「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2008年9月17日水曜日

奥多摩の登山家のクマによる事故

奥多摩在住の登山家の山野井さんが親子クマに襲われて、大怪我をしたようだ。
命に別状がなくて良かった。
山野井さんは夫婦で世界の高峰を目差す登山家で、自宅の中にまでロッククライミングの練習用のものをつくっている。
以前、テレビ番組で彼等夫婦の生き方をみて、自分のやりたいことと貫いていることが素晴らしく、また、羨ましいと思った。

その彼がジョギングをしていて親子グマに出会って襲われ大怪我をし、地元の猟友会がその親子グマを捜し追っているようだ。

山野井さんはお気の毒であるが、奥多摩を含む私たちが住んでいる多くの地域はクマを含む野生動物の棲家に隣接しており、そこに山野井さんを含む私たち人間たちが居候しているようなものである。

ヒト一人の命は地球より重いという例えがあるが、クマを含むサルやシカやリスなどの野生動物も地球の自然を支える一員であることに変わりがない。
山野井さんという有名な登山家がクマに襲われることによって、マスコミによってクマばかりでなく多くの野生動物が害獣として扱われ、喧伝され、「裁判」を受けないままに有無を言わさず処刑されたり、捕獲されることを危惧する。

ただ、山野井さんの御両親が息子を襲ったクマをまったく問題にしないでお話ししている姿をニュースでみたが、すごく爽やかな印象であり、山野井さんの早期回復とこれからの活躍を祈りたい。

リスの食痕?

林道ゲート前の駐車場際のチカラシバが力強く伸びている。
久しぶりの丹沢水沢林道歩き
家を出て、5時半に矢部さんを拾い、丹沢へ向かう。
林道歩いていると、矢部さんが「リス!」と小声を出す。
リスが山側斜面から谷川の斜面へ、、、。
しばらく、リスが横切ったあたりを見ている。
「まだ見える?」とぼく。
「見えません」と矢部さん。
リスが横切ったあたりで、道路を見ると、カラスザンショウの実が散らばっている。
カラスザンショウの実を食べるのかな?と見上げると大きなカラスザンショウの木が林道上に枝を伸ばしている。
今度は、ぼくが「あ、リス!」と矢部さんに教える。
リスがぼくらの前方5、6メートルのところを谷側から山側斜面に、さーっと移動する。
そちらの方へ、2、3メートル進むと道路上にはクマシデの苞鱗が一枚、一枚たくさん落ちている。
タネがついているものとタネがついていない苞鱗が半々くらい。
ついているタネを齧ってみた。ほとんど実が入ってない。
もちろん頭上にはクマシデがたくさん果穂を下げている。
林道上に張り出ているクマシデやカラスザンショウの実を下げているとこでは、同じように実は散らばっていない。これらの実(タネ)をリスが食べた可能性が高い。

2008年9月16日火曜日

猫吉(ねこきち)

今、我家の庭を通るネコは2匹いる。
一匹は三毛猫で一匹は大きい黒猫だ。

軒下に置いてある空の鉢に死んだトカゲが7、8匹いたことがあった。
庭を通る猫がトカゲを殺したのだろう。
庭には来ないが、駐車場に子供の猫が一匹今春より住み着いている。
目を合わせるとすぐ逃げてしまう。
名前を猫吉とつけた。
家族の者たちも「今、猫吉がゴミの網の上にいたよ!」とか、「猫吉が来ないねー」とか、猫吉が話題の主になるようになってきた。

庭を通る猫は、どうどうと歩いて、伸び上がって睡蓮鉢から水を飲み、目が合っても「何か用があるの?」と問いたげな目つきをしてゆっくりと歩いていく。

駐車場の子猫の猫吉はどこかで飼われているのか、いたりいなかったりである。
サンマの残りを置いても来てくれないで、アリンコが集まっていることがある。
先ほど、イカのゲソを鉢受けに容れて置いておいた。
一時間ほどして行ってみると、食べている。
慌ててカメラを持っていったら、残りのゲソを持って行ってしまった。

ぼくは子供の頃も含めて猫を飼った経験がない。

2008年9月14日日曜日

中秋の名月?

