「特定秘密保護法反対」

「特定秘密保護法」、「集団的自衛権」に反対します。憲法第9条をしっかり守りましょう。教育勅語の教材活用は間違いだ!

自由であっても、他人の生まれ、身体、性別、年齢、故郷、風習、宗教、民族、国を差別する、小馬鹿にする、冒涜するのは許されない。

原発不要・核廃絶


2016年2月5日金曜日

早春の輝き!  The grow of early spring!

左足の太腿もかなり回復してきたし、前夜の体重計の目盛りを見て自己最高の75.2kgとなっていたので、昨日は昼過ぎにカメラを持って境川の遊水地まで行ってみることにした。
途中には日大生物資源学部の農場があるが、その近くのこの木はハリギリだ。ウコギ科特有の果実の着きかただ。拡大してみると枝に大きなトゲがでている。
 このハリギリも若芽は天婦羅にすると美味しい。
これはコブシだ。蕾もかなり大きくなっている。もう来月には咲くんだ。
日が出るのはまだまだ遅く、6時半を過ぎてからだが、このところの日の入は遅くなっている。
5時を過ぎてももまだ明るい。
春がどんどん近づいているのが、日が長くなっているので判る。
春の陽が強く長くなったのを感じて、ホトケノザだ!
シソ科のオドリコソウ属なのでオドリコソウかとも思った。
菜の花だ!3月下旬の西安郊外の秦嶺山脈の麓一面に広がる菜の花の黄色で染まった畑が思い出される。 空は黄砂で薄汚れた灰褐色だが、、、、。
07:42、地震だ!初め、屋根に何か落ちたような衝撃があった。


2016年2月4日木曜日

難民の背景  The Background of Refugee

昨日、ベルギーのブラッセルに住む友人のBurtonさんからメールがきた。シリアからの難民に非常に関心を寄せているようだ。彼は今年75歳になるが、1940-45の間、家族に連れられてフランスからの避難民となったようだ。

シェンゲン協定ができる前からヨーロッパでは、各地をパスポート無しに自由に行き来できた。だから、オランダ生まれのゴッホが南仏に行って絵を描いたり、ディケンズのロンドンとパリを行き来する「二都物語」が生まれたり、、モーツアルトがイタリアからフランスまでのヨーロッパ各地を旅行していたのだ。
当時は国の概念が薄かった?ので、ヨーロッパ各地は自由に行き来できたのであろう。その典型がジプシーと呼ばれている人たちの存在かもしれない。
2010年夏にち、Burtonさんとブラッセルで

タンザニアのマハレ山塊国立公園とキゴマの町を行き来するには、陸路よりもタンガニーカ湖を船で行く方が容易であった。マハレ山塊の北にあるムガンボという村でボートに乗って沖合いに停まっている定期船に乗る。リエンバorモンゴウゾウ号と名付けられた大きな貨客船には、ダガーやムゲブカの干し魚の麻袋の間に大勢の人々が乗っている。キゴマという港町に着いて下りるときは、日本人であるぼくは税関を通ってパスポートを見せなければいけない。一緒に乗ったアフリカ人たちは税関を通る必要がない。ザンビア、タンザニアのどの港から乗り降りしようと彼らには身分証明書の提示は必要ない。
1995年乾季、人や貨物で一杯のモンゴウゾウ号、リエンバ号より一回り小さい。

ルワンダで起こったツチ・フツの市民戦争の時は多くの避難民が隣国のザイールからタンザニアのマハレ近郊の地にもやってきた。そのため彼らの定住集落がマハレ周辺にも作られた。
1998年乾季、コンゴ民主共和国のカフジ・ビエガ国立公園近くの国連難民事務所やテント村の跡

アフリカの国境はイギリスやフランス、ベルギーなどの宗主国が自分たちに意に適うように勝手に作ったものであるので、アフリカ人は国内を移動するように移動できる。
そうそう、ぼくがタンザニアの地方を移動してゲストハウスに泊まる時には、パスポートの提示の他に部族名を書かなければいけない。ぼくはいつも”Dosanko”と宿帳に書いた。

