「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2009年10月13日火曜日

持ち去られた小鹿!

今朝、早起きできたので丹沢・ハタチ沢へ向かう。
先月20日の実習で剥皮した小鹿の状態を見るためでもある。
http://tanzawapithecus.blogspot.com/2009/09/blog-post_20.html
が、置いた場所に痕跡すらもない。
あたり半径20メートルくらいの中を念入りに探す。
見つかったのはあの小鹿のものではないシカの左足の脛骨(下)。


まだ、あれから1ヶ月も経っていない。台風で流されたわけでもない。
肉食動物たちやイノシシが持ち去ったのか?
それにしても一欠けらの痕跡も無いとは驚きであり、動物たちの消費分解能力に脱帽だ!

2009年10月12日月曜日

山帰来

伊勢沢林道の山側斜面の路肩に積もった土砂や枯れ枝をブルで、綺麗にし、斜面や林道を覆う枝やツルが切り払われていた。

サルトリイバラの蔓が切り払われていた。

昔、山に入った梅毒患者がこの赤くなった実を食べて治って戻ってきたということからサルトリイバラのことを山帰来という別名があると何かの本で読んだことがあった。で、本を探したが分らず。
何のことは無い。ネットで「山帰来」と検索したら、以下に詳しい。

若芽は天婦羅に、実を生食もできるようなので今度は試してみよう。
いずれにしてもシオデと同じユリ科なので美味しそうだ!

秋の色の一つ

コムラサキシキブの実が色づいている。
ここは朝日しか当たらない気の毒な場所、植え替えてやりたいが、場所が無い。
そんな一日2,3時間しか日があたらない場所でも花が咲き実をつける。

日があまり当たらないせいだろう。紫色が淡すぎる。

これから葛西の専門学校でのチャレンジキャンパス
高校生は運動部以外、屋外活動をしないようだ。
今日来る高校生も青白いだろう。

2009年10月11日日曜日

この良い匂い!

日が差しはじめてきたので、窓を開ける。
あ!この匂い!
キンモクセイの香りが部屋に入ってくる。
先週から街を歩く人たちの気持ちをやわらげてくれる匂いだ。


我が家の庭の選定され、切り詰められたキンモクセイにも橙色の小さな花。


庭木は可哀想だ。自由に伸ばしてやりたいが、近隣の家との兼ね合いからそうもいかない。
毎年、毎年切られることになる。
そういえば、先週の伊勢沢林道でも工事車の荷台に乗った人が林道を覆う枝を切り払っていた。
山でも木々は自由に手足を伸ばすことができないのだ。
ウサギに食べられ、シカやカモシカに食べられるならまだしも、ヒトの都合で切られる。
まるで経団連の御手洗キャノン社長のように都合が悪くなれば切り落としていく。
ヒトがヒトを切るのは殺人と同じだ!

2009年10月10日土曜日

東丹沢の秋:伊勢沢林道で

昨日、伊勢沢林道でお昼を食べたところでヤブキリをみつけた。大事な右の後足がない。ぼくがこの草むらを座る場所をさがして歩いたために慌てて隠れようとしたために彼女の足をもいでしまったのかもしれない。
このキリギリスによく似たヤブキリは、日本刀のような産卵管をもっているメスを多く見つける。
ヤブキリはキリギリスより羽などは大きいが、キリギリスの「ギー、チョン、ギー」という鳴き声よりもか細い音色で鳴いている。
キリギリスは素手で捕まえるとすぐ噛み付き、結構痛い。が、こやつは大きいのに噛む力はどことなく弱い。

コオロギやヤブキリたちのような鳴く虫たちも朝夕は寒くなってきているので、もう少しの命である。
このメスは卵を産むことができたのであろうか?

赤くなりかけたハダカホウズキの実が目にはいった。葉の上にクモが日向ぼっこをしている。
クモの目って結構愛嬌がある。
このクモは網を張らないで待ち伏せして獲物を捕まえるのだろうか?
クモの図鑑を持っていないので、名前を調べることができない。

赤いハダカホオズキ。ナス科の植物には、ジャガイモやピーマン、トウガラシなど有用野菜となる植物もあるが、ハシリドコロやチョウセンアサガオなど毒草も多い。このハダカホオズキも危ないようだ。でも、小鳥たちが食べているから分散していく。なお、タバコもナス科だ。

