ぼくは、○△雑誌社や○◎新聞社や○×出版社を定見をもっているマスコミとして考えてきた。しかし、いつからだろうか?ぼくにははっきりした時期がわからないが、定見を持っていると思われた雑誌社、新聞社、出版社の広告にその社のイメージ、その社の考え方とは異なるものが目立つようになった。
サラ金の広告、ギャンブルの広告、全く効き目のないサプリメントの広告、目を疑うような低俗な週刊誌や雑誌の広告が日本の良心と考えられてきたような雑誌や新聞にも載るようになっている。
広告料が入ればどんな広告でも載せますよ!っと言っているようなものだ。
せめて、この出版社だけは、この新聞社だけはと思っているところでも、その新聞の論説や社説で書かれているような記事内容とは反するようなものまで広告がどうどうと載るようになった。
日本の出版関係やマスコミ全体がお金が得られなければいくら格好の良いことを言っても意味がないとばかりに大衆迎合に走っている感は免れない。
それは、テレビなら視聴率、新聞・雑誌なら講読数、出版物なら発行数という数字=お金が全体を動かしているからである。
市民の声、国民の声という声を大事にしているが。
その声というのは、果たして正しいのか?と疑問に思うことがしばしばである。
これを書いていて、先ほどのニュースでネットの検索エンジンであるGoogleが中国から撤退するようだ。中国政府の検閲を受けた検索エンジンはGoogleの思想から外れる。巨大市場をもつ中国から、お金じゃない自分の思想だ!生き方だ!とばかりに中国から撤退したGoogleを日本の各マスコミは見習うべきである。
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