ぼくの父親の祖父一家は三重県の員弁郡から屯田兵としてサロマ湖南岸の紋別郡上湧別村の地にやってきたようだ。もちろん、貧困・飢餓のために故郷を捨てて新天地の北海道を夢見てやってきた訳だ。
アメリカはアイルランドや英国を含む多くのヨーロッパの国々を追い出されるようにやってきた貧民たちによって作られた国だ。
1997年3月、NYの自然史博物館

戦争や圧制、貧困や飢餓から住んでいた土地を捨ててまだ見ぬ新天地を目指すのは、人に限らず動物にとってはごく当たり前の行動だ。このような人や動物たちは住んでいた社会では劣位な者たちだ。ぼくらの祖先はアフリカを捨ててヨーロッパに渡り、さらにアジア、アメリカにまで渡っていったのだ。このような新天地を目指す者たちから新しい何かが生まれてくる。

しかし、今ヨーロッパで起こっているシリアやアフリカからの避難民の受け入れを困難にしているのは、その数の多さばかりでなく、中に紛れ込んでいるISの戦闘員の存在が問題を複雑にしている。

2016年2月3日水曜日

通販での買い物は便利だが、、、。  The shopping by the mail order is a great convenience, but,,,,.

昨日、辺室山歩きで左足が攣ったことをアップしたら、take隊員から下の薬が勧められたので、ネットで調べてすぐアマゾンに注文したら、何と昨日の19時過ぎに宅急便で届いた。半日で届いたのだ。
何と便利な世の中になったものだと連れ合いに言ったら、
連れ合いは娘から、通販利用を批判されたと云うのだ。
ぼくは、本、カメラ、山道具さらにはスズムシの餌までと多くの物を通販を利用して購入している。
文庫本一冊でも、上のツムラ68番芍薬甘草湯一箱でも、送料無料で送り届けてくれる。
連れ合いは食料品も届けてもらっている。
家に居ながらにして、欲しい物を手に入れることができるのだ。

芍薬甘草湯一箱の重量は100グラムにも満たないし、文庫本1冊は200グラムにも満たない。
郵送料が無料だから通販を利用する。
しかし、芍薬甘草湯は千葉から、文庫本は広島から運ばれてきた。
薬一箱や本一冊が、我が家に運ばれてくるのに、車のガソリンを含む多くのエネルギーが使われている。
少なくても一箱のこの薬のために大気を汚していることに繋がっている。
例えその車が電気自動車であろうとも無駄なエネルギーを消費しているのには変わりがない。
さらに、通販の利用は近隣の小売店を潰しかねない。

ぼくらは便利だからという安易に通販を利用することは、無駄なエネルギーを消費し、大気を汚染させているんだということに気が付かなければいけないのかも知れない。
娘だって、結構通販を利用しているんだが、、、、。
take隊員が目差す、地産地消に加え地買だ!

2016年2月2日火曜日

今冬はキブシの種子が出てこない。 The seeds of Kibushi,Stachyurus praecox were not found in scats in this winter.

1月30日の土山峠・辺室山・煤ケ谷のルートで見つけた糞は5個であった。
タヌキ糞が2個に、テン糞3個だ。
先ほど、庭の水道栓で水洗いし、残渣を花鉢の白いプラスチックの5個の鉢受に取り入れて机に上に運び、ペットボトルの水を注ぎながら内容物を取り分けた。
以下がそれぞれの内容物と糞である。

9:43、タヌキ糞
マメガキ種子、ケンポナシ種子、腐葉砕片、単子葉の葉6センチ、節足動物脚・外骨格

10:19、テン糞
マメガキ種子、小哺乳類(トガリネズミ科)毛
小哺乳類の毛が半分以上を占めていたので、骨か歯が見つかるかな?
っと思い注意深く見たが見つからず。尚、この毛色は灰黒色なので齧歯目のものではない。