アカメガシワが黒い実をこぼれそうにつけていた。
コブシやモクレンにも似た奇妙な実のつけ方だ。

2009年10月9日金曜日

秋の丹沢

今日は、早起きして丹沢へ行く予定であった。5時に起きたが、二日酔いで頭も身体もすぐれず。水を飲んだり、コーヒーを飲んだりして、8時過ぎに家を出る。
伊勢沢林道をゆっくり歩く。工事車両が後ろから追い抜いていく。音見沢橋のところに12月4日まで森林保全の工事という看板がある。
音見沢橋をわたり、焼小屋沢橋を過ぎて、ようやく身体が汗ばんでくる。
時計を見ると12時だ。日陰で鳥屋の店で買ってきたカツ丼弁当を食べる。
が、何だかカツとは違う歯触りである。一口噛み切って、切り口を見る。
これは魚だ。だが、
カツ丼って印刷した紙を張ってある。
何の魚かちょっとわからなかった。

ヤクシソウが咲いていた。

ヤクシソウの近くに大好きなリュウノウギクが咲いていた。

サルナシを見つけたが登る手がかりがない高木に絡み付いている。

左足をかばいながら歩いたので、結構疲れ、帰りは運転をしながら眠気と戦った。

2009年10月8日木曜日

学生からもらったイヌの頭骨

昨日、専門学校で、授業を始めようとしたらS.Ando君から、不透明のプラスチック袋の物をプレゼントされた。
イヌの頭骨である。下顎骨はないが、全ての歯が揃っている中型犬のものだ。

今朝、じっくり見なおすと、左の頭頂骨に生前に傷つき治癒した痕がある。
これは、手製の空気銃のようなもので撃たれたものと思われる。

さらに、良く見ると、後頭骨の項稜部分が縦12ミリ、横最大5ミリの幅で切り取られている。
黄色の線で囲った部分である。
これは、生きている時に首根っこを大きなサバイバルナイフか鉈か斧状の物で切られ、
それが致命傷となったものと思われる。

S.Ando君の話では、この可哀想なイヌの頭骨は海岸の草むらで見つけたようだ。
おそらく、幼犬の時から付近の中学生くらいの少年に虐められ、
最後には、、、、、、。

この頭骨のイヌ君、今は優しい飼い主に出会って楽しい暮らしをしていると思いたい。

2009年10月6日火曜日

アカマツのエビフライを作ったのは誰?

2月に湯河原野生動物探検隊の集まりで拾った数々のエビフライ
手を広げて見せてくれるのはk-ta隊員

このエビフライの作成者はリスか?ネズミか?take隊員が判断できないものもあった。

エビフライのことが気になっていて、Collins Guide to Animal Tracks and Signs を読んでみた。
リスとネズミによって作られるエビフライの違いについて次のように書かれてあった。

見つかる場所:リスのエビフライは開けた場所。 ネズミのエビフライは隠れることができるような場所
エビフライの頭側(マツカサが木についていた方):リスのは根元がボサボサした毛房状になる。ネズミのはきれいに噛み取られて丸くなる。
エビフライの胴体の表面部分:リスは軸から離れるほどボサボサ状態。ネズミのエビフライはなめらかとなる。
噛み取った鱗片の状態:リスは鱗片がしっかり残る。ネズミに関しては記載ナシ。

ということで、湯河原で拾ってきたエビフライを確かめた。1個だけネズミのものと思われるエビフライがあった。

左がネズミかな?右がリスであろう。    

2009年10月1日木曜日

地震

アメリカ領サモアで大きな地震があり、日本沿岸への津波が心配されたが小さなものだった。
昨日はスマトラでも大きな地震があった。
9月にはジャワでも大きな地震があった。

子供の頃に十勝沖地震があり、津波がくるというので釧路市内の多くの人たちが高台に荷物を持って登ってくるのを歯をガタガタさせて、ただ立ち尽くして見ていたことがあった。

安定している筈の大地が揺れるというのはなんとも恐ろしいものである。

東海沖地震がいつきてもおかしくないと云われ始めてもう30年は経っている。
東京は週3日、電車に乗って出かけている。東京で地震に遭った時のために、瓦礫の上でも歩けるように登山靴をいつも履いている。コンパスも常に持っている。明日からはザックに水も持ち歩こう。

パダンには霊長類研究所に留学していたアムジルさんがいた。地震は大丈夫だったろうか?

