「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2019年11月13日水曜日

ムベとアケビの種子の比較  The comparison of seeds of Mube called in Japanese.and akbebi.

昨日、学校から家に帰る途中路で、ある筈のムベの実が無い!あー、1個残らず採ってしまったんだと思った。が1個、2個と残っているのを見つけた。このムベの花や実をたのしませてくれるHさん宅の奥さんは自治会の町内会長をしているし、以前は娘が通っていた市立保育園の保母さんをしていたので、顔見知りだ。で、帰宅してから食べたタネでも残っていないかと思ってすぐ戻ってピンポンを鳴らしてみた。ムベの実は今朝採って、「どうぞお持ち下さい」と書いて玄関前に置いていたようだ。それが全て持って行かれた。でも、御主人曰く、「そんな人も出て来ると思い少し残して置いた」と僕は1個の4分の1だけでも貰えればと思っていたが、3個も頂いたのだ(図1)。
図1.Hさんから頂いたムベの実
図2.図1の左の1個を包丁で半分に切る
 縦に半分に切って(図2)、種子の周りについている甘い果肉を食べて、食べると云うよりも舌で種子から果肉を剥がす感じである。種子はアケビのものと比べ物にならない程大きく、少し縦長だ。長径10ミリを超えるものもある(図3)。アケビの種子の倍の大きさである。テンがムベの実を食べたとすると2、3個の種子で一個の糞粒となるだろう。
アケビの種子と一緒に並べてその違いを見てもらおうと思って、種子標本を探したが、アケビの種子は余りにも馴染み深い良く知った種子なので標本として残していない、、、、、、。

今日も学校で、先ほど学校から戻りウィスキーを飲みながらアケビの種子を探したらあった。こんなにも大きさが違う(図4)。
図3.その種子だ!
図4.ムベとアケビの種子の大きさ比較
左4個:ムベ 右4個:アケビ

2019年11月10日日曜日

ムベの実  The fruits called Mube in Japanese(Stauntonia hexaphylla)

我家から駅まで行く途中の家の門を覆うようにムベが仕立てられていて、春は花(これがアケビと全く違う)と秋には果実のムベを楽しませてくれる。
右腰を痛めてしまったので、外出も思うようにいかないが、歩かないで飲んで食べてばかりいるとまたまた山を歩くのが厳しくなるので、連れ合いの買い物について出掛けた。スマホのカメラを上手く使えないのでその練習を兼ねてカメラではなくスマホを持った。カメラは胸ポケットなどには入らないがスマホは胸のボケットに入るので気軽だ!
ムベはアケビ科のムベ属で、葉が秋には落ちるアケビはアケビ属で属が違う。道理で、花も葉(常緑か落葉か)も実(アケビは薄紫色で割れるのが多い)が違うのだ。
図1.ムベStauntonia hexaphylla
ムベの実もアケビの実もサルばかりでなく、テンやタヌキなどの食肉目の動物たちも大好きだ。きっと、今頃の丹沢を歩くと動物たちの糞はアケビの種子からなるものだろう。ほとんど、アケビの種子だけというサル糞やテン糞があるのも今頃の季節だ。丹沢山麓ではアケビは良く見るがムベをまだ見たことがないことに気が付いた。

2019年11月8日金曜日

この骨の病気は何? What are these bone diseases?

先日、丹沢に行く途中で拾った轢死体のタヌキを腐らせて、骨を洗ったが、頭骨はバラバラであったことをアップし、さらに大腿骨の病気も述べた。
丹沢に行きそびれたのでバラバラになった頭骨を組み立てようと半日以上かけたがダメで、晒骨した他の骨を整理し始めた。骨の病気は右の大腿骨ばかりでなく、右の上腕骨も同じような病気にやられていた(図1)。
大腿骨も上腕骨も同じ病気だろう。これらの骨以外はこのように朽ちた?腐った骨は無い。また、車との衝突で頭骨以外に折れた骨はこれの右の上腕骨と大腿骨、及び左右の肩甲骨が折れていたが、他の骨は正常であった。まだ、若い個体なのに気の毒だ。野生のタヌキが罹るこのような骨の病気はなんであろう?どなたか御存知の方いらしゃいませんか?教えて下さい。
図1.左:右の上腕骨 右:右の大腿骨 いずれも後ろから見た状態
昨日、一昨日と庭で屈みこんでギンナンを洗ったので、腰が痛い!今朝、5時に起きたが腰が痛くて断念した。
大学の同級生のMが6月に亡くなったようだ。独特の雰囲気を持っている男だった。彼を偲んで今夜は献杯しよう。