10:26、タヌキ糞
マメガキ種子・果肉果皮、シカ毛
大量のシカ毛が混じっていた。狩猟で解体されて捨てられたシカの頭か足の皮を食べたようだ。

13:59、テン糞
サルナシ種子
果肉・果皮はなく、洗っている時にこれはテン糞ではなく果実食の鳥糞かとさえ思った。
しかし、鳥の尿の成分の白い尿酸の結晶がないのでテン糞で間違いないと思われる。

15:53、テン糞
カキ種子果肉果皮、ケンポナシ種子果肉果皮
この種子はマメガキと比べて少し大きいし、煤ケ谷の一番山沿いにある住宅から100メートルも離れていない所にあったので、ただカキとした。

以上をまとめたものが下の表だ。

4つの糞はカキorマメガキを食べたものであり、テンやタヌキにとってはマメガキや市街地に取り残されたカキはケンポナシ同様に、彼らの大切な食料になっている。タヌキ糞①からイネ草本の6センチくらいの葉と4センチくらいの葉が出てきた。これは飼い犬が芝生などのイネ科草本を食べることがあることと同じ意味を持っているのだろう。つまり、薬草として利用していると考えられる。
それにしても、今冬はキブシの種子が出てこない。出てきてもほんの僅かだ。
東丹沢ではキブシの実成が良くなかったと考えられる。

2016年2月1日月曜日

フィールドサインと氷景色2)  ②Field signs and ice scenes.

30日の辺室山歩きの続きです。
今日も肌寒いので拾ってきた糞洗いは中止して、風呂場で登山靴やアイゼン、スパッツをタワシで洗った。
10:26、⑩タヌキ糞
10:30、⑪ミヤマシキミがかなり食べられている。カモシカだろう。
10:35、⑫昨夜のカモシカの2条の足跡を見るHashimotoさん。
上の足跡をカモシカと判断した理由は、第3、第4指の爪の後ろに第2、第5指の副蹄の跡がハッキリついているからだ。さらに深くはっきりと逆ハ状に広がっていればイノシシだ。
どうもオトナのカモシカが2頭移動したようだ。
10:50、⑬これは、床林から2メートルくらい上の木の枝や幹の樹皮を綺麗に食べている。
サルなら、樹皮が剝れていたりするので、齧歯類のリス?ムササビ?ヤマネ?あるいはハタネズミ亜科のスミスネズミが齧ったものと思われる。
枝の水滴に見えるのはバッチリ凍っている。前夜の雨が明け方に冷えて凍ったようだ。
11:36、⑭登るTsukaharaさんとHashimotoさん。いつもはこの辺りでは汗だくになるのだが、
今回はさらに着込んだ。
11:43、⑮辺室山手前の登りきった所で!
辺室山でアイゼンを着けたのが大正解だった。
12:28、モミの枝は氷の上に氷が着き重たく垂れる。
 