13日(土)の夕方の太陽である。
我家の前の道路から西に沈む太陽が、まるで中秋の名月のように沈んでいった。
何人もの人が足をとめて見入った。
ベトナムに行った8月下旬、どの街でも大々的に月餅が売られていた。
春節(旧正月)の次に中秋節の祝いが行われる。
知人や友人に月餅を贈り、家族が一緒になって月餅を食べる。
中秋節に月餅を食べるのは中国はもちろん、太陰暦の二四節季が伝わった周辺諸国みられるようだ。

ぼくが子供の頃は、十五夜の日に、ススキや野の草花を花瓶に挿し、お団子、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、カボチャ、ブドウやナシ、モモなどが窓際の机の上に置かれていた。
今では、そんな行事もしなくなった。

遠くのザイールの山並みに赤々と沈む太陽の美しさに見とれていた生活を思い出した。

家の周り

ユリ科のツルボが目に付いた。
線路沿いに夏の真っ盛りの時に咲く。
アサツキのような球根があるが、食べられるのだろうか?
早朝の散歩をしながら時々走ったりしている。
走れなくなっている。身体全体が重い感じだ。昨夜量ると71キロ。これでも減ったはずだ。
今朝は、行きはジョギング、帰りは歩いた。
境川に沿って、水田があり、稲穂が重たげだ。
「稔るほど 頭を垂れ」かと思いながら歩く。
もう、ススキも元気良く穂をだしている。
「枯れ尾花」までまだまだかかりそう。
ノビルが白い花を咲かせ、ツユクサが青い花を、ツキミソウが黄色の花を咲かせている土手を後にしてきたら、家の側の線路沿いのツルボが咲いているのに気がついたのだ。

歩くということは、自分の周りに目を向けられるということを今更ながらわかる。
しかし、どうして走れなくなったのだろう。走ろうとしても腰が落ちた感じになってしまう。腰を上げ、胸を張って走るんは、雲山さんの云う筋トレをして、体重を減らさない限り無理ですね。

2008年9月13日土曜日

ホトトギス

ホトトギスが咲いていた。
庭にはすでに秋が到来だ。
花や茎の感じが以前あったタイワンホトトギスと違っている。
でも、確か昨年も、一昨年もこの花だった、、、。
ここに移ってきて30年過ぎた。
当初はタイワンホトトギスは地下茎でどんどん延びてはびこるので、晩秋に毟り取っていた記憶がある。タイワンホトトギスの茎は太く、花色や柄ももっと赤茶けたいた筈だ。

で、本で調べた。ヤマホトトギスと花の咲き方がいっしょだが、花がちょっと違う。最近はヤマホトトギスとタイワンホトトギスの雑種ができているという。

結局、タイワンホトトギスを抜き取り、しだいにヤマホトトギスとの交雑種に変わっていったのだと思っている。しかし、このホトトギスは可憐な草姿であり、タイワンホトトギスの荒々しさがない。
これはヤマホトトギスそのものなのだろうか?

2008年9月12日金曜日

オンブバッタ

ベトナムから戻ったら、フクシャが丸坊主になって枯れている。
昨夕、シソの葉を取りに庭にでたら、ほとんど虫に食べられている。
インチパチエンスもなんだか虫食いだ。
今朝、学校へ行く前にインパチエンスをみると、2、3センチくらいのオンブバッタがたくさんいる。
昨夕、気が付かなかったのは葉の色と区別しがたい色をしているからだ。

フクシャを食べ、シソを食べ、今度はインパチエンスを食べている。
オンブバッタを一匹一匹摘んで除くことはできる。
が、止めた。
このわずか数平方メートルの狭い庭でもオンブバッタが生きているんだ。
それに庭はヤブカが多くて長靴、長ズボン、長袖シャツ、軍手と重装備で出ても首筋や耳や顔がやられる。
5分も出ていられない。

