昨年、11月にお袋の三回忌で帰省した時に、お袋の部屋に寝た。帰省するときは機内では機内誌を見ている内に釧路に着くし、実家ではお袋や親父が見ていた本が片付けられずにそのまま本箱に納まっているので、それを読むことにしている。ただ、帰路の便は同じ機内誌になることが多いので、実家から1、2冊持ってきたものを読む。
司馬遼太郎の「街道をゆく:北海道の諸道」を持ってきた。
この本の中で北海道の開拓のための道路工事や鉄道工事の為に身を粉にして働かされた囚人労働者や騙されて内地から北海道に連れて来られたタコ労働者について書かれた本があることを知った。
刑務所に収監された囚人労働者についての吉村昭の「赤い人」とタコ労働者についての小池喜孝の「常紋トンネル」を司馬遼太郎は読み終えた後、しばらく呼吸ができないほどの胸の痛みを覚えたような事を書いていた。ぼくはこの2冊の本に興味をもった。
正月に入って、アマゾンで「赤い人」と「常紋トンネル」を注文した。「常紋トンネル」は絶版のため文庫本でも1500円くらいした。先ず、「赤い人」を読み、続いて「常紋トンネル」を読んだ。赤い人は1日で読んだが、常紋トンネルは読む途中で何度も休んだ。間を置かないと当時の労働者たちが牛馬のごとく扱われる様子が目に浮かび、苦しくなり、暗澹たる気持ちになってとても続けて読めないのだ。
囚人の赤い人も、周旋屋に騙されて連れて来られたタコ労働者も、氷のような固まった雪原の上を裸足で働かされる。食事は凍ったご飯に漬物だけだ。現在のぼくらには俄かには信じがたい状況の描写の連続だ。人柱として何人もの病気なって動けなくなった者たちを埋葬もせずに埋める。逃げる者たちは捕まると見せしめのためにリンチを受け殺される。警察も行政も見て見ぬふりをする。
肉体労働者の人権が改善されたのは、戦争に負けてGHQがタコ部屋制度を廃止させたからだ。それまでは、朝鮮人や中国人も騙されて半強制的に炭鉱やトンネル工事などで人権無視の強制労働がされていたようだ。
北海道は、屯田兵、囚人、タコ労働者、朝鮮・中国からの強制労働者によって開発・開拓されたのだ。
ぼくが子供の頃のバス遠足は釧路から阿寒湖や摩周湖だった。その道はマリモ国道と呼ばれ難工事であったため、多くの人たちが犠牲になったということを聞いていた。それが、赤い人やタコ労働者だったのだ。
ぼくが学生の頃の肉体労働の仕事は早朝の桜木町駅前で手配師が日雇いの者たちを集めて工事現場や貨物船にマイクロバスで連れていく。日雇いの人たちの中には、ぼくのような学生もいれば中高年の衣類や顔が汚れてまだ飲んだくれている者たちもいた。
手配師は、「兄ちゃん俺の100円出すからこの仕事やってくれない!」なんて言ってぼくらを誘う。ぼくらは船底に潜って小麦をモッコに積み入れたり、道路工事や地下工事の土方作業をやらされた。
手配師から出された100円は当然ぼくらの金をピンハネしているお金だ。戦後までいた周旋屋は北海道まで送り届ける交通費、食費、宿泊代などを前貸したようにして抜け出せなくしている。
周旋屋は手配師に、今では名前を代えて派遣業として労働者を搾取し、派遣された会社・工場は今はブラック企業と云われる。
労働に応じたお金が流れているわけでなく、働いても貧困から抜け出せない。お金の大半は仕事を持ってきた政治家と元受企業が搾取し、残りを下請けや孫請けが取り、労働者はほんの僅かの金だけだ。戦前のタコ労働の世界が現在でも続いている。
日本の建設を含む労働業界は、今も昔も変わらない縦社会の搾取構造をもっている。ゼネコンと云われる大企業が仕事を受注して、下請け、孫請け、さらなる下位の業者が実際の仕事を行う。そんな綻びがたくさん出てきている。原発に直接関わる仕事の労働者、マンションや道路建設の労働者、全て孫請けなどの下位業者の搾取されて低賃金でも働かざるをえない人たちだ。
