「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2012年8月21日火曜日

キンシコウを追う! Chasing down the troop of golden monkeys

昨夜は楊さん宅に招待されて飲まされ、もうしばらくは白酒は飲みたくない。
朝、キンシコウを追っているトラッカーの農民からトランシーバーで情報が入る。
5,6キロ以内にキンシコウの群れがいるようだ。
農民の王Wangさんが来る、ぼくらを案内してくれるようだ。
朝食後、山へ入ることになる。
ぼくと、友人のE氏と学生の王Wang君と侯Hou君が王さんの後に従う。
楊さんの家の裏から、そのまま登っていく。ぼくは何度か歩いたコースだ。
E氏は北アルプスや利尻岳や羅臼岳などぼくの数倍の数の名峰を登っている健脚だ。
だが、つらそうだ。登山ではなくキンシコウを追うのだ。
こちらは、丹沢で登山路を歩かないで尾根を直登しているので慣れている。
秦嶺山脈主尾根が霞んでいる。
だいぶ登ってきた。下に村の家が見える。
E氏はとうとう諦める。王君と下りる。
 ここにタケニグサが生えている。
E氏がいなくなったので、スピードがアップされる。
もう、全身が汗まみれとなる。身体中のアルコールもすっかり抜け出た感じがしてくる。
王さんがときどき、トランシーバーで他の農民のトラッカーたちと連絡を取り合っていたが、
近くに農民がいるのだろう良く通る甲高い声いが短い声を出して、相手の位置を確認している。 
ニシキギ科の果実のような実?花?
キク科のカワバハグマの仲間だ! 
あった!
 キンシコウの糞だ。ニホンザルの糞と同じ臭い。チンパンジーの糞も同じ臭いだ。
王さんが連絡を取り合っていたトラッカーがすーっと現われる。
尾根に着いたのだ。
ぼくを見て、ニコニコしている。何と彼は昨日川沿いの道を遡上して歩いていて出逢った「シャン?」と声を掛けてくれた人(写真中央)だった。
 写真:左は学生の侯君、右に王さん。
 この木の赤い実、見たことあるような?
ぼくが口に入れて噛んだら、王さんが笑った。
まったく、旨くない代物だった。
秦嶺山脈の枝尾根を主尾根の南方に向かって歩く。
思いでの場所に出る。
木と土で固められた小屋は朽ちる寸前だ。
皆で記念撮影 
この小屋は2000年8月に、ここに宿泊しながらキンシコウを追ったのだ。
当時のスライドの写真。こんなに小屋は立派?だった!
10分くらいここにいただけで小屋を後にする。
ウバメガシだ。 
 タイミンガサの仲間だ!
南に尾根を進む。 
 彼らは、軽やかに歩いていく。
身体が硬く、体重があり、歳をとったぼくの身体が憎い。
 何か、よく分らない花だ!
 昨日あった農民のトラッカーが木の根元を掘っている。
見つけたようだ。これは貴重な漢方薬の材料だと侯君が説明してくれる。
侯君はぼくとトラッカーたちとの通訳だ。
キンシコウがもう近くにいるようだ。声が聞こえるという。が、僕の耳にはキンシコウの音声が聞こえない。彼らの動きでキンシコウが近くにいることを察する。
 ん?樹幹に動く物が、キンシコウだ!パチリ!
ぼくは、静かに近づいて行く。
いた、いた、ここにも!あそこにも!ぼくはキンシコウの群れの中にいたのだ。
もう、ぼくは一人で動物を発見さえできない耳になったのだ。
動物の発見・追跡はその音声が頼りだ。が、つんぼ桟敷に置かれたような状態に自分がいつもなっているんだ。 
ともかく、そのまま腰をおろし、レンズを100-300ミリに付け替える。
あー、キンシコウの声も聞こえだす。嬉しい!
キンシコウが見れたのは、王さんなどのトラッカーたちと西北大学の皆さんの御蔭だ。
ほとんど、連射に近いかたちで、今数えると600枚くらい撮った。
32ギガのSDカードなので何の問題もない。使用したのは2ギガちょっとだ。
上海からの帰国便の中でE氏は、耳を診てもらったことがあるか?と聞く。
アフリカから帰国後、メニエル症になったので、その時見てみらったが、年齢によるものだと思って診てもらったことがないのだ。小鳥や虫の声が聞こえる耳に戻れるなら戻りたい。

2012年8月20日月曜日

臥牛山のサル Japanese monkeys in Mts. Gagyuu.