12:31、⑯常緑広葉樹のシキミの葉に着氷しているのは何だか不思議な感じ!
12:32、着氷した枝を潜り抜けても氷が落ちない。
12:36、⑰まるで雪が積もったように見えるが、木々の枝に降った雨が氷結している。
不思議な氷の世界!
13:00、⑱祠の峠に着いたが、お昼は物見峠でとることにする。無風状態なので快適だ!
ここから物見峠までは10分位だ。
13:22、⑲唐沢林道の物見隧道で昼をとるつもりであったが、風が無いので物見峠の休み台でお昼だ。
Hashimotoさんがストーブで温めたウィンナーをぼくらに2本ずつくれる。これが美味かった。
ぼくはコンビニで買った赤飯オニギリにカップラーメン(小)を食べる。
ここで、3人で記念写真をまたも撮り、三峰山方面の登山路を登ることにする。
13:59、⑲出発しようとしてテン糞を見つける。
14:25、⑳ここから煤ケ谷への登山路を下る。
 14:33、㉑大きな山の神様の祠、ここは煤ケ谷の人たちが手入れをしている。
上の場所を過ぎてから気温が緩んできたようで、樹木の枝や葉についていた氷が解け始める。
まるで、小雨の中を歩いている感じ。物見峠からの登山路の合流地点で、アイゼンを外しザックカバーを掛ける。しばらく歩いて、二人を先に行かせる。ぼくは小便をし、沢筋の少しぬかるんだ所で追いかけようとして滑り転びそうになるのを踏ん張ったのが良くなかった。左の太腿が攣る。
スポーツ飲料を飲み、痛みが治まってきたので、そろりそろりと歩き始める。完全に痛みがなくなったので普通に歩き始める。またも、窪んだぬかるみでそこを1メートルくらい登らなければならない。ステップとなるような岩あるので、そこに右足をかけストックで堪えながら左足を持ち上げたら、再び同じ太腿が攣る。
強烈な痛みで、転びそうになるが、水を飲むと痛みが治まり、再び歩き始める。
シカの防護柵の扉を閉めると、煤ケ谷の集落が見えてきた。
TsukaharaさんとHashimotoさんが待っていてくれた。っと糞を見つけた。
15:52、㉒ん?テン糞だ!
糞を拾って、ビニールの小袋に容れる。拾う時屈むので腿が攣りそうになる。舗装された道をバス停を目指して歩く。歩いていてバスの時刻が毎時5分頃だと思い出す。
二人に走るように声を出す。バスは16:04だった。間に合った。
バスを朝と同じように貸し切ったようにぼくらだけだった。座席に座った途端、攣る。
この左足太腿の攣り、今日も危険な状態だ。今週の山行きは止めだ!

2016年1月31日日曜日

足跡や食痕、角砥ぎなどのフィールサイン1) ①Animal field signs of tracks, feeding signs, scats,and scraping.

昨日の辺室山は積雪が深いところでは20センチくらいあった。
雪の表面は凍っているため、一歩一歩足を雪面に乗せる度に一度は体重を支えてくれたかのように思うのだが、ガクッと落ち込む。初めの頃はそれを楽しんでいたが、、、、。
途中からはなるべく積雪が浅い所や無いところをあるいた。

今日は、見た動物たちのフィールドサインを時間をおってアップする。
9:40、①先ず、シカの足跡だ!
今朝、2、3頭のメスグループが歩いたようだ。
 9:43、②雪がない吹き曝しの尾根上にタヌキ糞だ。タヌキたちのトイレだ。溜め糞になっている。
色の褐色のが新しいようなのでそれを拾ってきた。
これらの糞は氷ついているので登山靴の先で蹴とばして、一塊を拾いあげた。
10:01、③カモシカの足跡(第三指の爪と第四指の爪が広がっている。
10:01、④ミヤマシキミがカモシカに食べられている。
 10:11、⑤カモシカの角砥ぎの痕だ!
 10:13、⑥なんとシロダモが食べられている。初めての観察だ!カモシカだろう。
 10:19、⑦テン糞だ!もちろん拾う。
 10:24、⑧カモシカの足跡だ!どうもこの辺りにオスとメスの2頭のカモシカが重複した行動域を持っているようだ。
 10:25、⑨ヒイラギが食べられている。カモシカだろう。
シカは主に草食でカモシカは葉食が主だろうから、このような判断をしている。今は猟期だから、丹沢で撃たれたシカの胃の内容物についてはとうに調べられているだろう。シカはどのくらいの割合で樹皮や木の葉をたべているのだろうか?草食だけなら、丹沢の冬では食べるものがほとんど無い。
上記のフィールドサインの確認地点を下図のGPS上のルートの①~⑨である。
今回歩いた距離はGPS上で8.2キロであった。
これだけでも、帰路もうすぐ煤ケ谷の集落に着くというところで左脚の太腿が攣り、
今日高校生向けの体験授業があって専門学校に行った帰り、同じところが攣ったので驚いた。

2016年1月30日土曜日

雪景色!  Snow scene!

