昨日は昼過ぎに近くの小学校の方に散歩した。学校の門の横には毎年ギンナンをたくさん落としている大きなイチョウの木があるからだ。今年も落ちていた。ザックの中にはビニール袋があり、拾いたいが、しゃがんで床や地面に落ちているモノを拾うことはできないのだ。前屈みに歩いているのに、、、、。落ちて踏まれているギンナンをただ写真に撮ることしかできない(図1)。1個でも拾いので屈んだが無理だった。
図1.落ちているギンナン
すぐ側に歩道橋があるので、歩道橋に上がってイチョウの木を見たらまだまだたくさん生っている(図2)。ギンナンの実が踏まれ、車に潰されているのを見るのはぼくにとってはお米を踏み荒らしているのに等しいとさえ思う。もったいない。
図2.まだ木についているギンナン
釧路産まれのぼくにとってはギンナンは暮れに八百屋で売っている高価なモノで、我が家では茶碗蒸しの中にユリ根か栗の実と共に入っていたものだ。それが、道路に落ちて踏み潰されているのを見るのは悲しい。
図4.タヌキのタメ糞のギンナン
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