2009年9月30日水曜日

貧富の差(続々)

タンザニアのマハレ山塊国立公園のビレンゲ基地:
基地で働くレインジャーや管理官の子供たち
山から降りて来たら、右の川で食器洗いや洗濯をしていた。

トングエ族の子供を含む複数の部族の子供たち、
左の木の葉に隠れて座っている子は主任管理官の子供である。
ここでは、食べる物着る物に差がない。

2009年9月29日火曜日

貧富の差(続)

タンガニーカ中央にタンザニア側から突き出したマハレ山塊を北から南に縦断する。
トングエ族の人たちが井戸から水を汲み上げていた。

タンザニアには有名なマサイ族を含む86以上の部族がこの国で生活している。経済を握るのはインド人、アラビア人、ヨーロッパ人である。
国民の大半が貧しい。が、こここの人たちは明るく、よそ者をもてなすのが好きである。

ぼくは、3年間この国で暮らした。86以上の部族があるのに、ぼくが付き合ったのはトングエの人たちである。
トングエの人たちの中には金持ちはいない。というよりも金持ち=富める者ができないようになっている。食事時に歩くとと「カリブー」(いらしゃい!)と声が掛かる。

お金がなくても収穫がなくてもカリブーと声を掛けられるので生きていける。また、持たない者が持つ者に対して、物を要求すると、その物を与えなくてはならない。ぼくが使用人たちに渡す給与はその日の内に無くなる。両親兄弟親類がお金を借りにくるからだ。もちろん、借りるだけで返しはしない。

それは、村でも同じだ。富める村はできない

2009年9月28日月曜日

貧富の差

中国では海岸部と内陸部、都市部と農村部、漢族と他の民族、一部の金持ちと大多数の肉体労働者との間の貧困格差が拡大しているようだ。
それは、ぼくが2000年2月に西安に行った頃から見られていた。
下は、キンシコウの調査で基地にした百皇廟村の風景、西安の方を眺める。

耳に入ったところによると、この村の多くの人たちは西安の街へ家族もろとも出ていったようだ。
中国は共産党の一党独裁国家である。
富を分配し、平等を目指すのが共産党であった筈だ。
それが、幹部の汚職・腐敗がひどい状態まで進んでいるという。

最初に兵馬俑に行った時のことを思い出した。受付嬢がお客である僕が目の前で切符を差し出しているのに、編み物をする手を休めようとしなかった。
あるいは、キンシコウの保護区に入るのに、僕らにとっては不思議なお金を払わなければいけなかった。払うと幹部たちとその土地のレストランで宴会である。
そうそう、こんなことがあった。屋台で一個のキュウーイフルーツを買おうとしたら、保護区の役人が屋台の女性に何か一言二言云うと、女性は仕方なさそうにぼくに一袋あまりのキューイフルーツを手渡してくれた。お金を払おうとしたら、役人が手を振って遮った。すごく後ろめたい気持ちでその場を後にした。

富める国は貧しい国の安い労働力の上に成り立っている。富める人は貧しい人たちの上になりたっている。派遣会社は、以前の手配師たちと同じではないか!手配師(派遣会社)を必要とするような会社をなくしていかなくては、、。少なくても貧富の格差の拡大は人々が荒ぶ。
誰もが富める社会を望むよりも、誰もが貧しい社会を望みたい。

2009年9月26日土曜日

秋の収穫

庭の軒下から出てくる長芋(ナガイモ)のツルに今年は大粒のムカゴがたくさんついた。塩とバターでフライパンで炒めてビールの摘みとし、何度かに分けてムカゴご飯をたべた。
イチゴパックに容れるとあふれるくらい採れた。

昨夜は、トルコ旅行の反省会を我が家でやって、ムカゴご飯を出した。もちろん好評であった。
山菜やキノコ、あるいはサルナシをたくさん採ると豊かな気持ちになる。
つまり、蓄えるほどたくさんの食物は気持ちを落ち着かせる。

しかし、このような余剰の食物の蓄積から富める者とそうでない者との差が生まれたのだ。たくさんの収穫物を共同で蓄えて、分配できるようにしたいものだが、、、。

2009年9月24日木曜日

こころの風景

人は各人がそれぞれ自分の心の風景をもつのだろう。
本を一つ取り上げても、読んだ時期がほとんど同じなのに受け取り方がずいぶん違う。
子供の頃、食べた物においても人それぞれの受け取り方が違っている。
ぼくはご飯が嫌いで、ジャガイモ、カボチャ、サツマイモ、トウモロコシの食事が好きであった。しかし、これが嫌だった言う人がいて驚いたことがある。
子供の頃、遊びまわった屋外の風景も同じように各人に違って受け止められているのだ。
下は前の家に植わっているナツメのの樹とその実

