「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2016年2月8日月曜日

シカの寛骨から  From the hipbone of Sika deer.

この一週間、ほぼ毎日、骨盤や寛骨を取り出して見ていた。

骨盤pelvisは寛骨coxaeと仙骨sacrumからなり、寛骨は腸骨iliumと恥骨pubis、座骨ischiiの三つの骨からなる。
恐竜は一生、腸骨・恥骨・座骨が癒合しない。
大腿骨が納まる寛骨臼の部分で三つの骨が分かれている(Fig.1)。 
Fig.1 国立科学博物館の竜盤目の腸骨ilium・座骨ischii・恥骨pubis 

哺乳類の幼少期は、この三つの骨は恐竜のようにバラバラである(Fig.2)、
下はニホンザルのものであるが、恥骨と座骨は胎児期にすでに座骨枝(下の写真では座骨から上が伸びて恥骨とつながっている部分)ができて癒合している可能性が高い。
Fig.2 ニホンザル1歳(生不明)の骨盤:恥骨・座骨・腸骨、仙骨と腸骨をボンドでつける。

しかし、年齢と共に寛骨臼の部分で三つの骨が癒合していく(Fig.3)。
下のシカの寛骨でも腸骨は恥骨や座骨と癒合合体途中であるが、恥骨と座骨は座骨枝ですでに合体している。
Fig.3 若齢ニホンジカの寛骨:上は大腿骨臼側から、下は裏返したもの。

下はシカの寛骨を下から見たものである。
腸骨のある上方が頭部側にあたり、座骨のある下方が尻側にあたる。
左右の寛骨が恥骨結合と座骨結合でしっかり癒合している。
Fig.4 シカの寛骨の名称 腹側から

座骨の方がまだ癒合が完全ではない。
 
Fig.5 シカの寛骨を背側から

この左右の寛骨と仙骨に囲まれた空間から新生児が生まれてくるのだ。
Fig.6 シカの寛骨を後部から

Fig.4~6からも判るように、左右の恥骨ばかりでなく座骨部分も結合している。
これは、イヌやタヌキなどの食肉目の動物たちも同じである。

若齢の時は恥骨結合が見られ、次第に座骨も結合していく。
しかし、トガリネズミ目のモグラ、ヒミズ、ジネズミたちは座骨どころか恥骨も左右は結合しそうもない(Fig.7)。
Fig.7 ヒミズの骨盤

左右の寛骨が恥骨や座骨で性成熟を過ぎた個体で癒合合体しているのは、手持ちの標本でシカの他に、カモシカ、イヌ、ネコ、タヌキ、アナグマなどの偶蹄類や食肉目があり、
恥骨だけで癒合合体するのが、アメリカモモンガやリスなどの齧歯目やノウサギなどの兎形目である(Fig.8)。

Fig.8 アメリカモモンガの骨盤 上:腹側から、下:背側から

で、サルの場合は、手持ちのものではどれもしっかりした恥骨結合が見られないのだ。
だから、左右の寛骨はバラバラである。

ヒミズで見られる仙骨と寛骨の結合や、恥骨結合や座骨結合が見られるシカ、イヌなどや恥骨結合だけのモモンガやリス、ノウサギ、さらには骨にするとバラケテしまうサルなど、これらの理由は今のぼくには全く解らない。
早成性か晩成性か、一腹一頭か複数頭か、生涯出産回数や移動の仕方、大腿骨の動き方など骨盤の形態に及ぼす影響の有無はこれからの課題だ。

まだまだ、骨格標本を集めなければならない。これからは糞採集とともに骨収集かな!
左足の大腿部の筋肉痛というか筋肉が断裂したようなおかしな感じもようやく治癒したようだ。
明日は学校なので、明後日にでも山に行こう。

2016年2月5日金曜日

早春の輝き!  The grow of early spring!

左足の太腿もかなり回復してきたし、前夜の体重計の目盛りを見て自己最高の75.2kgとなっていたので、昨日は昼過ぎにカメラを持って境川の遊水地まで行ってみることにした。
途中には日大生物資源学部の農場があるが、その近くのこの木はハリギリだ。ウコギ科特有の果実の着きかただ。拡大してみると枝に大きなトゲがでている。
 このハリギリも若芽は天婦羅にすると美味しい。
これはコブシだ。蕾もかなり大きくなっている。もう来月には咲くんだ。
日が出るのはまだまだ遅く、6時半を過ぎてからだが、このところの日の入は遅くなっている。
5時を過ぎてももまだ明るい。
春がどんどん近づいているのが、日が長くなっているので判る。
春の陽が強く長くなったのを感じて、ホトケノザだ!
シソ科のオドリコソウ属なのでオドリコソウかとも思った。
菜の花だ!3月下旬の西安郊外の秦嶺山脈の麓一面に広がる菜の花の黄色で染まった畑が思い出される。 空は黄砂で薄汚れた灰褐色だが、、、、。
07:42、地震だ!初め、屋根に何か落ちたような衝撃があった。


2016年2月4日木曜日

難民の背景  The Background of Refugee

昨日、ベルギーのブラッセルに住む友人のBurtonさんからメールがきた。シリアからの難民に非常に関心を寄せているようだ。彼は今年75歳になるが、1940-45の間、家族に連れられてフランスからの避難民となったようだ。

シェンゲン協定ができる前からヨーロッパでは、各地をパスポート無しに自由に行き来できた。だから、オランダ生まれのゴッホが南仏に行って絵を描いたり、ディケンズのロンドンとパリを行き来する「二都物語」が生まれたり、、モーツアルトがイタリアからフランスまでのヨーロッパ各地を旅行していたのだ。
当時は国の概念が薄かった?ので、ヨーロッパ各地は自由に行き来できたのであろう。その典型がジプシーと呼ばれている人たちの存在かもしれない。
2010年夏にち、Burtonさんとブラッセルで

タンザニアのマハレ山塊国立公園とキゴマの町を行き来するには、陸路よりもタンガニーカ湖を船で行く方が容易であった。マハレ山塊の北にあるムガンボという村でボートに乗って沖合いに停まっている定期船に乗る。リエンバorモンゴウゾウ号と名付けられた大きな貨客船には、ダガーやムゲブカの干し魚の麻袋の間に大勢の人々が乗っている。キゴマという港町に着いて下りるときは、日本人であるぼくは税関を通ってパスポートを見せなければいけない。一緒に乗ったアフリカ人たちは税関を通る必要がない。ザンビア、タンザニアのどの港から乗り降りしようと彼らには身分証明書の提示は必要ない。
1995年乾季、人や貨物で一杯のモンゴウゾウ号、リエンバ号より一回り小さい。

ルワンダで起こったツチ・フツの市民戦争の時は多くの避難民が隣国のザイールからタンザニアのマハレ近郊の地にもやってきた。そのため彼らの定住集落がマハレ周辺にも作られた。
1998年乾季、コンゴ民主共和国のカフジ・ビエガ国立公園近くの国連難民事務所やテント村の跡

アフリカの国境はイギリスやフランス、ベルギーなどの宗主国が自分たちに意に適うように勝手に作ったものであるので、アフリカ人は国内を移動するように移動できる。
そうそう、ぼくがタンザニアの地方を移動してゲストハウスに泊まる時には、パスポートの提示の他に部族名を書かなければいけない。ぼくはいつも”Dosanko”と宿帳に書いた。

ぼくの父親の祖父一家は三重県の員弁郡から屯田兵としてサロマ湖南岸の紋別郡上湧別村の地にやってきたようだ。もちろん、貧困・飢餓のために故郷を捨てて新天地の北海道を夢見てやってきた訳だ。
アメリカはアイルランドや英国を含む多くのヨーロッパの国々を追い出されるようにやってきた貧民たちによって作られた国だ。
1997年3月、NYの自然史博物館

戦争や圧制、貧困や飢餓から住んでいた土地を捨ててまだ見ぬ新天地を目指すのは、人に限らず動物にとってはごく当たり前の行動だ。このような人や動物たちは住んでいた社会では劣位な者たちだ。ぼくらの祖先はアフリカを捨ててヨーロッパに渡り、さらにアジア、アメリカにまで渡っていったのだ。このような新天地を目指す者たちから新しい何かが生まれてくる。

しかし、今ヨーロッパで起こっているシリアやアフリカからの避難民の受け入れを困難にしているのは、その数の多さばかりでなく、中に紛れ込んでいるISの戦闘員の存在が問題を複雑にしている。

2016年2月3日水曜日

通販での買い物は便利だが、、、。  The shopping by the mail order is a great convenience, but,,,,.

昨日、辺室山歩きで左足が攣ったことをアップしたら、take隊員から下の薬が勧められたので、ネットで調べてすぐアマゾンに注文したら、何と昨日の19時過ぎに宅急便で届いた。半日で届いたのだ。
何と便利な世の中になったものだと連れ合いに言ったら、
連れ合いは娘から、通販利用を批判されたと云うのだ。
ぼくは、本、カメラ、山道具さらにはスズムシの餌までと多くの物を通販を利用して購入している。
文庫本一冊でも、上のツムラ68番芍薬甘草湯一箱でも、送料無料で送り届けてくれる。
連れ合いは食料品も届けてもらっている。
家に居ながらにして、欲しい物を手に入れることができるのだ。

芍薬甘草湯一箱の重量は100グラムにも満たないし、文庫本1冊は200グラムにも満たない。
郵送料が無料だから通販を利用する。
しかし、芍薬甘草湯は千葉から、文庫本は広島から運ばれてきた。
薬一箱や本一冊が、我が家に運ばれてくるのに、車のガソリンを含む多くのエネルギーが使われている。
少なくても一箱のこの薬のために大気を汚していることに繋がっている。
例えその車が電気自動車であろうとも無駄なエネルギーを消費しているのには変わりがない。
さらに、通販の利用は近隣の小売店を潰しかねない。

ぼくらは便利だからという安易に通販を利用することは、無駄なエネルギーを消費し、大気を汚染させているんだということに気が付かなければいけないのかも知れない。
娘だって、結構通販を利用しているんだが、、、、。
take隊員が目差す、地産地消に加え地買だ!

2016年2月2日火曜日

今冬はキブシの種子が出てこない。 The seeds of Kibushi,Stachyurus praecox were not found in scats in this winter.

1月30日の土山峠・辺室山・煤ケ谷のルートで見つけた糞は5個であった。
タヌキ糞が2個に、テン糞3個だ。
先ほど、庭の水道栓で水洗いし、残渣を花鉢の白いプラスチックの5個の鉢受に取り入れて机に上に運び、ペットボトルの水を注ぎながら内容物を取り分けた。
以下がそれぞれの内容物と糞である。

9:43、タヌキ糞
マメガキ種子、ケンポナシ種子、腐葉砕片、単子葉の葉6センチ、節足動物脚・外骨格

10:19、テン糞
マメガキ種子、小哺乳類(トガリネズミ科)毛
小哺乳類の毛が半分以上を占めていたので、骨か歯が見つかるかな?
っと思い注意深く見たが見つからず。尚、この毛色は灰黒色なので齧歯目のものではない。

10:26、タヌキ糞
マメガキ種子・果肉果皮、シカ毛
大量のシカ毛が混じっていた。狩猟で解体されて捨てられたシカの頭か足の皮を食べたようだ。

13:59、テン糞
サルナシ種子
果肉・果皮はなく、洗っている時にこれはテン糞ではなく果実食の鳥糞かとさえ思った。
しかし、鳥の尿の成分の白い尿酸の結晶がないのでテン糞で間違いないと思われる。

15:53、テン糞
カキ種子果肉果皮、ケンポナシ種子果肉果皮
この種子はマメガキと比べて少し大きいし、煤ケ谷の一番山沿いにある住宅から100メートルも離れていない所にあったので、ただカキとした。

以上をまとめたものが下の表だ。

4つの糞はカキorマメガキを食べたものであり、テンやタヌキにとってはマメガキや市街地に取り残されたカキはケンポナシ同様に、彼らの大切な食料になっている。タヌキ糞①からイネ草本の6センチくらいの葉と4センチくらいの葉が出てきた。これは飼い犬が芝生などのイネ科草本を食べることがあることと同じ意味を持っているのだろう。つまり、薬草として利用していると考えられる。
それにしても、今冬はキブシの種子が出てこない。出てきてもほんの僅かだ。
東丹沢ではキブシの実成が良くなかったと考えられる。

2016年2月1日月曜日

フィールドサインと氷景色2)  ②Field signs and ice scenes.

30日の辺室山歩きの続きです。
今日も肌寒いので拾ってきた糞洗いは中止して、風呂場で登山靴やアイゼン、スパッツをタワシで洗った。
10:26、⑩タヌキ糞
10:30、⑪ミヤマシキミがかなり食べられている。カモシカだろう。
10:35、⑫昨夜のカモシカの2条の足跡を見るHashimotoさん。
上の足跡をカモシカと判断した理由は、第3、第4指の爪の後ろに第2、第5指の副蹄の跡がハッキリついているからだ。さらに深くはっきりと逆ハ状に広がっていればイノシシだ。
どうもオトナのカモシカが2頭移動したようだ。
10:50、⑬これは、床林から2メートルくらい上の木の枝や幹の樹皮を綺麗に食べている。
サルなら、樹皮が剝れていたりするので、齧歯類のリス?ムササビ?ヤマネ?あるいはハタネズミ亜科のスミスネズミが齧ったものと思われる。
枝の水滴に見えるのはバッチリ凍っている。前夜の雨が明け方に冷えて凍ったようだ。
11:36、⑭登るTsukaharaさんとHashimotoさん。いつもはこの辺りでは汗だくになるのだが、
今回はさらに着込んだ。
11:43、⑮辺室山手前の登りきった所で!
辺室山でアイゼンを着けたのが大正解だった。
12:28、モミの枝は氷の上に氷が着き重たく垂れる。
 