 「丹沢サル観察し隊」で、今日、辺室山の雪上の足跡観察会を行った。
日程を決めたのは昨年であったので、今日参加予定がぼくを含めて8名だったが、
昨日になって5名取り止めとなった。
不参加になったのも当然だ。
都心は大雪予報で、清川村の天気予報も雨か雪か曇りかはっきりしなかった。
しかし、夕方の予報では明け方まで雨か雪だが、その後は曇りの予報だった。
ぼくが決行を決めてメールで流したが、5名の人たちは全国の予報をテレビで見て取り止めたのだ。

本厚木発宮ケ瀬行きのバスはぼくら3人だけ。
バスが出るまでは冷たい雨が降っていたが、ぼくは「土山峠に着く頃には雨は上がる」とTとHに言い放つ。
雨の上がった土山峠に下りたTとHの二人。既に、スパッツは付けているので、ストックを持って出発だ。
辺室山までは登りの連続で汗だくになる筈だが、寒いくらで着込むくらいだ。
前夜からの雨まじりの雪が氷となって木の枝についている。樹氷となっているのだ。
寒さがゆるんで枝の氷が落ちるかと思ったが、美しく凍った木々が綺麗で、何度も立ち止まって写真を撮る。3人で「来て良かった、良かった」と言い合いながら自然と笑顔になる。
丹沢の氷の女王が 出てくるような感じだ。
登りは登山靴で雪を蹴ってステップを作り、一歩一歩登る。
辺室山山頂でアイゼンを装着する。
アイゼンが気持よくザック、ザックと氷雪に突き刺さる。
物見峠でお昼にしたが、13時を回っていた。
ぼくはもうすぐ煤ケ谷の集落に着くというところで、滑りそうになりそれを堪えたために左の太腿が攣り
ほとんど歩けなくなる。先に行った二人を水を飲みながら一歩一歩追う。
16時4分の煤ケ谷発のバスに運良く間に合う。
今日は素晴らしい日だと、本厚木駅前で3人だけの懇親会をやる。

2016年1月28日木曜日

北海道を開発・開拓した「常紋トンネル」と「赤い人」から

昨年、11月にお袋の三回忌で帰省した時に、お袋の部屋に寝た。帰省するときは機内では機内誌を見ている内に釧路に着くし、実家ではお袋や親父が見ていた本が片付けられずにそのまま本箱に納まっているので、それを読むことにしている。ただ、帰路の便は同じ機内誌になることが多いので、実家から1、2冊持ってきたものを読む。
司馬遼太郎の「街道をゆく:北海道の諸道」を持ってきた。

この本の中で北海道の開拓のための道路工事や鉄道工事の為に身を粉にして働かされた囚人労働者や騙されて内地から北海道に連れて来られたタコ労働者について書かれた本があることを知った。
刑務所に収監された囚人労働者についての吉村昭の「赤い人」とタコ労働者についての小池喜孝の「常紋トンネル」を司馬遼太郎は読み終えた後、しばらく呼吸ができないほどの胸の痛みを覚えたような事を書いていた。ぼくはこの2冊の本に興味をもった。

正月に入って、アマゾンで「赤い人」と「常紋トンネル」を注文した。「常紋トンネル」は絶版のため文庫本でも1500円くらいした。先ず、「赤い人」を読み、続いて「常紋トンネル」を読んだ。赤い人は1日で読んだが、常紋トンネルは読む途中で何度も休んだ。間を置かないと当時の労働者たちが牛馬のごとく扱われる様子が目に浮かび、苦しくなり、暗澹たる気持ちになってとても続けて読めないのだ。

