昨日、性行動学者の友人と飲んだ。
飲み放題で、ぼくらはそれぞれビール6杯は呑んだ。
満足している。彼とは、飲んで駅の階段から転げ落ちて怪我をしたり(ぼくは無傷だった)、中国のキンシコウの調査地でも白酒をしこたま飲み何度か前後不覚となっている。
彼は、訳本以外に10冊以上の本を世に問うている。
その中の一冊、「ヒト家をつくるサル」京都大学出版会が、中学生の受験用国語の問題集に取り上げられたというのだ。それによって、毎年1万円のお金が振り込まれるようだ。
ぼくは、小中高の頃の国語は嫌いだった。
特に、試験問題だ。
次の文章を読み、問に答えよというのが不得意だった。
〇〇がこれというのはどの語彙、あるいは文章を指しているかというのが特に苦手だった。
しかし、友人の文章は論理的な文章なので、主語・述語・目的語が明快なのだ。
彼の名は榎本知郎だ。彼は、論文を書くために論理的な文章を書くための
練習を40年ちかくしてきたために、一般書でもそのような書き方になってしまうようだ。
小中学校の国語の試験問題で、主語はどれか?目的語は?
あるいは、「それ」とは何を指しているかとう問は答えられなかった。
日本語、ぼくらが日常話していることば、あるいは書いている言葉は、論理的とは思われない。
しかし、それで何一つ不自由はしないし、それが当たり前、普通だと思っている。
日本語というのは、主語さえも曖昧なことが多い。ましてや述語や目的語は曖昧模糊とている。
友人の榎本氏の本の文章が、中学生の国語の問題集に取り入れられたことは、
友人としても大変うれしいことだ。もちろん、彼も喜んでいる。
そのため、昨日の酒は旨かった。
そのため、昨日の酒は旨かった。
しかし、と論理的に文章を掛けないぼくは思うのだ。
日本語なんだから、曖昧模糊とした文章でもその中の文意が伝われば
いいんじゃないのと思っている。
今日は、慶應の学生と丹沢に行ってきた。
朝飯を食べずに行ったせいか、あるいは暑かったせいか、バテバテだった。
下は、今年初めてのホコリタケの仲間ノウタケだ。
もちろんまだ若いのでゲットしてきた。
日本語なんだから、曖昧模糊とした文章でもその中の文意が伝われば
いいんじゃないのと思っている。
今日は、慶應の学生と丹沢に行ってきた。
朝飯を食べずに行ったせいか、あるいは暑かったせいか、バテバテだった。
下は、今年初めてのホコリタケの仲間ノウタケだ。
もちろんまだ若いのでゲットしてきた。
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