20日に臥牛山のサルの保護管理委員会があった。
先ずは、サルを見せてもらった。
備中松山城付近に出てきた臥牛山群
 発信機をつけられた12、3歳メス
石遊びをする2歳オス
石遊びというのは、小石を両手に持って、落としたり、また拾い上げたり、
また、小石を持って移動してそれらの小石をごりごり擦ってみたり、
と小石を用いて行うさまざまな行動を「石遊び」とされている。
子どもに見られ、オトナにはほとんど見られない。
久しぶりにニホンザルに会えて感激した。
ニホンザルは日本の自然物であるので、当たり前だが
日本の風土に馴染んでいる。この子たちをしっかり保護管理していきたいものだ。




2012年8月19日日曜日

入道雲

名古屋を過ぎた。
入道雲が空高く登っている。
明日は「天然記念物臥牛山のサル生息地」保護管理委員会がある。
協議事項を読んでいが、眠い。
今夕は、岡山でアフリカで知り合いになった元協力隊の女史との飲み会だ。
明日中には帰る予定だ。

玉皇廟村で  In Yuihuanmiyao village.

前夜の乾杯攻撃によって酔っぱらって寝たため、
部屋のドアをきつく閉めてしまったのか、ドアを開けることができない。
早起きしてトイレに行きたかったが諦め、皆が起き出すのをまっていた。
内装も外装も綺麗だが、ドアが開けられなくなって部屋に閉じ込められたのはアフリカのホテル以来だ。だから、一人で、ぶつぶつとここはアフリカではないんだよ!と唸っていた。
ドアは結局蹴破られた。ここのドアは前から問題があったようだ。
ドアの鍵を作った人たちがいてもそれを実際にドアに組み込んで作動させる技術者となる大工がまだ、近代的なドアの鍵技術に精通していないからこのような問題が出てくるのだ。
ともかく、朝飯を食べ、ぼくとE氏で往復2時間のかってのエサ場へ行く。
農家の前を通り、純粋で可愛い子供たちにニーハオと声を掛けて農道を進む。
親子のウシがいる。道を譲ってくれる。
 今年、生まれたばかりの子どもであろう。母親にシンクロナイズして動く。
丸木橋を渡り、農家の前を通る。ニワトリが3,40羽遊んでいる。
キンシコウの保護区の役所がこの餌場を観光用にしようと考え、
双廟子からの道も4輪車が通れるように拡幅し、トイレも設置し、滑ったり、
ぬかるんだりしていた道は整備されて階段がつくられた。
しかし、観光客はほとんど来なかったようだ。
それで、もとの状態のようになっている。
このキンポウゲ科の蔓性のトリカブトのような花は、ハナカズラの近縁種か?
そして、この蔓性の花がすぐわかるかと思ったが、
花の正面から
きれいではないが、なんだこれっと目についたのが、この巨大なガンクビソウのような花。
オトギリソウ科の?
もう一つオトギリソウ科のトモエソウ
2時半に戻ると女子学生の李さんが饂飩を作ってくれる。
美味い。食べ終えて、今度は一人で、さらに奥に川に沿った道を歩く。
先ほどの帰路に出合った子ども二人が手にしたペットボトルに魚(ヤチウグイ?)を4,5匹取ってきた。それの写真を撮らしてもらう。
リスが追いかけっこをしている。どこに2匹いるか判るかな?クリック拡大!
カモシカの仲間の頭骨だ。ここではヤギを飼ってない。
またもや今度はほぼ全身骨格ある。おそらく冬季に滑落死したのだろう。
カモシカ頭骨
はじめて見るカエデの仲間
ウルシを取るために、幹にV字状に傷をつけている。
かって、この辺りは漆の産地だったようで、日本にも卸していたらしい。 
右の木が上のカエデの仲間の木だ。
さらに川沿いの道を遡上するが、道がはっきりしない。が、進む。
そうこうして、うろうろしていると一人の農民が軽やかな足取りで下ってくる。
「あ、向こうに道があるんだ!」と思ったら、その人は「シャン?シャン?」と話しかけてくる。
シャンは山だ。だから、ぼくはうなずくと、彼はニコニコしてすたすた下っていく。
どうも道がはっきりしないし、地図も持ってないので、戻ることにする。
この川で水浴。 
6時半に施設に戻る。中国は日本との時差は1時間遅く。
日本が7時に時、中国では6時だ。
夕食は楊家に招待されているので、買ってきた白酒と日本からのお菓子を持っていく。
そのお菓子に日本語で、
「楊さんへ、これは日本のお菓子です。皆さんで食べてください」
と書いた紙をつける。シャオフンに渡す。
シャオフンはすらすらと読んだので、驚いた。
なんと、男の子のシャオガンも戻ってきていた。
皆で記念撮影したのはもちろんのことである。