2019年11月7日木曜日

ギンナン洗いで腰が痛い! I have a pain in my loin becouse of washing the ginkgo uuts!

横浜の金沢文庫に住む、後輩のMさんが先日猛烈な強風の台風15号の後、落ちたギンナンを拾って持って来てくれた。彼からは春の山菜のフキノトウ、フキから始まり、ビワやスモモ、カキまでまるで時候の挨拶のように持ってきてくれる。その量も半端ではない。
彼はギンナンを素手で拾うようだ。ぼくは、雑誌「にほんざる」の編集会議で、東大農学部に行った時に初めて落ちているギンナンを拾った。素手で拾ったのだ。その手でトイレに行って小便したものだからペニスが腫れあがり、しかも痒く大変な目に遭った。以来、ギンナンを食べるのは大好きだが、落ちているギンナンを拾ったことはない。
図1はMさんが持ってきてくれたギンナンをプランターに容れて、腐らすたために土を被せたものを、昨日、今日と果肉・果皮を取ってギンナンの種子だけにして、何度も水洗いしたものだ。これは全体の半分くらいなもので、残り半分は水に浸けたままだ。
図1.洗ったギンナン
このギンナンの果肉・果皮落としは少し厚手のゴム手袋をして一粒づつ果肉を剥がしていく。来年、また貰ったら今度はただ水に浸けるだけにしようと思う。土の色が種皮に付くからだ。
椅子に座って前屈して果皮・果肉を剥がし、水で何度も洗う。腰が悲鳴を上げるので、何度も止めよう、止めようと思うが、最後までやってしまった。ひゃー腰が痛い!
タヌキのタメ糞に大量のギンナンがあった(図2)。これは湯河原の椿ラインから天昭山野猿公苑餌場跡に出る尾根を下っている時に見つけたものだ(2004年11月26日)。これらのギンナンを全て拾って沢で洗った。この時は専門学校の学生実習だったので学生たちはぼくが食べるためにギンナンを洗っているのを知って驚いていた。
図2.タヌキのタメ糞の中のギンナン
丹沢でテン糞やタヌキ糞を拾っているが、タヌキ糞の中にギンナンが入っていたのは鐘ヶ嶽への浅間神社口からの階段を登って行ってから見つけた2015年12月5日の1例(図3)だけである。この時も埋まっているギンナンをを含めて8個拾ってきた。
図3.タヌキのタメ糞の中のギンナン
ギンナンを取り出すのはタヌキに食べてもらう方が洗うのは簡単だし、手もかぶれない。味も変わらなく美味しい。
カンボジアに行った時にジャコウネコ科のシベットの仲間がコーヒーの実を食べて排泄した種子(コーヒー豆)から挽いたコーヒーを買ってきたが、云われている程美味しくはなく、まだ、飲み切っていない。

2019年11月4日月曜日

頭骨がバラバラのタヌキ The racoon dog whose skull broke apart.