狭い庭の睡蓮鉢に水が入っているからボウフラがわく。
シジュウカラが水浴びし、野良猫が水を飲む。
トカゲが動き回る。

トカゲはオンブバッタを食べているのだろう。
時々姿をみる小鳥たちもバッタを食べているのだろう。
あと1ヶ月もするとオンブバッタもいなくなる。
インパチエンスには悪いが、それまで我慢してもらおう。

2008年9月11日木曜日

心地良い文化の違い

mainichi.jp/life/love/news/20080909org100036000c.html参照

フランスの独身女性法相が妊娠し、それが新聞を賑わせている。
独身なのにお腹の大きいのを指摘されて法相は;
私の私生活は複雑なの、、、、。
お腹の子が安定するまで静かにして、、、。
お国が違えばこれほど違うものかと思うほど、彼女の言葉は心地良いほどだ。
しかも、うるさい記者たちも納得する。
公の仕事と私生活と一緒にしないで、分けて考えられることが素晴らしい。
それが、日本ではどうだろう。
公私の区別なく業者と夫婦でゴルフをやったりしていた役人が捕まったけ!
議員や閣僚という権力をチラつかせて、賄賂を受け取ったのは誰だったけ?

変化した環境に対応できない


早朝の散歩から戻って、我家と隣の家の境目の門柱の間を何気なく除くと見たこともない変なものがいる。
木の枝でそぉーと取り出してみた。
なんのことはない。セミである。

アブラゼミの幼虫が地中からでて地面のコンクリートの上を最短でも4メートル歩き、門柱の間の隙間を登り始めた。
が、隙間の間で脱皮が始まった。
コンクリートと鉄の門柱の間は2センチあまりしかない。
幼虫の殻から脱皮しようにも、これ以上身体を出すことができなかったのだ。
翌日、アリに見つかって殺されてしまったのだろう。
内臓が食べられている。

セミが生まれる場所は親によって選ばれる。が、生まれた子供にとっては、生まれた場所から地中生活をして、さらに再び地上に出てきても、祖先たちが行ってきたように、只、登れば良いというものではない。それを選ぶ能力は見につけていない。

セミの生息する環境の変化は、100年前とは雲泥の差だろう。
セミが100年間でヒトが変えた環境に対応して、行動・生態を変えることなどできない。
ヒトは自分で自分の生息環境を作り変えてる動物である。
が、多くのヒトは激しく変わる環境に対応できなく、病死、事故死、自殺となって現われている。
ヒトは、自分で自分の生存を妨げる動物となっていることに気が付かなければいけない。

2008年9月10日水曜日

若者の目

先日、専門学校の卒業生と横浜で飲んだ。
彼女は、専門学校を出た後、青年協力隊で環境教育指導ということでガテマラに行っていた。
そこで、ワシントン条約では取引が禁止されている野生動物たちが、取引されている現場をみてきた。
中米の野生鳥獣が、日本を含む国々に流れていく。
自分の小さな存在では、取引を止めさせることは並大抵の努力ではダメだと知った。

ガテマラにいる時、日本の大学に野生鳥獣の取引に関するそんなことを調査・研究している大学があるなら大学に進学したいと言っていた。
スペイン語はもう自由に議論をできるくらいになっているようだ。
帰国してから、帯広畜産大学に進学した。

今回、横浜で会ったのは、夏休みを兼ねて東京にあるWWF内のTraffic Japanに研修に来ていたのだ。
彼女はスペイン語ばかりでなく、英語も自由に操れるようになるために英国に留学したいという。

夢を語る彼女の顔は、ぼくが以前知っている顔でなく、眩しいほど輝く目をしている若者の目になっている。
久しぶりの輝く目だ!
輝く目を持っている若者は、それだけで周囲の者たちに明るさと勇気をくれる。
多くの輝く目を持った若者が出てきて欲しい。それは、中年を過ぎた大人の問題なのだろう。