司馬遼太郎の「街道をゆく:北海道の諸道」を持ってきた。
この本の中で北海道の開拓のための道路工事や鉄道工事の為に身を粉にして働かされた囚人労働者や騙されて内地から北海道に連れて来られたタコ労働者について書かれた本があることを知った。
刑務所に収監された囚人労働者についての吉村昭の「赤い人」とタコ労働者についての小池喜孝の「常紋トンネル」を司馬遼太郎は読み終えた後、しばらく呼吸ができないほどの胸の痛みを覚えたような事を書いていた。ぼくはこの2冊の本に興味をもった。
正月に入って、アマゾンで「赤い人」と「常紋トンネル」を注文した。「常紋トンネル」は絶版のため文庫本でも1500円くらいした。先ず、「赤い人」を読み、続いて「常紋トンネル」を読んだ。赤い人は1日で読んだが、常紋トンネルは読む途中で何度も休んだ。間を置かないと当時の労働者たちが牛馬のごとく扱われる様子が目に浮かび、苦しくなり、暗澹たる気持ちになってとても続けて読めないのだ。
囚人の赤い人も、周旋屋に騙されて連れて来られたタコ労働者も、氷のような固まった雪原の上を裸足で働かされる。食事は凍ったご飯に漬物だけだ。現在のぼくらには俄かには信じがたい状況の描写の連続だ。人柱として何人もの病気なって動けなくなった者たちを埋葬もせずに埋める。逃げる者たちは捕まると見せしめのためにリンチを受け殺される。警察も行政も見て見ぬふりをする。
肉体労働者の人権が改善されたのは、戦争に負けてGHQがタコ部屋制度を廃止させたからだ。それまでは、朝鮮人や中国人も騙されて半強制的に炭鉱やトンネル工事などで人権無視の強制労働がされていたようだ。
北海道は、屯田兵、囚人、タコ労働者、朝鮮・中国からの強制労働者によって開発・開拓されたのだ。
ぼくが子供の頃のバス遠足は釧路から阿寒湖や摩周湖だった。その道はマリモ国道と呼ばれ難工事であったため、多くの人たちが犠牲になったということを聞いていた。それが、赤い人やタコ労働者だったのだ。
ぼくが学生の頃の肉体労働の仕事は早朝の桜木町駅前で手配師が日雇いの者たちを集めて工事現場や貨物船にマイクロバスで連れていく。日雇いの人たちの中には、ぼくのような学生もいれば中高年の衣類や顔が汚れてまだ飲んだくれている者たちもいた。
手配師は、「兄ちゃん俺の100円出すからこの仕事やってくれない!」なんて言ってぼくらを誘う。ぼくらは船底に潜って小麦をモッコに積み入れたり、道路工事や地下工事の土方作業をやらされた。
手配師から出された100円は当然ぼくらの金をピンハネしているお金だ。戦後までいた周旋屋は北海道まで送り届ける交通費、食費、宿泊代などを前貸したようにして抜け出せなくしている。
周旋屋は手配師に、今では名前を代えて派遣業として労働者を搾取し、派遣された会社・工場は今はブラック企業と云われる。
労働に応じたお金が流れているわけでなく、働いても貧困から抜け出せない。お金の大半は仕事を持ってきた政治家と元受企業が搾取し、残りを下請けや孫請けが取り、労働者はほんの僅かの金だけだ。戦前のタコ労働の世界が現在でも続いている。
日本の建設を含む労働業界は、今も昔も変わらない縦社会の搾取構造をもっている。ゼネコンと云われる大企業が仕事を受注して、下請け、孫請け、さらなる下位の業者が実際の仕事を行う。そんな綻びがたくさん出てきている。原発に直接関わる仕事の労働者、マンションや道路建設の労働者、全て孫請けなどの下位業者の搾取されて低賃金でも働かざるをえない人たちだ。
2 件のコメント:
司馬遼太郎の「街道を行く」15北海道の諸道(朝日文庫)を読みなおした。
「赤い人」や「常紋トンネル」を読んだ司馬遼太郎は、文庫本の244ページで、
読んだあと、私など、数日ぼう然とした。と書いている。
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