「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2018年9月16日日曜日

続)山は肌寒かった! cnotinue1) It was chilly in the mountain area.

9月12日に歩いたルートは、水沢橋ー平戸・焼山登山道ー姫次・焼山登山道ー大平分岐ー大平ー奥野林道である(図1)。
図1 歩いたルート(GPSの軌跡)
9:45 簡単な朝食を取り、写真を撮った休み台のところを出発。
9:52 ピークの北側を巻く道を歩いていくと、また、朽ちてつぶれそうな休み台だ。周りのスギの木のために日陰で湿っぽい場所だから、朽ちるのが早い。夏なら日陰の場所で良さそうだが、、、。
図2 朽ちた休み台
上の休み台は尾根上にあり、巻いたピークに登ってみると、下からこの尾根を利用する登山者、山の人、動物たちがいるようだ。トレースが付いている。今、今回のGPSの軌跡を見ると、電子国土では伊勢沢林道から二つ目の橋を渡ってすぐ、正面の尾根に取り付くとこの場所への古い道がある。さらに、この尾根は焼山から下りてきている。よーし、秋になったら下からこの朽ちた休み台まで歩いてみよう。
10:25 沢沿いの道をトラバースして再び尾根状に出る。ここを東南に下ると852のピークに出る。以前行ったことがある。
図3 852ピークへの尾根。トレースが付いている。
上の尾根上の場所から斜面を登り、滑りそうな場所にはトラロープが下がっていたのでそれを利用し、さらに険しい岩場でアドレナリンがドッサリでる。
岩場を巻く道が付いているにも関わらず、ボルダリングではこんな所は簡単な場所だろうっと思ったのが間違っていた。僅か1メートルくらいの岩場を越えるのに10分以上を費やしたかな?
ストックが邪魔、カメラが邪魔、足を乗せるホールドが滑る。右手を岩の割れ目に入れて力を入れたため、肩鎖関節脱臼している右肩の筋肉がきしんで悲鳴を上げている。痛くても、我慢!
ストックやカメラを左手で上方の滑らないところに置き、僅かなの岩の盛り上がりを抑え、身体を持ち上げ左膝を木屑があるところに持ち上げて置いて、体重を左膝に掛けて確かめる。さらに、ストックとカメラを30センチくらい移動させて、左手の手掛かりになる場所を下がす。
右手を岩の盛り上がりに乗せ、右足を岩に滑らせて上げてとっかかりを探す。引っかかりがあったので、右足に力を入れ左膝を浮かせてみる。大丈夫だ!両手と右足に均等に力を入れて身体を持ち上げて左足を膝をついていた場所に着く。
やった!ホットする。ようやく、僅か1メートル足らずの岩場を乗り越えるのにヘトヘトで、喉がカラカラだ。もう、こんなバカげた登りはせずに楽な道を通ろう。
ここを通ってから、再び崩壊した沢のザレ場を渡る。尾根上の道標が見える。
11:35 あの尾根上の道標と休み場だ!休憩だ!10:25の尾根からこの尾根まで約1キロを50分も掛かったのだ。
図4 懐かしい道標と休み台
11:37  この場で恒例の自撮り。この場に来てもう何回、自分を含む同行者の写真を撮ったろう。この休み台でひと眠りしたい程疲れた。しかし、我慢して歩きだす。ここから、姫次・焼山の登山道はすぐだ!
が、目を瞑ったようにして歩きだす、フラフラした歩き方だ。そのため、メガネのピントが合わず、何度もメガネを上にあげる。
図5 ポーズをつける
12:03 登山道直下の扇状地状の平坦地にでる。テンニンソウが繁茂し、花を咲かせているものがある。テンニンソウに隠れるようにしてトリカブトの花もある。ここは雨が降ったら水が表層水となるので、シカなどの偶蹄類の足跡が沢山あり、ヌタ場を多い。
図6 テンニンソウ

図7 トリカブトの仲間
12:05 おー、これは大きなヌタ場だ。長い毛があった。シカかカモシカかどちらかの毛だ。5本持ち帰って、手持ちの標本と比べたら、シカ毛だった。ここから登山道にもっとも近いと思われる斜め右の方向に進み登山道に出る。
図8 ヌタ場
図8' ヌタ場に長い毛がたくさんあった。
12:15 登山道を少し歩いて、もう何年もそのまま立っている神奈川県自然保護センターの通行止めの看板などを眺める。「登山者の皆さまへ」と登山道崩壊のため通行できませんと書いているが、このように書くと恐らく初めてこの道を下って平戸・鳥屋方面に行く登山者はいなくなるだろう。せめて、「崩壊しているが、慎重に歩くとガレ場をトラバースすることができる。自己責任でお願いします。」っと書くとこの登山道はもっともっと使われるだろう。

ぼくが学生の頃は道標などはもちろんなく、石や岩に塗られた赤ペンキや太い木のナタメ(ナタで切りつけた痕)が目印だった。皆、自己責任で歩いていて、南アの荒沢岳の帰路の時は雨にやられ椹島手前で林道工事の人たちの小屋にに泊めてもらった事を今突然思い出した。1966年5月だった。ぼくにとっての初めての山歩きで、静岡出身の故M先輩がガイドしてくれ、トラバースやグリセードという山用語を知った。
図9 通行止めの看板
看板を見ていたら、ここで休みたい。昼寝をしたい。黍殻山避難小屋に行って寝たいと思う気持ちが強くなった。が、携帯を家に忘れてきたので連れ合いに連絡が取れない。いつも、昼前か、遅くても15時くらいまでには帰宅しているので、昼寝して休憩を取っていきたいが、困った。30分でも寝たい。

0 件のコメント: