進んだ。
カラスの実と呼んでいた。
ナナカマドの実である。
秋になると真赤になり、2月頃まで実をつけている。
真冬には飼い鳥のように綺麗なキレンジャクが群れて食べる。
ニワトコの実である。これも赤く熟す。
木の名前を知ったのは大学に入ってからであり、幹の髄がコルク質になっているので生物実験でプレパラートを作る時にそれに挟んで切って、顕微鏡でのぞいた。
とうとう、今日は朝からガスストーブをつけている。室温を22度に設定している。
晴れて欲しい。山を登れないので、釣りをしたいし、湿原も歩きたい。
テングザルもキンシコウもコロブス亜科のサルであり、この仲間はLeaf Eater(葉食者)と呼ばれ、葉を食べて栄養としていけるサルたちである。
そのため、彼らの胃の中にはヤギやウシのようにバクテリアがいて植物繊維のセルロースを分解・発酵する。
テングザルばかりでなくハヌマンラングールも果実があれば果実を食べるという。
今学会でこのことを知って衝撃を受けた。
彼らがチンパンジーやニホンザルのようにバナナを食べると急に血液中のpH濃度が酸性化してアセドース(酸性過多症)になると聞いていたことがあったからだ。
発表者に聞いた。果実は熟していないもののようだ。
また、ハヌマンの子殺しで有名な杉山幸丸さんにも聞いた。
ヒマラヤ山麓にはアカゲザル(ニホンザルの仲間)とハヌマンラングールがいて、冬季になるとアカゲザルは麓に下りていくが、ハヌマンは残って冬芽や樹皮を食べて過ごすようだ。
つまり、Leaf Eaterと言われるコロブス亜科のサルたちは葉や樹皮を食べても、それらを分解・消化してもらって生きていけるということだ。
上は、秦嶺山脈のキンシコウのオスとメスの抱き合いである。
昨日、試験が終わった。11時過ぎまで採点し、今朝4時に起きて採点を続けている。明日中には終えたい。
北海道の夏山は、夏と初冬が同居すると思って間違いないだろう。
上は、ぼくの助手件同僚としていつも一緒にマハレ山塊を歩き回ったトングエ族の人たち。
彼らとサファリをしてキャンプ生活だけでは疲れてしまうので、宿屋に泊まることがある。
すると、そこの宿帳に自分の名前、国籍、パスポート番号を記載し、さらに部族名まで書かなければいけない。そんな時はいつもDosankoと書いて、宿屋を安心させている。
日本では、民族とか部族とかまったく気にすることはないが、タンザニア以外の国では、出身部族名は結婚でも就職でもいろんあ形で左右されることになる。しかし、タンザニアでは120を超える部族間で争いはなく、みな写真のように仲良くやっている。互いに、相手との違いをはっきり認識することで仲良くできるのである。一番上の写真を撮ってくれたのはキリスト教徒であり、写真に写っている左の主任官吏官はイスラム教徒である、当然奥さんの数が違う。ぼくの助手たちは都合の良いところだけイスラムやキリスト教である。
丹沢ではコマツナギは6月頃から咲いて10月くらいまで咲いている。 花期が長いので、小さな豆を採ってきて植えたのだ。僕の前の座席には若い女性の会社員が二人、何やらおしゃべりしている。
川崎で年寄りの女性も乗って来た。
僕の前の女性も席を譲ってやろうとはしない。
品川、寝ている赤ちゃんの重さは大変なものだ。何度も赤ちゃんを抱きなおしたりする。
僕前の席に座っている女性は全くこの赤ちゃんをだっこした女性には気がついていないかのようだ。
とうとう赤ちゃんを肩に載せた。
新橋で二人の女性会社員が降りた。年寄り女性が赤ちゃんを連れた女性に声をかけて二人で座った。
先週、高校の同級生たちと飲んだ。
下は、4年前小田切敬子さんより同定を依頼された、霞ヶ浦産のハタネズミである。
湯河原産と霞ヶ浦産の拡大したものを載せます。
このフウラン、1983年夏の小豆島のサル調査で、寒霞渓の山頂の店で一株買い求めたものだ。今、慌てて5月30日の「丹沢サル観察し隊」の皆さんと自然観察をした時に枝をもらってきたバイカウツギの枯れて萎んだ花の匂いを嗅いだ。なんとまだ、匂う。