「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2019年12月7日土曜日

テン糞から出るサルナシとマタタビの種子の違い The differences of seeds between arguta and silver vine in marten's feces.

5日の鐘ヶ嶽への山歩きで拾ったテン糞9個の内、1個からマタタビの果実を食べた糞(テン糞)があった。テンが果実を食べると柔らかいヤマグワの実でもその果皮や果肉を消化・吸収できずに果実をそのまま糞として排泄されることが多い。
晩夏からテンはサルナシの果実食いが盛んになるが、種子や果皮はもちろんのこと果肉も消化されないで、まるでサルナシの実を潰しただけのような状態で排泄される。そんな場合でもサルナシの種子の周りには果肉がまったくついていない。
今まで、テン糞の内容物に含まれていたサルナシ種子・果肉・果皮としていた中で、もしかしたらマタタビの果実を食べた糞もサルナシとしていたかな?っと一抹の不安があった。それは、サルナシとマタタビの種子の形状が良く似ているからである。
しかし、今回、確実にマタタビの果実を食べたと思われる糞を拾った。その糞を洗っても種子の周りの薄い膜が剥がれない(図1)。サルナシの場合は糞として出てきた時から種子だけである(図2)。
図2の種子では、右上のサルナシとマタタビを一目瞭然に区別ができる。形状が似ていても、大きさが違う。マタタビの種子はサルナシの半分くらいだ。更に、糞として排泄された時はサルナシの種子は薄い膜で覆われていない。今まで、サルナシと同定してきていた事には間違いは無いと思う。
洗うと見た目の果肉付き果皮だけではサルナシかマタタビの区別は難しいが、種子は大きく異なる。
図1.マタタビの薄い透明の膜で覆われた種子
但し、右上の2個は膜と取り除いた。

図2.右上の赤線で囲ったのはサルナシの種子、緑線で囲ったのは薄い膜を取り除いたマタタビの種子

2019年12月5日木曜日

ミーアキャット Meerkat

先日、3時間目の授業終わって帰ろうとしたら、入り口の踊り場のところで飼育の2年女子のAさんがミーアキャットSuricata suricattaを日光浴させている。そして教務のFさんが写真を撮っている。ぼくも割り込んでスマホで撮ろうとするが、使い方をまだ完全に知っているわけではないので撮れるような状況になるまで時間が掛かる。
ようやく、画面を右手でタッチして撮る。でも、撮れたかどうか分からないので、フォルダのアルバムを見て確かめる。手間取る。
ミーアキャットは、哺乳類でも珍しい一夫一妻制の性関係の集団生活者だ。優位な♂と優位な♀がペアーになり、ペアーの大きな子どもたちがヘルパーとなってペアーの目が閉じた晩成性の子どもたちの面倒をみる協同繁殖をすることで報告されている。ペアーの♂は子を守る。集団生活者なので、Animal Welfare&Enrichmentの面からも是非とも先ずは♂♀のペアーで飼ってもらいたい。
この立ち姿を見ているとミーアキャットの大孔は頭骨の真後ろではなく、下にあるのではないかと思ってしまう。頸椎・胸椎が真っ直ぐで、まるでニホンザルのような立ち姿である。

娘との山歩き  Trekking with my daughter.