生まれてから高卒まで暮らした北海道釧路出身者にとって、ナツメという言葉は何故か憧れの懐かしさ、小学校唱歌の内地の風景を思い起こす。
小中学校で習ったすべての教科書に出てくる挿絵の風景は、遠い海を隔てた異国の風景であり、国語や音楽や理科、社会に出てくる桜や柿や水田、稲穂、気候や、鎮守の祭りのお話は北海道では味わえないものであった。

ぼくは教科書の中の街や田園の風景に憧れた、梅雨や台風にさえ憧れた。
生まれ故郷の心象風景は、灰色の空に覆われた寒々とした荒涼とした原野(釧路湿原)に埋もれる家屋である。

かっての日本人が欧米が憧れ、日本を卑下し欧米のすべてを美しく思い描く。
このようなことが宗主国である日本が日本語を含めてアジア各国に押し付けた時代があったのだ。今も帝国主義的に商品や文化という名である特定の価値観を押し付けている。

生まれ故郷が暗い寒々としたイメージを持つような子供を作り上げる教科書を含む文化は間違っているだろう。
そういう意味で、政府が変わったことによって美しい故郷が、水没から免れると考えられないものだろうか?
地方に目を向かせなく、東京へ、都会へという流れを作ってきたこれまでの政府の教えを払拭させる良い機会でもある。

2009年9月22日火曜日

丹沢実習で(4):このハチは?

丹沢実習で、見つけた昆虫。
ハナムグリが、、、、。

この腹部の長いツチバチの仲間が、幼虫を持って地面の上を這うようにして移動している。写真を撮ろうと近づいたら幼虫を置いて飛んでいった。しかし、また同じ幼虫を運んで移動していた。

最初に、置き去りにした幼虫をお玉の上に乗せて焼いて食べてみた。少しカシュナッツのような味がした。

このハチを調べた。キンケハラナガツチバチとも違う。なんというハチだろうか?そして幼虫はスズメバチの幼虫ではないかと思った。

イナゴやハチノコ、テッポウムシを食べるような昆虫食は、日本ばかりでなくアジアやアフリカでも見られる。東南アジアではクモ、ゴキブリ、セミ、タガメなども焼いて食べる。もともとサルの祖先は食虫類のような哺乳類だったようなので、サルやチンパンジーたちは多くの昆虫を食べる。ぼくらは魚、鳥、哺乳類の肉食は盛んだ。健康の面からも昆虫食による動物タンパクの摂取をすべきかもしれないと思うがいかがだろうか?

丹沢実習で(3):小鹿の年齢?

丹沢実習で、女子たちが拾ってきたオスの小鹿の下顎の切歯・犬歯を上から写真を撮った。
シカやカモシカの仲間の下顎の犬歯は切歯と同じように並び、まるで切歯が4対あるようにみえる。

左の第一切歯が乳歯から既に抜け替わり永久歯になっている。
右の第一切歯はまだ乳歯のままで、小さな歯だ。
エゾジカでは第一切歯が抜け替わるのは生後2年目の冬ということだ(小池・大泰司、1984)。
エゾジカの例をニホンジカに当てはめると、この小鹿は今年生まれではなく昨年生まれの個体なのだろうか?
とすると1歳半となるが角が出ていない。
身体の大きさからは今年生まれの個体と思ったのだが、、、。

2009年9月21日月曜日

丹沢実習で(2):カモシカに出逢う。

小鹿の解体作業を終え、林道を歩く。シカの足跡がアスファルト上に残る。正面の斜面に何かが動く。カモシカが急斜面からこちらを見ている。

斜面の直下まで近寄って写す。

若い個体と思ったら、そうではない。年齢推定に使われる角輪がいくつも重なってみえる。写真で見る限り7歳以上の個体だ。それにしても黒い毛皮の持ち主だ。
さらに歩いたところで再び別のカモシカを見つける。

サルのクワンという警戒音が前方の谷間に響く、先に歩いて学生にサルを見なかったか?と尋ねるとシカは見たがサルは見てないようだ。
カーブミラーにはサルの手形がついている。

林道終点となり、そこから尾根にとりついて稜線を目差す。急な登りであるし、途中からスギの植林地で間伐した幹や枝打ちした枝が縦横に転がっているので歩きづらい。稜線にでて一休みし、堤川林道を目差して下る。
稜線の直下にあったアナグマの巣穴

下は昨日見つけたエビフライ。

今回は、シカ、カモシカ、サル、アナグマ、リス、ムササビ、さらにはネズミのクルミ食痕などのフィールドサインを見つけることができた。
小鹿はオスで、左の第一切歯が永久歯に生え変わったばかりで、他は乳歯であった。この時季に面白半分で動物を撃つ人がいるのだ。もっとも6月に散弾で撃たれたばかりのタヌキを拾ったことがあるが、山歩きでそんな人たちがいるなんて恐ろしい。
猟期外の猟銃は警察に保管されるようなことにしてもらいたいくらいだ。

