笹子トンネルの天井の崩落事故は、ぼくらに現在の物の価値観について様々な
事を教えてくれている。
ぼくは、子供の頃から橋やダムなどの建造物を新規に作ることはたくさん目に
ぼくは、子供の頃から橋やダムなどの建造物を新規に作ることはたくさん目に
してきたし、ニュースでも大々的に取り上げられてきた。神主さんが祝詞をあ
げたり、市長や代議士などの偉いさんがテープカットをする。
しかし、これらの維持管理はほとんど目にしたことがない。
しかし、これらの維持管理はほとんど目にしたことがない。
一方、個人住宅では、壁の塗り替えや屋根の葺き替え、さらには歪んだ箇所の
修理・修繕は5年や10年に間に一度修繕が行われる。
その為の費用を積み立てる。
子供の頃なら、鍋に穴が開いたに始まって、テレビや洗濯機、電気釜まで修
理してもらうことができた。もちろん、ついこの間まではカメラも修理しても
らえた。
それが、今、金物店に持っていっても、電気店に相談しても買い替えを勧めら
それが、今、金物店に持っていっても、電気店に相談しても買い替えを勧めら
れる。修理する方が新品を購入する場合よりも高いことさえあるのだ。
先日、カメラが雨に濡れてダメになったので、修理にだした。が、修理代が市
先日、カメラが雨に濡れてダメになったので、修理にだした。が、修理代が市
価よりも数万円も高い見積書が届いたので、修理を止めてもらった。
一時が万事これだ!
途上国に行くと、路傍や軒先で衣類のボタンの付け替えから靴の修理、自転車
途上国に行くと、路傍や軒先で衣類のボタンの付け替えから靴の修理、自転車
や車など、さまざまな修理をやっている。
途上国では日本で廃車にされた車がどうどうと走っている。あるいは、旧型の
途上国では日本で廃車にされた車がどうどうと走っている。あるいは、旧型の
ブラウン管テレビが修理されて使われている。
物が大事にされていると云える。
丹沢を歩いて気が付くのは、シカの防護柵や水源地見回りの道は作られるばかり
で維持管理のための修理をしているのを見たことがない。砂防堰堤や林道は作
られて山は崩されるが、その維持管理は無いに等しい。新しい物は作るがその
維持管理はナシだ。
上のシカ柵は塩水橋から本間ノ頭への尾根
今の社会では造られた物を大事にしないのだ。
命の大切さは、物を大事にする心から生まれるのでないか?
作った物の維持管理をしないのは、命を粗末に扱うのと同じだ。
仕事を正規職員ではなく、派遣職員に任せているのと根は同じだ。
作った物の維持管理をしないのは、命を粗末に扱うのと同じだ。
仕事を正規職員ではなく、派遣職員に任せているのと根は同じだ。
笹子トンネルの崩落事故は、維持管理のための修理、修繕が欠けていたことを
教えてくれているし、現在の物を修理して大事に使用できない社会的風潮に一
石を投じているだろう。それが取りも直さず命の大切さにも通じるだろう。
これは、グローバル化した資本主義が問題なのかもしれない。
選挙はそういう意味で、日本をどのような未来に形作るかが試されている。
選挙はそういう意味で、日本をどのような未来に形作るかが試されている。
2 件のコメント:
ほんとにそうですよね!
パソコンやデジカメの進歩はうれしいのですが、柵やトンネルなどアナログはメンテが必要です。
隊長が撮影されたこわれた柵など何度もみているとほんといやになりますね。
発注する県職員はチェックなどしてないのでしょう。
先日も林道で県職員と業者っぽい人が、法面補修の打ち合わせをしてましたが、一見緊急性のないところでした。
毎年いくらかの仕事をつくる、ってことが優先になっているのが読めますね。
景色が変わるほど大々的に工事しないで、目立たないメンテに力を入れるべき。
まだまだ使える物が修理もされないで捨てざるを得ないような、消費社会は物を大切にしな社会であり、人間そのものも大事にしない社会となっている。
ご飯釜にこびり付いたお米は、釜を洗う時にザルにとって干して食べ、魚を食べる時に残った骨は焼いて食べたり、干して叩いて崩して肥料にした。
特に食べ物に関しては、大切に扱わないとバチが当たる。と云われたものだ。
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