囚人の赤い人も、周旋屋に騙されて連れて来られたタコ労働者も、氷のような固まった雪原の上を裸足で働かされる。食事は凍ったご飯に漬物だけだ。現在のぼくらには俄かには信じがたい状況の描写の連続だ。人柱として何人もの病気なって動けなくなった者たちを埋葬もせずに埋める。逃げる者たちは捕まると見せしめのためにリンチを受け殺される。警察も行政も見て見ぬふりをする。

肉体労働者の人権が改善されたのは、戦争に負けてGHQがタコ部屋制度を廃止させたからだ。それまでは、朝鮮人や中国人も騙されて半強制的に炭鉱やトンネル工事などで人権無視の強制労働がされていたようだ。

北海道は、屯田兵、囚人、タコ労働者、朝鮮・中国からの強制労働者によって開発・開拓されたのだ。

ぼくが子供の頃のバス遠足は釧路から阿寒湖や摩周湖だった。その道はマリモ国道と呼ばれ難工事であったため、多くの人たちが犠牲になったということを聞いていた。それが、赤い人やタコ労働者だったのだ。

ぼくが学生の頃の肉体労働の仕事は早朝の桜木町駅前で手配師が日雇いの者たちを集めて工事現場や貨物船にマイクロバスで連れていく。日雇いの人たちの中には、ぼくのような学生もいれば中高年の衣類や顔が汚れてまだ飲んだくれている者たちもいた。
手配師は、「兄ちゃん俺の100円出すからこの仕事やってくれない!」なんて言ってぼくらを誘う。ぼくらは船底に潜って小麦をモッコに積み入れたり、道路工事や地下工事の土方作業をやらされた。

手配師から出された100円は当然ぼくらの金をピンハネしているお金だ。戦後までいた周旋屋は北海道まで送り届ける交通費、食費、宿泊代などを前貸したようにして抜け出せなくしている。

周旋屋は手配師に、今では名前を代えて派遣業として労働者を搾取し、派遣された会社・工場は今はブラック企業と云われる。

労働に応じたお金が流れているわけでなく、働いても貧困から抜け出せない。お金の大半は仕事を持ってきた政治家と元受企業が搾取し、残りを下請けや孫請けが取り、労働者はほんの僅かの金だけだ。戦前のタコ労働の世界が現在でも続いている。

日本の建設を含む労働業界は、今も昔も変わらない縦社会の搾取構造をもっている。ゼネコンと云われる大企業が仕事を受注して、下請け、孫請け、さらなる下位の業者が実際の仕事を行う。そんな綻びがたくさん出てきている。原発に直接関わる仕事の労働者、マンションや道路建設の労働者、全て孫請けなどの下位業者の搾取されて低賃金でも働かざるをえない人たちだ。

2016年1月26日火曜日

パフィオペディラムが咲き始めた。  The flower of Paphiopedilum has begun to bloom.

今日は、専門学校の後期試験だった。
1時限目、2時限目と動物行動学の試験をやり、答案用紙を採点のために持ち帰った。
帰宅したのが2時過ぎで、コーヒーを沸かして、採点に取り掛かった。
白紙に近い状態で提出した学生が2名いた。
また、100点満点もいた。
このTCA専門学校は入学試験はないので、入りたい者を全て受け入れるので、さまざまな者たちが入学してくることになる。勉学に問題がある者から大学を卒業してきた者、休みがちな者、朝起きられなくて遅刻する者、夜遅くまでバイトをしている者、犬、猫以外にデグーのような小動物を飼っている者、イグアナを飼っている者など賑やかだ。誰もが動物が大好きなことは間違いない。
試験はできなくても、フェレットの事なら何でも知っているし、次々に子供を産ませることができる。

動物行動学の試験の採点は10点だと通常は不可の評価Dとなるところだ。
が、評価は試験の結果だけでつけるのではない。

パヒオペディラムが2個咲き始めた。
 あと、一クラス分の採点が残っている。頑張らなくてはならない。