昨年11月8日に東丹沢に行こうと清川村を走っているとタヌキの轢死体を拾った。それを11日アップした(図1)。その時は下顎だけが壊れているとした。が、頭蓋骨は修復が嫌になるほどの壊れていた(図2)。さらに、このタヌキの右大腿骨が異様に太く脆くなっていて、途中で折れていた。このタヌキは右後ろ足を引きづりながら、痛さを我慢して歩いていたものと思われる。
図1.2018年11月10日の解体前

図2.頭蓋骨の状態
これほど、バラバラになっていたが、頭蓋骨骨折、陥没でもしばらくは生きていたのだろう。
図3.骨の病気になっていた右大腿骨
これはどういった骨の病気なのだろうか?我々ヒトだと痛くてとても歩けないだろう。

イヌ、ネコ、アナグマ、タヌキ、ハクビシンなどの中型哺乳類が自動車道路で轢かれると、身体の部分は大丈夫な場合が多いが、大半が頭部が砕けている。おそらく走ってきた車のバンパーに頭を打ってはね飛ばされてしまうのだろう。はね飛ばされた場所が車道だと、2度、3度と轢かれてしまう。この個体は頭部を2度轢かれたのか?

2019年11月1日金曜日

首里城焼失と恐ろしい記憶   Shuri Castle burnt down and horrible memories.

首里城が燃え、柱が残り、それらが焼け落ちる動画をTVニュースで見た。子供の頃の火事を思い出して身体が震えた。

小学校入学前年(1951年12月2日)に釧路市立病院の火事があった。夜空は赤く染まり、焼けた大きな木が屋根に落ち、親父が屋根に上ってバケツで水を掛けていた。起こされた時は裏の障子が橙色であり、黒い厚手のオーバーを着せられ入学前のランドセルを背負ったぼくはただ歯をカチカチ鳴らして震えながら立ち尽くしているだけだった。そのすぐ後の1953年2月22日に、今度はぼくが入学する事になる高校が火事となり、真っ暗な夜の世界にそこだけが明るく輝き、最後に柱が残って崩れ落ちていく光景が目に焼き付いている。身体の震えが止まらず歯をカチカチ鳴らして焼け落ちる校舎を大人たちと立ち竦んで見ていた。
この子供の頃のこれら記憶を何度も思い出すことがある。火事の記憶と同じように、1952年3月に十勝沖地震があって大勢の人たちが我家があった高台に登ってきたのも思い出す。

首里城の焼失の映像が子供の頃を恐ろしかったことを思い出した。首里城は那覇に数回寄ったことがあるのに一度も見たことがなかった。今年2月の船旅で那覇に寄港するので首里城を見学する予定だったが、エンジントラブルで那覇には寄られなかった。残念でならない。

2019年10月31日木曜日

波勝崎自然公園の閉園   Closed the natural monkey park in Hagachizaki

一昨日学校へ行ったら、Kさんから伊豆南端に近くにある波勝崎自然公園が夏に閉園になったことを知らされた。伊浜町で1953年頃餌付けし、1957年に開園したのだ。当時は下北半島から屋久島まで三十数ヵ所も全国に野生ザルを餌付けした野猿公苑があったものだ。ぼくが通っていた奥湯河原にあった天昭山野猿公苑もそうだった。
湯河原に行こうと電車に乗っていたら、気が変わって伊豆の松崎まで行き、そこで泊まり翌日波勝崎のサルを見に行ったのが大学2年の時だった。当時は有名な管理人だったな肥田与平さんが健在だった。その後何度か波勝崎にサルを見に行った。湯河原の天昭山群のサルたちに入れ墨を施し、その中の3頭が波勝崎の群れで見つかったのも、波勝崎自然公園でサルが餌付けされていたからだ。
波勝崎自然公園の閉園で、ぼくの青春のサル学が終わった!っと少し感慨に浸っている。
図1.2009年5月の波勝崎の

図2.2009年5月の波勝崎の子ザルたち

2019年10月28日月曜日

ユズの実 The fruits of Yuzu

庭のユズの木がヤマアラシのように枝が上に伸びているので、剪定した。部屋の中は少し寒いかなと思っていたが、外は日差しが強く暑いくらいだ。毎年たくさんのユズの実がなり隣近所にお裾分けしていたが、昨年は20個くらいしかならなかった。それは花が咲いた後、風通しを良くしたいと小枝を切ったからだ。
今年は、5,60個はなっていそうだ。上に伸びた太い枝はぼくの親指の太さくらいある。高枝切りでは切りづらいので、樹幹に顔を入れてどの枝が伸びているのかをたしかめ、手を伸ばしてもトゲが腕に当たらないよトゲだけを選定バサミで落としてから背伸びをして枝を切り落とす。辺りにユズの葉や樹皮の良い香りが漂う。これは柑橘類の木の匂いなのかな?
シジミチョウの仲間が飛び回り、スズメガがホバリングしてタイワンホトトギスの花の蜜を吸っている。
図1.今年のユズCitrus junosの実