2009年9月20日日曜日

丹沢実習で(1):小鹿を拾い、運びおろす。

18日(金)・19(土)と一泊二日の丹沢野外実習があった。
山歩きが少ないので、自分たちで地図と磁石をたよりの尾根歩きをしてもらった。
男組と女組の2グループに分かれて、高畑山山頂で落ち合うことにした。
尾根歩きの基本として、高い所、常に高い所を目差して登ることと注意をした。

待ち合わせ時間がきても女組が来ないので、何かのアクシデントが生じたために来られないと判断し、山頂から尾根を下り、キャンプ場に着いた。
女子たちは、ぼくらに「びっくりするものを見つけた!」と目を輝かせて話す。

彼女らがまるで絵本に出てくるような狩人のような姿で、ニコニコと小鹿を担いでもってくる。
そうやって何度も交代しながら運びおろしたようだ。
もちろん、それからは小鹿の死因の話しで盛り上がった。

キャンプ場では解体作業ができないので、明日の早朝、人がやってこないところまで運んで解体することになった。
女子二人が笑いながら早朝シカを運ぶ。

暗いうちに小鹿を置いてきて、キャンプ場に戻り、朝食を食べ、後片付けをして小鹿のところへ行き、先ず、ぼくが皮の剥ぎ方を教える。学生たちの驚きの声をバックにある程度皮を剥がし、学生に代わる。男子は足を持つくらいであった。

綺麗に履皮した毛皮と足を並べて記念撮影。

前脚、後脚は女子たちがそれぞれ欲しがり、尾と耳も女子、頭部も女子で男子は最後まで腰が引いていた。

この小鹿の死因はなんと脊椎を撃たれたことであることが解かった。毛皮に直径1センチくらいの穴が開き、背骨に弾が貫通していた。

2009年9月16日水曜日

ハイイロチョッキリの土に潜る生活史

14日(月)にハタチ沢林道をつめて堤川林道超えの道を確かめたが、その時にもコナラのドングリ付き小枝が大量に落ちていた。
いくつかを拾ってきて、ドングリを確かめた。
ドングリ君のベレー帽の横に針で刺したような穴が開いている。
小さな卵か幼虫を見つけられると思ったが、3個試したがいずれも下のようになっているだけ。
どうも、いずれの場合も幼虫をつぶしてしまったようだ。
まだ、もってきたドングリが2個あるので、1ヶ月くらいしたら割ってみよう。
オトシブミ科のハイイロチョッキリの幼虫がいる筈だ!
ハイイロチョッキリは卵を産んで小枝を切り落とす。卵が孵ってドングリを食べて成長し、出てきて土に潜るということだ。この土に潜るという生活史が夏休みに新釧路川で獲ったゲンゴロウの仲間の幼虫も最後には、水から出て土に潜って蛹になるというのと似ている。コガネムシやバッタは卵・幼虫時代から土の中だが、土の中は安全なのか?安定した環境であることは確かだろう。

2009年9月15日火曜日

トルコの自然(16)サバサンド

前日の夕食はガラタ橋の下にあるレストランで食べ、最後の日のお昼は橋の近くの岸壁の屋台レストランで有名?なサバサンドを食べることにした。
なんとトルコで食べた料理でこれが一番美味しかったのだ。
というよりもそのくらいトルコ料理の濃厚で複雑な味に飽きていたのだ。
岸壁では釣り人がたくさん。
スレンレス製の鉄板の上にオリーブオイルをぬって、その上に三枚におろした棘(骨)抜きの半身の両面を焼く。
パゲットを半分にし、中に焼いたサバとタマネギのスライスを挟んだものが出される。
そのサンドイッチを小さな椅子のようなテーブルの上にある、レモン水(黄色の大きなボトル)、塩(真ん中のボトル)、胡椒(左の小さなヤツ)で自分で味付けして食べる。
下の物がサバサンドである。上の写真のN.Kさんが撮ったものだ。
塩・胡椒とレモンの香りだけの単純な味だけに、ぼくらの口には美味しく感じた。
トルコに着いた最初の日に食べたら、「な~んだ」と思ったころだろう。
街路樹はセイヨウトチノキのマロニエである。果実にトゲトゲがあるのでトチノキと異なる。クリックして拡大してみて!