 今日、何十年振りかで娘と山歩きした。娘の方から山へ行きたいが今度いつ行くか?っと訊くので早速行ってきたのだ。
娘は殆んど山を歩いていないので、やさしい仏果山にしようか?見城山・日向山にしようか?鐘ヶ嶽にしようか?迷ったが、広沢寺温泉の無料駐車場にはトイレがあるので、来週丹沢実習で行く鐘ヶ嶽にした。
サネカズラ(ビナンカズラ)の赤い実
この黒い実が判らない。どなたか教えて下さい。
7:17 階段がある浅間神社の鳥居があるところから出発だ。ぼくはストックを出して一歩一歩登る。娘は細いからスイスイだ。どうしてこうも歩き方が違うのかと今さらながら自分の年齢からくる身体の重さ・硬さや足腰の筋肉の強さ、柔軟さの事を考えながら喘ぐようにして登る。
ゲートを越えてから山道の参道だ。
なだらかになったところで、「上杉公内室の墓」の道標のところで停まり、一度も墓へ行ったことがないので、行くことにする。歩いて1分くらいで山側にそのお墓があった。
7:48 上杉公内室の墓
7:51 参道の左側にある内室の墓への道標
動物糞を見つけたら教えて!と云うと直ぐにこれは?っとテン糞を見つけてくれる。
8:03 テン糞 今朝のものだ!
それから、古いサル糞を見つけてくれる。すると、何かを見つけたらしいが、「黒い人が走って登って行った!」、「最近は山を走る人が多くなった。トレイルランだ!」と云う。が、人ではなく動物だったかもしれないと云う。え?動物と人の区別くらいできるだろう。っと云ったら大きな動物いるだろうか?と云うからカモシカだな!っと応える。あ!また、糞だ!っと云って糞を教えてくれたが、ちょっと古いカモシカ糞だ!
カモシカ、シカ、ノウサギなどの草食動物の糞は植物繊維なので判らないので拾わないことを話す。
8:14 古いサル糞だが、拾った。
8:17 古いカモシカ糞
それから、テン糞2、3、4と見つけてくれる。このところ糞を見つけられなく成ったのはぼくの目が悪い(メガネが合っていない)せいなのかな?っと思い始める。教えてもらってもぼくには判らないのだ!
8:31 テン糞2 
8:40 テン糞3
 
8:42 テン糞4
8:53 長い階段を登る
9:10に浅間神社に着き、横浜・新宿方面を眺めながら朝食とする。ガスストーブでお湯を沸かし、熱くて甘いココアを飲みながら、ぼくはアメリカンドックを食べ、娘はサンドイッチを食べる、20分くらい朝食休憩し、参拝して鐘ヶ嶽に登り、二人で写真を撮り、すぐ下山。寒いのだ!
9:37 鐘ヶ岳山頂で
山神隧道の方に下りて行くと、犬を連れた登山者が一人登ってきた。鞍部に下りて、らくらくルートの杉林の中の山道を下り、二の足林道の舗装道路に出て、山神隧道を通って歩いていると、ぼくらの二人連れのような老男と若い娘が話しながら登ってきた。ゲートの前には3台車が止まっていた。さらに車が2台登ってきた、途中で老夫婦の登山者と単独行の男性も登ってきた。
その後テン糞は5、6、7、8,9を拾うことができた。最近、糞を拾えなくなっているのはやはりメガネが合っていないせいか?山用のガラスレンズ、車運転用、パソコン・読書用と三つのメガネを使い分けているが、山用が合わなくなってきているんだ。
11:11 駐車場に着く。駐車場には車がいっぱい停まっていた。

2019年12月3日火曜日

脛骨と腓骨、橈骨と尺骨①  Tibia and fibula, Radius and ulna

今年の秋は雨空が多く、山に行きにくくなっているためだろう。このところ骨を眺める時間が多くなった。先日、学生たちと科博の常設展の恐竜や哺乳類の骨格を見て来たので、以前の大哺乳類展で見てき骨を撮ってきた写真を見ているが、一番残念なのは、このよう展示物には手に取って裏返したりして見る事ができないことだ。だから、靴を履いていて足の裏が痒いのに掻けないもどかしさがあるのに似ている。
さて、下のゴリラの骨格写真は2010年5月の上野の科学博物館の大哺乳類展の展示である。
上腕骨からは親指側の骨として太い橈骨があり小指側には尺骨がある。同じように大腿骨からは足の親指側に太い脛骨があり、小指側に接する腓骨がある。
手には橈骨と尺骨、足には脛骨と腓骨があるから、ぼくらは手の平を下に向けてパソコンのキーボードを打ったり、手の平を上にして賞状を受け取ったりできるのだ。また、足先を付けて踵を開いたり、踵と付けて足を広げたりもできるのだ。
図1.ゴリラの骨格(2010年5月、科博の大哺乳類展で)
f:fibula腓骨、t:tibia脛骨、u:ulna尺骨、r:radius橈骨
哺乳類では、海で生活するイルカやクジラの仲間から陸上で生活するゾウやキリンまでつまり前足を使う動物では全て橈骨や尺骨があるが、イルカやクジラになると大腿骨や脛骨・腓骨が退化して無くなり、魚の体形になる。しかし、アザラシやオットセイでは前足(鰭)も後足もあるので、脛骨はもちろん腓骨もある。
しかし、陸上を四つ足で歩き回っている哺乳類でも、後足の骨に腓骨が退化して消失しかかっているものや脛骨と腓骨が合体して腓骨が無いものまでいる。それらはどのような動物たちか見て行こう!

2019年12月2日月曜日

晩秋にテンが食べている物  The foods which marten eats in the late autumn.

11月30日に広沢寺温泉無料駐車場から歩いたルートで見つけたテン糞①、②、③の位置(図1)。約5時間半かかって、GPS上の歩いた距離は10.3キロであった。
図1.二の足林道・山神隧道・見晴台B・大沢林道とテン糞の位置
図2.①テン糞1
内容物:サルナシ果肉付き果皮・種子
図2.②テン糞2
内容物:植物質(果皮付き果肉)多数、直翅目産卵管、膜翅目翅・頭部・腹部・肢多数、ハグロケバエ幼虫4匹
図3.③テン糞3
内容物:サルナシ果肉付き果皮・種子

テン糞②からは久し振りにハグロケバエの幼虫が出て来た。ハグロケバエの幼虫は山の斜面の地表に集団で見られる(図4)ので、テンやタヌキ、アナグマにとっては大御馳走だ。でも4匹しか出てこなかった。テン糞①、③はサルナシを食べたものだった。
図4.ハグロケバエの幼虫(2014年10月17日梅ノ木尾根で)

2019年12月1日日曜日

イヤな下りの急坂ルート The steep descent root that I hate.

昨日は、山から戻ったのが13時半頃で、風呂に入り頭を洗い、16時には藤沢駅南口近くの居酒屋で義姉の誕生日祝いに出て、19時半帰宅したが、眠くなったので9時前にベッドに入る。1時半頃目が覚め2時頃起きて、土曜日の新聞を見てからパソコンに向かう。

さて、行方不明の石川さん家族と山神隧道の前で別れ、ぼくは鐘ヶ岳と山神隧道の上を通る稜線の鞍部に登る。久しぶりの晴天の中の山歩きで気持ちが良い。
図1.歩いたルート
①~⑫は写真の番号の位置
①の鞍部付近ではテン糞を見つける事が多いので、探すとすぐ見つかった。これから木の根を掴んだりしながら登る。こういう登りは全身を使うので楽しい。
8:11 ①の鞍部
①の鞍部で見つけたテン糞2
身体は温かいが顔や首筋に当たる風が冷たいと思っていたら、霜柱だ。霜柱を踏むとサクサクして気持ちが良いが、滑る。気を付けなくては滑落する。 きっと、お昼頃から霜柱が融けてドロンコ状態になるだろう。
9:01 ②付近の霜柱
        
②付近の霜柱
 9:10 ⑤見晴広場Bに着く。ここから弁天キャンプ場方面に下りる予定だが、674ピーク方面に行ってみる。風が冷たい!
⑤の見晴広場B
④付近でテン糞3
 大山は雪に覆われている。もう大山の午前中の歩きは6本爪のアイゼンが必要かな?午後からはドロンコ道だろう。
③大山が見える。

9:25、 ④付近のヤブツバキが綺麗だった!
⑤の見晴台Bに戻り、尾根を下る。トラロープがあり傾斜がキツイ。地図では弁天キャンプ場方面に南下する廃道がある筈だが、分からず。9:45、⑥のピークに着く。南への道を辿ればひょうたん広場、キャンプ場とあるが、東への尾根を下る。これがまたトラロープの連続で急傾斜であり、足元も悪く。もう、ストックは邪魔になり、トラロープに頼って下る。ぼくは鎖場でも人工物は怖いので、頼らないのだが、この尾根はほとんどトラロープに頼る。このルートは登りは楽しいだろうが、下りはイヤだ!
 9:45、⑥のピーク(弁天見晴)
⑥弁天見晴
10:15、⑦のピークに降り立つ。ここは昨年11月15日に、二の足林道のゲートの所から沢沿いの道に入り、それから尾根道となり辿り着いた地点だ。515ピークがある東の尾根を行く。倒れているシカ柵を持ち上げ乗り越えたりしていたら、穏やかな尾根道となりホッとする。 
10:15、⑦のピーク
⑦のピークからの東京方面を望む
515ピーク付近で、60代後半くらいの半袖の登山者が身軽な感じでパキパキと小枝を降りながら登ってきた。互いに挨拶すると、「この道は廃道になっています。キャンプ場へは右に行きます。道標があります。気を付けて!」「ありがとう!」っと別れる。聞いたのに尾根を真っ直ぐ進んでスギの植林地帯となり、大汗を掻いて引き返し、右の尾根道に辿り着く。
11:20、⑧見晴広場の道標があるところに着く。ここからキャンプ場は降りるルートが見つからず。そのまま杉林の尾根を進むと⑨地点の厚木市森林組合の赤い帽子の杭のところまでくる。スマホのジェオグラフィカで現在地を確認し、電子国土をプリントアウトしてきた地図で全体の中の現在地を確認する。このまま東の斜面を進むと林道がある筈だ!夏場ならヒルだらけになりそうな倒木だらけのスギ林の斜面を下るくだる。すると下に林道が見えてきた。もうただ林道を目差して下るだけ、最後は1メートル位の段差を飛び降りることになったが、ともかく林道に降り立った。しばらく歩いていると⑩ゲートだ。
11:20、⑧の見晴広場の道標地点
11:36、⑨の杭

11:59、⑩のゲートは山側から巻ける。

12:11、⑪見城山への登り口
 ⑪の見城山からは後30分くらいで広沢寺温泉に着く。もう、着いたも同然だ。人の叫び声が聞こえると思ったら滑岩をロッククライマーたちがザイルに下がって楽しんでいる。駐車場に着いて連れ合いに「今、広沢寺温泉、帰る」とメールする。帰路も渋滞なく良かった!
⑫滑岩を登るロッククライマーたち

2019年11月30日土曜日

11月3日から大山付近で石川さんが行方不明 Mr.Ishikawa is missing around Mt.Ohyama from November 3.

今朝、6時に家を出て、広沢寺温泉の無料駐車場に車を置いて、出かけようとしたら車が入ってきて、中から飛び出してきた女性に声を掛けられた。彼女の旦那さん(石川 健次さん)が11月3日から行方不明になっていると云うのだ。ビラを1枚もらった(図1)。日向方面から大山に向かったようだ。日向方面からなら梅ノ木尾根を行ったのかな?あるいは、広沢寺温泉からなら不動尻から唐沢峠と行くか、大沢分岐を通っていくか、あるいは、唐沢峠から石尊沢方面に下りたか、これは僕のコースだが、他人はそれぞれだ。行方不明になった1ヶ月にもなる。ぼくの家族は、持っているGPSや携帯orスマホの電源が入っていれば、その位置が判れば発見できないのかな?っと思っている。が、もう、1ヶ月近く経つので、それはダメだろう。いずれにしても早く見つかって欲しい。
図1.石川さんを探すビラ(クリックすると拡大)
7:25 テン糞だ。ぼくがテン糞を写真に撮り、拾っていると石川さんの家族の息子さんどお母さんと思われる二人が登ってきた。ぼくは声を掛ける。ぼくのブログにこのビラを出しても構いませんか?「お願いします」との返事。
図2.二の足林道でテン糞
 二人が歩いて行く(図3)。きっと、大山まで歩いてビラを配るのだろう。ぼくの歩きなのにこの二人を追い越し、山神隧道の前で、再び一緒になる。ぼくは、隧道の前から見晴台方面に登る。途中で道に迷い、無理やり斜面を降りて大沢林道に出る。それは明日アップ!
図3.行方不明の石川さんを探す気の毒な家族

2019年11月29日金曜日

フローレス人  Flores Man, Homo floresiensis

一昨日、上野の科博の地球館で恐竜と哺乳類の頭骨を含む骨格の違いや類似について見て来た。学生たちと別れてから、インドネシアのフローレス島の洞窟で見つかったフローレス人Homo floresiensisの頭蓋骨のレプリカを見た。思っていた以上に小さな頭骨でチンパンジーくらいかな?っと思った。それもそのはず、背の高さは1メートルくらいだ。科博にあるぼくが見た(下の2枚の写真)の頭骨のレプリカは上下の前歯が欠けていたり、レプリカ自体が良い標本から作ったものではない。
このフローレス人は何と5万年前までは生存していたのだ。だから、我々ヒトHomo sapienseと同じ時代を共有していたのだ。このフローレス人の小型化はフローレス島から出なかった故におこる島嶼化なのか?洞窟で見つかったことから島でひっそりと暮らしていたのかもしれない。おそらくフローレス人はヒトとも視覚的な接触はしていたことだろう。そうだとすると、フローレス人はヒトに見つからないように隠れるように生活していたと思われる。フローレス人を絶滅させたのは我々ヒトなのだ。ヒトHomo sapienceはフローレス人ばかりでなくネアンデルタール人Homo neanderthalensisやデニソワ人Denisovan homininsとも同時代を生きており、我々ヒトの遺伝子の中にはネアンデルタール人の遺伝子がほんの少しであるが混じっている。交雑したのだ。デニソワ人はネアンデルタール人とも交雑した。デニソワ人の遺伝子は中国を通ってメラネシアのヒトにまで入っている。
図1.フローレス人Homo florensiensis頭骨を左斜め前から
図2.フローレス人頭骨正面から

2019年11月28日木曜日

65歳以上無料の国立科学博物館 National Museum of Nature and Sience is free/no charge for over 65 years old.

昨日、上野の科博に行った。朝10時に学生たちとJR上野駅の公園口の改札口で待ち合わせた。冷たい小雨が降る中、先週丹沢実習に参加した8名全員が来た。常設展の恐竜や哺乳類の骨格標本を見るために集まったのだ。受付で入館料をぼくを含めて9名分の領収証をもらおうとした女子が「先生はただです」、「65歳以上は無料です」っと云うのだ。えー、驚いた。受付の人に訊くと、入館する時に年齢が確認できる物を見せて下さいと云うのだ。チケットは別に無く、出入り自由なんだ!
図1.恐竜のアロサウルス
図2.哺乳類のスミロドン
あらためて、科博の常設展の入館料を調べた。65歳以上や18歳以下や障碍者は無料だ。四半世紀前に大英博物館やルーブル美術館に行った時に学生を含む若者(年齢を忘れた)が無料だったので、日本の博物館や美術館なども学割と云うものではなくて、全ての若者は無料にすべきと思ったが、それに少し近づいたと云う事か!

2019年11月24日日曜日

冷たい雨の丹沢実習④  The outdoor practice in cold rain.

22日の冷たい雨の中の丹沢実習は、汁垂隧道の中でお昼を食べた。食事中に金沢林道を工事をしていた車が数台戻って行った。先日の19号台風で土砂崩れになった部分を、雨の中で工事しているのにぼくは驚いた。それは、道路工事などの屋外の作業労働は、雨が降る中では行われないのが普通だからだ。ぼくは学生時代も含めて土方を何度もしたことがあるが、昼前に雨が降ると半ドン(日当の半分が出る)になるので喜んだものだ。
昨日の元請け会社の女性の監督は、下請けの労働者たちの前だから建前だけを強調して僕らの通行を許可させてくれなかったのだろう。ぼくらが工事場に行った時に仕事は止めて、ぼくらに気を付けて歩いて下さい!と云えば良かったのだ。
お昼を食べた雨宿りした汁垂隧道で

雨降る中でも元気な女子
13時20分にトンネルから出て、宮ヶ瀬に戻り、「みやがせミーヤ館」で展示物を観たり、休んだりし、14時50分宮ヶ瀬発のバスに乗って本厚木駅の戻った。
今回は殆んど歩かなかったので、しっかりと山歩きをしたくなった。