2019年10月26日土曜日

タヌキは木に登ってサルナシを食べた!  A racoon dog climbed a tree and ate arguta!

タヌキ糞は地獄沢右岸尾根を登って最初の667ピークを過ぎてから再び登り始めて間もなく見つけた(図1)。他にも3ヶ所でタヌキのタメ糞があったが、学生たちの登山靴で踏み潰されていた。きっとテン糞もあったことだろうにと思うとちょっと残念。でも、ぼくが遅れてしまったので仕方がない。
昨日夕方、雨が上がったので早速庭に出て水道栓でタヌキ糞を洗った。こんな内容物のタヌキ糞はこれまで無かった。
図1. タヌキのタメ糞
水洗いして0.5ミリメッシュの茶漉しに残ったのは、
サルナシの果皮と種子だけだ!砂泥や腐葉片はまったく無い。ぼくは、タヌキは木には登れないと思っていた。しかし、砂泥や腐葉片が混じってないことはこのタヌキは木に登ってサルナシの実を食べたことを物語っている。
実は、20日に学校に行った時に動物写真家の岩合光昭氏が撮った「カキの木に登っているタヌキ」(WWF「地球のこと」)の表紙写真を見たばかりなので、タヌキが木に登ってサルナシの実を食べているのを想像することができる。
テンはするすると木にに登るが、タヌキは体形からして木に登るにはかなり無理があるね。どんな木でも登れる訳ではないだろう。タヌキよりも鋭く頑丈な爪を持ったアナグマの方が木登りができそうだが、、、。

2019年10月25日金曜日

大山北尾根ルート    The route of Ohyama northern ridge

今日も雨!23日の丹沢実習で大山北尾根を歩いた日は晴れていて良かった。当日は8時25分秦野駅発のヤビツ峠行きに乗った。8時前にバス停に着いたが、すでにヤビツ峠行きのバス停には中高年の登山者が5、6名並んでいた。仲間で来たようだ。ぼくの後にも中高年の人たちが並んだ。8時を過ぎてからどんどん登山者が並び10メートル以上の列となった。バスが来た。幸いぼくは座れたが、ぼくの数列後の登山者たちは座れずヤビツ峠まで50分くらい立ったままだ。この人たちは8時ちょい過ぎ頃は前から10番目くらいで悠々座れた筈だった。しかし、前のグループの仲間が遅れてやって来る度に割り込みとうとう折角早めに来たのに座れなくなったのだ。このところ横暴な高齢者たちを見かけるようになった。悲しい!
ヤビツ峠にあるトイレは台風の影響のため断水となっていた。トイレの後ろの駐車場のところから沢沿いにある山道も崩壊箇所が多かった。しかし、短い距離なので道を探しながら歩くのは楽しい。ヤビツ峠の出発時にGPSのスイッチを入れ忘れていて、地獄沢橋の近くになってようやくスイッチを入れた(図3)。
ヤビツ峠から青山荘までの沢沿いの道は湿っているので秋のキノコがあるかな?っと楽しみに歩いたが、一つも見つけることはできなかった。
図1.9:54 青山荘裏の広場で小休憩
県道を歩き始めて、間もなくシロヨメナが県道右岸の斜面に垂れ下がっていた。
図2.10:11 シロヨメナ(ヤマシロギク)
今日はずーと雨降りで先日の台風の被災地がまた被害に遭いそうだ。そうならなければ良いが、、、。タヌキ糞の水洗いも明日だ!
図3.ルート図