12:31、⑯常緑広葉樹のシキミの葉に着氷しているのは何だか不思議な感じ!
12:32、着氷した枝を潜り抜けても氷が落ちない。
12:36、⑰まるで雪が積もったように見えるが、木々の枝に降った雨が氷結している。
不思議な氷の世界!
13:00、⑱祠の峠に着いたが、お昼は物見峠でとることにする。無風状態なので快適だ!
ここから物見峠までは10分位だ。
13:22、⑲唐沢林道の物見隧道で昼をとるつもりであったが、風が無いので物見峠の休み台でお昼だ。
Hashimotoさんがストーブで温めたウィンナーをぼくらに2本ずつくれる。これが美味かった。
ぼくはコンビニで買った赤飯オニギリにカップラーメン(小)を食べる。
ここで、3人で記念写真をまたも撮り、三峰山方面の登山路を登ることにする。
13:59、⑲出発しようとしてテン糞を見つける。
14:25、⑳ここから煤ケ谷への登山路を下る。
 14:33、㉑大きな山の神様の祠、ここは煤ケ谷の人たちが手入れをしている。
上の場所を過ぎてから気温が緩んできたようで、樹木の枝や葉についていた氷が解け始める。
まるで、小雨の中を歩いている感じ。物見峠からの登山路の合流地点で、アイゼンを外しザックカバーを掛ける。しばらく歩いて、二人を先に行かせる。ぼくは小便をし、沢筋の少しぬかるんだ所で追いかけようとして滑り転びそうになるのを踏ん張ったのが良くなかった。左の太腿が攣る。
スポーツ飲料を飲み、痛みが治まってきたので、そろりそろりと歩き始める。完全に痛みがなくなったので普通に歩き始める。またも、窪んだぬかるみでそこを1メートルくらい登らなければならない。ステップとなるような岩あるので、そこに右足をかけストックで堪えながら左足を持ち上げたら、再び同じ太腿が攣る。
強烈な痛みで、転びそうになるが、水を飲むと痛みが治まり、再び歩き始める。
シカの防護柵の扉を閉めると、煤ケ谷の集落が見えてきた。
TsukaharaさんとHashimotoさんが待っていてくれた。っと糞を見つけた。
15:52、㉒ん?テン糞だ!
糞を拾って、ビニールの小袋に容れる。拾う時屈むので腿が攣りそうになる。舗装された道をバス停を目指して歩く。歩いていてバスの時刻が毎時5分頃だと思い出す。
二人に走るように声を出す。バスは16:04だった。間に合った。
バスを朝と同じように貸し切ったようにぼくらだけだった。座席に座った途端、攣る。
この左足太腿の攣り、今日も危険な状態だ。今週の山行きは止めだ!

2016年1月31日日曜日

足跡や食痕、角砥ぎなどのフィールサイン1) ①Animal field signs of tracks, feeding signs, scats,and scraping.

昨日の辺室山は積雪が深いところでは20センチくらいあった。
雪の表面は凍っているため、一歩一歩足を雪面に乗せる度に一度は体重を支えてくれたかのように思うのだが、ガクッと落ち込む。初めの頃はそれを楽しんでいたが、、、、。
途中からはなるべく積雪が浅い所や無いところをあるいた。

今日は、見た動物たちのフィールドサインを時間をおってアップする。
9:40、①先ず、シカの足跡だ!
今朝、2、3頭のメスグループが歩いたようだ。
 9:43、②雪がない吹き曝しの尾根上にタヌキ糞だ。タヌキたちのトイレだ。溜め糞になっている。
色の褐色のが新しいようなのでそれを拾ってきた。
これらの糞は氷ついているので登山靴の先で蹴とばして、一塊を拾いあげた。
10:01、③カモシカの足跡(第三指の爪と第四指の爪が広がっている。
10:01、④ミヤマシキミがカモシカに食べられている。
 10:11、⑤カモシカの角砥ぎの痕だ!
 10:13、⑥なんとシロダモが食べられている。初めての観察だ!カモシカだろう。
 10:19、⑦テン糞だ!もちろん拾う。
 10:24、⑧カモシカの足跡だ!どうもこの辺りにオスとメスの2頭のカモシカが重複した行動域を持っているようだ。
 10:25、⑨ヒイラギが食べられている。カモシカだろう。
シカは主に草食でカモシカは葉食が主だろうから、このような判断をしている。今は猟期だから、丹沢で撃たれたシカの胃の内容物についてはとうに調べられているだろう。シカはどのくらいの割合で樹皮や木の葉をたべているのだろうか?草食だけなら、丹沢の冬では食べるものがほとんど無い。
上記のフィールドサインの確認地点を下図のGPS上のルートの①~⑨である。
今回歩いた距離はGPS上で8.2キロであった。
これだけでも、帰路もうすぐ煤ケ谷の集落に着くというところで左脚の太腿が攣り、
今日高校生向けの体験授業があって専門学校に行った帰り、同じところが攣ったので驚いた。