ぼくは暑い夏が好きだ!
子供の頃は夏休みに海や川で泳げるところに住んでいる内地の人たちが羨ましかった。ぼくが生まれた当時の釧路では20度を超すのが8月に2、3日だけだった。だから、川や海で泳いでも10分でも水に浸かっていると30分は焚火に当たっていた。2度目に水に入るのは覚悟を決めて入った。でも5分くらいで上がって歯をガタガタ震わせながら焚火に当たって終わりだった。
金沢八景にある大学に入って、5月に逗子の海で泳いだ。海の中にビニールやその他のゴミが浮かび都会の海の汚さを知った。当時はもっとも近海が汚れていたときだった。5月の海なのに生温く焚火などしなくてもよかった。
アパートでの暑さはこたえた。動かずじっとしていても身体から汗が噴き出ることは釧路では経験したことがなかった。パンツ一枚になって足を水を張ったバケツに浸していても汗が噴き出るので、最初の夏はそうそうに帰省した。東京・横浜の夏は人が棲めるところではないと感じた。
奥湯河原・箱根で野生ザルを追うようになった。夏の山は暑く、沢の冷たい水を鱈腹飲み、暑い夏を楽しんだ。当時奥湯河原の天昭山神社の境内でテントを張り、雨の日は神社の堂守の夫婦からお堂の中に寝るように勧められた。夜、寝る時にテントの入り口の外に食べた食器類を出して寝ていて、食器についているご飯の残りを食べにきているイノシシやタヌキの鼻息を聴いて楽しんだ。山の夏の夜の暑さは感じなかった。
サル調査で台湾やインドネシアの暑い山を歩き、1994年2月にタンザニアのダルエスサラーム空港に着いた時は蒸し暑かったが、東京・横浜ほどではないと感じた。マハレ山塊国立公園のチンパンジー調査・餌付けで歩き回った。乾季の時はチンパンジーを探すというよりも水を求めて川辺林を歩き回った。飴でも舐めるように小石を口の中に入れてしゃぶると喉の渇きが抑えられるように感じた。
タンザニアには3年居たが、夜は暑くて寝苦しいのはダルエスサラームで宿泊するときだけだった。タンガニーカ湖に面するマハレの家(下の写真中央)や山小屋は快適だった。
実は、今朝3時頃、蒸し暑くて目が覚めた。顔や首、上半身は汗まみれだった。ガラス戸は開けている。が、エアコンも扇風機を点けてなかった。起きてシャワーを浴びた。
こんなに蒸し暑く感じたのは久しぶりだ。身体がまだ暑さに対応できないのか年齢によるものなのかわからない。
0 件のコメント:
コメントを投稿