境川と引地川に挟まれてわが街はある。
それぞれに土手沿いの道はジョギング、散歩、サイクリングをする人たちが多い。
時々、川の鳥たちを見ている人もいる。
暮れに丹沢へ車で行った。道がアイスバーン状態でスリップし、
ガードレールにぶつかりそうになってから、丹沢行きを止めている。
今年は例年になく寒いようだが、30年前ならとても屋外で栽培できなかったようなゼラニュームが庭に植えられて花まで咲かせている。スイレン鉢の水も凍らない。やはり、温暖化が進行しているのだ。
このところようやく、図鑑を見なくても、以下の4種類がすぐ同定できるようになった。
しかし、それもオスだけだ。メスだけではまだダメである。
上からマガモ、コガモ、カルガモ、オナガガモだ。
コガモは本当に小さい。
愛嬌がある。
こやつはクチバシが黄色っぽいのでわかる。
おいしそうなカモである。
顔が少しコガモににているがクチバシは白いし、大きいし、、、。
カモの仲間はまだまだいそうだ!
ぼくはカモを見ると、「鴨獲り権兵衛」の話しを思い出す。
鴨獲り権兵衛のように、かっての日本では鴨は大事な食料だったのだろう。
鴨南蛮蕎麦はぼくが好きな食べ物だ。
カモシカは鴨のように美味しいシカという意味だし、
ガンモドキは雁の味に似せて作った精進料理という説もある。
さらには「鴨が葱背負ってきた」という諺もあるくらいだ。
昔の庶民にとってみれば冬に渡ってくるガン、カモ類はとても美味しく貴重な食料だったのだろう。
アヒルやガチョウに家畜化されて、ぼくらはそれを口にしている。
しかし、今、宮崎や鹿児島で起こっている鳥インフルエンザの蔓延を渡り鳥たちに問題ありとする考え方は間違っているだろう。
ニワトリやアヒルの祖先たちは本来は屋外で飛び回っていた。土をほじくって虫や種子を食べ、十分な体力と病原菌に対しての抵抗力を持っていた。
が、土に接しないブロイラーで人工餌を与えられて、ベルトコンベアーに乗せられたようなニワトリたちは、屋外を飛び回っている鳥たちに比べたら、まるで無菌室で育てられているようなものだ。しかも、病気になったものが出てもそれから離れることなどできない状態だ。
野生の鳥や動物たちには何の罪はない。彼らは病原菌を持っていてもそれに耐えられる個体を生み出している筈だ。ブタ、ウシなど生き物の飼育の仕方を考え直さなければいけないことに気がつかなければ、どのような病気がヒトに蔓延するかわからない。
何よりも彼らはぼくらと同じ脊椎動物だ。
ブロイラーのニワトリを食べて命の大切さも無いものだ。
食べるなら、彼らにもっと生の喜びを味わってもらうように育てたいものだ。
中国やアフリカなどの田舎で鶏を買って食べた味が忘れられない。
中国やアフリカではニワトリよりもハトの方が高かった。