2012年8月18日土曜日

調査基地の玉皇廟村 Yuhuangmiao village of the research station of Golden Monkey.

10年前までは、西北大学のホテルを朝、出て、玉皇廟村に着くのは夕方であった。
もちろん、当時は高速道路は無かったし、周至から双廟子というキンシコウの保護区
の支所に立ち寄り、そこで四輪車からオートバイに後ろにリアカーをつけた乗り物に
荷物を含む一切を移し替え、運転手以外の人はその荷物の上に乗って
断崖に作られた細い道を行った。
土砂崩れを取り除き、壊れた橋をなおしながら進んだのだ。

それが、今回はどうだ一度の乗り換えも無しに、荷物の上に乗ることもなく。
なんと、昼過ぎの一時には玉皇廟に着いたのだ。
しかも、車は小さな車ではなくゆとりある大きな車であった。大学の車であり、
10年前とは隔世の感さえする。
(今回乗った車:周至で朝食をとった店の前で)
待機していた学生たちがぼくの重いトランクを含む、荷物の全てを運び入れる。
若い学生たちのきびきびした動きが羨ましい。
村は、周至の方から送電されていた。
これまでのような村の川に設置された水力発電ではないのだ。
しかし、村人の大半は西安などの大都市に出稼ぎに出ている。
研究施設の隣は、ぼくらがお世話になった楊さん宅であり、そこにママや娘の小風(シャオフン)
が帰ってきていると聞き、楊さんのところに挨拶に行く。
(下の写真はHPの自然・生物→キンシコウの秦嶺山脈→楊さん宅1の写真から)
シャオフンはこの時確か小学校1年生だ。
かって、ぼくらが宿泊に利用させてもらっていた楊さんのところに行くと、シャオフンの御爺さんがいて、シャオフンを呼ぶ。何という感激だろう。彼女も今日ぼくが来ると聞いて驚いたようだ。
互いに、手をとり目を見つめ合う。
なんだか恋人に再開したようで涙がでそうになった。
彼女は現在、西安の大学で英語を学び、第二外国語として日本語を学んでいるという。
今までは、ニーハオくらいの片言の中国語しか話しをしたことが無く、目を見て互いの思いを伝え合ってきたのだが、彼女は英語をぼくの数倍流暢に話し、日本語まで話す。
シャオフンは飛び級で村の小学校を出ていって寄宿舎生活をするようになったので、後からは
ときどき帰ってきた時にあったくらいだ。
この写真は彼女が目をつぶってしまっているので、別に皆で撮った。
なお、シャオフンは小風ではなく暁鳳と書くようだ。
小風も良い名だと思ったが、暁鳳という名は、今の中国の勢いを表していて
素敵な名である。
父親の楊さんは北京に出稼ぎに行ってるので、今夏は戻らないようだ。
翌日の夜、楊家に招待される。
写真は暁鳳にメールに添付して送ることを約束する。

楊家への挨拶を終えて、E氏と二人でカメラを持って村内を歩く。
道沿いはまるでお花畑である。
ツリフネソウの仲間が3種類あった。
一番、元気よく咲きほこっていたのは、シュウメイギク
と橙色が目立つエゾセンノウ(やまぼうしさんに聞きました)。
トウシャジン?
ウスユキソウ?
ヤマハハコ?
アスチルベの仲間
アカバナ科の仲間
まだ、たくさん花を撮ってきました。
この日の夜は、ぼくとE氏とスタッフの斉君と運転手の歓迎会で、45度近くもある白酒の
乾杯攻めにあった。